第142回ご縁結びのコーナー ONDO Inc. 代表取締役 Founder & CEO 鳥山 郷さん

ー杉浦佳浩

第142回ご縁結びのコーナー ONDO Inc. 代表取締役 Founder & CEO 鳥山 郷さん


2026年 11月 08日

〜「世界をもっとエモーショナルに。」人と人が繋がり、感情が動くきっかけを共創する“場と文脈”のプロデューサー〜


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【はじめに】

今回のインタビューゲストは、東京・大阪・鹿児島を拠点に、イベントプロデュースやクリエイティブ制作、そして恵比寿の「STUDIO VIZZ EBISU」運営などのヴェニューメイキング事業を展開する、ONDO Inc.(株式会社音動)代表取締役 Founder & CEOの鳥山郷(とりやま ごう)さんです 。

鳥山さんとは長年のお付き合いになりますが、常に現場に立ち、圧倒的なエネルギーで「人と人が繋がるきっかけ」を創り出し続けている素晴らしい起業家です 。2026年4月には、私の提案から鹿児島県錦江町への「おたけびツアー」を急遽ともに企画・開催し、地域の方々と参加者の間に爆発的な熱量と深い関係性を生み出してくださいました 。

一見すると華やかなクリエイティブやイベント業界の最前線で活躍する鳥山さんですが、その歩んできた道のりは決して平坦なものではありませんでした 。幼少期の突然の環境変化、学生時代の葛藤と挫折、そして経営者としての絶望的な危機と失踪劇—— 。そうした波乱万丈な体験を乗り越え、周囲の経営者仲間やお客様からの深い愛情に支えられて再出発を果たしたからこそ 、今の鳥山さんには人の心を揺さぶる「本物の深み」と「感謝の心」が宿っています 。

40歳という節目を迎え、個人のキャラクターや勢い任せの経営から脱却し、社会的意義を見つめ直した鳥山さん 。彼がどのような原体験を経て起業に至り、危機を乗り越え、いま「世界をもっとエモーショナルに。」というミッションのもとで地域と世界を結ぼうとしているのか 、その熱いキャリアの変遷と思いに迫りました 。


【最近の鳥山さん】

■ 幼少期から学生時代:波乱の原体験と「リーダーシップ」「現場主義」の礎

裕福な環境から一転、バブル崩壊と「夜逃げ」の衝撃

鳥山さんは1986年(昭和61年)、大阪市港区(弁天町・朝潮橋エリア)で生まれました 。幼少期、お父様はダンプカーを何十台も所有する建設業(土木業)の会社を経営しており、週末には家族でクルージングに出かけるなど、絵に描いたような裕福な家庭環境で育ちました 。

しかし、鳥山さんが5〜6歳の頃、バブル崩壊の荒波が直撃します 。不動産取引も手がけていたお父様は巨額の負債を抱え、一夜にして生活が一変しました 。一時的に堺市へひっそりと引っ越した時期があり、後年、鳥山さんがお母様に「あの引っ越しは何だったの?」と尋ねると、「あれは夜逃げやねん」と明るく明かされたといいます 。

「人から隠れて逃げるような人生はやめよう、もう港区に戻って開き直ろう」と決意したご両親は 、子供たちに経済的な苦労や暗い顔を見せないよう明るく振る舞い 、習い事や教育の機会を与え続けました 。このご両親の強い姿勢と、幼少期に体験した天国と地獄のような環境の変化が、鳥山さんの中に「何があっても力強く生き抜く」というタフな精神力を育むことになります 。

【202607銀座にて】

「何でも手を挙げなさい」母の教えとガウディへの憧れ

お母様から常に「何でも手を挙げて率先してやりなさい。リーダーになりなさい」と背中を押されていた鳥山さんは 、学級委員長や班長、中学校では生徒会長など、周囲を巻き込んで代表として立ち回る役割を積極的に引き受けていきました 。運動会や文化祭、イベントや旅行の際も、自ら企画や演出のアイデアを出し、みんなを楽しませる中心にいました 。

また、4歳から習っていたピアノをはじめ、小・中・高・大学と一貫してバンドや音楽活動に熱中しました 。さらに、実家の1階が会社事務所だったことから、お父様が現場で働く背中を見て育ち、「自分もいつか父の会社を継ぐのだろう」と考えていました 。小学校1年生の時にテレビでサグラダ・ファミリアと建築家アントニオ・ガウディの存在を知り、「いつか大切な人たちの家や会社、街をデザインする建築家になる」という夢を高校3年生まで抱き続けていました 。

