第133回ご縁結びのコーナー 株式会社SOYMIL 佐藤さん 自分の人生を自分で選べる人を輩出する企業家を目指している未来に向かって楽しみな方なんです!
2026年 02月 11日
今回は株式会社SOYMIL代表の佐藤さんのインタビューをお届けすることになりました。ホームページを拝見していると、どこにも自分の人生を自分で選べる人を輩出することを掲げている部分は無いかと思いますが、事業を通じて人づくりを徹底的にやっていく会社を作り上げようと頑張っていらっしゃるのが今回の佐藤さんになります。出会ってまだ2年と少し、日付は浅いのですが、素晴らしい笑顔でいつも私に接してくださって、またなかなか人には言えない深い課題を私にもどんどんぶつけてくださる方で、時間では測れないお付き合いをしてくださっている素晴らしい経営者でいらっしゃいます。このコーナーにおいて今までで最長のインタビュー時間となりました。それくらい価値があり時間を費やし話してくださったこともなかなか文字にできない部分も多かったりする貴重な機会でありました。今回の佐藤さんのインタビューをたくさんの方々に見ていただきたいなと思います。自分の人生を選択できず、淀んでしまっている方々も多いと私は会社員人生で見届けてきました。周囲に流されずに、自分で自分の人生を切り開いてこられている佐藤さんの話が単純な経営者のインタビューではないことを、冒頭からお伝えできたらと思いました。
佐藤さんの略歴
・1989年9月 青森県むつ市生まれ
広島、千葉、徳島、神奈川を転々とする
・2008年4月 早稲田大学 政治経済学部入学
・2013年9月 早稲田大学 政治経済学部卒業
(中国)復旦大学新聞学院卒業
・2014年4月 三井住友銀行入行
・2017年8月 学生起業した友人会社へ転職
(中国事業の立ち上げ)
・2018年6月 事業閉鎖と約1年の放浪の旅
・2019年5月 前身となる会社の設立
・2020年3月 現SOYMIL事業の開始

【佐藤さん】
◆出会いを作って下さったのは川元さんでした
佐藤さんをご紹介してくださったのは川元さんになります。川元さんはSMBCベンチャー会を立ち上げたメンバーの中心人物で、そのSMBCベンチャー会のメンバーであり、川元さんの次の世代を引っ張ろうと頑張っていらっしゃるのが今回の佐藤さんになります。銀行を退職して起業家として頑張ろうとしている後輩を慮って私に紹介をしてくださいました。川元さんは私にとって血のつながっていない甥のような存在で、20歳ほど年は離れていますが、私にニコニコしながらいつも楽しい話、新しいご縁をつないでくださっている素敵な方であります。

【2023年8月川元さんの紹介で佐藤さんと】
◆小さい頃に転居を6回、そこで培われたコミュニケーション力と洞察力
佐藤さんの生まれは青森県むつ市、そこから6回の引っ越しを子供の頃に経験したそうです。お父様が海上自衛隊の自衛官でいらっしゃった関係で、青森、広島、千葉、徳島、神奈川を点々とする経験をしました。お父さんの仕事を見ていて、命令1つで家族とどこかに転居しないといけない。そのような生活スタイルを小さい頃から自分の人生を選べるような人生を歩みたいということをぼんやり思っていましたが、家族には理解をされなかったそうです。引っ越しを重ねることによって友人関係のリセットを体験し、そのためには早い段階で相手と仲良くなる、周囲と仲良くなるそのような特技を身に付けることになっていきます。その先でこの人はどういう人なのか?という洞察すること、そして分析すること、そこから周囲と仲良くなるためのコミュニケーション力を身に付けていくような子供時代だったようです。
◆小学校時代に身に付けていた突破力
子供ながらいつ友人関係がリセットされるかわからない、先が見えない子供時代を過ごしていたからこそ、達成感を早い段階で感じたい。おそらくこの環境のおかげで実行力と実践力が身に付いたような経験を教えてもらいました。転々としていた、その時その時に記憶に残るような行動をやってみたいとおそらく思っていたからこそ、面白いことを小学校6年生になったときに友人達と大きなプロジェクトを実行します。それは竪穴式住居小学校の裏山に作ったお話。小学校の先生に何かを相談したわけでも、了解を取ったわけでもなく、面白そう!と友人たちと一緒に竪穴式住居学校の裏に作ってみようと話し合い、すぐに行動に移し、実際に穴を掘ってみるとそこそこ大きな穴になっていたところ、学校に了解も得ずに、歴史博物館にこういう穴を掘ってみましたと相談をと直接に連絡、それは小学校の授業の中の一環で作ったものか?と聞かれたそうですが、そうでは無い状況を伝えると、歴史博物館の方から小学校に相談があり、このプロジェクト学校を通じてオフィシャル化した活動にすることとなっていったそうです。何も考えず、まずは行動に移すところから、人生の選択を自分でしていこうと言う現在の佐藤さんにも通じる話だと思いました。

