第98回ご縁結びのコーナー 株式会社ニューズピックス 執行役員 佐藤留美さん 〜出会いはイマイチ、今はお師匠さんと呼んでもらっています〜

ー杉浦佳浩

第98回ご縁結びのコーナー 株式会社ニューズピックス 執行役員 佐藤留美さん 〜出会いはイマイチ、今はお師匠さんと呼んでもらっています〜


2023年 03月 11日

第98回ご縁結びのコーナー 株式会社ニューズピックス 執行役員 佐藤留美さん 〜出会いはイマイチ、今はお師匠さんと呼んでもらっています〜 

  

NewsPicks社のコーポレートサイトはこちら。

 

長年のお付き合いも大切ですが、短期でも深いお付き合いも大切に思います。今回は、コンタクトとしては約6年、初めてお会いしたのが2018年の1月16日で5年と少し、しかし、NewsPicks、佐藤さんとのご縁で、相互に人のご縁が渦巻くような感じで広がり繋がっていったことに感謝しております。でも出会った際の印象はかなり怪訝な感じ、その理由も今回は尋ねてみました。日々、現場の中で作り上げて来られた、仕事との向き合い方には頭が下がります。柔な感覚で仕事に向き合っている人には到底太刀打ちできないホンモノのプロフェッショナルと思っています。

【六本木に本社があった頃】

 

◆出会いイマイチ その理由を今回のインタビューで理解できました

佐藤さんとの出会いには、ある記事が存在がキッカケとなっています。それがこちら→【実例】元トヨタ、三井住銀が実践。仕事と学びを一体化する働き方 2017年12月1日に掲載されています。この記事面白いのが、5人ご登場で4名が知り合いという何かご縁だらけ、不思議に思います。そのトップバッターである田部井さんが記事掲載の数日後に私に佐藤さんを紹介したいと連絡をいただきました。田部井さんにいつも感謝しかないです。現在 田部井さんは株式会社瀬戸内ブランドコーポレーションで社長の右腕として取締役の肩書きでご活躍です。

 

佐藤さんとの最初の出会い、私のお決まりの記念撮影の写真が存在ません。写真を撮るような雰囲気にはならなかった。佐藤さんと初対面1対1でいろんなお話、特に佐藤さんの課題感、追っかけているテーマ、取材対象等々をお聞きして、こんな人、あんな会社ってどうですか、お役に立てれば嬉しいのです。という感じでお話をしていて、終了間際に唐突に、『杉浦さん、何か?企んでますか?』と聞かれて『????』私としては何も企んでいなかった、『これが私の日常ですが・・・』と答えるのが精一杯、かなり雰囲気は悪く、完全に疑心暗鬼が佐藤さんから強烈に発せられている感じでした。

このことをまず、お聞きすると、何もない、数百人しか登録者(有料ユーザー数)のいない中から立ち上げメンバーとして頑張ってきた佐藤さん、そこから現在は、18万人(法人会員含む、無料の登録者は800万人)に及ぶユーザーを抱えるまでに。私と出会った5年前は、まだまだ海千山千、何か利用してやろうと近寄ってくる人も多かった、ちょうど人間不信の部分を多く持って人に、出会いに慎重になっていたそうです。こんなたくさんの縁を繋いでくれるって何かオカシイ、私の親切心の言葉には必ず裏があるんじゃないかとしか思えなかった。と話してくださいました。何か今とのギャップもこの最初の出会いがあったからこそかなと思っています。

 

◆佐藤さんのキャリアについて かなり稀有なご経歴なんです。

昨年、ニューズピックス社で初の女性執行役員となられた佐藤さん。今は、同社の要である、コミュニティの活性化の責任者としてCCOとしてご活躍です。そこに至る経緯、キャリアはなかなか同じようなご経歴の方は見当たりません。

専業主婦、会社員、副業、フリーランスライター、起業独立、転職経験、会社役員とほぼ全てのキャリアを経験済み。

大学生時代にご結婚、就活のタイミングを見逃すというところで厳しい現実、就職できないという社会構造に出会します。

子供の頃から文学哲学を読むこと、文章を書くことが大好きだった佐藤さん、大人になったら出版社か新聞社で働きたいと思っていたそうです。立ちはだかった就職が困難である環境、そこに甘んじることなく、手に技術を身につけようと当時3桁万円と恐ろしく高価な、グラフィックデザインの勉強を始めます。それが功を奏してなんとか出版社に入社するも、全くその技術力では使い物にならず、クビの宣告を。退職前日に編集長に熱い想いを語って編集部に配置換えが叶い編集のキャリアがスタート、その夢を実現したいと行動に移すところが素晴らしいと思いますが、その最初の出版社、1年後に破綻。その最後の1年間で頑張った経験が活きて転職先も見つかり、編集者としてのキャリアが継続します。その2つ目の会社が、意識高めのキャリア系雑誌ということもあり、終身雇用の終焉、その先の未来を描いていく事が仕事となり、今では誰でも知っているCXOについてもいち早くその潮流を掴む立場となって行きました。