現場で学んだ「接客」と「マニュアル」の衝撃

高校時代、16歳でバイク(400cc)の免許を取得した鳥山さんは 、自力でバイト代を稼いでバイクを購入するため 、お好み焼きチェーン「鶴橋風月」で約1年間アルバイトを経験します 。厳格な店長のもと、体育会系の厳しい職場環境でもみ揉まれながら 、団体客への対応や厳しい社会での立ち回りを身につけました 。

続いて高校3年生の時には、天王寺ミオのマクドナルドでアルバイトを経験します 。そこで鳥山さんが受けた最大の衝撃は、「徹底的なマニュアル化(言語化)」でした 。何一つ文字になっていなかった前職のお好み焼き店との違いに驚き、「すべての業務や思考が言語化・マニュアル化されているからこそ、人が迷わずに高いクオリティを発揮できる」という仕組みの重要性を肌で学びました 。この原体験は、現在の事業における構造化や言語化の思考へとしっかりと繋がっています 。

■ 大学時代の葛藤と転機:引きこもりから「イギリス渡航」、そして起業へ

理系崩壊と「薄っぺらい自分」への自己嫌悪

高校3年生の受験期、建築家を目指していた鳥山さんでしたが、理系科目(数学・物理)が極度に苦手でクラス最下位レベルという現実に直面します 。一方で、国語(現代文)は「答えがすべて文章の中に書いてある」という感覚を持ち、学年トップクラスの成績でした 。これは小さな時からお母さんが本を与えてくれたことに鳥山さんは感謝していました。理系大学の受験に全敗した後、3月末の最終日程で近畿大学経営学部に合格し、進学します 。

大学に進学したものの、髪を金髪にし、サークルや飲み会に明け暮れる「典型的な大学生」の生活を送っていた鳥山さんに 、大学1年次の秋、大きな精神的危機が訪れます 。

自身が出演したバンドライブの映像を客観的に見返した際、ステージの上に立つ自分が「言葉もパフォーマンスも中身がなく、恐ろしいほど薄っぺらい」ことに気づき、猛烈な自己嫌悪と恥ずかしさに襲われたのです 。「自分は何のために生きているのか」と悩み抜いた鳥山さんは、人前に出ることができなくなり、部屋にピタッと引きこもって大学にも通えない日々を過ごしました 。

現場に飛び込んだ「東京」と「ヨーロッパ」での開眼

引きこもり生活から抜け出すきっかけとなったのは、自らの目と耳で「現場」を確かめる行動でした 。大学2年次のゴールデンウィーク、東京の下北沢などのライブハウスを自ら巡り、音楽の最前線の空気感を体感した鳥山さんは 、「人が言っている噂や情報ではなく、自分が現場で直接感じた一次情報を言語化して語ることの圧倒的な強さ」に開眼します 。

「もっと本物の現場を見たい、インプットしたい」と強く感じた鳥山さんは 、大学を1年間休学することを決意 。コールセンターの営業アルバイトで猛烈にお金を貯め 、2007年6月、21歳で単身イギリス・ロンドンへ渡航しました 。

英語も話せない状態での渡航でしたが、ロンドンに滞在しながらライブハウスやクラブ、野外フェスを巡り 、さらにはスペイン・バルセロナへ足を運んで幼少期からの憧れであったサグラダ・ファミリアに対面します 。建築の壮大さと圧倒的な存在感に涙を流して感動し 、「本物の現場に触れる体験」の尊さを全身で噛み締めました 。

しかし同時に、ただ海外で刺激を受けるだけの自分に悔しさも芽生えます 。「インプットして感銘を受けているだけではダメだ。自分自身の手で価値や体験をアウトプットし、発信側にならなければ意味がない」と痛感し 、約4ヶ月の滞在を経て帰国しました 。

学生起業と「音動 – ondo -」の誕生

帰国後、自らイベントの企画や主催、音楽や映像、写真、イラストなどのクリエイティブ活動を本格化させた鳥山さん 。周囲の学生が就職活動を始める中 、「自分は既存の組織に就職するのではなく、自分で事業を立ち上げる」と決意します 。

