第119回ご縁結びのコーナー 幸田 務さん 金融機関から特許事務所に。珍しいキャリアに顧客基点の王道を感じ入りました!

ー杉浦佳浩

第119回ご縁結びのコーナー 幸田 務さん 金融機関から特許事務所に。珍しいキャリアに顧客基点の王道を感じ入りました!


2024年 12月 17日

第119回ご縁結びのコーナー 幸田 務さん 金融機関から特許事務所に。珍しいキャリアに顧客基点の王道を感じ入りました! 

幸田さんがお勤めの正林国際特許商標事務所のHP

2024年5月開催:事業の付加価値創造 と知財戦略!正林代表が自ら語ってくださった貴重な講演録

会社員時代より、たくさんの士業、とりわけ、税理士、会計士、弁護士、社労士、司法書士と企業を取り巻くお困りごとに対して少しでも、経営者のお役に立ちたいと思って関わってきました。そして、多種多様な強みをお持ちの士業の方々に仲良くしてもらえて、お世話になってきました。その中で、弁理士業界とは馴染みがそれほどではなく、知財の大切さを認識していながらもなかなか意思疎通を円滑に運べる弁理士さんに出会うことが少なかった、特許庁が東京だけにある関係で、有力でありかつ多くの人数を抱える弁理士事務所が全て都内に集中している環境から、なかなか巡り合う機会が少なかったことからいつかはお会いしたと思っていました。それが叶ったのが2022年のこと。代表の正林さんはビジネス、マーケティング、ブランディング、そして税務にも精通していらっしゃる素晴らしい弁理士であり、すでに100社ほどの経営者さんをお繋ぎさせていただいているのが現状です。この正林国際特許商標事務所において、フロント(経営接点を担っている)部分をご担当くださっているのが今回の幸田さんになります。まだ2年ほどでありますが、多くの経営者へのお役立ちに関与してくださっています。幸田さんのキャリア、現在のお仕事についてお伝えしたいと思い、インタビューを実施した次第です。

【最近の幸田さん 2024年カンボジアにて】

◆幸田さんはなかなかのキャリアチェンジを決起された方なんです。

新卒から50歳前後までキャリアチェンジをすることがなかった方々、特に金融機関にお勤めで、担当セクションで責任あるマネジメントを任されている立場で退職を決意して新たな、全く違う領域にチャレンジされる方は少ない。そこに踏み込んで一歩を歩み出したのが今回の幸田さんです。ご自身からいただいた、略歴を以下に。

正林国際特許商標事務所 知財・経営支援部長
立命館大学卒業後、1993年に尼崎信用金庫に入庫。
営業店の支店長、地区部長を経て、2017年から本部のソリューション推進部長を務め、
2021年から当所へ活躍の場を移し、商標権を軸とした知的財産権の支援を行っている。

かなりあっさりした感じです。自分のことは控えめにされていることがさらに奥ゆかしく信用信頼を寄せる方が多いのだと納得です。上記に私がお聞きしたことを肉付けしていきたいと思います。

まずは子供時代から。

【2022年10月に大阪にて】

◆子供時代はおっとりしていた。運が良い方。あとは水泳に没頭。

子供の頃のお話をお聞きしていると、今とは全く違う性格だった、おっとりしていた、悪く言うと、ボーッとしていた。30歳を過ぎてから性格が変わったタイプと振り返ってくださいました。

小学校、中学校、高校を通して、努力が嫌い、テストは徹夜の詰め込み型、いつも試験を受けたら全部忘れるという感じ。自己分析では、運が強い、本番に強いと思っていた。

小学校で没頭していたこと、それは水泳。親御さんから『溺れないように』と週三日スイミングスクールに強制的に通わされていた、おかげで小学校時代は水泳の授業ではヒーロー、先生の代わりに模範で泳ぐくらいの腕前、地区の大会で優勝するほどになっていました。中学校でも水泳部に入部するものの、小学校時代のような輝かしい戦績はなく、ここで上には上があること井の中の蛙であるこを悟ったそうです。しかし水泳をやってきたことで、地道にコツコツやることの大切さを体得したことが後の人生に大きかったとお話しくださいました。(当時は嫌だったけど)