【2025年8月】
◆中学高校時代の佐藤さんについて 明確に自分で選択をする人に
行動力を実践していた小学校時代からさらに磨きがかかるのが中学高校に移ってからの佐藤さん。インタビューしている中で、キーワードとして浮かんできたのは留学。親御さんの勧めで、中学1年生の時に短期間ながらホームステイの経験を中国ですることができました。このときの中国は、経済成長が著しい時に国際的な情勢を見聞きすることの重要性を感じ取ったそうです。高校への道は公立高校でありながら、外国人の先生がたくさんいるような海外を意識する教育を重んじている高校を選択し入学することに。高校時代でも、2年生の時に神奈川県の派遣プログラムで中国を訪問し、この頃は日中関係が冷め切った最悪の時で国と国との関係の違いを感じ、多面的に物事を見る視点を養うことができました。この留学経験から中国の人たちが早稲田大学が良いと言っていることを耳にし、そこから他の大学に興味を持たず、早稲田大学1択で受験勉強をし、政経学部の難関を突破するに至ったそうですが、受かるでしょ!と全く不安もなかったそうです。
スポーツにおいて中学生時代に没頭していたのが、水泳部の活動で、この時に物事を選択し分析する力を発揮していました。競争相手が少ない200メートル背泳ぎの部門にエントリーし、決勝まで行っていたそうです。佐藤さんが自由形を選択していたら、おそらく決勝にも行けなかったと思っていますと話してくれました。ご自身では正面突破を避ける感覚があったと言ってましたが、私からすると分析力があったからこそ決断ができたのではないかと思っています。

【ガッツポーズの佐藤さん】
◆大学時代に打ち込んだこと 好奇心が大切 そして就職へ
どんな大学生時代でしたか?と尋ねてみると、フラフラしてましたとニコニコ顔で答えてくれました。どんなことに打ち込みましたかと尋ねてみると、中国への留学・バックパッカー、そして個人事業主としても活動したアルバイト活動と3つ返ってきました。中国への留学は私でも聞いたことがある復旦大学を1年間の留学で学び卒業をされたそうです。バックパッカーは世界中を旅して絶妙なコミュニケーション力と洞察力を活用し、見知らぬ国の見知らぬ家庭に飛び込んでご飯を食べさせてもらったり、いろんな方々とご縁を創っていったそうです。
アルバイトに関してはホームページの制作のお手伝いを個人事業主でやったりしながらも、飲食店のアルバイト、これはおそらくコミュニケーション力を発揮する、また学ぶことにもなっていったと思いました。私が1番興味を引いたのは塾講師でのアルバイトでした。当時400名から500名位の生徒さんの面倒を見る仕事をしていて、どんなに一生懸命お得意のコミュニケーション力で接しても勉強に打ち込めない子供たちいる一方で、一生懸命接したことから心に火がつき机に向かい、結果が出てきた子供たちもいました。その双方を見ているうちに、佐藤さんは好奇心の大切さを学ぶことができたと話してくれました。人間は可能性を信じて頑張るか頑張らないか次第で、次のステップに行き、人生を選択できるようになっていく。この好奇心を育むことが人間において常にポジティブに上昇思考になっていくと感じ入ったそうです。この経験は私も大きいなと思いました。
大学4年生の時に就職に関してイメージができず、1年先送りすることを決心し、もう一度自分と向き合い、自分がやってきたキャリアを生かせる仕事を考えていた際に、三井住友銀行に早々から内定をもらえたそうです。長期のインターンを銀行でしているうちに、川元さんの盟友である齋藤健司さんにも会うことができ、こんな素晴らしい人がいるんだったら、ここで仕事がしたいと思えるようになりました。後日談でありますが、齋藤さんのような素晴らしい人はそんなに多くないことにも気づいたそうです。笑

【最前列真ん中左側に佐藤さん経営道場2025年11月】
◆銀行時代の大きな出会い、一つは支店長、もう一つはお客様
