第124回ご縁結びのコーナー 勝山恵一さん それでもなお、人生は選択できる その先陣を切っている方! 笑顔が素晴らしい!

ー杉浦佳浩

第124回ご縁結びのコーナー 勝山恵一さん それでもなお、人生は選択できる その先陣を切っている方! 笑顔が素晴らしい!


2025年 05月 09日

勝山さんが代表理事を務める一般社団法人HASSYADAI social HP

私が講師を務めさせていただいたヤンキーインターンのHP

経産省「キャリア教育アワード」最優秀賞受賞のリリース

NHKにてHASSYADAI Socialからエンジニアに育った方が取り上げられました。(東京大学松尾研)

ここ最近はインターンをさせていただける会社が何社かあり、60歳を過ぎて本当に嬉しく思っています。本日は人生の選択の大切さをこの年齢になって改めて感じさせていただいている一般社団法人HASSYADAI Socialの勝山さんについてお伝えしたいと思います。HASSYADAI Socialにおいて私はインターンを務めさせていただき、いつも私自身が元気をいただいている一般社団法人になります。人生は常に選択できる、その大切さを私自身も噛み締めて勝山さんや三浦さん両代表とご一緒できることを嬉しく思っています。2人からは数え切れない私にとっても経験や気づきもいただいていることが事実です。人生初めて少年院に行ったこともこの団体に関わらせていただいているからであり、勝山さんを通して今の日本の縮図のようなことも見えてきます。私にとっては貴重な得難い経験をシェアいただいている方になります。

【最近の勝山さん】

◆勝山さんのプロフィール

2015年に妻の兄と同級生3人とともに株式会社HASSYADAIを設立。中卒、高卒の若者へ職食住を無償で提供するサービスを開始する。これが、東京で半年間自分の人生を変えるためのキャリア支援事業「ヤンキーインターン」の始まりで、累計800人の若者のキャリア支援を行ってきた。

2017年DMM.comと資本提携を行い、ヤンキーインターン事業だけではなく、全国の高校や少年院、児童養護施設でのキャリア教育、キャリア支援活動をスタート。

2020年、株式会社HASSYADAIからスピンオフを行い、一般社団法人HASSYADAI Socialを設立する。一般社団法人として、年間100カ所を超える教育機関での講演活動「ハッシャダイスクール」の取り組みや、新しい形の成人式である「18歳の成人式」、教育関係者向けイベントを全国で主催し、日本全国の若者が自分の人生を自分で選択して、豊かなキャリア、人生を歩むことのできる社会を作るために活動中。

◆勝山さんとの出会い

まずは感謝の気持ちから。HASSYADAI Socialのインターンとして迎え入れていただいてありがたいです。

勝山さんや三浦さんともうお付き合いが始まって7年ほどでしょうか。紹介者は明さんでした。学生時代から明さんが株式会社HASSYADAIに関わり、この名前を考える場面でも明さんの存在が大きかったと勝山さんは話してくれました。明さんからの紹介でヤンキーインターンの存在を知り、私も何かできることがあればということで、ヤンキーインターンの皆さんに講師を務めさせていただく場面を何度も経験させていただき、本当に人の可能性の大きさを感じ、人は変われる、人が成長できるその可能性の現場、場面を提供いただけたことに感謝しています。私が講師と思われるのですが、勉強させてもらってるのがいつも私の方で、ヤンキーインターンの方々にいただく感想文を見るのが楽しみで、その内容を見ていつも感動して新幹線で涙が溢れます。人生の選択をして一歩を踏み出すことへの勇気の一助になれば本当に嬉しく思っています。

私のブログに、当時のインターンの方の感想を掲載しています。2020年 08月 07日

お一人だけ下記に感想を。

→結果が出ていないのに質を大事にしていました。量をしないと何が良く何が悪い事かが出てこず、質など上がるはずがないと思い知らされました。「今日一日で人生が終わるとしたらどう思う」など考えた事がありませんでした。考えてみて、全力で生きないのは、もったいないし悔しく終われないです。何事にもチャレンジすることは良い経験になると言うのは、とても共感できました。勇気を出してチャレンジしている時は非常に辛いですが、終わってみればチャレンジしてよかったと寝る前に思います。相手を喜ぶ事をする事によって、いろんな形で帰ってくる事を知りました。仕事を頂いたり、自分を喜ばせてくれたり、恩恵が得られます。社内の人に敬語を使えなかったり、敬意を払う事ができなかったら、それが習慣となり、お客様の前で失礼な態度を取る恐れがあるので日頃から気をつけていきます。ここでのインターンは地味ですが、地味な事も地道に頑張れる事によって何かを成し遂げられると心に入れて毎日を大切にしていきます。(24歳)

