変わった人で十分。生きている以上はないはず。

ー杉浦佳浩

変わった人で十分。生きている以上はないはず。


2023年 05月 15日

【今週の自戒】
変わった人で十分。生きている以上はないはず。

この世に生を受けた事
それが最大のチャンスじゃないか

天才と呼ばれたアイルトン・セナの
短いですが重い言葉。
拾い読み程度ですが、
4歳からゴーカートを与えられたから
恵まれた生活環境の中で
英才教育を受けたからと
周いから陰口を叩かれた。

しかし事実は圧倒的、
誰もやりきれないほどの
努力をしてきたことと
本人は言っていたそうです。

チャンスについてのセナ氏の回答を
(チャンスは平等ではないという問いに)

「それは違う。
皆平等にチャンスは与えられている。
この世に生を受けたということ、
それ自体が最大のチャンスだろう。
すべてこの世に生まれてきた者は、
神からそれなりの能力と肉体的力、
そして生きる目的を与えられている。
神はこの上なく公平なものだ。
どのような人間にもタレント(才能)を
与えてくれている」

自分はこんなもんでいいのです
低いパフォーマンスのままでとか

変わった人と呼ばれたくない
同調圧力に流される方が楽チンとか

そんな人に囲まれないでよかった
気付けば私の周りは変人ばかり 笑
みんなフルスロットルで生きている
楽しくないはずがない
この世に生を受けて、振り絞って
生きている人達に会い続けようと
セナ氏の言葉からさらに強く感じました。
出る杭の人たちと一緒に。
楽しんで。
今週もよろしくお願い申し上げます。

【人の行く裏に道あり】

川北義則氏の心に響く言葉より…

いまでも親は、子に「出る杭になるな」と教えているのだろうか。
「出る杭は打たれる」という格言は、「だから出すぎないように」という教訓を含んでいる。
少なくとも私の子供時代の親たちは、そういう意味で使っていた。

意気地がないように感じられなくもなかったが、「大人の知恵とはそういうものなのだろう」と思っていた。
日本のように和を尊ぶ精神が強い民族には、この格言は受け入れられやすい。

寄らば大樹で、出る杭にならず、ひたすら爪を隠して生きていれば、相応の出世ができたのが、これまでの日本社会だった。
しかし、こういう成功体験が通用したのは二十世紀まで。
いまはむしろ「出る杭」を探し、「出る杭」を養成しようとしている。

たとえば早稲田大学には、理数系に興味のある中高生を対象に「出る杭プログラム」というセミナーがある。
チャレンジ精神旺盛な若者を育てて、将来は早稲田大学へ誘致しようという計画だ。
また、ある地方ではNPO法人が「出る杭大会」というのを開催している。
ここでは毎年「出る杭大賞」というものまであるそうだ。
また、企業でも「出る杭制度」を設けて、社員の主体的行動、貫徹力などの養成に努めている。
早い話が、鉦や太鼓を叩いて「出る杭ヤーイ」と叫んで、探しているのだ。

こんな時代に、「一生、御社にお世話になります」などといっていていいのか。
「派遣はイヤです。 正社員になることが当面の目標です」でいいのか。
「解雇の心配がない公務員がいちばんです」 なんて、ちょっと情けなくないか。

世の中は広いのだから、いろいろな人がいていい。公務員志望もいいだろう。
正社員になりたいのもわかる。
だが、私がどうかと思うのは、何かというと、みんなが一斉にそちらへ向いてしまうことだ。
世の風潮がある方向へ向かうのなら、「オレは逆の道を行く」という人間が、もう少し現れてもいい。
そうならないのは、マスコミが画一的な記事しか書かないからだろう。

探せば、どの世界にも出る杭人間はいる。
少数でも必ずいる。だが、そういう人間の存在がまるでクローズアップされない。
こういう偏向報道が長らく続いてきた。
その傾向はまだ改まっていない。
だから、私はあえて、そのような動きを紹介している。
これからの時代、出る杭人間は、間違いなく人材として求められる資質である。

出る杭について調べていたら、次のような応援メッセージが見つかった。
少しでも「自分にその気があるな」と思われる人は、次の言葉を覚えておいてほしい。

「出る杭は打つな。手を添えて伸ばしてやれ」 (化学者・登山家 西堀栄三郎)
「出ない杭はそのうち腐る。 出る杭は伸ばす」(サントリー元会長 佐治敬三)

『「人間的魅力」のつくり方』三笠書房

あえて、出る杭になろうとしなくても、競争のない世界を探せば、そこでは、自然に「出る杭」になってしまう。
つまり、「レッドオーシャン」で戦わず「ブルーオーシャン」で戦うということだ。
「レッドオーシャン」とは、その市場には、競争相手が非常に多く、血で血を洗うような激烈な競争が繰り広げられている市場(レッドオーシャン・赤い海)のこと。
「ブルーオーシャン」とは、従来まったく存在しなかったような新しい事業領域で、競争相手のいない新しい市場のこと。
血で血を洗うような激しい競争を勝ち抜いて、出る杭になるのもいいが、それでは満身創痍になってしまう。

孫子の兵法の中に、「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。 戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」というものがある。
百戦して百勝するのは、一番よい方法とはいえない。
なぜなら、戦えば、勝った方にも必ず被害が出る、だからこそ、戦わないで勝つのが、最善の方法なのだ、と。

同じ土俵に乗らないこと。
まともに、正面からぶつからないこと。
戦いを避け、人と違ったフィールド、戦いのない分野を見つけ、そこに参入することこそが、「戦わずして勝つ」こと。

それが、結果的に「出る杭」となる。
まさに、投資の格言「人の行く裏に道あり、花の山」だ。

あえて、人と違う道を行くことを恐れない人でありたい。

上記の【人の行く裏に道あり】については人の心に灯をともすより引用しています。