第110回ご縁結びのコーナー 株式会社 BEYOND AGE 市原大和さん 〜シニア100万人の活性化へ!私もこの課題に大いに賛同しています!〜

ー杉浦佳浩

第110回ご縁結びのコーナー 株式会社 BEYOND AGE 市原大和さん 〜シニア100万人の活性化へ!私もこの課題に大いに賛同しています!〜


2024年 03月 10日

株式会社 BEYOND AGEのHPはこちら。

私が40代の頃だったと記憶しているのですが、大阪の淀屋橋付近を歩いていて、在職中にお世話になった当時勤めていた会社の先輩にバッタリ会ったことがありました。こんにちは!と声をかけると、何か下を向いてあまり会いたい雰囲気ではない感じ。続いて、何かご用事ですか?と聞いてみるとさらにうつむき加減に。『別に何も。』と何ともという小さな返事がありました。咄嗟に、この先輩、おそらく行き場がなくて、旧本社付近を本当にさまよっていたんじゃないかと感じました。大企業でバリバリ頑張ってきた、その自負はありつつもある日突然、働く場所がなくなる。どんな有能な方でも、年齢という足切り、しかしほとんどの大企業会社員はその日がどんなことになるかを考えない?目を背けている?わかりませんが、55歳、60歳、65歳というそれぞれの【会社都合】というルールの中でバッサリと行き場や、仕事がなくなる。

その適齢期になった、もしくは寸前にたくさんの方々から私に声がかかるのですが、ほとんどがなんの準備もして来なかった手遅れと一歩を本気で踏み出そうとしない、あるいは傷つきたくないといい、失敗したくない消極さから次の仕事、新たなチャレンジに活動ができない人が本当に多いことに気づいてきました。私はただただ勿体無いと思ってきただけですが、そこを事業と捉えて大きなマーケットに果敢にチャレンジしているのが今回の市原さんです。市原さんも会社員時代、社会人の初めの頃にこの大いなる課題を感じ、なんとかしないといけない、自分がなんとかするという気概を持って会社員時代を過ごしてきた熱血漢です。私も賛同しお役に立ちたいと思っています。

市原さんの思いの詰まった【シニア独立100万人】このサイトに私もインタビューを受けて掲載してくださっています。そちらも下記から。

多くの経営者を惹きつける杉浦さんの「順調な船出」の秘訣とは

【最近の市原さん いつも素敵な笑顔です。】

◆市原さんとの出会いはマインドフルネスの関根さんから

市原さんとの出会いは、今から3年前の1月。ご紹介者は、格闘家、実業家、教育家、ライフコーチと4つの顔を持つ、関根朝之さんのご紹介でした。関根さんのプロフィールはこちら。市原さんが独立を決意した頃にお会いし、『市原さんが会うべき人は杉浦さんでしょ!』ということでご紹介をくださいました。当時はまだ、東京海上にお勤めでしたが、3月末で退職が決まっている時にオンラインでお話ししたのが最初の出会いになります。

その後に経営会者向けに行っている、【新令和経営道場】にお誘いをして参加された瞬間に景色が変わりました(私にとってですが)。理由は組分けの妙と言いますか素敵な出会いを作ることができたことと、不思議な再会を道場内でできたことなんです。その出会いは、同じ大学同級生、でも会ったことがない、でも近いところですれ違いの人生で、たまたま道場への参加でお会いすることになった、MI6の川元さん。そこから今もかなり仲良くしてくださっています。もうお一方は、エジプト駐在員時代に交流があった、元日産自動車にお勤めだった相馬さん。会社は違いましたがエジプトというキーワードから道場でばったりという感じで、私はそのご縁の不思議さに一人テンションがマックスになっていました。出会い、道場での出来事から、市原さんとはいろんなご縁が繋がると感じた次第です。

市原さんのお名前は【大和】さん。なかなか珍しい、大和魂?的なことかなとお聞きすると、お父様が戦艦好きで、【大和】【武蔵】のどちらかにと考えていたそうなのですが、大和と命名されたそうです。ご本人的にはすぐに沈没した大和ってどうかなとお話されていましたが、私からは、宇宙戦艦ヤマトとして復活し地球を救った大恩人ですよと、オンタイムの年代としてフォローさせていただきました。

子供時代ってどうでしたか?とお聞きすると、周囲から『市原は社長に向いている』と言われることが多かったそうで根拠もなく、自分は社長になることを意識し続けて、大学、社会人へと進んで行ったそうです。根拠のない自信って本当に大切に感じるお話です。