水泳は地味だったという幸田さん、華やかなカッコいいスポーツに憧れて、高校ではバレー部に転身。最初は下手だったが練習をすると上手くなって面白かった、ここでも地道にコツコツが活きていると感じた次第です。

大学生時代は、とにかく旅行。それもかなりマニアック。自動車に乗って全国各地を旅し続けて、沖縄以外全てを巡ったそうです。マニアックとは、高速にも乗らずに、ひたすら一般道を走り続け、大阪から博多へラーメンを食べに行く。3週間、1ヶ月車中泊を続けながら1人であちこちに出かける。放浪に近いような旅行をずっとやっていて、就職活動もしていなかったそうです。就職氷河期に入っていたころでもあり活動したのも4年生の8月頃遅いグループで本当に行くところがなかった、バカな大学生だったと振り返ってました。

◆30歳を過ぎた頃から性格が変化 リーダシップを伴ったタイプへ

なかなか就職が決まらなかった大学生時代、信用金庫の採用試験に。会社の状況をあまりリサーチすることなく、『東京支店、東京配属にいけますか?』という質問に『頑張ったら、行けるよ』という面接官の返答で、入社を決めたそうで、後々信金に東京支店があるわけもなく、嘘だったことに気づいたそうです。

信金マンとして社会人をスタート、20代はコツコツ頑張っていたものの、今のように積極的に、笑顔いっぱい、リーダーシップを発揮する感じではなかったそうですが、徐々に実績を伴い、早い段階で出世もしていった30代を過ぎた頃から、今のように快活な感じ、積極性豊かに取り組む姿勢が明確化して行ったそうです。出会って2年半の私には想像が難しいのですが、高校の同窓生からは人が変わったようだというコメントがあるそうです。そもそも同窓会の幹事をやっている幸田さんを信じられないと言うことだと。仕事が良い意味で人を変えていく典型だと感じます。

32歳で支店長代理→35歳で次長→39歳で支店長、3箇店目の支店長となった43歳の時には地区を取りまとめる支店長として配下に支店長が11名いたそうです。もちろん全員が年上だったそうです。45歳の時に本店、本部の部長となり5年間同じ部署にいて、50歳で退職の道を選択することになって行きます。

【大阪でバッタリを体感いただきました!】

◆金融マンとして顧客基点を貫いて、会社へ貢献してきた幸田さん

出世街道をまっしぐら。その実績の裏では、顧客基点ではなく、会社都合で突っ走ってきた人をたくさん見てきました。特に金融機関に勤めている方々に。お客さんに迷惑を掛けても自社の収益を優先する金融マンは本当に多くいます。そんな中、幸田さんの出世スピードは異例と移りますが、当時のことをお聞きするとお客さんが喜ぶことと会社も収益を得ること双方、両立し実績を生んできました。そこが素晴らしい。

不動産収益物件に融資をする際の大きな障壁、それは法定耐用年数。不動産オーナーが要望する長期間に平準化し返済額を低減したいニーズに合致しないことが多い。そこを幸田さんは、経済的耐用年数を適用して、融資期間を引き伸ばすことで、収益物件を購入したいオーナーの要望にフィットさせ、多くのお客さんから支持を得てきました。

また、本来のバンカーらしい人には、決算書や財務諸表には嘘があるという持論を幸田さんはお持ちで、人間性の方が嘘はつかないとキッパリ言い切っておられました。同感です。その人間性を見抜くのは、癖、習慣、を見ていたそうです。

個人宅だったら、布団を日中干している人はOK。

法人、個人含めて、玄関や事務所周辺、トイレが綺麗かどうか、掃除をしているか。

たくさんの経験から見極める方法を体得しておられるようです。

例えば、1週間に3回訪問して、同じ質問を言い回しを変えて質問してみる、その都度、その場限りの返答をする人は信用できない。真面目一辺倒な人はダメだけど、真面目な人を法人個人ともに探していたそうです。

