第125回ご縁結びのコーナー 窪井 耕さん 株式会社ctow 地方と世界を結ぶその根幹は子供時代に。これからますます楽しみです!
2025年 06月 10日
窪井さん制作による私の20代前半を動画に(TikTok2022年7月)
窪井さん制作による私の20代と30代を動画に(TikTok2025年2月)
窪井さんのインタビュー記事(4000万再生のショートムービーを制作し、独立)
今回ご登場の窪井さんから、昨年、杉浦さん!もう一回TikTokに出演してください!とお声がけいただき、有難いと思いつつ、2022年にも同様に動画を作成くださって2回目は、どうかな?と思っておりました。せっかく私を慮ってくださって、こんな機会は滅多とないな、せっかくだったら、前回よりももっとご覧くださる方々の役に立てたらとシナリオを一緒に考え、お願いすることになりました。それが2025年2月初めに公開となって以来、1ヶ月で45万回再生されています。私一人の力ではどうやっても到達しないお若い方々に何かしら心に響いたのであれば嬉しい限りです。素晴らしい動画を制作くださった窪井さん、株式会社ctow社について今回は記述していきたいと思います。
【最近の窪井さん】
◆窪井さんのプロフィールについて
経歴について
1993年山口県萩市出身
萩高校⇨山口大学経済学部
2016年〜2021年 テレビ山口株式会社
2社経由
2022年に東京へ
2023年に株式会社ctow創業
TikTokについて
2021年趣味で初めたTikTokが
3ヶ月で10万人、平均再生回数150万回
YouTuber の人生を紹介
こちらにて返信がありました。すごく簡単、でもこの行間には多くの経験があり、多くの共感をすることになりました。特に子供の頃のお話には、今に通じる経験、お母様との関係や環境に大きな影響を感じた次第です。
まずはどんな子供時代だったか?そこからフォーカスしたいと思います。
【2025年2月TikTok動画制作の御礼に平田牧場さんへ】
◆窪井さんの子供時代、まさにクリエイティブ、仕事環境が揃っていた
どんな子供時代でしたか?と聞いてみると、
ニコニコしながら自慢ではありませんが、山口県で1番遊んでいた小学生だと思います。と返ってきました。
ご両親が学校の先生と言うこともあって、おばあちゃん子だった。窪井さんは小学校まで徒歩30秒のおばあさんのおうちで、ずっと何かして遊んでいるお子さんだったそうです。それはゲームで遊ぶようなことではなくて、外で〇〇で遊ぶ。楽しいことがしたいと木を削った。バットや釣り道具を自分たちで作って、友達と遊んだり、仲間との間でモノヅクリをやっていた。そして何かを【実行】するということをやり続けていました。
私が感じたのはまさにそれっておばあさんの家が【会社、事務所】であり、窪井さんがやってきた事は目的を共有する仲間と一緒の仕事の場のようなことを遊びを一生懸命やっていた、仕事への基礎となっていたと感じました。創作的なことばかりをやっていた、自分たちでルールも創り決めていた、これはテレビゲームを遊んでいるだけでは他人の作ったものを、その中でやっていくだけでは全く創造性がなかった思います。リアルなものづくりを通じてチーム組成を楽しみながらやっていくことで、会社の組織に近いようなことを創造的にやっていたのかなと感じました。
これは小学校6年間みっちりやっていたそうで、中学校に入って、ぶつかる壁の存在、それは社会の固定概念の存在に気づいたことだそうです。
自分が入学した中学校の教員にはお母さんがいて、それが窮屈で窮屈でなりませんでした。その反発から中学校の授業をちゃんと聞かない。少し斜めから見るような中学時代を過ごしていきました。通う中学校の先生の子供ということで、窪井先生の子供さんは立派だねと言われるたびに、何かしらその固定概念に疑問を持つ、一人の人間、一人の中学生であることと、親が学校の先生であることは全く関係ない。