【市原さんとのミーティングは楽しい】

◆東京海上に入社して 猛烈に頑張った そのワケとは

会社員人生に恵まれていましたと冒頭から感謝の気持ちで話し始めた市原さん、新卒で東京海上に入社。人気企業ランキングでトップの常連だった時代に、市原さんは入社します。【恵まれていた・守られていた・丁寧に育ててもらった】と同社のスタートを語ってくださいました。178名の同期で、社会人キャリアスタートが財務とお聞きして、エリート中のエリート。とそう思いました。ご自身ではそこまでの表現は避けていらっしゃいましたが。恵まれた環境とはそういう意味を含んでいると感じます。希望は出していないものの、将来、行けたらいいなと思っていたそうです。入社後はまさに鬼の形相で勉強に仕事に必死だった。例えば財務に関する勉強や資格試験に一発合格をマスト条件に、土日は予備校にも通っていたそうです。当時を振り返り、息をするように勉強ができる天才集団へ、勉強が嫌いな自分とでは、必死に向き合う以外になかったと。東大主席で卒業や高校時代から模試で名前が通じるくらいの神童と呼ばれてきた人たちの中で仕事をするにはまずは勉強、勉強だった。

財務部門では、ファクトとロジックを追求され、明確に語れないと、立場がない状況、そこを持ち前の努力とコミュニケーション力で乗り切り実績を積み順調にエリート会社員の階段を登って行きます。気づけば5年が経過します。会社員人生ずっと財務で行くのか?ここではトップになれない、そう悟った市原さんは、自身で志願して、海外研修生として一番厳しい国に行きたいと人事に伝えます。辛いほど自分が成長できるからと会社側に伝えるほど。会社側も面白い!思いますよね。さすが市原さんだと思いました。インドが環境も厳しいと志願するものの、アラビア語研修生に、会社からはどこの国へ行っても、どこの学校に行っても構わないという状況での対応で、自分で社内の詳しい方に教えを乞い、エジプト・カイロにあるアメリカン大学を選定します。

ここでの一年がまた面白い。この大学に来ているのがほとんどがアメリカ人、しかも軍人ばかり、日本人は市原さん以外1名もいない。この隔離状態がよかったと市原さんは話します。会社のメールアドレスも消され誰ともコンタクトなし、そこでたくさんの異文化、語学習得に没頭できました。大学がスタートして愕然としたのは、日本語は全くなし。アラビア語→英語→日本語をそれぞれ翻訳しながら勉強、当初はアラビア語をカタカナで書いて英語に変換していくような地道な努力を重ねていきます。1ヶ月でほぼキャッチアップできたところはさすがだと感じます。この頃全くの一人でなんでもやっている時に、親への感謝の気持ち有り難さも芽生えたと話してくれました。

それにしてもなんでここまで頑張ったのか?

それは財務部門に入社した時に、定年退職という期限が来た優秀な先輩たちが突然死を宣告されたように行き場がなく、時には一瞬で白髪になる方も見かけていて、この時からこの年代の人たちが社会で通用する事業をやっていきたいと感じていたそうです。そのためにも自分自身が早く出世してこの会社で力を発揮できる立場になろうと思っていたそうです。

◆退職覚悟でチャレンジした新規事業プロジェクトの公募制度でトップで通過、見事事業化へ

語学研修生も無事目的を達成し帰国、すぐに海外駐在員にと思っていましたが、ポストがないということで1年半は国内から海外事業をサポートする、海外事業企画部に所属し、中東の担当をしながら、サウジアラビア、ドバイ他の海外拠点の駐在員をサポートしていました。ポストの空いたエジプトへ駐在員として赴任が決まります。この時、市原さんは普通の会社員じゃやらない行動にでます。それは会社に対して赴任への2つの条件を出すことでした。

・役職を上げてほしい

・現地での車は自分で選ばせて欲しい

まだ30歳前後の立場、通常であれば、現地ではマネージャー職を名乗るのでは結果は出せないと判断し、COOの肩書が欲しい(給与を上げてほしいとは言っていない)と伝えます。なかなか思い切った提案、大企業の中でこの提案はいかに珍しいか。マネージャーだと現地社員をコントロール・マネジメントすることは難しく(国民性から)、結果を出すためにこれを認めてもらいます。現地の社有車は、あまりにも治安が悪く、道路事情も悪いことから大型車両を手配したいと伝えます。この2つを認めてもらい、赴任して150名の組織の上司として活躍します。さすがです、素晴らしい!本当に楽しかったそうです。経営者に近い状況を30歳前後で経験したことは大きいと感じます。