銀行に入って、佐藤さんは自分だけなんでこんなところに?と言う経験をします。同期のメンバーは都会の一流店に最初の配属が決まりますが、佐藤さんはみんなが通う都会とは真逆の逗子支店に配属となりました。担当エリアに企業があんまりない住宅エリアの店舗への配属。少し腐り気味で1時間30分もかかって職場に通っていたそうでありますが、その時の支店長が素晴らしい方でこの店舗で経験することはもう二度と佐藤くんの今後のキャリアではないこと、せっかくだったらここで徹底的に今後経験する事は無いかもわからないことに一生懸命やってみたら?腐っちゃだめだ!と言ってもらえた。与えられた環境でできることを徹底的に吸収しようとしてみたらどうだ?という言葉に奮起し、人生に無駄は無いということを経験することができました。素晴らしい上司との出会いに感謝していました。半年間逗子支店で窓口業務やお年寄りの対応等経験した後に、次は横浜法人部に異動となり、やっと一人前の仕事ができると喜んで転勤したそうですが、ここでも花形の新規営業や大口のお客さんを担当することではなく、銀行としてはもうほとんど新たな付き合いができないような厳しい経営環境のお客様を担当する部門に行ったそうです。お客さんとの関係性も冷え込んでいるものが多く、訪問の約束をしても、1時間以上待たされるような冷遇をされる。必要書類を依頼しても用意して簡単にもらえないような冷え切った環境の中でお客様と向き合うことになります。銀行マンとしてできる仕事はほとんどない中でお客様と向き合うことを一生懸命やっているうちに学生時代のアルバイトで培ったホームページの改善や金融以外のお客さんの本業お手伝いをやってみることにチャレンジすると、中には経営が改善したり、喜んでもらえることが経験できる状況になっていったそうです。この最初の2年半の中で上司に恵まれたこと、お客さんに恵まれたことを佐藤さんは感謝されていました。しかし、会社員の限界を感じる部分もあり、退職する選択も頭の隅にはあったそうです。
◆退職を決意する決定的な転勤 しかし、一般的には栄転でしたが
横浜法人営業部で頑張った後に辞令が佐藤さんに言い渡されます。それは営業店でもなく、SMBCの組織内での転勤でもありませんでした。グループ会社のある部門、さらに特殊な職種として転勤することになります。過去頭取や役員たちが肝入りで、銀行員の国際的な目を養うために作ったある部署に行くことになり、そこではある先生(銀行の顧問)の秘書的な立場で仕事をすることになります。そのほかの仕事としては、銀行役員の昇進研修を引き受ける仕事もしていたそうです。この特殊な部署は、海外駐在に赴任するための登竜門的立ち位置の部門であり、過去この佐藤さんと同じ職種を経験した人たちは、海外駐在員として活躍する先輩を排出する部門でありました。会社員的にはエリート候補、素晴らしい部門に配属されたわけでありますが、佐藤さんは退職を決意することを確信した部署に。新役員の研修を見るにつけ、上司のご機嫌を伺うようないわゆるひらめ族と呼ばれる人たちを見て、自分で自分の人生を選択できないことを子供の頃から嫌ってきた佐藤さんにとって、自分に銀行が居場所がない場所としか見えないようになってきました。配属からわずかな期間で人事に退職を願いでることにすると、人事からは説明がつかないと言われたそうです。この時点でこの会社には未練がないと思ったそうです。というのもこの人事の人が佐藤さんのことを思って発言したわけでもなく、自分の保身のために発言する人事の人たちを見て退職を決意して良かったと思ったそうです。ここに私も賛同する次第です。
◆友人から誘われた会社で中国へ赴任することに 急転直下の経験 日本へ
学生時代の友人が起業家となって頑張っている姿を見て、自分もこのようになっていきたいと思っているところで声がかかり、その友人の会社に入って、中国で事業を立ち上げる立場を提供されることになりました。その事業とは、日本からの商品の販売や中国人向けのマーケティングを行う代理店業務的なことだったそうですが、意気揚々と銀行退職から1ヵ月半ですぐに中国に渡り、事業を立ち上げようとしましたが、その会社の日本での主事業の売り上げ減少したこと中国人パートナーが信用できる人ではなかったこと、このことから全くお先真っ暗、うまくいかない状況が、赴任当初から続き、早い段階で中国からの撤退を決断されることになります。一緒に頑張ろうとしていた中国人の仲間との人間関係にも疲れ、佐藤さんもすぐには仕事に復帰できる状況にはなかったそうです。中国の規制が厳しい海外送金の問題もあり、会社を畳んだときにできたお金を元に少し放浪の旅に出ることにしました(友人である経営者さんの決断で)。旅行中にロンドンまで行こうとしていましたが、いつまでも傷ついてダラダラしては良くないと気づき、2019年1月に日本へ帰国しました。