2009年3月、近畿大学の仲間4人とともに学生起業として「音動- ondo -」を創業しました 。

社名である「音動(おんどう)」は、音楽の「音」と動画の「動」に由来しています 。当時、撮影、編集、音響、イベント企画といったクリエイティブ業界は強固な縦割り構造にありました 。鳥山さんたちは「業界の垣根や枠組みをすべて取り払い、音楽も映像もイベントもボーダレスに手がけ、感情が動く空間をトータルでプロデュースする文化を作りたい」という熱い想いを込め、この社名を名付けました 。

大学卒業後、創業メンバーたちの道が分かれる中でも鳥山さんは一人残って事業を継続し 、2011年10月5日、25歳の時に「株式会社音動(ONDO Inc.)」として正式に法人化を果たしました 。

【2010年頃の鳥山さん】

■ 試練と絶望を越えて:経営危機、失踪、そして「真の経営者」への脱皮

労働集約の苦闘と、2021年の絶望的な危機

法人化を果たしたものの、創業初期から2014年頃までは極めて厳しい経営状況が続きました 。単価が低い労働集約型の受注仕事が多く、どれだけハードワークしても利益が出ず 、タクシーにも乗れずに梅田から何キロも歩いて帰るような日々でした 。それでも仲間の助けを受けながら愚直に泥臭く現場をこなし 、2015年頃から徐々にレギュラー案件を獲得して組織としての形を整えていきました 。

しかし、会社が設立10年目を迎えた2021年秋、鳥山さんに人生最大の経営危機が襲いかかります 。

当時、コロナ禍のオンライン配信需要の急増により事業自体は急成長していたものの 、鳥山さん自身の「個人の勢いとキャラクター任せ」の経営スタイルが限界を迎えていました 。資金繰りの悪化や経営判断の誤り、組織の不協和音が重なり 、信頼していた従業員や仲間たちが一斉に会社を去っていったのです 。

引き継ぎもないまま残された納品トラブルや顧客からのクレーム対応に追われ 、「自分は一体誰のために、何のために経営をしているのか」と完全に自信と目的を見失った鳥山さんは 、2022年1月の正月明け、精神的に追い詰められてスマホの電源を切り、車で当てのない失踪を試みました 。

仲間と顧客に救われた命と「再出発」

死すら覚悟して広島付近を彷徨っていた際 、ふとスマホの電源を入れた瞬間、異変に気づいていた経営者仲間(i-plugの中野智哉さんら)から電話がかかってきました 。位置を特定した中野さんや経営者仲間(大脇晋さん、上野さんら)は 、即座に新幹線で広島へ駆けつけ、逃げようとする鳥山さんを保護しました 。

その夜、ホテルの部屋で鳥山さんは一生分泣きながら、仲間たちと語り明かしました 。「お前を一人には絶対にしない」と怒り、寄り添い、大阪まで車に同乗して連れ戻してくれた仲間の存在に 、鳥山さんは「自分はどれほど多くの人に生かされ、支えられているのか」を涙とともに心に刻み込みました 。

さらに、組織が崩壊して窮地に立たされていた鳥山さんを救ったのは、お客様からの変わらぬ信頼でした 。当時Plug and Play Japanの藤本あゆみさんらを訪ね、状況を正直に謝罪した際 、「経営をしていればハードシングスは誰にでもあります。私たちができるのは仕事を頼み続けることです」と励まされ、以前以上にお仕事を任せていただいたのです 。

「自分一人の力で生きてきたのではない。仲間とお客さま、ご縁に生かされて今がある」

極限の絶望とどん底を味わった鳥山さんは 、自らの過去の過ちや未熟さと正面から向き合い 、これまでの「勢いだけの経営」を完全に捨て去り 、誠実で責任ある真の経営者として生き直すことを深く誓いました 。

■ ONDO Inc.の事業とビジョン:「世界をもっとエモーショナルに。」

「場と文脈」を創り出す2つの事業ドメイン

試練を乗り越えたONDO Inc.は 、現在「 Making the world more emotional.(世界をもっとエモーショナルに。)」をミッションに掲げ 、「人と人が繋がるきっかけを共創する。」というステートメントのもと 、2つのコア事業を展開しています 。

