第131回ご縁結びのコーナー アルファクラブ武蔵野株式会社 橋本さん 高齢者社会をより良い社会へ それは未来のために

ー杉浦佳浩

第131回ご縁結びのコーナー アルファクラブ武蔵野株式会社 橋本さん 高齢者社会をより良い社会へ それは未来のために


2025年 12月 12日

アルファクラブ武蔵野株式会社 HP  

今から22年ほど前に私が一生懸命サラリーマンとして頑張っていた頃、私の話に耳を傾けて、転職を決め、その会社でおよそ20年、社会人人生の大半を過ごした方が今回の橋本さんになります。その20年間のうちのおよそ半分の10年間は執行役員や取締役、また常務取締役として頑張り、その会社が東証プライム市場で上場を果たしていく中で、私の勝手な見立てではありますが、大きな原動力の1人となっておられた方と認識しています。その橋本さんの取りまとめ力というような表現で良いか分かりませんが、チームを取りまとめたり会社を取りまとめたりしながら合意形成をしつつ、目標達成に向かっていく取りまとめをやってこられたと感じています。その取りまとめ力の源は、子供時代や大学時代に経験してきたことが大いに影響していると、インタビューを通じて感じた次第です。橋本さんの現在のお仕事がこれからの日本の課題解消への大きなチャレンジになるようにも思っています。その橋本さんについてお伝えしたいと思います。

【2021年ごろの橋本さん】

◆子供時代の橋本さんについて 転居を通じて身につけたこと

橋本さんとの会話をしていて感じるのは、ノーと言わない人、常にはいもしくはイエスと答えていることに気づきます。その理由としては、厳格な家庭に育ち、口答えをするとお父さんの厳しい指導があったからと話してくださいました。それゆえに現代の若い方々には気をつけるようにもしているという話がありました。

福島県を起点に郡山、いわき、静岡市、埼玉県川口と転居を小学5年生まで転々とされていました。この転居による影響で、人を見抜く力、洞察力、またコミュニケーション力が身に付いたと感じます。早い段階で自分の存在価値を出さないと埋もれてしまう。そして周囲の子供たちの社会的つながりをうまくやっていくためにも、この辺の力は身に付いていかれたと思います。子供の時代から剣道をしていたそうですが、どちらかと言うと今も続いている趣味習慣としては、本を読むこと、漫画も含めて、ご両親が、ここには一切お金にいとめをつけなかったそうです。橋本さんもご両親に感謝の気持ちを話されていました

インタビューをしているときに面白いなと思った1つに無駄な努力をしないという発言があったこと。

それは自分1人の努力だけで目標達成に向かうということも美学ではありますが、それでは時間がかなり必要となることもしばしば。そこに時間を割くくらいであれば一歩先を行く人、能力が高い人を見出し、その人に教えてもらうこと、そこに注力してきたと話をしてくれました。これも冒頭お伝えした取りまとめ力につながるキーワードかなと感じた次第です。ご自分の目標達成のためのプライドを感じた次第です。

【橋本さんと平田牧場さんへ】

◆中学時代、ポイントは1学期に学級委員長へ

小学校時代に培っておられた取りまとめ力、コミュニケーション力は中学校入学してすぐに先生に見出されることになります。その結果が、入学して当初の学級委員長に任命されること。それは中学生の同じクラスの人たちからの任命ではなくて、先生から橋本君が学級委員長になってほしいと言われていたこと。これはクラスの人たちからも信頼されていること、そして意見を取りまとめる力を備えていたからこそだと私は感じました。学級委員長としてのリーダーシップも発揮することで、その後も生徒会の顔役となり、事務方のトップとしての立ち位置で中学校全体を取りまとめていくようになっていったそうです。全員と仲良くできるタイプであること、公平に周囲を扱うこと、それがマネージメント力、洞察力にも通じていると思います。この辺の経験が社会人に必要な能力として備わっていかれたんじゃないかなと感じた次第です。

◆大学時代はアーチェリー部へ ここでも取りまとめ力を発揮して

ご両親からとにかく大学には行くようにと中学・高校の時から口酸っぱく言われ、その期待に応えるために橋本さんは頑張っていったそうです。両親の希望を叶える意味で大学入学も叶い、入学後何に注力しましたか? と聞いてみたらたくさんお酒を飲んできたことと、クラブ活動と返事がありました。これも大事なことだと思いますね。