【エジプト駐在員時代の市原さん】

駐在職から国内に戻り、海外リスクコントロールの部署に配属、会社員のキャリアコースとしては順当のところでしたが、市原さん本人はエジプトとは違い経営のダイナミックさが無いことに仕事への張りがなくなっていき、転職や退職を考えるようになっていきます。上司には実際、退職の相談をしている中、社内の新規事業のコンテストへ応募を促されます。新規事業を自身で作って引っ張ることには興味もあり、退職覚悟で事業プランを発表、見事に認められます。

その新規事業を行っている時の記事がこちらです。(人生100年時代の働き方を幸せに。東京海上グループの新規事業「プロドア」とは2020.09.28の記事)

文頭に、【人生100年時代、政府は社会制度改革の一環として「生涯現役社会」を掲げ、意欲さえあれば高齢でも働ける世の中を目指す。その一方、多くの大企業では、一定の年齢を迎えると管理職から離れる役職定年を設置。その結果、スキルや経験と実際の仕事がマッチせず、仕事への意欲が低下するケースも珍しくない。

そんな社会課題に挑むのが、ミドルシニア層を中心としたプロフェッショナル人材のマッチング事業「プロドア」だ。

このプロドアは、新規事業創出を目指す東京海上グループの社内公募制プログラム「Tokio Marine Innovation Program」(通称「TIP」)から初めて事業化されたプロジェクト。しかも、わずか1年でサービスをローンチしたという。なぜ損害保険会社で人材系の新規ビジネスを、このスピード感ではじめることができたのか。プロドアの生みの親である市原大和氏には誕生のきっかけと事業化までの経緯を、TIPを推進する村上隼也氏には、東京海上ホールディングスが目指すイノベーション創出のかたちを聞いた。】

とあります。まさに社会人の最初から描いていたことをかなりのスピード感で実現していきます。素晴らしい実績ですね。

◆市原さんのインタビューを通じて気づいたこと、納得したこと

損害保険会社に在籍しているときに、私が社内外から掛けられてきた一言。それは『杉浦さん、変わってますね』でした。私はこの言葉は、褒め言葉として大いに活用し、自身の活動の源泉にしてきた想いがありますが、市原さんは全く逆、同様にこの変わった人と言われた瞬間に血相変えて、『私は至ってノーマルです』と返していたそうです。その理由は、出世に響くから、変わった=誹謗中傷には当たらないが、同僚、先輩を蹴落とす格好の言葉、言い回しということに気づいていたそうです。確かになと思う節、経験が私にもありましたが、今となっては笑い話に。

会社員を辞めて独立して、大企業に勤めている人から掛けられる言葉に『独立して大変でしょう〜』という言葉があります。市原さんも私もこれも同様でした。独立の一歩を踏み出したいが踏み出せない、自分の今の立ち位置を正当化するのに最も都合が良い言葉が、大変でしょう〜。市原さんも私も申し合わせた様に、同じ返事をしていることに気づきました。それは『絶好調です。独立して本当に楽しい。独立して本当によかったです。』この言葉を発した途端に、相手は見事に消えていきます。それも同じでした。本当に独立したい人はこんなことは言わないので、この絶好調は試験紙として使えると思います。

語学研修生、駐在員時代の経験を経て、絶対口にしなくなった言葉についても教えてもらいました。それは『死ぬ気で頑張ります』という言葉。本当に死を意識するような場面を何度も体験、経験したそうで、俺はまだ死にたくないと思ったそうで、そこから死ぬ気でという言葉は封印しているそうです。私も同じような経験をしたことが海外でありここも共感している次第です。

◆私のご縁で仲良しになってくださった、川元さんに市原さんについてコメントもお願いしました

①市原さんと出会った経緯当初の印象、思い出についてお教えください

 市原さん(僕は大和さんとお呼びしているので以下、大和さん)とは杉浦さんが主催されている「経営道場」で対話のペアになったのが出会いです。同い年で且つ大学の同窓同期であることが分かり、同じ時期に同じキャンパスにいたのか!となり、共通の友人も何人も浮かんできて意気投合。偶然であり且つ必然であるかのようなご縁を感じました。(杉浦さんの神がかったマッチングに驚きました!笑)
当初、とってもパワフルな方だなと思ったと同時に、大企業の退職直前で起業することへの迷いも感じました。「本当に起業したいなら、会社はいつ作るんですか?今でしょ!?」と僕が背中を押したところ、実際にすぐに会社を設立されたと記憶しています。起業するすると言って、実際にできない人も多く見てきた中で、大和さんの行動力は光っていました。