中学時代のある時、3者面談がありました。その時の複雑な関係が、自分の担任の先生の上司である母親と部下である担任の先生、そして自分。母親が教員でありながら3者面談に出るという不思議な状況。なかなか体験できないことですね。
少し反抗的な窪井さんの態度について、お母さんはそれでも何も文句を言わず、中学校で窪井さんに対して教員としてのパワーを振りかざすような事は一切なかったそうです。
何とも素晴らしいお話だなと思いました。お母様としては常に窪井さんに本物を見なさいと。ずっと窪井さんに対して、根拠のない自信を植え付けること、『耕ならできる、あなたならできる』と言い続けたそうです。
学校の先生の子供は立派だとか、何々先生の子供とか関係はない。人間の子供であって、先生の子供って_言ってくる人は、フィルターを通して話してくる人、本当にそれが正しいのか? それを固定概念として感じて、ごまかされたくない。正しくない情報が存在していることを中学時代に理解しました。
小学校走り回っていた影響からか、中学高校で陸上をやっていましたが、クラブ活動、陸上に対してはあまり熱心ではなく、ただ友達や仲間をたくさん作ること、クラブ活動に重きを置いていたそうです。
将来の夢みたいなものはあったのですかとお聞きしたのですが、夢みたいなものは全くなく普通のサラリーマンになるのかなと思った位で、友人と何か楽しいことをしたいなと思っていた位だそうです。
◆窪井さんからお母さんについて補足したいと文章が後日届きました
今回のインタビューでお母様の存在について語ってくださった窪井さんからもう少し母について補足がしたいと文章が到着しました。(以下にて)
母の話を補足させてください
私は母から怒られたことが1度もないのですが、その背景には、「自由に生きさせてあげたい」という思いがあったようです!なぜなら、母は父(私からみておじいちゃん)が自殺してから不自由な生活を強いられたからです。
母が小学生の頃、母の家が火事になりました。隣の家まで燃え広がり3軒全焼
幸い全員無傷。ただ、島根県の津和野町という小さい街だったこともあり、周囲の目を気にして、辛くなり、おじいちゃんは自殺したようです。
女手1つで、おばあちゃんが母と弟を育てることになります。
そんな時、突然、弟は全盲になり目が見えなくなりました。
そして母は中学生の時「将来子供ができたら何不自由なく育ててあげたい」と思い安定な生活を夢見て、学校の教員を志すようになったそうです。
それなのに我が子が自分の学校に入学してきた。それだけはやめてくれと教育委員会に伝えていたのに、予想通り、我が子も学校現場も混乱した。
「自分が教員を選んだから子供に不自由を味合わせたのではないか」という後悔で、僕には何も言わなかったんだと思います。
そんな中で私は、
・母からは、物心ついた時からずっと「耕ならできる」「本物をみろ」と言われ続け
・全盲のおじちゃんは、笑顔が絶えずいつでも楽しそうに生きる姿を見て
・おばあちゃんからは、起業後に、笑いながら「もっと苦労しなさいよ」と言われました
「火事を起こすなんてとんでもない主人だ」という固定概念に絶えきれず命を断ったおじいちゃんの命が、僕がこの社会の固定概念を解いていくことで、報われるんじゃないかなと思っています。
実際、津和野町の人で、おじいちゃんを悪く言う人は一人もいなかったと母から聞きました。
固定概念を壊して、社会を一つにする。
「社長の名は」をやる意味がそこにあると感じています。
【2024年12月23日麻布十番でTikTok動画を撮影】
◆大学時代、そして社会人、新たな一歩で独立を選択へ