その仕事ぶりを見ていた同業界の方々から声が掛かるようになり、他社の記事、ゴーストライターとなったり、と文章を書くという副業が始まります。そもそも記者編集者の仕事が、出社の義務が無かったことから分からない?就業規則もあいまい?ということから副業がどんどん増えていき、いつしか本業の収入を超えていく状況になり、さすがにこれはと思ったところで独立、30歳からの10年間はフリーランスとして独立してキャリアを重ねます。この10年間、営業は一度もしなかった、売り込みしなくても依頼がくる、売れっ子の10年を過ごしていたそうです。

40歳になろうとした時、キュレーションメディアとして立ち上がっていたNewsPicksに編集部(自社で記事製作配信すること)が立ち上がる時に、20代後半から知り合いだった方から声がかかりジョインすることを決めます。そこからがまさに綺麗なスタートアップ物語というよりはドドドド・ドベンチャー物語の毎日、収入も一気に下がりながらも仕事に熱狂する日々気づけば9年になろうとしています。この熱狂感が人を惹きつけ、魅力となっていると感じます。

【丸の内村をジャックした、「CHANGE to HOPE 2022」当日

佐藤さんの公式(Twitter上)の略歴も以下に記載しておきます。

執行役員 CCO(Chief Community Officer)  青山学院大学文学部卒業後、人材関連会社勤務などを経て、2005年編集企画会社ブックシェルフ設立。「週刊東洋経済」「PRESIDENT (プレジデント)」「日経WOMAN」などに人事、人材、労働、キャリア関連の記事を多数執筆。最新刊に『仕事2.0』。『凄母』(東洋経済新報社)、『資格を取ると貧乏になります』(新潮新書)など著書多数。2014年7月からNewsPicks編集部に参画、2015年1月副編集長。2020年10月JobPicksを立ち上げ、編集長に就任。 2022年7月から現職。

 

◆NewsPicksでチャレンジングなご実績 大切にしていること

一言でNewsPicksの革新的なことってなんですか?の問いに。ニュース記事にたくさんの人が集い【人の理解と知の共助】で成り立つことを初めて具現化したメディア。今では当たり前となっている、読者の【コメント機能】は全くなかった、広告モデルではない世界を造ったことが大きい。そこから文字だけにこだわらない、動画をふんだんに使ったり、私の記事で似顔絵を活用したりと多種多様な手法がまさに業界のイノベーションの先頭に立って起こしているところがまさにチャレンジング、ド・ベンチャー的な場面を当初から繰り出してきました。

また、コメントをする人(プロピッカー)からもたくさんの有名人が輩出され、NewsPicks以外のテレビや他のメディアでも見かけるようになって行きます。ある意味プロフェッショナル人材の早い段階での育成、輩出機能も持っていたと思います。

 

佐藤さんにインタビューをする際に、大切にしていることを聞いてみました。

とにかくファクトを追求する。そこがまず第一義。そして事前準備にかなり時間をかけている。準備9割は割いているイメージ。インタビューフォーマットらしきものは存在しない。アポイントが取れたらひたすら過去の発言を調べる、かなりセグメント、狭い範囲のことを何度も質問で深掘りしていく、総花的なことや平凡なことは一切聞くことはない。大手のメディアは、担当者も豊富、決められたルールやフォーマットで記事を造っていくことが多い、そこと同じやり方では読まれること、特色は出しづらい、ある事柄について掘って掘って掘りまくって濃縮度の高い記事を造っていく。そのほうが結果的に話して側も乗ってくる、いろんな話に展開して仲良くなる、記憶に残る記事が出来上がる。まさにと感じ入りました。

深く掘ること、フォーマットにこだわらないことで、面白おかしく展開されている同社の新たな表現にも通じると思います。

【就活生中心に若い人に好評だった著書:未来が描ける仕事図鑑】

 

◆秀吉会のために大阪まで そして私の記事を 感謝です 

秀吉会?!そんなの嘘でしょ!ニシナカバレー?!!またまたご冗談を!と素っ頓狂な高いトーンでそんなの聞いたことがないと捲し立てられたことも鮮明に覚えています。

それがこの特集。佐藤さんがちょっと面白そうだから編集会議に掛けてみますね。と半信半疑ながら面白そうとアクションを。しかし、会議ではそんなのあるわけないという反応。それを粋に感じて一緒に大阪へ。秀吉会の面々やにしなかバレーに足を運んでくださいました。そこから記事化も早かった。もちろん内容も素晴らしかった。
それがこの記事です。(五回シリーズの大特集を組んでくださいました。感謝)2018年5月の記事化、怪しさいっぱいの出会いから一年後に大きな転換点となりました。

