【今週の自戒】一日一善以上で行こう!

ー杉浦佳浩

【今週の自戒】一日一善以上で行こう!


2026年 08月 24日

【今週の自戒】
一日一善 以上で行こう!

写真の言葉、全文を以下に。

わたしは無駄に
この世に生れてきたのではない。

また人間として生れてきたからには
無駄にこの世を過したくはない。

私がこの世に生れてきたのは
私でなければできない仕事が
何か一つこの世にあるからなのだ。

それが社会的に高いか低いか
そんなことは問題ではない。

その仕事が何であるかを見つけ、
そのために精一杯の魂を打ち込んでゆくところに
人間として生れてきた意義と
生きてゆくよろこびがあるのだ。

昭和35年に発表された、相田みつをさんの
作品だそうであります。

精一杯の魂を打ち込んで
そのことがどなたかの
心に響き喜んでもらえること

それがどんなことでも良い
それが一日一善かなと思います。

自分だけが喜ぶのではなく
ありがとうと言ってもらえる毎日。

何か一つ、毎日の積み重ねを
一善以上の毎日に。

たくさんの相談をもらえる幸せ
先日のご相談は、
さすがにないなぁと思ってましたが、

ひょっとして?
とお久しぶりの経営者さんに聞いてみる

対応できるかわからないが
杉浦さんの頼みだったら
まずは聞いてみますよ。

相談された方に、経緯を説明、
えらく喜んでもらえて、
私はここまで。
これ以上は私の出番はなし。

自分なりの一日一善を果たすことができ
次の相談、次の相談へと
動きを止めないで動き続ける。

相田さんの言葉に勇気と元気をもらい
また頑張ろうと思います。
今週もよろしくお願い申し上げます。

【あったかい座ぶとんのような
青山俊董(しゅんどう)氏のに響く言葉より…

《おてんとうさまの ひかりをいっぱい吸った あったかい座ぶとんのような》(相田みつを

寒い日、来客にひなたに干してあった座ぶとんを勧めた。
座るなり「あったかーい」 と喜んでくれた客の声を聞き、相田みつをさんの座ぶとんの詩を思った。

修行の道場は大部屋生活である。
「私が主公」という顔をして座ぶとんに座りたいばかりが揃うと、とかく波立っておだやかでない。
座ぶとん役になれるが一か二いることで何とか波はおさまる

座ぶとんの配役は下に敷かれるという配役である。
下に敷かれながら、ときに姿まで 隠してしまう存在である。
全く自己主張なく下に敷かれながら、しかもそのの全身をやわらかくふんわりとあたためる役。

ああ何とすばらしく、また何と難しいことであろう。
精神的に大として成熟したにして、はじめてつとめうる配役であろうと思う。

『あなたに贈る 生の道しるべ 続・ことばの花束』春秋社

中国に「三宝」の教えというものがあるそうです。
三つの宝。
一つは、いつくしみ、慈だと。
一つは、倹、つまり、自分の私をなくすこと。
三つ目が、を前に出すことだという。
これが、三つの宝の一番、素晴らしい宝だそうです。
自分が前に出ようとしない、を前に出すこと。
それは、肩の力がまったくない。
魅力的な方ってのは、何といっても、肩の力が抜けている、身構えのない

以上、(随処に主となる: 自分の生を自分が主公として生きる /致知出版社)より

座ぶとんの配役は、自分が前に出ようとしない、を前に出すことができる
それは、身構えないであり、肩の力が抜けているだ。

また、森信三師は、「下座行(げざぎょう)」についてこう語っている。
『そもそも一間が、そのの真価より、はるかに低い地位に置かれていながらそれに対して毫(ごう)も不満の意を表さず、忠実にその任を果たすというのが、この「下座行」の真の起源と思われる。』

昨今は、自己アピール全盛の時代だ。
自分を知ってもらわなければ、不当に評価され冷や飯を食わされる、と自分を必要以上に大きく見せるも多い。
それとは、真逆な考え方が、この「下座行」であり、「を前に出すことができる」だ。

どんなに低く見られようと、それを、微塵(みじん)も不満に思わず、自分より他を立て、自分は気配まで消して黒子に徹する。
そして、をあたたかく包む。
まさに、いつくしみのであり、慈愛だ。

「あったかい座ぶとんのような」という言葉を胸に刻みたい。

上記の【あったかい座ぶとんのような】については人の心に灯をともすより引用しています。