関わりの中で生きている お陰さまと言えるように

ー杉浦佳浩

関わりの中で生きている お陰さまと言えるように


2021年 07月 26日

【今週の自戒】
〜関わりの中で生きている お陰さまと言えるように〜

ある領域で長年トップランクの
お仕事をされてきた方とお話をしました。
今までにこの業界にいる方には
【私が】が言葉の先頭に出てくる方が
多い傾向を感じておりました。
我利我利亡者ってよく言ったもの。

突発的な出来事にもすぐに対応
世界中に出張する
睡眠時間は毎日2、3時間
その生活の中で、間違いなく
ご自分の弛まぬ努力があってこそですが、
【おかげさまで】の言葉の連発でした

学生時代の恩師のお話し
職場環境を取り巻く人々のお話し
元クライアントの経営者のお話し

何をお聴きしても
関わりを大切に
関わる中で生きている
そう感じる時間でした。

今は違う領域に進まれても
過去の関わった人たちが
放ってはおかない。
目に見えない部分で
誠意を尽くしてきたこと
その根底には
おかげさまで。

改めて関わりを大切に。

今週もよろしくお願い申し上げます。

【目に見えないところで誠を尽くす】

渡部昇一氏の心に響く言葉より…

勝負の帰趨(きすう)はそのときの運に左右される。
運というのはあるのかないのか。
あるようでもあるし、ないようでもあるが、なにがしの気配が働いて運を左右するということはありそうだ。
そのなにがしの気配を働かせて福運を招き寄せるものはなにか。
結局、そういう目に見えないところでの行為、目に見えないところで尽くす誠実、といったものなのではないでしょうか。

よく「運は運なり巡るなり」といって、どう転ぶかわからないものです。
わからないから運なんです。
こうすればこうなる、というのは数学か自然科学で、因果律です。
でも、運というのは因果律じゃないから、方程式は成り立たない。
それは、ある日ある時、天の一角からやってくるものなんです。

『渡部昇一 一日一言』致知出版社

本書の中に「運」についてのこんな言葉があった。

『ラテン語の諺に
「神は長き間に拒絶せるものを、しばしば短き一瞬にして与えたもう」
という言葉があります。
これは長い間一所懸命やってもうまくいかなかったことが、一瞬にして好転するということです。
15世紀にの修道士トーマス・ケビンスが「キリストの倣(まね)び」について書いていることですが、神に拒絶されつづけているときにヘタってしまえば、好転する一瞬は訪れません。
不遇であろうが不景気であろうが、くたびれずに毅然としていなければならない。』

「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」という老子の言葉がある。
天の張る網の目は、一見すると粗いようだが、悪人を網の目から逃すことはない、ということ。
天は必ず見ていて、悪事を見逃すことはない、と。
つまり、「お天道様は見てござる」。

だからこそ、人が見ていようが見ていまいが、そこで誠(まこと)のかぎりを尽くすこと、利他の心で行動することが、運を招くことになる。
誠実さとはまさにそのことだ。

今、話題の大リーグの大谷翔平選手が、マスコミから「なぜゴミを拾うのか?」と聞かれたとき、こう答えたという。
「ゴミは人が落した運。ゴミを拾うことで運を拾う。それが自分にツキを呼ぶ、と高校の恩師から教えられたから」、と言い、恩師への感謝の心も忘れない。

そして、大事なのは続けること。
それを…
「自彊不息(じきょうやまず)」(易経)
という。
自彊とは、いくつになっても、自ら勉強し、努力すること。

目に見えないところで、誠を尽くし、勉強と努力を怠らない人でありたい。

上記の【目に見えないところで誠を尽くす】については人の心に灯をともすより引用しています。