時間を大切にする習慣、善き行動を継続できる習慣、双方大切にしていこう

ー杉浦佳浩

時間を大切にする習慣、善き行動を継続できる習慣、双方大切にしていこう


2020年 11月 16日

【今週の自戒】
〜時間を大切にする習慣、善き行動を継続できる習慣、双方大切にしていこう〜

久しぶりに人生の先輩で
いつも視座を上げてくださる方と
再会できました。
いつも同じ様なお話を教えていただく中で
感じるポイントが常に変化しているのが
オモシロイ。
先日お会いしたときは、【時間の大切さ】
そこにフォーカスしている自分に気づく。
ここ最近時間の大切さへの振り返りが
足りていない、自分に向き合っていない
と、そこで週末に
自分なりの有限である時間
なんのために大切な時間を使うのか
対話をしてやるべきこと、優先度、方向性が
見えてきました。
これも人生の先輩と再会できたからこそ。
その方は一回り以上年上ながら、
圧倒的な仕事量をいまも、
しかし、終始にこやか、思慮深い、奥深い、
再会に意味を感じ取れたのもその方の
時間を大切に使う【習慣】を感じ取れたから。

ある会社さんに訪問した際に、
事業連携の相談を聞く機会がありました。
『率直にどう思われますか?うち(弊社)にとって良い条件だと思っています』
と質問されました。
私からは、『最終判断は御社ですが、ヤメた方が良いと思います』
と回答しました。
普段は何でもやって失敗して新たにまた企む
私はそちら側の推奨者なのですが、今回はバッサリNO。
事業連携を目論んで頻度高くラブコールを繰り返している相手方に
私が感じたこと。
・善き行動が習慣化していないタイプ。
・ノウハウ、リソースを数年で取得されると、向こうから関係解消される
・お互いリスクは半々のはず、相手側はリスクを取っていないことが見える
・過去の履歴は仕組みの中で生きているだけ自力での成果が見えない
こんなことを挙げさせていただきました。
一言でいうと【有名無力】。
ある部分では有名だが
それが長らく継続していたわけではない、
善き行動が習慣化していないところが一番大きい。
と指摘させていただきました。
その言葉を放ちながら自分自身もそうなってはいけないと。
無名有力を意識し、常に相談事が持ち込まれ、
頼まれごとが連続する1週間にしたいと
思いました。
今週もよろしくお願い申し上げます!
善き行動を継続できる習慣を身につけましょう。

【歴史なか埋もれたなか、ほんとう間がいる】

岡本太郎氏響く言葉より…

尊敬するはだれかと訊かれると、多くは徳川家康といったよ歴史上名前をあげる。
時代権勢(けんせい)を誇ったり、成功した物ばかりあげたがる。
ぼくはいつも疑問感じるんだ。

もちろん、なかは源義経よう悲劇的な生涯を送った物が好きだというもいる。
たしか義経生涯は悲劇的でドラマチックだったけど、義経たって権力あったわけだろう。
一時期は大変な成功者だったじゃないか。
だから余計、悲劇的な結末が浮き彫りされているんだ。

ぼくはそういうふう、とかく歴史記録残っている権力者や有名な物だけを尊敬する、そういうことこだわりたくない。
記録残っていない、まったく無名物でも、素晴らしい。
己をつらぬいた尊敬価(あたい)する物はいっぱい存在したはずだろう?

そういう運命ほう、ぼくは加担したい。
間はだれでも成功を願っている。
しかしそれより、成功しないことを前提命を賭けてスジを通したほうが素晴らしいじゃないか。
でも、成功しなければ歴史なか名前は残らない。
名前が残っているは、ほとんどが成功した連中だ。

むろん成功しなかった者より成功者ほうが数が少ない。
成功者は何百万何千万なかわずか数名きりだ。
しかも成功した者を調べてみると、そ間をとりまくいろいろな状況が押し上げた場合が多い。
戦略妥協がうまかったり、成功したりして勝利をつかんだ。
そういう物は、別段、尊敬できないし感動もないね。