◆ソイミルの前身である会社の設立、そして別れ
日本に帰国して、次の人生の道を探しているときにいろんな会社のお手伝いをしていたそうです。その後、大学の先生から声がかかり、佐藤さん自身のビジネスアイディアを案件化していくことで、稼ぎながら何か方向性を見つけようと実質3名で会社を設立することになります。これが現在のソイミルの前身となっていきます。佐藤さんは出資者とは言え、株式の40%しか持っていなく、お飾り社長であったと話してくれました。いろんなアイディアを実行しようとしていった際に、海外からの訪問ツアーを生業にする会社をやっていこうとして意思決定をしますが、その直後にコロナウィルス問題が発生。これで決定的に売り上げが立たないことになり、共同設立者の2人とも決別することになります。この1番厳しい時に現在のビジネスであるソイミルの構想が生まれてこの2人から株式を0円譲渡してもらい、会社を1年半でリスタートすることになりました。会社員生活を辞めてから3年近く良い事はなかったと言ってくれましたが、自身で考え選択したソイミルのクラウドファンディングだけは大当たりしてうまくいきました。その後機械の不良等で、なかなか事業がうまくいかず厳しい状況が続いたそうです。
◆良いご縁の連鎖になって嬉しく思っています。2023年夏
2023年夏に冒頭にお話しした銀行の先輩である。川元さんが私を紹介するタイミングがやってきた!と世話人の杉浦さんを紹介したいと言ってくれたそうですが、怪しいおじさんが登場するんじゃないかとビクビクしていたそうです。というのもなかなか会社の状況が良くない中でそれを解決できることも簡単ではないと思っていたから。
私自身が何か大きな役割をしたわけではありませんが、私のご紹介からご縁がご縁を呼んで良い方々に出会えるようになっていたそうです。そこから事業の新しい芽が見えて、圧倒的な事業成長できる状況となりました。私が出会った後の佐藤さんは常に笑顔でニコニコしてくださって、その会社の成長ができたことを私自身も本当に嬉しく思っておりました。
しかし2025年はある悪い縁があり、会社自体は相当厳しい状況になったそうですが、今までとは違うのは、自分と向き合うこと、それは小さな頃のたくさんの引っ越し経験から周囲の人に深く踏み込むことができていなかったことを、この時こそ自分の人生を見つめ直し、2025年はその悪縁の相手に踏み込んで話をし、切り抜けることができたそうです。まさにこのような経験ができたことで佐藤さんは経営者として一皮剥けたと感じます。
会社を通じて人生は選択できる。その選択できる人たちをたくさん輩出する会社にするんだと意識し2026年を迎えているそうです。この考え方に私も賛同し、お役に立てたらと思っている次第です。AIが圧倒的に進化するこの数年間で人が人として成長できることが本当に大切な時代に入っていると思います。自分で自分の人生を決められるような人が増えるためにも、佐藤さんのような経営者がどんどん輩出されるといいなと私は思っている次第です。佐藤さんこの度はインタビューをお受けくださり誠にありがとうございました。
◆最後に佐藤さんにコメントをお願いしました
杉浦さん、この度は貴重な機会をいただきありがとうございました。世話人という本業に対して怪しさを感じていたことが最近のように感じています。
これまで私は創業に至るまでの話は冗談っぽく話すことが多かったです。それは、真面目に語ることができずに冗談でしか話せないほど心に深いダメージを受けて立ち直りきれていなかったのかもしれません。
杉浦さんとお話をさせていただく中で、満身創痍に思えるような過去であっても、周囲の助けのもとで難局を切り抜けてきたので、幸運な人生を送っていたことを実感しました。遠回りに思えるような出来事も未来に繋がる糧であるので、過去の出来事に対しても自信をもって生きていこうと確信することができました。
自分の人生を自分で選ぶというのは、簡単なものではありません。
「自由に生きたい」と願っていても、いざ自由に生きていける環境に自分の身を置くと、足がすくむ経験を何度も繰り返してきました。私は大きな失敗を何度も経験してきましたが、どんなに後悔しても辛くなっても人生は続いていきます。
自分で選ぶ人生は、たしかにしんどい。でも、それが「自分の人生」だと思えたら幸せに感じられます。私は、自分が起業した会社組織というご縁の輪で、自分の人生を自分で選べる人を輩出していきたいと本気で思っています。そして、ご縁の輪を広げていくことで世の中に、幸せな生き方を示していくことに人生を賭していく所存です。