当時の勝山さんの第一印象はとにかく声がでかい!そして人懐っこい!そしていい笑顔!(このインタビューでその笑顔の根底にも触れることができました)

【18歳の成人式2024年】

◆私のご縁から勝山さんの活動に大きなターニングポイントになったと話してくださったこと

勝山さん、HASSYADAI Social(株式会社HASSYADAI当時から)と私の関わりの中で非常に大きなターニングポイントとなったと、教えてもらったこと。それは日経新聞で5日連続特集された時のことで、その記事が非常に大きかったと勝山さんは話してくださいました。

当時の記事はこちらから→ヤンキー再生道場 2019年3月24日〜5日間

【2018年9月ヤンキーインターンで講義した日 明さんも】

実際に私がその記事を書いてくださった記者である大西さんに株式会社HASSYADAIの存在やヤンキーインターンから育った若い方々の活躍、人生を選択する機会がない若者たちの現実的な話をお伝えしたところ、非常に熱いものを受け取っていただき、経済新聞の枠を超える素晴らしい特集記事を書いてくださいました。なかなか5日連続の特集は大企業以外ではないのでは?と思っています。大西さんには感謝しています。

その記事が掲載された結果、たくさんの企業側からの反響があり、ヤンキーインターンの存在、株式会社HASSYADAIの存在が世の中に知れ渡ることになり、そこからたくさんのメディアやに登場するようになっていったと話してくださいました。

◆勝山さんの印象と、子供時代について

明さんに紹介してもらってからめちゃめちゃ人懐っこい人がいるなぁ。加えてめちゃめちゃパワフルな人がいるなぁと思ったのが勝山さんでした。この明るさはどこから来るのかなあと感じている部分があったので、今回のインタビューで納得することが多くありました。

明るさのパワーの裏には若くして大変な経験をしてきたこと、それを大変と思わずに乗り越えてきたこと。必死さ。それが勝山さんのパワーの源であり、笑顔の源であるとそう感じた次第です。

勝山さんは京都府出身で保育園に行く頃にはお母さん1人で育ててもらう家庭環境であったそうです。お父さんの仕事が何なのかを知らず、お父さんと会話することもほとんどなかったという環境で育っていきます。

教育の機会が少なく、年収の低い世帯が多い地域で育つという事は、おのずと限られた選択肢で大人への道を進みます。

決められたような仕事環境以外に選択はない環境で可能性を狭める子供時代を過ごしたと勝山さんは話してくださいました。勝山さんとの以前の会話の中で人生における移動距離が豊かさの1つのバロメーターと話していただきました。確かにそうだと私も感じる部分があります。私も育ったエリアは下町であり、貧富の激しいエリアで育ちました。地元に残らざるを得ない環境で育った人もいれば、早い段階で東京や都会に出て行く人たちも多かった。その意味は私自身もよく理解できました

小学生の頃から結構やんちゃな生活をしていたという勝山さんですが、お母さんやおじいさん、おばあさんが野球が好きだったので、その期待に応えようと野球を頑張るようになっていきます。体格がよく、大きく頑強であったことで表彰されるほどだった勝山さん、その体格が大きな意味を成して、野球でがんばり中学時代では有名な選手になっていたそうです。野球で将来の夢がある部分もあり頑張ってましたが、その頑張りがすごかった。高校野球の甲子園常連校からたくさんオファーが来ていたことが勝山さんの実力でなし得たことだと思いました。

【HASSYADAI Socialの名刺を私のために】

◆高校入学そして中退。大切な人との出会い、家族へ。そして別れ

京都でも有名であり、甲子園の常連校だった高校に入学し、将来展望が見え始めたそうですが、令和の時代となってもいまだに後をたたない、たくさんの高校の中でも行われている体罰やしごき、まさに理不尽な中で生活を強いられる部分に我慢ならず、高校を中退するという選択を勝山さんをします。

