訓読みを意識する。この上ない毎日に

ー杉浦佳浩

訓読みを意識する。この上ない毎日に


2024年 04月 22日

【今週の自戒】
訓読みを意識する。この上ない毎日に

先日、北陸金沢に行ってきました。
地元経営者さんや行政の方、
北陸ならではのモノづくり産業、
ビジネス界隈のお話も多くできた中、
歴史、文化伝統にも触れる体験も
地元経営者さんのご縁でできました。
特に茶道(裏千家ではチャドウと)を
1日に2度も、この場合は二服でしょうか。
歴史ある場所でお手前を披露くださいました。

まさに
和やかであり
優しい言葉、所作
久しく見たり聞いたりしていなかった
自分に気づきをいただきました。
訓読みの世界観、そう感じました。
この上ない経験、
日本人でよかったと。
嬉しい気持ちでいっぱいでした。
大和ことばをもっと使える人に
そうありたいと思いました。
今週もよろしくお願い申し上げます。

【漢語と大和ことば】
黒川伊保子(いほこ)氏の心に響く言葉より…

以前、新聞のコラムに、「企業や役所は、不祥事の謝罪に漢語(認識、遺憾、反省、不適切など)をよく使うが、大和ことばで謝ってはどうか」という提案があった。
たとえば、「この結果は認識外でした。遺憾の極みであり、不適切な行為であったと反省します」は、大和ことばを使うならば、「こんなことになるとは思いもよらず、 軽はずみにひどいことをしてしまいました。本当に、ごめんなさい」となる。
前者は、ひたすら畏れ入る感じが伝わり、後者は担当者の胸の痛みが伝わる。

私自身は、職務に徹し、私見を排除した漢語使いのほうが好きなのだが(プロは自らの胸を痛める前に、事態の収拾にかからなければならないからね)、いけしゃあしやあと漢語謝罪を重ねられると、つい、「一度くらいは、大和ことばで謝ってみなよ」と言いたくなる。
自分のことのように、はだかの心で悲しんでみなさいよ、と。

大和ことばは、この国固有のことばで、訓読みという音韻体系でくくられる。
いのち、こころ、ありがとう、そら、くに、のぞみ・・・・・・なんだか、心にしみいるような、 温かな人間味を感じないだろうか。
これを音読みのことばに置き換えてみると、生命、精神、感謝、天空、国家、希望となる。
スケール感のあることばたちだが、なんだか素っ気ない。

どうにも、他人事 のような感じなのだ。
「感謝します」だなんて、本当に嬉しいの?と聞きたくなっちゃうくらいに。
また、工場をコウバと読めば、気心知れた仲間で働くところを、コウジョウと読めばグローバル企業を思い浮かべる。

そう、私たち日本人は、漢語にグローバルな社会性を、大和ことばに私的な情緒性を感じているのである。
そして、それは、慣習のせいだけとも言いきれないのだ。

漢語は、口腔(こうこう)をあまり高く上げず、息を強く吐きだしたり、擦りだしたりして発音する。
漢語に多い、サ行音・カ行音・タ行音・濁音と長音、撥音(はつおん)の組合せが、そうさせるのである。
口腔を低く使うので、手の内を見せない感じがする。
息を強く擦りだすので、毅然 とした感じを作りだすし、口腔表面の温度が下がるからクールなのだ。
だから、パブリックな場には漢語が似合う。
実はこれ、ドイツ語や英語に多く見られる音韻傾向でもある。

一方、大和ことばは、拍(はく/カナ一文字)ごとの母音(ぼいん)をしっかりと発音する。
母音は、 口腔の形で音の区別をつけるので、口を良く開けることになる。
身体の内部(口腔) をさらけ出すので、心のうちまで見せた感じがして、ことばを交わす者たちの間に親密感が育まれる。
こちらの音韻(おんいん)傾向は、イタリア語やスペイン語に多く見られる。

日本語は、不思議なことばで、合理性の高いパブリックな音韻体系と、私的で親密な音韻体系とを、ほぼ完全に二重に持っているのである。
その証拠に、思いつくほぼすべての文章表現を、ほとんどの日本人が漢語系と大和ことば系で表現できるはずだ。

かつて甲子園を沸かせた徳島池田高校の名監督・蔦文也(つたふみや)氏は、「試合前に子どもたちを激励するときは漢語を使い、試合後にねぎらうときには大和ことばを使う」と言ったそうである。
私たち日本人は、こうして、合理的思考と情感表現を自在に使い分け、人間関係に留まらず、芸術や産業の領域に稀代(きたい)の器用さと独創性を発揮している。
日本語の素晴らしさはここに極まれり、と、私は思う。

ところで、「愛(あい)」は音読みだって知っていましたか?
だから日本男子は、「愛してる」なんて他人事のようで、恋人や妻相手に口に出せないのかも?(微笑)

『運がいいと言われる人の脳科学』新潮文庫

高橋こうじ氏は著書「日本の大和言葉を美しく話す/東邦出版」の中でこう述べている。

『大和言葉とは、太古の昔に私たちの先祖が創り出した日本固有の言葉。
また、その伝統の上に生まれた言葉です。
「山(やま)」「川(かわ)」「夢(ゆめ)」「ふるさと」、みんな大和言葉です。
漢語は中国語から取り入れた言葉で、「山地(さんち)」「河川(かせん)」など、つまり漢字の読み方で言えば、音読みで発音されるのが漢語。
訓読みが大和言葉です。

また、大和言葉を使うと言葉に奥行きが増します。
たとえば、「チョー素敵だった」と言うなら、「このうえなく素敵だった」。
「感激した」と言うなら、「いたく感激した」と。』

「試合前に子どもたちを激励するときは漢語を使い、試合後にねぎらうときには大和ことばを使う」(蔦文也)
心に沁(し)みる「大和ことば」を折に触(ふ)れて使いたい。

上記の【漢語と大和ことば】については人の心に灯をともすより引用しています。