この記事、大阪では大きな反響、本当に嬉しかった。佐藤さんも関西との交流で喜んでもらえたと思っています。

そこから1年後今度は私を題材に、ツルツルコンビとして私と当時、ラッシュジャパンの人事部長だった安田さんを記事化してくださいました。それがこちら→【ロールモデル】「枯れない人」が、20代、30代でやってきたこと この時に安田さんの名言、『毛根は枯れても、ハートは枯れない!佐藤さん、有り難うございました。』が私にも刺さりました。そしてこの記事から安田さんとの出会いとなり今に至ります。その辺りは安田さんのインタビューでまとめています。

こちらをご覧下さい。

【ロールモデル「枯れない人」が、20代、30代でやってきたことの記事冒頭の似顔絵】

 

2018年の上記の記事のおかげで、若い方々との会話がしやすくなりました。記事を事前に送る、たぶん、この似顔絵と佐藤さんの素敵な記事内容(ちょっと私をだいぶ高く評価してくださっていて)で共感を生んでいる様に思います。30才3つの時代を超えたZ世代の方々とも楽しく会話ができているのも佐藤さん効果と感謝しています。

【秀吉会のメンバー&紹介者の田部井さんと 大阪にて】

 

◆NewsPicks10周年を記念してお祝い会を!企画したい!と思っています。

長らく副編集長の立場から、job picksの編集長(自身で立ち上げ)になられ、昨年7月より執行役員となられて何か変化はありましたか?とお聞きすると。巻き込む人数がどんどん増える、今まで交わらなかった職種の人とも会話が発生するそれで自身の精神が鍛えられました!と笑顔で。今まで以上に不確実要素が大きな相手、クライアントワークや営業組織、個人→組織、多様な変数が増えていく、見ている、見えている景色が違う人たちと合意形成、コミュニケーションを取っていくか、面白いと感じているそうです。

 

元々、人に興味があり、キャリアが積み重なっていくこと、そこに時代の潮流が変わっていくことも入り、人の成長、変遷を見ていくことが好きな佐藤さん、役員になられてさらに仕事を満喫されていると感じます。

 

私からのご縁で親しくしてくださっている、廣田千晶さん(佐藤さん同様に私の中ではスーパープロフェッショナルな方です)。仕事への姿勢、熱量に関して、佐藤さんの素敵な記事をアップされています。以下にて。

 

HSインタビュー vol.15−1: 佐藤 留美さん(JobPicks編集長・NewsPicks副編集長)「本気で仕事を楽しめる人を増やしたい(前編)」

 

HSインタビュー vol.15−2: 佐藤 留美さん(JobPicks編集長・NewsPicks副編集長)「本気で仕事を楽しめる人を増やしたい(後編)」

【佐藤さんの執行役員就任お祝い会】

 

昨年秋に開催しました、執行役員お祝い会、また今年、NewsPicks誕生10周年という節目でもあり、半年後の秋口に盛大に会を企画したいと思っています。関係各位にはこれから相談をいたします。私も大いに楽しみです。

【名前入りのお祝い酒 粕井さんと】

 

◆佐藤さんに最後にコメントをいただきました

 

出会いは最悪……。杉浦さん、何か企んでいるんですか?なんて失礼なこと、私、初対面で言い放ったんですね。なんてやつなのでしょうか(😭)。自己弁護(笑)すると、杉浦さんがあまりに、ご親切にこんな人がいますよ、ご紹介しましょうか?などとご提案くださるので、その見返りに何を要求されてしまうのか?と思ったのだと思います。

記者には結構「こんないい話がありまっせ」的な売り込みがきますが、きちんと裏を取らないと、とんだ人物や組織を持ち上げてしまうなんてことがあり得るんですよね。

ところが杉浦さんに頂いたご縁に関しては、そんな心配は無用!

「杉浦印」の方は、御若い方もお年を召した方もどこの地域の方も、性別もすべて超えて、純粋な信念を持って、情熱的に何かに取り組まれている方ばかりです。

杉浦さんを起点にそんな素晴らしい方々との出会いに恵まれ、信頼の輪が広がるのが嬉しく、人生やキャリアが豊かになりました。

改めて杉浦さん、ありがとうございます!

そして、「杉浦印」の刻印が刻まれた皆様(笑)、引き続きどうぞ、仲良くしてくださいませ。

引き続きどうぞ、よろしくお願いいたします!

【時々佐藤さん 安田さんとの会食はビジネスMTGそのもの】

 

素敵なコメントを有り難うございました。佐藤さんの信頼の輪も相当だと感じています。お互いの総和がどんどん広がり仲良し、そして長きにわたりご一緒できますように。プロの方へのインタビューは緊張しますね。感謝です!