そこから日雇いのアルバイト工事現場で肉体労働や、やりたがる人が少ない領域の仕事で生計を立てることになっていきます。この頃、勝山さんの彼女だった、現在の奥さんと付き合うようになったときに、当時の彼女がアルバイトをしていた串カツ屋さんで晩御飯を食べるようになっていきます。その店主の方がお父さんと同い年位の方で、もう第二の父親のような存在だったそうです。その店主の人からうちの店でアルバイトしたらどうだと言われて、最初は自分なんてできるはずもない、勉強もろくにしたことないし、接客もしたことがないのでできないと言ってましたが、できるできると言われて頑張るようになります。その後の頑張りで、17歳の頃には彼女と2人で店舗を任されるような仕事ぶりだったそうです。素晴らしいですね。

彼女の間に変化が起きたのは、お腹に赤ちゃんが宿ったところから、勝山さんも一念発起しないといけないと思って、その店主の方に就職させて欲しいと懇願することにしました。

その店主の方はここでほんとに素晴らしいアドバイスを勝山さんにされます。

・この世の中に会社の数は何社あるか知っているか?

・この世の中の職業の数はどれぐらいあるか知っているか?

勝山さんは何も答えられなかったそうですが、その店主の方は4,000,000社あり10,000種類以上の仕事がある。それを何にも経験しないで串カツの仕事だけしか知らない人になっていいのか?

世の中広いからもっと頑張って、いろんなチャレンジしたほうがいいと諭してくださったそうです。

素晴らしいお話ですね。

それでも生計を立てないといけない一心で勝山さんは串カツ屋さんで仕事がしたいと懇願していたそうです。しかし突然店主との別れがきます。とにかく頭が痛いと言うことで、病院に救急車で連れて行ったら、急性アルコール中毒と診断され、その翌日に着替えを持参した時には、親族としか面会できないという病院からの話。その時すでに店主の方がこの世を去っていたそうです。

もう自分としては何もやることができず10日間ほどは塞ぎ込んで、家から外に1歩も出れなかったそうです。その店主さんが間違いなく父親の代わりだった、店主の方がいかに勝山さんにとって大きな存在であったかということが理解できました。

【インタビューをした際の記念2025年2月】

◆ご自身がまさにヤンキーインターンのロールモデルに

当時、何もない、何も見通せない世界の中で、何もやる技術がない。仕事もない状況の中で連絡があったのが奥さんのお兄さんである。株式会社HASSYADAI創業者の久世さんになります。久世さんから営業の仕事をやってみないか?と声がかかった、しかし営業=スーツの世界と勝山さんが理解していて、そんなスーツも来たこともないし、営業なんかできるはずもないし、そんな能力は私にはないと当初は躊躇。義兄の久世さんに熱心に説得をしてもらって、自分の人生切り開いていかないといけない、チャンスは自分で作るんだと思うことで営業の世界に勝山さんが飛び込みました。

何も自信がなかった中で、優秀な営業マンの動画を撮らせてもらって1言1句真似をすること、服装も全く同じ、喋り方全く同じ、とそれで自信をつけて一般家庭への飛び込みのセールスをやることになります。

そこから1ヵ月目で一定の成果が出だし、2ヶ月目からはトップセールスの領域に入っていきます。毎月40件から50件のお客さんを1年以上開拓し続けるという実績を持って、スーパー営業マンとして勝山さんは大活躍の一歩を踏み出すことになります。この頃が2016年の3月ごろであり、勝山さんの素晴らしい営業成果を見た会社から営業サポートの研修を求められるほどになっていた。何者でもなかった自分が研修をすることで、自分自身が学びになることも体現していくことになります。

漢字もろくにわからない、計算もできない人間が研修をすることは大きな変化、人生が変革する経験を体現することになりましたと勝山さんは話してくれました。まさにヤンキーインターンのロールモデルに。

当時、月収も800,000円から1,000,000円ほどあったそうですが何に使ったか覚えてないと笑っていました。同僚や後輩が数字が上がってないのを見て、ご馳走してあげたり、面倒見たりとか面倒見の良い営業マンであったからこそ、勝山さんの信頼はどんどん増していくことになってきます。