  1. Culture Development(カルチャーデベロップメント事業)
  • 人・地域・企業・文化を繋ぎ、新たな文化と挑戦を育てる事業 。
  • 国際カンファレンス「GLOBAL BIOCHAR EXCHANGE 2025」や「みずほ関西・共創フェス」、東京都主催プロジェクト、Audi新車発表会など、スタートアップや大手企業、行政のメガイベントにおける企画・演出・クリエイティブ制作・当日運営をトータルプロデュースしています 。
  1. Venue Making(ヴェニューメイキング事業)
  • 人と人が繋がり、新たな価値が生まれ続ける「場」を作る事業 。
  • 2021年10月、東京・恵比寿に本格的なライブ配信・動画収録設備を完備したハイブリッド型イベントスペース「STUDIO VIZZ EBISU」をオープンし、自社運営を行っています 。さらに「Sakura Deeptech Shibuya(SDS)」の運営サポートなど、コミュニティが交わる空間の活性化を推進しています 。

 【2025年サウジアラビアにて】

【会社概要】
■社名:株式会社 音動 | ONDO Inc.
■設立:2011年10月5日
■代表者:代表取締役 Founder / CEO 鳥山 郷
■拠点:
・大阪支店:大阪府大阪市中央区淡路町3-4-1 第二加地ビル202
・東京支店:東京都渋谷区恵比寿1-19-19 恵比寿ビジネスタワー 1F / 10F(STUDIO VIZZ EBISU)
・鹿児島なんぐう支店:鹿児島県肝属郡錦江町神川3306-4 旧神川中学校 2F
・本社登記:大阪府大阪市港区三先1-17-41
■URL:https://ondo-japan.com/

【新令和経営道場2026年4月】

鹿児島・錦江町からサウジアラビアへ:グローカル共創のエコシステム

鳥山さんが現在、最も情熱を注いでいる領域の一つが、ローカル(地域)とグローバル(世界)をダイレクトに結ぶ「グローカル共創プロデュース」です 。

2026年1月、ONDO Inc.は鹿児島県錦江町の旧神川中学校跡地に「鹿児島なんぐう支店」を開設しました 。地域に根ざした関係人口の創出や事業共創を目指す中 、2026年4月には杉浦の呼びかけにより、2ヶ月という驚異的なスピードで錦江町への「おたけびツアー」を開催しました 。

ツアー当日は、錦江町長をはじめ役場関係者や地元の農家の方々、全国から集まった経営者たちが一堂に会し 、元中学校の教室での議論や懇親会を通じて、地域側と訪問者側の双方が感情を激しく揺さぶられる熱狂と高揚感が生まれました 。「自分たちの営みを見に来てくれたことが何より嬉しい」と喜ぶ農家の方々の姿に 、鳥山さんは「これこそが自分が人生で見たかった風景だ」と心から震えたといいます 。
南日本新聞記事:「世界をもっとエモーショナルに。」イベント・クリエイティブ制作のONDO Inc.が、鹿児島県錦江町に「鹿児島なんぐう支店」を開設。旧神川中学校を拠点に、地域と都市を繋ぐ“共創”プロジェクトが始動。

【錦江町ツアー2026年4月】

このツアーをきっかけに地域との信頼関係は一気に深まり 、単なるイベントにとどまらず、地元産のお茶を鳥山さんが直接サウジアラビアへ持ち込んで現地で現地プロモーションを行ったり 、大隅半島全体を舞台にした「めぐるおおすみアートweeks2026」の共催・プロデュースに携わるなど 、持続的なビジネスと共創のプロジェクトが次々と芽吹いています 。

事業の広がりに合わせ、ONDO Inc.はコーポレートガバナンスと定款を改訂し 、事業項目を従来の4項目から「飲食業」「宿泊業」などを含む20項目へと大幅に拡大・整備しました 。イベントや映像制作という従来の手法を手段として駆使しながら 、都市と地域、日本と世界を結びつけ、挑戦が連鎖するエコシステムを構築しようとしています 。

■ 取材を終えて(代表世話人・杉浦の目線)

鳥山郷さんという男の真価は、その「泥臭い人間味」と「何度倒れても立ち上がる強さ」にあります 。

幼少期の裕福な暮らしからの暗転、学生時代の引きこもりと自分探しの旅、そして創業後の挫折と失踪劇—— 。普通であれば足がすくみ、諦めてしまってもおかしくないほどの壮絶な修羅場を彼は潜り抜けてきました 。しかし、彼がどれほどどん底に落ちても見捨てられなかったのは、彼自身の根底にある「素直さ」と「人に対する圧倒的な愛嬌」、そして周囲をパッと明るくする天性のエンターテイナー性があったからです 。

