枯れるは良いが、朽ちるは・・・

ー杉浦佳浩

枯れるは良いが、朽ちるは・・・


2021年 11月 15日

【今週の自戒】
〜枯れるは良いが、朽ちるは・・・〜

枯れると朽ちる双方、辞典を見てみる。
いくつかの意味の中に。

枯れる→人物や技術が練れて、深みが増す。円熟して、落ち着いた深い味わいが出てくる。

朽ちる→むなしく人生を終える。

こうなると大きな違い。
年齢に関係なく、誰の言葉に耳を貸さず
自ら朽ちていく様のような人もいれば、
あんなに柔軟な発想、行動力がありながら
50代に突入した途端、急にカチコチに
なる人もいる。深い味わいどころじゃない。

久しぶりに会った人、
話を聞いていると、
どんどん居心地の良い方向に向かっている。
チヤホヤしてもらえる所へと。
修正を試みたものの
自分の安住の地に執着している。
途中から余計なお節介はやめようと。
こんな人になっちゃいけないと
私に教えてくださったのだ、
と思って。

叱ってもらえる時が懐かしい。
でも年齢に関係なく、
助言や、私に解るように噛み砕いて
話してくれる人をもっと大切に。

素敵に枯れる人生に。
ご縁に深い感謝を。
今週も
よろしくお願い申し上げます。

【せっかちに拍車がかかる】

精神科医、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…

若いころはせっかちだった人も、年をとるにつれて、自然にゆっくり力が身について、ゆうゆうと生きてゆけるようになる、と単純に考えるかもしれないが、それは大きな間違いである。
ほうっておけば、せっかちな人は年をとるにつれて拍車がかかり、ますますせっかちになっていくものである。

たとえばレストランで注文した品が、すぐに出てこない。
五分待たされただけで、店員をつかまえて「まだなの?」というひとことが口から出る。
おさえられない。
そして、店員が自分の横を通るたびに催促したくなる。
「ちょっと、お待ちを」などといわれて後回しにされると、むしょうに腹が立ってくる。
せっかちの度合いがどんどんエスカレートするのだ。

がんこな人にも、同じことが起こる。
年をとるにつれて、がんこに拍車がかかっていき、「あんな、がんこなじいさんはいない 」といわれるようになる。
いじわるな人も度をこして、「あんな、いじわるばあさんは見たことない」となってくる。

人の性格は、年をとるにつれて、もともとの性格が強く出てきて、極端にな っていくものなのである。
加齢により血管が硬くなるように、アタマも硬直化 して、思考に柔軟性がなくなるのであろう。

アタマの柔らかい若い人ならば、注文したものがすぐに出てこなくても、「コックさんたちも、おいしいものをつくろうと、がんばっているのだろうなあ。だから多少の時間がかかるのも仕方がない。待たされる時間だけ、おいしいものが食べられるんだから、いいじゃないか」と考えることもできる。
周りで食事をしている人たちを観察しながら、待っ時間を楽しむこともできる。
ゆっくり力を養うためには、アタマも、日々、柔軟体操が必要である。

《年をとるとゆっくりカが身につく、はウソ》

『「いそがない人」が、いい人生を送る』知的生き方文庫

モンペリエ大学のヤニック・ステファン博士の合計1万7000人以上の中年・高齢者を追跡調査によると…
自分の年齢を実年齢より若く感じている人と、実年齢より年を取ったと感じている人では、大きな違いがあるという。
若く感じている人は、社交的で、情熱的で、意欲があり、新しいことにチャレンジすることを恐れない。
しかし、そうでない人は、うつや病気になりやすく、死亡リスクも高く、新しいことをやりたがらない。

つまり、人には言わなくても、心の中で「自分は(実年齢より)若い」と常に、思っている人は、それだけで明るく生きることができる。
楽観的で、変化を恐れず、笑いや感動や驚きに満ちている。
そして、常に肯定的で、若くて柔軟な精神を持っていて、感謝多き人。
いくつになっても、新しいことを取り入れ、勉強し、年齢が離れた若い人たちの友達も多い。
こういう人たちは、年をとっても、「せっかち」「頑固」「いじわる」の度合いが少なくなる。
いわゆる、「角が取れてきた人」だ。

反対に、年をとって、「せっかち」「頑固」「いじわる」に拍車がかかる人は、常に現状に否定的な人だ。
文句や不平不満、愚痴や泣き言、悪口が多く、感謝がない。
不機嫌で暗くて、新しいことを否定し、昔を懐かしんでばかりいる。
実年齢よりも年を取った、と感じている人たちでもある。

精神を常に柔らかく保ち、ゆっくり力を身につけたい。

上記の【せっかちに拍車がかかる】については人の心に灯をともすより引用しています。