大学生になってからでも実力を身につけるのに遅くない競技としてアーチェリー部を選択した橋本さん、必死で練習を頑張ったそうで、メキメキ実力をつけていきましたが、2年生の時に肩を壊し、その後は成績はぱっとしなかったそうです。それで終わらないのも橋本さんの凄いところで、体育会の委員会を取りまとめる立ち位置になっていき、4年生のときに他大学4項との合同イベントを取り仕切りながら、各この取りまとめ調整をしつつ、協力関係を調整し、ご形成に導いていく委員長やっていたそうです。その結果、学生のみならず、大学の職員、その他関わる人々という、意見の違う人たち、立場の違う人たち、価値観が違う人たちを取りまとめて大きな結果を生み出すこと前向きに動かすことを修練していくことになります。この辺が社会人でノーと言わない人につながっていると感じた次第です。

◆就職氷河期の中で、野村証券に入社、活躍もありがとうの世界へ

橋本さんが体育会の委員長として頑張っていた頃、就職に対する意識が低く、社会の状況としては就職氷河期の厳しい環境でなかなか決まらないところここでも大学の先輩の意見を取り入れて、就職活動にあたり、見事野村証券に入社を決めていきます。これも人の力を借り最短距離で実行実績を出すこと、過去から実践してきたことを再現性を持ってやったからこそだと感じます。

入社当初は茨城県の水戸支店で証券営業としての活動をスタートします。お客さんに無理をさせない営業スタイルで信用信頼を勝ち取り大きな成果を残し、大阪の支店の中でも1番の花形である梅田支店に転勤することになります。社会人として5年目になっていたころ。梅田に配属となってびっくりするのは、手数料稼ぎ優先の営業スタイルの人たちが多かったこと。その引き継ぎを受けたのが橋本さんご本人で、これではお客さんから信用が得られない。そんな中でも実直にお客さんと向き合う状況が橋本さんに見受けられました。この当時はITバブルが弾けた時で現物取引だけだと大きな問題にはならないところ、現物を担保に差し入れ、信用取引をお客さんに持ち込んでいた前担当の後始末で相当苦労をされていたそうです。この時橋本さんは毎日ごめんなさい、すみませんとお客さんに伝えている状況の連続だった、そうではなくてお客さんからありがとうと言われる仕事がしたいと思っていた頃に、周囲の先輩が保険セールスに転職するのを見て自分もチャレンジしたいと思うようになり、梅田支店で3年ほどは経過したあたりで、生命保険業界ではなくて、また違った目線で損害保険業界に飛び込むことになります。それが私との出会いの始まりになった次第です。

◆コツコツ信用の積み重ね損害保険、そこから上場保険代理店へ

生命保険会社の営業ように一発で、大きな契約を結ぶことができたら、数字の大逆転、大成果も見込めることがあり得ますが、損害保険会社は小さな契約1件1件を大切にすることで大きな信頼を勝ち取りお客さんから信頼を預けていただく。まさに1発逆転のような事は起こり得ない業界に身を置いてよかったと橋本さんは話してくださいました。損害保険代理店を開業する予定で、日々保険営業に頑張っていらっしゃったところ、私が目の前に突然現れ、この会社で働きませんかと唐突に言い放ったものですかから、相当、急な話でびっくりされていたそうです。当時、保険代理店として業界として初めて上場した会社の担当が私であり、その会社の社長から損害保険営業ができる人を紹介してほしいと依頼があったので、私や私の上司が一生懸命候補となる人を探して、この人なら大丈夫じゃないかと見出したのが橋本さんでした。その後、同社との面接も完了し、その上場している保険代理店へ入社し、損害保険営業をするのかと思いきや、すぐに橋本さんの能力をが見出され来店型の保険ショップの全国展開に登用され、活躍することになっていきます。それも子供時代や学生時代に培った取りまとめ力があったからこそ活躍されることになっていったと思います。急展開で200店舗まで店舗を拡大し、全国の保険代理店さんとも仲良くなり、仕事を一緒にするような関係性を作っていかれたのもこのパワー、力があったからこそだと思います。その後マーケティングやコールセンター運営管理、人材採用と多彩な部署で全て結果を残し、その実績からも早い段階で執行役員、取締役、そして常務取締役に登用されていくことになります。私が声をかけてから20年が経過し、そろそろ違う立場で頑張ってみたいと思い、この会社を卒業することにしたそうです。その時も私にわざわざ連絡をいただき挨拶を忘れず感謝の気持ちを伝えていただいた事は本当に嬉しいことでありました。

◆互助会というビジネスモデルに未来を感じたワケ

退職の挨拶を私にしてくださった時に、次はどこの会社に行くのですかとお聞きして、私がびっくりしたのが互助会を運営している会社に転職しますと言われたことです。

私の勝手な思い込みレベルですが、互助会と言えばもう古めかしいと思うこと以外何も感じないと言ってしまうと失礼かもわかりませんがたくさんの成果・結果を残した橋本さんが次のステージで頑張る業界とは少し違うかなと思っておりました。

