今が一番若いと思えるかどうか。

ー杉浦佳浩

今が一番若いと思えるかどうか。


2024年 02月 19日

【今週の自戒】
今が一番若いと思えるかどうか。

コシノジュンコさんの言葉に
頷くばかり。
まさに、そう思えるかどうか。
先日、
高校の授業を受け持つ機会を得て
自分なりに正直に誇張せず
たくさんの10代の皆さんに
向き合ってきました。
・夢を持つのに遠慮はいらない
・人と話すのが苦手だから工夫できた
・全ては物事の捉え方次第
・自分の強みを伸ばそう
といつも感じていることをお話し
させてもらいました。
概ね、高評価、私自身が嬉しくて
目頭が熱くなるコメントも多数。
高校生の皆さんに教えてもらえたと
思っています。
さらに、おおよそ高校生とは思えない
かなり斜めの発言、否定から入って
コメントをする人もちらほら。
これもまた有難い。
考え方が生き方を変える。
まさにそう思えました。
人生捉え方が一番、そう確信できて
今朝もまた元気にスタートができます。
人生は常にこれからと思って、
今週もよろしくお願い申し上げます!
感謝。
【人生は常にこれから】
致知出版社社長、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…世界的なデザイナーのコシノジュンコさんはお母さんの綾子さんの影響を受けられた。
そのお母さんは90を越えても10数人の恋人を持ち、「私の人生はこれからや」が口癖だったという。
その口癖はコシノさんに引き継がれている。

観世宗家の観世清和氏の祖先は能の大成者、観阿弥と世阿弥である。
その世阿弥の言葉がある。
「時分の花より誠の花」
若さが放つ花が時分の花である。
そういう花は時と共に褪せる。

修養を日累月積して咲くのが誠の花である。
その花は年を経るごとに美しさを増す、ということである。

また、こうもいう。
「住する所なきをまず花と知るべし」
止まらず学び続けることこそ花だ、ということである。
修業にも人生にも、これでいいということはない。
常にこれからと思い前進せよ、そこに花がある、と世阿弥は教えている。

安岡正篤師は『人間を磨く』(弊社刊)の中で、鎌倉彫の名人扇ヶ谷(おおぎがやつ)三郎の言葉を紹介している。
「芸のゆきどまりを見せずして、一期を終るをまことの芸とす」
「古人曰く、命にはおわりあり。芸には果てあるべからず」
求道(ぐどう)に生きる人は皆、同じ気概を持つようである。
安岡師自身、「不肖も生ける限りは、その行詰りを見せずして、よく勉強したいと念じておる」と付言している。

話は変わる。
こういうデータがある。
正岡子規34、尾崎紅葉35、国木田独歩36、長塚節 35、芥川龍之介35、太宰治38
文人・作家の没年である。
そのあまりの若さに驚く。

一方、こういうデータもある。
葛飾北斎88、富岡鉄斎87、熊谷守一97、中川一政97で没。
画家は長生きの人が多い。
その他アトランダムに記すと、佐藤一斎86、諸橋轍次(もろはしてつじ)99、 鈴木大拙95、渋沢栄一91、松永安左エ門95、松下幸之助94……。
こうして見てくると、寿命もあるが、道を求め努力してやまない人に長生きの人が多いように見えるが、どうだろうか。
ちなみに、『致知』に縁の深い四氏の没年は、安岡正篤85、森信三96、平澤興88、坂村真民97。

その言葉。

「人生の晩年に近づいたならば、青壮年の時代以上に、はるかに、心を引き締めて、人生の晩年の修養に努めねばならない」森信三

「生きるとは情熱を持って燃えることだ。燃える心を忘れているような生き方は気の毒な生き方ではないでしょうか」平澤興

「人間いつかは終わりがくる。前進しながら終わるのだ」坂村真民

名人達人の言葉は一如である。
人生は常にこれからと思い、私たちも前進していきたい。

『小さな修養論 5』致知出版社

本書の中に坂村真民氏の「鈍刀(どんとう)を磨く」という心に響く言葉があった。

『鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を借す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかも知れないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙(じんじんみみょう)の世界だ
だからせっせと磨くのだ』

「甚深微妙」の、「甚深」とは、はなはだ深いことで、「微妙」とは、極めてこまかいこと。そこに計り知れない大切なことがある。
開経偈(かいきょうげ)というお経の中の言葉だ。

鈍刀だからこそ、いくつになっても、怠りなく磨き続けなければならない。
すると、刀は終(つい)には光らないかもしれないが、磨く本人が光るという。
その姿を、まわりの人も、天も見ているからだ。

それは、「一燈照隅(いっとうしょうぐう) 萬燈遍照(まんとうへんしょう)」という安岡正篤師の言葉とも符合する。
一人ひとりがそれぞれ、一燈となって自分のまわりを照らす。
すなわち「一隅を照らす」こと。
何も大きなことではなく、自分の一番身近な人、家族や、友人を幸せにすること。
すると、その一燈が集まり、萬燈となり、国をも照らすことになる。

もし、自分はたいした人間ではない、そんな大それたことはできないと、なげやりになって自分を磨かなかったら、鈍(なまくら)が、さらに鈍になる。
だからこそ、自分の寿命が尽きるその瞬間まで、磨き続けることだ。

人生は常にこれから…
少しでも前へ前へと進みたい。

上記の【人生は常にこれから】については人の心に灯をともすより引用しています。