人間【間】の意味を理解しよう
2023年 11月 20日
【今週の自戒】
人間【間】の意味を理解しよう
いつも写真を撮りに行くお寺前
今回も佇んで唸ってしまいました。
人以外の動物は食べられない部分で
数を数える。
死んだ後に何が残るか。
その象徴的な部位で数える。
頭、羽、尾。なるほど。
人は名前が残るから一名。
確かに。
名前を残したいとは思いませんし
残すほどの仕事をやり尽くしてもいない
このお寺の前で思い出した言葉。
人間となぜ言うのかと言うこと。
ヒトノアイダで人間。
一人では生きられない、
ヒトとヒトの間で生きていくから。
そして人に喜ばれる生き方をして
初めて人間に。
社員さんを人間扱いしない経営者
お客さんを人間扱いしない飲食店
商売は笑売って人生の先輩に教わった
そこにはヒトは来ても人間は集わない。
名前を残す必要はないですが
人間でありたいと思います。
今週も
よろしくお願い申し上げます。
【喜ばれる存在に】
小林正観さんの心に響く言葉より…
「毎日が楽しくありません。死んでしまいたいです。」
そういう質問をされたときの私の答えは必ず同じものでした。
「生死に関して私がとやかく述べる立場ではありませんが、一つだけ質問があります。あなたは今まで『投げかけ』をしてきましたか」
「死ぬのを三年延ばして、騙されたと思ってやってみませんか。三年間の『投げかけ』をやってみたらどうでしょうか」
「投げかけ」とは「自分が喜ばれる存在になること」「何かにつけて喜ばれるように生きること」です。
そして「これが喜ばれるだろう。あれが喜ばれるだろう」と試行錯誤を繰り返しながら、もしわからないときには「頼まれごと」をして、それに身を委ねて生きていくのです。
そうすると、自分が「喜ばれる存在」である、そういうものになっていることに気がつきます。
自分が「喜ばれる存在」になっていることに気がついたら、人生は楽しいものになります。
自分の存在が喜ばれているのに楽しくないという人はたぶん一人もいないでしょう。
「喜ばれるとうれしい」という本能が人間の中にはつくられているからです。
組み込まれているからです。
カタカナで二文字で書いた「ヒト」が「喜ばれるとうれしい」という本能に 目覚めた瞬間から、「ヒト」から「人間」になります。
一人で生きているとき には「ヒト」ですが、「ヒト」の「間」あいだで「喜ばれて生きる」ことが 「人間」です。
「人間」とは「人の間で喜ばれる存在」のことを言うのです。
『運命好転十二条』五月書房
『人間が一番うれしいことはなんだろう?
長い間、ぼくは考えてきた。
そして結局、人が一番うれしいのは、人をよろこばせることだということがわかりました。
実に単純なことです。
ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい』 (やなせたかし 明日をひらく言葉/PHP文庫)
アンパンマンの作者やなせたかしさんの言葉だ。
また、人生は、「よろこばせっご」だという。
お互いに、喜ばせること。
それを全員がやれば、この世は天国となる。
たとえば、スタッフが足りなくて困っている知り合いの主催者から、講演会の受付を頼まれたとする。
そのとき「ハイ」と二つ返事で、笑顔でやってくれる人は人を喜ばせる達人だ。
困っているときに、助けてくれる人だからだ。
頼まれごとを気持ちよく引き受ける人は、「喜ばれる存在」。
伝教大師最澄(さいちょう)はそれを「忘己利他(もうこりた)」といった。
自分のことを忘れて、人のために尽くすことだ。
「よいことをして忘れること」
「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻もう」ということでもある。
どんなときも…
喜ばれる存在でありたい。
上記の【喜ばれる存在に】については人の心に灯をともすより引用しています。