大学生になったときに、自己肯定感の大切さを自分の中で感じることになっていきます。同級生で慶応大学がいいなぁと言う友人を見たときに、地元の山口大学に入って、それを受け入れて、今を楽しむこと、事実を認めて楽しんでやっていく人が、いかに少ないかということを感じました。
自己否定をして、くよくよしている人がこの世の中にいかに多いのかなと思ったそうです。そこで窪井さんは自分の周りにそういった感覚の人をたくさん見つけるようになり、そうではない人、楽しい人と楽しい触れ合いをしていくようにしていきました。
会社員生活スタート、その少し前、会社選定について、入社のときのエピソードもお聞きしました。
あまりなりたい仕事感や興味がある業界がなかった中で、周囲と同様に活動をしていた窪井さん、4年生の時には、地元の銀行を社会人スタートとして定めて入社が決まっていたそうです。4年生の年末に変化が訪れます。四国の新聞社の募集を見かける機会、ひょっとしてと思い、たまたま地元のテレビ局の募集はないかな?ひょっとしてあるのかなと思ったそうです。運よく年明けに募集が掲載されていくところに気づきました。
学生時代、テレビ局でアルバイトしていたこともあり、何か自分の中で火がつきアルバイトをしていたテレビ局ではなかったのですが、面接に応募したところ、2回の面接で合格となったそうです。
入社が決まっていた銀行に対して内定取り消しのお願いに行ったところ、激怒されたようなのですが、それでも自分はテレビ局で働きたいと思ってテレビ局への道を選択することになります。
テレビ局では報道の部門にいたわけではなく、営業部門に配属をされ、上司からは仕事の話はしなくていい。クライアントさんと雑談をしてきなさいと言ってもらえたことがよかった。それを忠実に実行していた窪井さん。
この上司の言動と何か私のTikTok動画にも通じて(上司に鹿児島に旅行に来たと思って仕事してみたら?と言われていました)、何か近い感じを思った次第です。
それが窪井さんも本当に良かったと話してくれました。社会人として学ぶべきことをクライアントとの雑談からたくさん学ばせてもらったのもこの時だったそうです。
特にテレビ局の営業と言えば、横の関係性も強く固定概念がはびこっている状況も多かったそうで、どこどこの会社は行くのをやめたほうがいいと言う噂もたくさんあった会社もあるんですが、自分としては固定概念を持たずに、どんどんいろんな会社や悪い噂のある会社にも、テレビ局としては、何の意味もない会社にも行ってみたところ、相当いろんな方々から仲良くしてもらって可愛がってもらえるような状況になっていきました。
いかに現場が大事かということをこの時点でも学んだ良い経験ができたと話してられました。
大学時代に自己肯定感が少ない方が多いと思っていましたが、テレビ局でも同じようなことを感じるようになります。競争率300倍で合格したアナウンス部報道部門の人も入社してすぐに嫌だ嫌だと言って、環境に流され辞めていくような人を見ていきます。そこに自分としては何か違和感を感じて、自分でできることをやっていきたいと思ってテレビ局の総務に相談をし、若い社員を集めて自主的に講義もするようになってきます。
社内でも自己肯定感が低い現象は、社外も、もっと広い環境で、日本の社会全体も自己肯定感が低い人が多いことに気づいていきます。これが起業への道に繋がる前提となった経緯になります。
テレビ局時代のお話では、ある行政のコンペでプレゼンを任されることになったのですが、話すこと自体が苦手だった。自分としては伝えること、自分の意見・意志は伝わらないんじゃないかと思っていた。
それが子供の頃から感じていたことなんですが、このようなプレゼンで発表することが大嫌いになっていたところ、自分で発信をしてみること、伝えたいと思っていたことをが伝わった瞬間に気づいて、このコンペが良い結果となったことに自信を深めることになり、何か自分で発信していこうと動き出します。そこからTikTokへの関心、自分たちの世代の有力なSNSに注目するようになってきました。
