時を失わない、待つことの大切さを刻みたい

ー杉浦佳浩

時を失わない、待つことの大切さを刻みたい


2022年 10月 17日

【今週の自戒】
時を失わない、待つことの大切さを刻みたい

蒔く時あり
咲く時あり
実る時あり
時を待って
時を失うな

スピード、簡潔に、どんどん待つことのない時代に。

本来待つことが出来るのが人間であるはずですが
自身も含めて待たないことに慣れっこに。
実った稲穂が垂れている景色を見て
今のこの時が大切、時を失わないか。
10数年のお付き合いの方
出会った頃は元気な会社員
ただ元気なだけって言えば失礼ですが
その方が現在はある会社の右腕代表格に
正直ここまで成長されるとは
私の見立てレベルが低かったと反省
同時に、その方が
時を失わず、
蒔く、咲く、実る
その時々を見失わず、努力と行動を
怠らなかったから。
人の成長を見ているだけで楽しい。
私も成長できるように。
時を失わず、待つことの大切さを刻みたい。
今週もよろしくお願い申し上げます。
【待つことの大切さ】
渡辺和子氏の心に響く言葉より…幼い時、父は私をある神社に連れて行ってくれて、「ここに祭ってある神さまは待つことが大嫌いだったから、ごらん、今でも境内には 松の木が一本も植わっていないだろう」 と言った。
父の思い出はごく少ないのに、なぜかこの会話が今日にいたるまで記憶に残っている。
「だから人を待たせてはいけないよ」と言おうとしたのか、それとも「神さまにしては忍耐力がなくておかしいね」と言いたかったのか、平常から口数の少ない人だったから、教訓めいたことをつけ足さなかった。「果報は寝て待て」などという諺が日本にあったのかと疑うほどに私たちは今日、早く結果を見たいと焦り、待つことを罪悪視するまでになっている。
それはめまぐるしい変動の世に当然のことであり、寝て待っている間に事態は変わってしまうのではないかという不安と、結果を今すぐこの眼で見なければ安心できないという不信感のあらわれでもあろう。
コンピューターはたちどころに運勢、結婚の相手、成功疑いない事業をはじき出してくれ、乗り物はおろか銀行の窓口にいたるまで、とにかく待たないですむように、 待たせないですむようにという配慮がされている。
四季を問わず店頭にある野菜、果物類は、自然の破壊と相まって日本特有の季節感、それは待ちこがれたあかつきに、はじめてしみじみと味わうことのできる春夏秋冬のあの美しい味わいをとりあげてしまった。

結果を焦る人々に応えて登場したインスタント文明の落とし子として、そこには自分の欲望と、その欲望の対象との間に時間も距離も置くことができないジェネレーシ ョンが生まれた。
新聞を賑わす非行、犯罪の数多くは、知能犯というよりもむしろ一時の衝動を抑えることのできない人たち、つまり自分に「待った」をかけることがないままに突っ走った人々の姿でしかない。
待つということは、この不完全な世の中に神仏ならぬ身で生きている者にとっては 逃れられない宿命だと思う。
短い一生だから待ってなどいられないと言うかも知れないが、そんな短い、死でピリオッドが打たれるような人生だからこそ、ままならぬことも多いのだ。

待っている間はたしかに辛い。
しかし待った後の喜びは待たずして得られた喜びと、その質において異なるのである。
そうだとすれば、待たないですむ世の中であるかのように子どもたちに教えてはいけない。
ほんとうに子どもの幸せを願う親、教師であるならば待つことの意味と、待っている間のすごし方を自分の生き方で見せるはずではないだろうか。

教育そのものが待つことを必要としている。
それは種まく者にいつも求められる忍耐と謙虚さであり、蕾(つぼみ)が内からの力で自然にほころびるのを待つ信頼にも似ている。
死んだ後に墓の傍に小さな松が植えられるような、そんな生き方をしたいと思う。

『美しい人に』PHP研究所

渡辺和子氏は陸軍教育総監だった渡辺錠太郎氏の次女として生まれた。
1936年2月26日に起こった陸軍の青年将校のクーデター未遂事件「2.26事件」で、渡辺総監は殺害されたが、その場面を渡辺和子氏は目撃することになる。
まだ、9歳のときだった。

待つことが苦手な人は多い。
たとえば、エレベーターに乗ったとき、「閉」ボタンをすぐに押してしまう人。
一般的エレベーターのドアが開いている時間は、約4~5秒だという。
その何秒かを待つことができない。

あるいは、メッセージを送ったのに、すぐに返事が返ってこないとイライラしてしまう人。
また、レストランやカフェ、あるいは役所や銀行などの窓口で少し待たされると激高してしまう人。
そして、人との待ち合わせで、1分でも待たされると怒りだしてしまう人。

「人生の「ねじ」を巻く77の教え」(ポプラ社)の中にこんな文章があった。

『動物には「待つことのできる動物」と「待つことのできない動物」がいます。
ネコやネズミは「おあずけ」することができない。
イヌの場合は、簡単な訓練で20秒は待てる。
サルは1分、チンパンジーは5分と聞いています。
人間はさまざまです。
赤ん坊をはじめ、これに近い人は、しばし待てずにダダをこねます。
いずれにしても、「待つ」というのは高等な精神活動ですので、これができるような人間性を磨かねばなりません。
とくに最近は、待てない社会になりつつあります。
みんな日々の生活や仕事に忙殺され、せっかちになる度合いが高まっているのです。』

昨今は、教育も、会社における研究投資も、すぐに結果を求める傾向にある。
「機が熟すまで待つ」、というのは成功するための大事な視点であり、余裕のある大人の対応だ。

待てない人は自己中心的な人。
自分のペースでないと納得できず、イライラしてしまうからだ。

そして、一代で会社を大きくしたような経営者にありがちなタイプの人は、待てない。
仕事に限らず、すべてに対してスピード感が優先され、同時に「待つこと」は時間の無駄という意識があるからだ。

スピードが優先される時代だからこそ…
今一度、待つことの大切さを心に刻みたい。

上記の【待つことの大切さ】については人の心に灯をともすより引用しています。