ヤンキーインターンの原型をまさに勝山さんが実践していったこと。人生は選択できる、自分で選択するんだと、自分で切り開いて圧倒的な実績を作っていたのがヤンキーインターンとしての第一号(ロールモデル)が勝山さん、その原型は勝山さんだったと感じ入りました。以前から久世さんが人生は選択できると、自分で人生は切り開いていくものだということを実証したいと思っていた。そういう教育的なことができたらいいなと思っていたので、最初は地元京都のまさにヤンキーの友人たちを東京に連れてきて営業職を体験させることをやってみて、一定の成果が出たところから広く一般にインターンを募集すると言う仕組みを構築していくことになります。それがヤンキーインターンのスタート、そこから社会現象になるまで切り開いたことが本当に素晴らしいなと思っています。

【HASSYADAI Socialの資料から私たちの実現したいこと】

2016年の終わり頃には、明さんが立ち上げたヤンキーインターンのホームページも完成し、それがNHKのU 21と言う番組で放送され、それを見た東京大学1年生の方から人生を選択できると言う事だけではなくて、教育的アプローチがもっと必要とそこからヤンキーインターンと切り分けて、全国の学校への講演活動を教育現場提案活動を行い、そこからどんどん講演実績が増えていくこととなります。1番最初は株式会社HASSYADAIの仲間の関係で沖縄の高校に行ったそうで、それからどんどん高校での無償の講演も広げていくようになってきました。

◆長岡の少年院にいかせていただいた時のこと

あるときに勝山さんから杉浦さん一度少年院に行きませんか?と声がかかりました。60歳になるおじさんが少年院に行かせていただいたことも大きな経験でした。少年院での生活の状況、教育、現場の皆さんとの対話から今の社会的な問題、底辺の貧困の社会の中で、闇バイトの問題や、いかに普通のお子さんでも犯罪に手を染めてしまっている現状もよく理解できました。HASSYADAI Social代表のもう1人である三浦さんの授業も非常に心打たれる部分があり、参観していた親御さんの様子を見ること経験させてもらいました。当時のブログはこちら。

長岡の少年院で1番私の心に残っているのは、図書室に入った時でした。

1番わかりやすいところ、目の届く手が届く、わかりやすいところにあった本が私の仲良くさせてもらっているコピーライターの佐々木圭一さんの著書、【伝え方が9割】の本が置いてあったことが衝撃でありました。伝え方が9割の本は手垢で真っ黒になってあり、たくさんの子供さん達が一生懸命コミュニケーションの大切さを学びたいんだ、ということが、この本の手垢から私は容易に推察できました。コミュニケーションの大切さを少年院にお邪魔して理解ができた次第です。

【長岡市にある新潟少年院へ】

◆勝山さんにここ最近のトピックスや近未来に向かって頑張っていることについて教えてもらいました。

現在HASSYADAI Socialが行っている学校での講演は年間100校レベル。すでに90,000人の高校生との対話をやってきました。現在少し、縮小してやっているヤンキーインターンもこれからはまた大きなチャレンジをしていこうとされています。

先日の1月に放送されたNHKスペシャルで岐路に立つ東京大学 〜日本発イノベーションへの挑戦〜という番組中に、東京大学の松尾教授がチャレンジしているところとヤンキーインターン出身のエンジニアがフォーカスされていました。その方は飛び職だった。その方がエンジニアとして、かつAIエンジニアとして活躍していくことが放送されました。これこそが選択肢が広がっていくということ、世の中に大きな共感、人生を選択できるこがどんどん広がっていっているところだと思います。

さらにヤンキーインターンもこれからは大きなチャレンジをしていこうと話していただきました。何か困ったことがあったらHASSYADAI Socialへ!キャリアチェンジや環境を変える相談をしてもらえるように、もっともっと47都道府県のセーフティネットになっていきたい。教育機関の中ではHASSYADAI Socialがセットに、マストになっている状況にしていきたい。

