【魅力】について考えてみる、たくさんの魅力ある方々に囲まれる日常が有り難い。

ー杉浦佳浩

【魅力】について考えてみる、たくさんの魅力ある方々に囲まれる日常が有り難い。


2020年 06月 15日

【今週の自戒】
【魅力】について考えてみる、
たくさんの魅力ある方々に囲まれている
日常が有り難い。

先週のメルマガにあった、城山三郎の言葉、
【魅力】についてここ数日考えていました。

30代前半のAさん、たまにお会いして近況を
報告してくださる仲。
お話していて、時間が経過が早いことを感じる。
あっという間に約束の1時間。。。
・テンポが快活
・私の話を一生懸命聞く姿勢
・私の意見からすぐ目標設定を決断
・前回面談時の目標設定の実現度が高い

40代のBさん、この方ともAさん同様に
互いの近況を話す関係。
この方、希少性の極みとも言うべき世界を
ずっと歩んでこられた方。ビジネス上のことも
特殊過ぎて、いつも勉強させていただいています。
・無知な私にとにかく解りやすく
・その世界では強烈な経験も決して偉ぶらない
・新しいお話、違う分野にも貪欲に

このお二人以外にも
毎日たくさんの魅力ある方々に
お会い出来ている自分に気付きます。
・数十万人単位でファイナンスの意識改革をしようとしている
・中小企業の経営者不足を社長輩出を本気で取り組む人
・隣国との架け橋を必死で取り組んでいる人

皆さん元気の源には、素直に向き合う姿勢、
【励まし合う声と気持ち、そして踏出す一歩】
型にはまらない、その励ます気持ちを大切に。
今週も
よろしくお願い申し上げます!

城山三郎さんの本名が杉浦さん。
それだけで親近感を感じますが、
文章に魂を感じます。
そして大きな大きな【公憤】も。
目標としているお一人です。
初心を忘れずに。そして行動を。

【魅力とは何か】
城山三郎氏の心に響く言葉より…

魅力とは何か、非常に定義しにくい言葉です。
けれども逆に、《魅力がない》とは何かを考えてみると、こちらはわかりやすいですね。
魅力のない人とはどういう人か、みなさんの周りを見回しても割に多いんじゃないですか?
つまり、型にはまった人ですね。
これは魅力がない。

周りに大勢いるということは、人間はつい、すぐに型にはまった暮しをしてしまうのです。
あるいは、型にはまった人間になってしまうのです。

型にはまる、というのを《椅子(いす)》と置き換えてもいいでしょう。
日本の会社をのぞいてみますと、平社員だと小さな机に座っている。
係長になると少し大きくなって、課長になるともっと大きくなる。
社長になるとものすごく大きな机に座る。
態度も椅子に比例してだんだん大きくなっていきます。
平社員のうちは小さくなっているけれども、机が大きくなるにつれて尊大になってきて、社長になるとふんぞり返っている。
こういう人間はつまらない。

椅子に支配されたり、椅子をかさにきたり、椅子に引きずられたり、そんな人間がいちばん魅力がありませんね。
とすると、椅子の力とは全く関係なしに生きている人間ほど魅力的だ、と言えるかもしれません。
比喩(ひゆ)的に《椅子》と言いましたが、しかし、自分の置かれた立場に対して賢明に生きている人間も、これはこれで魅力的なのです。

昔、車掌がいた時代は、春にバスに乗るのが好きでした。
新米の車掌さんが一生懸命やっていて、時には間違えたりもして、赤くなったりおどおどしたりもしながら、なおひたむきに働いている。
非常に初々(ういうい)しくて、目にも耳にも心地よく、乗客のサービスになっていると思うくらいでした。
とにかく自分は新人なのだから、必死で頑張らなくちゃいけないと懸命になっている。

これが5年経ち、10年経つと、かなりいい加減になってきて、間違えても平気な顔をして、という具合になってきます。
つまり、魅力を作っているのは《初心》というものなのですね。
仕事に対してだけでなく、生きていく姿勢としての初心、初々しさ、というものはいくつになっても大事なんじゃないか。

初心を持ち続けるとは、どういうことでしょう。
あるいは、ずっと初々しくある、とはどういうことでしょう。
これは、自分に安住せず、自分というものを無にして、人から受信し、吸収しようとする生き方です。

逆に、政治家にそういうタイプが多いのですが、発信機能だけが肥大して発達し、受信機は故障している人がいます。
とにかくしゃべることはものすごくしゃべるけれど、人の言うことを全然聞かないというタイプ、あれも魅力がありませんね。
もちろん発信もしなくてはいけないけれど、同時に受信する能力も長(た)けていないといけない。
今ある自分に安住しない。

それが初心というものにつながっていく。

『少しだけ、無理をして生きる』新潮文庫

「是非の初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。」(花鏡・かきょう)
と言ったのは、600年前に能を大成した世阿弥(ぜあみ)。

「是非の初心」とは、未熟だったときの芸を忘れない、ということ。
「時々の初心」とは、その年齢、その段階では初心者であり、そのことを忘れない、ということ。
「老後の初心」とは、老年になっても初めて経験する芸もあり、そこにも初心がある。年を重ねたからと言って慢心してはいけない。

つまり、いくつになっても、その年齢やその段階での初心がある。
初々しい心は、初心ということでもあるが、「初々しさ」とは、素直さのことでもある。

松下幸之助翁は、「素直な心」をこう定義している。
『素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心であります。
また、静にして動、動にして静の働きのある心、真理に通ずる心であります』

初心を忘れず、魅力ある人を目指したい。

上記の【魅力とは何か】については人の心に灯をともすより引用しています。