むしろ歴史なか埋もれたなか、ほんとう間がいる
間は99.99パーセントが成功しないんだ。
つまり成功者でないほうがより間的な運命なんだ。

そいう無名運命なかで、自分スジをつらぬき通して、歴史も残らないで死んでいった者生き方、ぼくは加担したいんだよ
だけど、もうひとつ、いままで言ったことと逆よう聞こえるかもしれないが、英雄というもは、じつはひとり実力だけでそうなったんじゃない。
時代多く共感、情熱、願望が協力した、社会がそれえた、そういう面があることもたしかだね。

『自分運命盾を突け』青春出版

神渡良平氏は「無名ついてこう語っている。
『 安岡正篤先生は勉強会でよく「有名無力、無名有力」と言われた。
有名無力、無名有力とはこういう意味だ。
若いときは誰もがひとかどなりたい、立派な会社を作り上げたいと一所懸命努力をします。
だんだん頭角を現し、評価もいただけるようなって、名が上がって有名なってきます。
会社規模も大きくなってきます。
そうなるとちょっとした名士なり、講演を頼まれたり、新聞稿を書いたり、テレビ出演したりして、だんだん忙しくなってきます。
そしていつか自分を掘り下げる時間すらなくなって、有名ではあるけれども無力ななり下がることが多いもです。
しかし、世は、新聞、雑誌名前が載るわけではない、テレスポットライトがあたるわけでもないけれども、頭が下がる生き方をしている方がいらっしゃる。
無名だけれども有力な生き方をしていらっしゃる。
私は時間がなくなって自分を失ってしまうよりも、無名ままでいい、自分を高め、磨く時間を持てる者でありたいです。』 (下坐生きる /Chichi‐select)

一発芸などで有名なったタレントは気絶頂なるも早いが、ダメなるも早い。
絶頂ときは、あちこちテレビ局や番組から、寝る暇もないほど出演依頼がある。
しかし、出れば出るほど、自分引き出しは空っぽなり、つは底をついてしまう。

これは、飲食店などでも同じことが言える。
お店をオープンし評判となり、寝る暇もないほど仕事をする。
しかし、何年かすると潮が引いたようガランとした店内なる。
オーナー引き出しが底をついてしまったからだ。

店が繁盛しようが、テレビ出まくろうが、あるいは不遇時を過ごそうが、まわり左右されず、どんなときも、自分をコツコツと磨くは長く生き残る。
すると、実力がたまり、周りが引っ張り上げてくれる。
「頼まれごと」始まりだ。
それが、「無名有力」生き方。

有名無力ではなく…
無名有力を目指したい。

上記の【歴史なか埋もれたなか、ほんとう間がいる】については人の心に灯をともすより引用しています。

冒頭の写真が見えづらいと思います、
以下に文面を掲載いたします。

一日を通して、私たちは驚くほどの選択を重ねている。コーヒーか紅茶かの選択から仕事の決断まで、大小数えきれない。ただし、研究者によると、実は一日の選択の半分は習慣に従っているだけ、いわば脳の自動操縦に頼っているのだという。

そう考えると、日頃の私たちの選択は危ういものとはいえないだろうか。高い意識で習慣として励行しているものもある一方、ゴミの投げ捨てのように、不適切さに鈍感になっていることも充分ありえる。

となれば、自分がどんな価値観のもと、何を習慣にするかという意識こそ重要になろう。もし自分が自堕落な習慣に依存するままであれば、いくら時間があっても成長は望めまい。

一流の人が、食事から睡眠、余暇に至るまで、己を律しているのは高い目的意識のゆえである。それに比して、心地よくてもためにならなければやはり悪習に過ぎない。またつまらない習慣ほど簡単に身につくという。

習慣はすべて意識の産物である。何を目的として、何を習慣にすべきか。自分の心に問いかけたい。

上記はある大阪のガソリンスタンドに掲げられているものです。出典は、【月刊「PHP」2020年11月号 裏表紙の言葉】より。