ちょうどテレビ局のクライアント側もテレビCMを辞めるような話が多くあり、これからのメディアのあり方も考えていく上で、このTikTokを使ったメディアを活用することに自分自身でもチャレンジすることになっていきます。
当初は自分自身が出演していたそうで、そこで前向きに生きよう!とか言っていたところ、誰からも見てもらえることもなく、そこで自分じゃない方を活用することで客観性を見出し、その次にYouTuberの人生を伝えること、それで【彼の名は】という取り組みを始めたところ、相当数の反響がありました。
ただそれではマネタイズが難しいということで、次の展開として【社長の名は】に行き着きます。
社長の人生ストーリーをTikTok動画で制作し、それをマネタイズポイントにして事業を始めるようになっていきます。このように自然な流れでテレビ局をいつしか退職して東京に出てきてその数ヶ月後に私と出会い、早速私の動画を作っていただいたということに。240,000回の再生に至った動画をこちらでもご紹介させていただきます。
【2023年6月埼玉大学で講演に登壇】
◆会社名の由来、ビジョンが素晴らしい! 私のTikTok動画の分析もしてくださいました
ctowと書いてクトーと読むそうであります、社名に込めた思いについてまずは教えていただきました。ctowはカントリートゥーワールドの略であり、日本や地方そして世界が1つになっていくそのような想いを込めています。
世の中、世界が分断されているという固定概念を壊していって世界は1つなんだと、日本の地方と世界をつないでいくような仕事を成していくことを表しているそうであります。そこにはSNSを活用することで世界中の方とのご縁を作っていくことを会社の思いに掲げております。
またホームページに掲げているビジョンが素晴らしいと感じており、下記に掲載しておきます。
◉今の日本人は、志がない。
与えられた環境に流され、ただ時が過ぎる。自分はこんなものだと、自分の可能性を自分で閉ざす。
「やれば本当はもっとできるんだ」「こんなアイデアを持っているんだ」と、
口に出すが、行動しない。
そんな社会を見て、いつも我々はこう思います。
「今の豊かな日本を築いた先人達は、”そんな社会”を夢見たのだろうか」
焼け野原になった日本を、死に物狂いで復興させた人たち。
大津波で全てが消えた場所で、明るい未来を信じて行動した人たち。
「自分のためでなく、未来のために」と夢を見て、命を削った先人たちの想いの結晶が、今の日本です。
日本は豊かになった。
しかし、社会は急速に変化しています。
先人が築いた豊かな日本を次世代に繋げるために、
次は、我々が大きな志を持ち、未来のために生きるべきだと考えます。
株式会社ctowは、もう一度日本人が志を持ち、
100年後の未来人が、「あの人たちのおかげで今がある」と誇れる社会の実現を目指します。
心から素晴らしい言葉に、感動の領域です。ご出身が山口であり、吉田松陰先生始め、長州藩の日本を思う明治維新の野武士下級武士の心意気もここに感じるところであります。
【2022年6月窪井さんをご紹介くださった高山さんと】
私のTikTok動画についての分析を窪井さんの分析コメントと私が伝えたいこと
☆動画の分析状況について
投稿した会社社長から以下の分析結果の説明がありました。
・動画視聴の年齢層 30代が中心(40代前半)
・男女比率 6:4(男性:女性、同社の通常は7:3だそうです)
・視聴されている時間帯 21時以降もしくは朝7時
・44万回再生となっている理由
→大きな成果を謳った社長物語ではなく普通の会社員の話(身近な人)
→新卒すぐに退職を申し出ている
→最初の上司が素晴らしい(旅行気分で仕事したら?)