前向きに新たな手法で顧客に寄り添い、人としてリスクの高い人とは付き合わない。金融マンとして王道だと思いました。
幸田さんから、スコアリングを重要視するようになって、金融マンのレベルが低下していることをかなり危惧されていました。

◆信金の本部、部長時代に、正林さんとの出会い 次のキャリアへ

金融マンとして顧客基点で寄り添う努力をしてきた幸田さんですが、新たなチャレンジに向かうきっかけになったこと。それが知財の大切さを中小企業経営者があまりにも無知であること。商標、特許双方をきちんと向き合って事業を行っている経営者があまりにも少ないことに気づきます。

その経緯となったのが、45歳から本部勤務となり、コンサル部門の部長として、付加価値をいかに提供するか、その武器となると確信したのが知財戦略を顧客にコンサルをしていくこと。

知財を武器にしていくことを金融機関の数社と特許庁のプロジェクトに選ばれ、幸田さん自身、知的好奇心がフル回転し前のめりになって行ったそうです。

知的ビジネス評価書を作ること、これにより分析のノウハウ指標についての学びが進んでいき、度肝を抜かれていきます。その相手方にいたのが、特許事務所代表の正林さん。知財戦略を武器にしていくことが素晴らしいこと自信を持って対応している中で、金融機関とのギャップについても気になりだします。幸田さんがやっていたことは、江戸時代の出島。オランダ交易を行っていた出先の人員として最先端の情報に触れていく中で、閉鎖的でまさに鎖国のような自社の状況を憂うようになっていきます。

次のキャリアを考える人が少ない立場でありながら、当時の幸田さんには7社から『うちに来てよ!』と声が掛かっていたそうです。その中でも突出して面白かったのが正林さん。

人生初、東京で仕事をすることは、単身赴任というビハインドも背負うことに。それでも決断をし、出向等でもなく転職の道を選択します。

◆3年経過して、面白いことの連続に。正林国際特許商標事務所について
金融マンから全く畑違いの特許事務所に転職して、今の状況についてお聞きすると。とにかく毎日面白い、かなり自由に動き回っている。サラリーマンには向かない組織だそうで、自立分散型の仕事環境だと感じました。指示待ち族の会社組織の人には難しいと。そして辞めてよかったと心から思っているそうです。良いお話ですね。

退路を立てない人が多い中で素晴らしいと思う次第です。ただストレスが無くなったせいか、10キロ太ったそうです。それはそれで健康的ではありますが。

転職されて半年後あたりに私が出会った際に、幸田さん、正林所長に出会った頃について振り返っておきたいと思います。

幸田さんのご縁を創ってくださったのは、株式会社インシュアランスサービス取締役の福島さんでした。特許事務所の紹介とお聞きして、過去の経験からあまり気乗りしなかったことも事実、私の中では特許や商標を取得するための代書屋さん的位置付けでしかなかったもので。

それが一変したのが、正林さんに出会った時、めちゃくちゃわかりやすい表現で、他の特許事務所との違いを教えてくださいました。

『杉浦さん、お医者さんに行って、盲腸が痛いって行く人はいませんよね。最初からどこが痛いってわかる人はいない。特許も同じ、特許を取りたいということはわかる、【これで】特許をと言われてもそれを判断するのは特許事務所側であり、取得したい人ではない』とキッパリ話されたことです。

どこで特許を取得した方が良いのか?マーケットにフィットするのか?特許とマーケティング、そして経済合理性にまで言及されたのは初めての経験でした。

正林国際特許商標事務所ではまず、特許を取得したい経営者が、事業のプレゼンを行い、そこから、弁理士の方々が、特許取得の可能性、市場価値創造に繋がるのか?事業進展に意味がある取得方法について検討し、特許事務所側から【提案】があります。それを判断するのが経営者という順番であり、すごく理にかなっていると確信した次第です。