2022年の絶望から彼を救い上げた中野さんをはじめとする経営者仲間たちや顧客の存在は 、鳥山さんがこれまで撒いてきた「人をごまかさずに向き合ってきたご縁」の結晶そのものです 。

極限の失敗を経験したからこそ、今の鳥山さんは他人の痛みや挑戦する人の孤独に誰よりも寄り添うことができます 。「誰にでもやり直しの機会があり、挑戦できる世の中にしたい」と語る彼の言葉には、机上の空論ではない、命を張ってきた男ならではの重みが宿っています 。

鹿児島・錦江町で見せてくれた、地域の人々と全国の経営者が肩を組み、大声で笑い合い、未来を語り合ったあの瞬間 。AIやデジタルがどれほど進化しようとも、人間が直接出会い、肌で感じ、感情を爆発させる「現場の熱量」に勝るものは絶対にありません 。それこそがONDO Inc.が提供する最大の付加価値であり 、鳥山郷というプロデューサーの真骨頂です 。

大幅に定款を広げ、地域と世界を繋ぐ大きな未来へ向かって再び力強く走り出した鳥山さん 。彼の創り出す「エモーショナルな場」が 、これからも日本中、そして世界中にたくさんの温かい感動と挑戦の連鎖を生み出していくことを 、私は一人の近くにいるおじさんとして、そして応援者として、心から信じ、伴走し続けたいと思います 。感謝。

■ 鳥山さんからのメッセージ

最高です!!!!!!

杉浦さん、改めましてこの様な機会をいただきまして、本当にありがとうございます!インタビュー記事のサンプルをお送りいただいた時、僕は外出先(沢山の人が乗車する電車の中)だったのですが、自分自身をこんなにもご丁寧に紐解いていただいた事があまりにも嬉しくて、感動し過ぎて涙を必死で堪えておりました。

杉浦さんにすぐにメッセンジャーで状況を送った時に追い討ちをかける様に「泣かんと!大声で!」の即レスに、次は吹き出してしまいそうにもなり必死で堪えました。笑

 文中にもいくつかエピソードがございましたが、僕自身は今までの失敗や成功の経験が無ければ、現在の様な「挑戦を肯定する前向きな思考」にはなれていなかったと思います。じっくり振り返ってみると、幼少期は本当に親に大事に育てていただいたなぁと思いました。親があの頃大変な状況だった事実を直接聞いたのは30代になってからの事だったのですが、僕たち4人の子どもに対して1ミリもそんな辛い状況を感じさせずに、幸せな日常を作っていただいていた事は、人生の大先輩としても尊敬しておりますし、大変感謝しております。良い思い出しかないです。また、20代の頃の僕の言動はとても尖っていて、何事に対しても「自分の力で出来た」「自分だったから出来た」と思っておりました。しかし、それは大きな勘違いで、「何もかもを周りの方に与えていただいていた」が正解でした。これに気が付くのにも随分と年月が掛かってしまいました。

 これからの40代。

僕は自分が大切だと思える方々と過ごす時間や、切磋琢磨出来る環境を大切にして、一番やりたい事・成りたい姿で世界へ勝負をする10年にいたします。これまで関わってくださった方々に「大爆笑」をしていただく事が出来る様なインパクト満載の結果を必ず出します。

 そして、自分や目の前の事ばかりに追われるのではなく、事業を社会へ実装して、世界中で全力を尽くします。あと大声も!出し続けます!笑

 最後になりましたが、ここまで僕のインタビュー記事を読んでくださった皆さまにも感謝を申し上げます。ありがとうございました。

またどこかでお会いいたしましたら一緒に叫びましょう!!!!!!!!!

 

この度 インタビューを受けてくださった、鳥山さん、あるイベント会場で、大きな声を聞いて初めて鳥山さんの存在を知ったことがあります。視覚より聴覚が先。この珍しい存在感の出し方も鳥山さんらしいと思います。
『皆さーん! 2つの目で私のスマホレンズを見てください!』

『後ろの列の方!もうちょとぎゅっとなってくださいね!』

『皆さーん! 大きく目を開けて!!!!はいチーズーーーーーーーーーーーー!!!』
と文字では言い表せない数分間があります。

集った全員が大笑い、素敵な笑顔になった写真は私の宝物です。残念ながら、鳥山さんの本業ではないのですが。。。

サービス精神がフルマックス、声を聞いただけで、あの写真撮影の人?と言われながらも大きなご縁の輪が確実に、日本のみならず世界に広がっていくことを確信しています。そして楽しみです!