【今週の自戒】 人としての基本そして初心
2026年 04月 06日

【今週の自戒】
人としての基本そして初心
4月1日になりまだ1週間経過していないものの
ありがたいことに新入社員の方々と触れ合う機会が
既に4回ありました。
ありがたい、ありがたい毎日に感謝です。
ある会社の社長さんが新任社員に向かって
祝辞として述べていらっしゃったことが
私自身にも響きました。
人として社会人としての
基本は新入社員の時だけではなく、
いくつになっても基本を大切にしていくこと、
そのようなお話でありましたが、
基本についてまずは自分の中で今一度、
記しておきたいと思います。
会社に出社すれば、
おはようございます!
新人の時はもちろんのこと社長自らが
おはようございますと
社員の皆さんに発信している会社は
元気が出てきます。
人間関係を円滑にしていくために、
はじめまして、よろしくお願いいたします、
失礼いたします、お疲れ様でした
移動の時に、
行ってきます ただいま おかえりなさい
感謝・謝罪を言葉に、
ありがとうございます すみません
ごめんなさい 恐れ入ります
食事の時に、
いただきます ごちそうさまでした
年齢が若い方よりも、
年長や肩書がある方が
率先していると元気、活気が出てきますね。
人としての基本を年齢関係なく、
無意識に自然にできる大人でありたいです。
その基本の先に初心。
入社式で見かけた
【緊張】が服を着て歩いている姿、
初々しい。
あの時全てを削ぎ落とされ
頭が真っ白になった時に
発する言葉こそ初心からくるものであり
その初心を幾つになっても継続することが
魅力につながる。
初心は乾いたスポンジのように吸収できる
幾つになっても受信機がオンである人に
ニコニコ顔でありがとうございますを基本に
愛ある毎日を過ごす1週間に
今週もよろしくお願い申し上げます。
【魅力とは何か】
城山三郎氏の心に響く言葉より…
魅力とは何か、非常に定義しにくい言葉です。
けれども逆に、《魅力がない》とは何かを考えてみると、こちらはわかりやすいですね。
魅力のない人とはどういう人か、みなさんの周りを見回しても割に多いんじゃないですか?
つまり、型にはまった人ですね。
これは魅力がない。
周りに大勢いるということは、人間はつい、すぐに型にはまった暮しをしてしまうのです。
あるいは、型にはまった人間になってしまうのです。
型にはまる、というのを《椅子(いす)》と置き換えてもいいでしょう。
日本の会社をのぞいてみますと、平社員だと小さな机に座っている。
係長になると少し大きくなって、課長になるともっと大きくなる。
社長になるとものすごく大きな机に座る。
態度も椅子に比例してだんだん大きくなっていきます。
平社員のうちは小さくなっているけれども、机が大きくなるにつれて尊大になってきて、社長になるとふんぞり返っている。
こういう人間は詰まらない。
椅子に支配されたり、椅子をかさにきたり、椅子に引きずられたり、そんな人間がいちばん魅力がありませんね。
とすると、椅子の力とは全く関係なしに生きている人間ほど魅力的だ、と言えるかもしれません。
比喩(ひゆ)的に《椅子》と言いましたが、しかし、自分の置かれた立場に対して賢明に生きている人間も、これはこれで魅力的なのです。
昔、車掌がいた時代は、春にバスに乗るのが好きでした。
新米の車掌さんが一生懸命やっていて、時には間違えたりもして、赤くなったりおどおどしたりもしながら、なおひたむきに働いている。
非常に初々(ういうい)しくて、目にも耳にも心地よく、乗客のサービスになっていると思うくらいでした。
とにかく自分は新人なのだから、必死で頑張らなくちゃいけないと懸命になっている。
これが5年経ち、10年経つと、かなりいい加減になってきて、間違えても平気な顔をして、という具合になってきます。
つまり、魅力を作っているのは《初心》というものなのですね。
仕事に対してだけでなく、生きていく姿勢としての初心、初々しさ、というものはいくつになっても大事なんじゃないか。
初心を持ち続けるとは、どういうことでしょう。
あるいは、ずっと初々しくある、とはどういうことでしょう。
これは、自分に安住せず、自分というものを無にして、人から受信し、吸収しようとする生き方です。
逆に、政治家にそういうタイプが多いのですが、発信機能だけが肥大して発達し、受信機は故障している人がいます。
とにかくしゃべることはものすごくしゃべるけれど、人の言うことを全然聞かないというタイプ、あれも魅力がありませんね。
もちろん発信もしなくてはいけないけれど、同時に受信する能力も長(た)けていないといけない。
今ある自分に安住しない。
それが初心というものにつながっていく。
『少しだけ、無理をして生きる』新潮文庫
「是非の初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。」(花鏡・かきょう)
と言ったのは、600年前に能を大成した世阿弥(ぜあみ)。
「是非の初心」とは、未熟だったときの芸を忘れない、ということ。
「時々の初心」とは、その年齢、その段階では初心者であり、そのことを忘れない、ということ。
「老後の初心」とは、老年になっても初めて経験する芸もあり、そこにも初心がある。年を重ねたからと言って慢心してはいけない。
つまり、いくつになっても、その年齢やその段階での初心がある。
初々しい心は、初心ということでもあるが、「初々しさ」とは、素直さのことでもある。
松下幸之助翁は、「素直な心」をこう定義している。
『素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心であります。
また、静にして動、動にして静の働きのある心、真理に通ずる心であります』
初心を忘れず、魅力ある人を目指したい。