この一連の流れにおいて、一番最初、前裁きをやっているのが、幸田さんであり、この事案、経営者にはどの弁理士が最適か?を考慮して段取りをしてくださいます。

所属弁理士だけで80名を超え、職員数が300名の巨大特許事務所にはなくてはならない存在が幸田さんということになります。
まだ2年半ほどで100社以上のご縁をお繋ぎして、皆さん喜んでくださっていることが、幸田さんの付加価値提供をしていくという信念があるからこそと感じている次第です。

◆幸田さんからこれからについても語っていただきました
とにかく、所長である正林さんと働くことが楽しいと語る幸田さん。50歳過ぎてこの環境、心境は本当に大切に感じます。

新規プロジェクトがてんこ盛りだそうで、発明家でもある正林さんのアイデアを事業化、具現化していくこと、それが幸田さん。アイデアが出た瞬間、正林さんの口からは、『早速始めよう!』と言われるそうです。

自分自身を磨いていく、さらに楽しんでいくために、弁理士の資格取得にも動いています。

私の仲良くしている方々ともご縁を繋いでくださって、さらに広がりを創ってくださって嬉しい限りです。ますます知財戦略が大切な時代に突入していく中で、大切な応援団の一人である幸田さんに感謝しています。

【2023年11月私の還暦祝いの会 幸田さんは右列後方に】

◆最後に幸田さんにコメントをお願いしました

この度は私のようなものにこのような素敵な機会をいただきありがとうございます。

ずっと金融機関一筋で頑張ってきました。部長時代、金融機関の業務で初めて知財分析(このころは特許庁の知財ビジネス評価書事業を活用)に出会いその面白さに衝撃を受けたのを今でも覚えています。お客様の持っている特許が本当に価値があるのかを分析する、そのような手法は今まで金融では見たことがなく、技術内容がわからず、お客様からの話をもっともらしくそのまま稟議書に書くといった事をしていた私としては本当にびっくりしたのです。これは金融機関でも広まると思った私はすぐさま特許庁の知財ビジネス評価書事業を自行だけでなく近隣の仲の良い金融機関にも声をかけて回りました。その功績か、特許庁の知財ビジネス評価書の委員会のメンバーに選ばれそこで正林国際特許商標事務所と縁ができました。

その後、知財を金融機関に浸透させようと努力はするものの保守的な金融機関ではなかなか斬新なことは受け入れがたく悶々とした日々を過ごしていましたが、やはり外に出て正林と一緒に仕事がしたい思いが強くなり、50を手前に転職を決意しました。

拠点も関西から東京に移すので生活面、仕事面で多くの心配がありましたが、転職後しばらくして、福島さんに出会い、福島さんから杉浦さんをご紹介いただく等いきなり恵まれた縁を頂くことができました。

うーん!まだ何も努力をしない状態でこんなに素敵な縁をいただいていいのかと少し自問自答しましたが、あまり深く考えるのをやめ、運がよかったと考えるようにしました。

先週、杉浦さんからご紹介頂いた方のゴルフコンペに呼んでいただきました。スコアは下から数えたほうが早かったものの、ちゃっかり牛肉セット、その他もろもろの景品を戴いて参りました。(肉泥棒で次から呼んでもらえないかも)

ご縁から更にご縁がつながる。こんないいことってないですよね。本当に皆様に感謝感謝です。

よくいろんな方からそのまま金融機関に残っていれば役員にも慣れた可能性があるのにもったいないと言われますが、私自身全く後悔していないというか毎日が楽しくてしょうがないのでやめて本当によかったと思っています。

最後に、弁理士業界は理系の方が多く技術の理解は優れているが、基本的に説明が上手ではない方が非常に多いです。またサービス業的感覚も乏しい方も多く、そのためお客様に対して誤解を招きやすい傾向があります。

この間杉浦さんからご紹介頂いたある方にも「その間に入って調整するのがあなたの仕事じゃないんですか」といわれました。

本当にその通りです。反省です。

これからは我々がもつノウハウ、知見等をより誤解なくお客様にお届けできるよう精一杯頑張ってまいります。

引き続きどうぞよろしくお願いいたします。