日本一若者が信用信頼している団体になることをここ数年でやり遂げたいと思ってます。

【HASSYADAI Socialの事業紹介】

昨年イタリアの刑務所に行って感じた部分を日本で実現しようとしています。

罪をつぐなうのが日本の刑務所の存在ですが、イタリアではいかに社会と交わるか復帰してからの環境を良くしていくということを食を通じて労働をし社会との交流をするプログラム実践しそこを見に行ったそうです。

レストランで働いている人が刑務所に服役している人と言う事実を見て、HASSYADAI Socialとしては農業をやったり、ホテルやレストランを経営するようなことにチャレンジしていこうと思っています。

今まではヤンキーインターンの中では、営業もしくはエンジニアがそれ以外がなかったところを今後は食に関わることで、もっと身近にありがとうと言われること、1番近いところにある農業を通じて、野菜や果物を育てる意味、料理を作って、おいしい、ありがとうと言われる環境から、誰かのために役に立つことを体験できるようなモデルを全国の良い環境の場所に作っていきたいと思ってます。できれば四国のお遍路とか熊野古道で一緒に何かできればいいなと思っているそうです。

18歳の成人式についてもかなりの熱量で取り組んでいて、近い将来に武道館でやると決めて頑張っている。私も成人式には前回もお伺いしてきました。もっとHASSYADAI Socialを認識する若者が増えたらいいなと思ってます。

もっと関わる若者へのお役立ちとして、AIを通したメンタルヘルスの支援や悩みを聞き続けることができるキャリア・チャットボット等のシステムの活用をもっとやって、社会課題を解決し、学校に提案できるような団体になっていきたい。さらにはメンバーを増強して、もっと幅広い若者たちとの対話ができるような団体になればいいなと思っています。

出会った時の笑顔のまま、年を経るとパワーアップが半端ではない勝山さん、三浦さん、そして一般社団法人HASSYADAI socialの皆さんのお役に立てるように頑張っていきたいとこのインタビューを通じて尚一層心に刻みました。

◆最後に勝山さんにコメントをお願いしました

杉浦さん、この度は素敵な機会を頂きありがとうございます。

初めまして、HASSYADAI Socialの勝山恵一です。

この社会には、自分ではどうしようもできない外的要因により生まれる「選択格差」が存在します。

生まれる環境・家庭は自ら選ぶことができず、可能性に蓋をした結果、未来に希望を持てない人も多くいます。さらに、人は環境やコミュニティに大きく影響を受けます。

そんな中でも、私たちは「未来、誰といるのか・どこに行くのか・何をするのか」を自ら選べると考えています。ただ、知らなければ興味も持てませんし、そもそも選ぶことさえできません。可能性に気づくことすらできないのです。

私は、人生は「出会い・体験・学びの機会」そして「自分の認知の広がり」によって大きく変化すると信じています。可能性は無限にあります。

私自身もその当事者だったからこそ、機会の届きにくい環境に「出会い・体験・学びの機会」を届け、若者の可能性を迎えに行き、その可能性に気づいてもらい、ともに挑戦していく。そんな取り組みを、HASSYADAI Socialとして日本全国で続けています。

私たちHASSYADAI Socialは、「Choose Your Life! それでもなお、人生は選べる。」をビジョンに掲げ、これからも全国の若者が自分の人生を自分で選択できるよう、キャリア支援や教育活動を推進してまいります。

もし、中卒・高卒の若者へのキャリア支援や、高校生年代・少年院・児童養護施設での教育活動にご関心をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡をいただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。

そして、私は杉浦さんとの出会いがあったからこそ、2020年からHASSYADAI Socialを継続し、今も挑戦を続けられていると思っています。

杉浦さんと出会い、ヤンキーインターンの講師をお願いしてから早7年ほどになりますが、いつも「学ばせてもらっているのは自分のほうだ」とおっしゃる杉浦さんの姿に触れ、自分ももっと謙虚に、そして貪欲に学び続けなければと励まされてきました。

私自身も、「支援者」ではなく「挑戦者」であり続けることを胸に、常に挑戦と変化を楽しみながら、日本全国の若者にHASSYADAI Socialの活動とサービスを届けられるよう尽力してまいります。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

気持ちだけは私も若く、勝山さん、三浦さん、そしてHASSYADAI Socialの皆さんと末長くご一緒できますように頑張ります。この度はインタビューに応えてくださったことを心より感謝しています。有り難うございました。