→20代で2回転職している
→居酒屋(本当はお好み焼き屋)のおじさんから転職を止められた(説得された)
→給与が高いとか出世した話より人間関係にフォーカスしているところ
(人間味あることが大切と視聴者が判断している)
→動画の共感ポイントがいくつもあった 転職する、しないの判断
大きな波瀾万丈の社長物語に共感することよりも、普通の会社員だった人(私)が自分のキャリアに悩み、決断をし、そして頑張っていく姿に共感されたことが私の動画の良かった点だと言うことを分析していただきました。加えて20代で2回転職したことや30代で転職をする選択をしなかったこと、今の会社で頑張ったことなんかが共感されたことにもなると思いますし、社外からネットワークがあったことや、当時の上司に可愛がってもらっていたことも非常に共感されたんだと思います。
俺はすごいだろうというようなサクセスストーリーではないところが共感ポイントの大きな部分であり、10日で退職願いを出したことも多くの若い人に共感を産んだことになるんだろうと話して教えてもらいました。
☆杉浦からこの機会に伝えたいところ
・転職してもしなくてもまず目の前の仕事を頑張ること
・仕事を頑張ると社内外に仲間(応援者、支援者が現れる)
・仲間と友達は違う 仲間をたくさん作ろう
・仕事のお客さん、関係先から声が掛かる 転職の誘いがある
・転職サイト、転職エージェントの言いなりで良いの?
・自分の経済圏(コミュニティ)を持つこと(社畜にならない)
・60歳になって見える景色(会社員は誰もいません)
・周囲に恵まれた人生を
あらためて私の年齢からすると、SNSを使う事は少し遠い世界そんな部分もあるかと思っております。特にTikTokに関しては自分では何か動画を制作したこともありませんし、あまり見ることもない中で、私の人生ストーリーを動画にまとめていただいたことが3年前と今年2025年に2本、2年前は1年で240,000回ほどの再生回数になっていたり今年の2月8日に登校されたTikTok動画に関しては1ヵ月立たずとも450,000回の再生になっている。私の動画が私の力では全く力が及ばない、関係のないところで、これだけたくさんの若い方々に届けていただけたことを本当に嬉しく思っております。窪井さんのチャレンジに期待を寄せ、未来に通じる道筋を感じています。
◆窪井さんが未来に向かって考えていること、これから事業をどうしていくかについてお聞きしました
これは社名にも込められたクトーにも近いのですが、1つの社会組織として会社を見ていた時に、社長は社長、社員は社員と区別をしていくものではなく、社長と社員を一体化させていきたい。融合していきたい。それぞれの立場を理解しあい合うような世界観を作っていくことで、双方の立場も尊重しながら、その会社組織が社会全体ともつながっていくこと、そして日本を1つに、そのような世界観を持って会社を運営していきたいと思っています。
この辺は理念と共通化することであるなと思います。事例としてあげられていたのがSNSが持つパワーがすごいこと。ダイナマイトを作ったノーベルさんがやってきた事はトンネルを掘るために発明した。しかし、使い方を変えると殺人にも使えること、どっちを大切にするかで大違い。と話してくれました。
もちろん窪井さんはSNSをプラスに使うことに徹していく、今日も仕事がしんどいなぁと思って満員電車に乗っているたくさんの会社員の人たち、みんな下を向いているが、その下を向いているところにスマートフォンさえあれば、そのスマートフォンで元気が出る、パワーが出る動画を届けることができる、そこから人生を上向きに考えさせる、目線が上を向く。今日も頑張ってみるか!とそこにつながっていくこと、そういうところにctowの仕事が関われたらと思っています。
これはテレビ局ではできなかったことであり、固定概念の縛りの中では限界があったことを変えていきたい。すごい変化の時がある今。SNSを悪用するのではなく、何か前向きにするような流れをどんどん作って行く、事業を展開したいと思っています。社長が喜び、社員が喜び、企業にも貢献していく事業となっていくと思っています。窪井さんは確信を持っています。
会社名に込めた想いを実現に向けて頑張る窪井さん、ますます今後が楽しみです!
◆最後に窪井さんからコメントをいただきました
この度は貴重な機会をいただきありがとうございました。杉浦さんに人生を深ぼっていただき、多くの気づきを頂きました。まだまだまだまだ未熟なところだらけですが、理想に向かって一歩づつ突き進んでいきます!
引き続きよろしくお願いいたします!
【埼玉大学での登壇メンバーで】
【山口ご出身の宮本さんと長門市の行政の皆さんと】