スポーツ鑑賞を不満の捌け口にしない。熱狂は仕事にも。

ー杉浦佳浩

スポーツ鑑賞を不満の捌け口にしない。熱狂は仕事にも。


2022年 12月 12日

【今週の自戒】
スポーツ鑑賞を不満の捌け口にしない。熱狂は仕事にも。

その領域ではプロ中のプロである
ビジネスパーソンの方から

『スポーツ観戦に熱狂することは良いこと
しかし、単純に日々の不満の捌け口にしている
逃げ道に利用している人を多く見かける。
頑張っている人を応援しながら、自分も自分の仕事に
熱狂できないのはどうかと思う』
確かに、納得。その方からは、
日々仕事に熱狂、没頭できている人は自分ゴトで
活きている、感謝の気持ちも持っている。
と続きました。

この方と話していて、スーパーNOHAIRSの
スティーブ・ジョブズの名言、
『毎日を人生最後の日だと思って生きよう。いつか本当にそうなる日が来る』
を思い出しました。

充実した毎日に感謝し、
今に自分ゴトに熱狂できる人でありたい。
今週も
よろしくお願い申し上げます。

【人生二度なし】
森信三師の心に響く言葉より…

《わが信条》
一、人生二度なし
二、真理は現実の唯中にあり
三、教育とは人生の生き方のタネ蒔きをすることなり
四、教育は流水に文字を書くような果てないわざである
五、念々「死」を覚悟してはじめて真の「生」となる

《人生二度なし》
皆さん!!
わたくしたちのこの人生は、ただ一回だけのものでありまして、 二度と繰り返すことのできな いものであります。
そしてこのことは、人から言われた時とか、あるいは書物に書かれているのを読んだりした際には、どんな人でも「確かにそれに違いない」と思うでしょうが、しかしその感動の永続する人は少なく、いつの間にやら忘れ去って、この自分の一生が、まるでいつまでも無限に続くものででもあるかに考えて、ついウカウカと過ごしやすいのが、われわれ凡人の常であります。
このようにわれわれ人間の一生は、そんなに無限に生きられるものではなく、ひと度(たび)死んでしまえば「もう一度やり直す」ということは、尽未来際(じんみらいざい)、絶対に不可能でありまして、それはちょうど、書道の練習に際して、清書用の紙が一枚しか渡されない場合と同様であります。

《人生の二大根本真理》
この「人生というものは二度とくり返し得ないものだ」ということと、もう一つは、われわれ人間は、いつ死なねばならぬかわからぬという、人生に関するこの二大根本真理が、心の底でガッチリと切り結ぶようになると、そこからして初めて「今日」という一日が、いかに大切かということがわかり出すわけです。
そして、この二度とない人生を真に充実して生きるといっても、結局突きつめた最後は、「今日」という この一日を、いかに充実して生きるか、という努力のほかないわけです。

それをさらに突きつめれば、 「今日の予定は断じて仕上げて明日にのばさぬ人間に!!」 というほかないことになりましょう。

『森信三 運命をひらく365の金言』致知出版社

「世の中はここよりほかはなかりけり、よそにはゆかれず、わきにゃおられず。
世の中は、今よりほかはなかりけり、昨日は過ぎつつ、明日は来たらず。」
という禅の言葉がある。

静岡県三島市の名刹、龍沢寺(りゅうたくじ)の山本玄峰(げんぽう)老師がいつも口にしていた言葉だという。
幕末、山岡鉄舟が江戸から通った白隠禅師開山の寺だ。

「わきにゃおられず」とは、自分はいつでも主役だということ。
すべてのことを自分事として捉えないかぎり、真剣にはなれない。
すなわち、禅でいう「いま、ここ、わたし」だ。

『今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。 それが習慣となり、天性となるような生き方こそ最高です』(平澤興)
まさに、今を生き生きと、あざやかに生きるということ。

「人生二度なし」という言葉を胸に刻みたい。

上記の【人生二度なし】については人の心に灯をともすより引用しています。