②市原さんの仕事への姿勢、事業に関することなんでも感じたままにお教えください
大和さんはとにかく足腰が強い。決めた後、動きの一歩目が早い。一歩を踏み出した後の初速もめちゃくちゃ速いです。相手のニーズを発掘したら、聞いた時点で自分にツテが無くても「探します!」と言って道なき道を乗り越え、とても素早く辿り着きます。想像を超えてくる”足腰の強さ”があります。
そして、押しも強い笑
大学時代にサッカーでサークルの日本一?二?に輝いたとのことでしたが、きっとサッカーのスタイルもその強靭な足腰でディフェンスを薙ぎ倒すようなドリブルをしていたんじゃないかと思います!笑

③市原さんについて注目していること、際立った特徴、特色についてお教えください。
大和さんは、いい意味で”お金好き”なところに注目しています。
お金への嗅覚がずば抜けているので、きっと彼が手がけるならどんな事業でも儲かると思います。
その分、仕事意識も仕事の質も高いので厳しさもあります。
大和さんの厳しさが見える時は、チームメンバーにとっては越えられない高い壁のように思えるかもしれません。
一方で、クライアントからすると守ってくれるような安心感があると思います。

そして、何よりその奥にある人に対する愛が大きい。
その温かさから、初対面であっても好きになってしまうような人たらしなところが素敵です。
根底に愛があるので例え喧嘩してしまったとしても憎めないのではないでしょうか。
また、大きな愛があるので、どんな事業を手がけたとしても人と社会の役に立つ、意義のある仕事を生み出していくと思います。

そこが1番の彼の特色だと僕は思います。

保険、コンサル、そしてシニア人材事業とどんどん事業が拡大していっています。この先も事業が発展していくのが分かるし、幅も広がっていくと思います。きっと、大和さんが持つ大きな愛とその温かさが色んな人と人との間の壁や業界の壁を溶かしていく。

まさにBeyondそのもの!

そんな過去と未来の姿が僕の目に映っています。これからもめっちゃ応援しています!

とエールをいただきました。

【2023年10月お遍路体験会にて 後列真ん中左に市原さん】

◆2軸で事業を組み立ていく シニア活性化と保険事業

東京海上で新規事業を構築し、事業化を果たして成果も見えてきたころに、経営者としての役割を得たいそのためにこの事業をやってきたことを会社側に伝えるも結局、経営の役割を与えてもらうことは叶わないことがはっきりした時点で、退職を決意します。その頃、私が出会ったという経緯になります。

退職していろんな事業アイデアを持ち出し、たくさんの方々と壁打ち、相談を繰り返すもののなかなか独立その後が見えてこなかったそうですが、ある方からのアドバイスで、保険会社出身者は保険をまずやってみるということを受け入れ、保険代理店事業で会社を立ち上げます。それが株式会社Agent Tech社です。またすごいなと感じたのは、最初に辞めた東京海上に行って代理店設置を相談しているところ。ひと昔前ではなかなか認めてもらえないところ、時代も変わり代理店設置がOKとなったそうです。地域の保険代理店を吸収する事も行って規模も拡大しています。この保険に関わる事業でキャッシュポジションを確立し、そもそもやりたかった事であるシニア活性化事業にも注力していきます。それが株式会社 BEYOND AGE社になります。「年齢なんて関係ない。やる気のある人が働き続けられる世界を作る。」というミッションに私も共感しております。

実際の事業サービスについて、ここでは顧問営業支援サービスを説明いたします。

週1、週2からでもまずは接点を持つ。準備をしてこなかった、シニア独立の失敗をたくさん見てきた、市原さん、独立のサポートをしていく、助走路、助走期間を伴走するイメージでたくさんの成功事例を作っていきます。大企業の言わば村から出たことのない人たちに、本当に広い世の中での活躍ステージをどんどん創出していく、シニア独立100万人がこれから実現されていくことに私もワクワクしています。

◆最後に市原さんからコメントをお願いしました(なんでも結構です下記に)

杉浦さん、こんな素晴らしい文章を書いていただき、お恥ずかしい限りです。杉浦さんからいただいたご縁でビジネスが広がっていることを肌で感じており、大変感謝しております。

毎日シニアの方々とお話していて「こんなにも優秀でやる気もある方々の仕事がないのはおかしい」と日々思っており、課題は大きいですが、手ごたえを感じているところでございます。シニアの方々に対するリスペクトを忘れず彼らのために全力を尽くすことで感謝していただけることも多く、やりがいも大きいです。

これからは皆様のお力をお借りして大企業や国も動かしていきながら「年齢に関係なく働ける社会を創る」というミッション達成に向けて尽力していきたいと存じます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

私も還暦を迎えて、いかにシニアが上から目線ではなく、年齢層を層ではない働き方ができるか、大きな社会へのお役立ちを市原さんとご一緒できたらと思っています。シニアが独立して頑張る社会がすぐ始まりますように!