ところが転職されて1年数ヶ月、ここ最近、橋本さんとお会いするたびに今の業界を大切にすることで、地域社会に良い影響を与えられるビジネスモデルを今、構築されているところがこれまた魅力かなと思った次第です。

現在の会社さんは会員数が450,000件あり、会員さんから預かっておられる資金量がおよそ500億円程度あるそうです。この既にご契約がある方々とどうコミニケーションをとっていくのか、付加価値をどう提供するのか、地域がより良くなるような取り組みがどのようにできるのかを橋本さんはいろんな情報を集め、今、熱心に取りまとめていこうとされています。社会課題である超高齢化社会、そこに真正面から取り組む姿勢は本当に素晴らしいことだと感じます。私がお付き合いがある多種多様な経営者さんを紹介させていただくことで、今後新たな未来が生まれることを希望している次第です。橋本さんと地域課題が解消できる仕組みがたくさんできることを希望しています。橋本さんのチャレンジに私も賛同しご一緒できることを楽しみにしています。このたびはインタビューを二つ返事で応諾くださったこと、感謝しています。ありがとうございました。

【橋本さんと人間洗濯機のサイエンス社へ】

◆橋本さんからコメントをいただきました

はじめまして。アルファクラブ武蔵野の橋本と申します。まずはこの様な機会を頂きました杉浦さんに改めて感謝申し上げます。本当にありがとうございます。杉浦さんとは前職の入社の手ほどきを頂いてから、もう20年以上お付き合いを頂いております。折角ご紹介を頂いた前職を退職する事になり、ご挨拶にお伺いした際、「外の世界は広くて、本当に楽しいので、どんどんチャレンジした方が良いですよ!」とアドバイスを頂戴した事は、本当に嬉しかったです!そして今正に、全く違う世界を経験しております!

その中で、私が実現したい事の一つが、私の母の介護から学んだ事になります。

私の母は18年可愛がっていたワンちゃんを亡くし、実家で一人になった時、一気に認知が進みました。離れて住む私は、早朝から記憶が錯誤している母親から数分ごとにかかってくる電話に対応する日々でした。その時支えてくれたのが、近くに住んでいる町内会の方であり、市役所の皆さんや連携する病院の方たちでした。母親のサポートはもちろん、行政の手続きの仕方など様々なアドバイスを頂き、要介護に認定された事で、介護サービスを享受させて頂く事ができました。とはいえ、当初サービスに慣れるまでは、様々な文句を言い、相変わらず電話をかけてくる母でしたが、気付くと錯誤していた記憶は戻り、笑顔が戻り、今では、認知は進んでおりますが、楽しそうに生活をしており、ほとんど電話がなくなりました。(電話がないのはないので、寂しかったりします・・・)この経験で学んだ事は「コミュニティとコミュ二ケーション」の重要性です。コミュニケーションがとれるコミュニティがある事で、人は心豊かな生活を送る事が出来るのではないかと考える様になりました。そして当社を支えて頂いている45万人程の互助会の会員様に、地域に根付いた、楽しくコミュニケーションして頂ける場所や機会を、ご提供する事で、少しでも多くの人が、少しでも長く、明るく元気で前向きになって頂きたいと思い、日々楽しく走り回っております!そんな活動をしている中で、杉浦さんからいつも「こんな事している方がいるんだけど、皆さんに喜んでもらえるんじゃないかなと思って」とご縁を頂いております!本当に感謝です!是非皆様からも様々なご指導を頂けましたら幸いです!

【橋本さんと錦糸町の某社さんへ】

橋本さんの略歴
1973年福島県郡山市生まれ

1996年野村證券株式会社入社(杉浦さんと同じ業界だったので、見つけてもらえました!)

2002年三井住友海上火災保険株式会社入社(杉浦さんと出会えました!)

2004年株式会社アドバンスクリエイト入社(杉浦さんのおかげで素晴らしい20年を過ごさせて頂きました!)

2023年アルファクラブ武蔵野入社(新たなチャレンジの為に、杉浦さんから多くのご縁を頂いております!)

私をたくさん持ち上げてくださった、橋本さん、まとめる力、巻き込む力、まさに橋本さんに引力で引っ張られ私も仲間の1人としてご一緒できそうなことがたくさんあります。面倒見の良さも天下一品であり、私の父が他界した際に親身になって相談に乗ってくださいました。またビジネスでお返しできるように頑張っていこうと思います。今回はインタビューを受けてくださって本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願い申し上げます!!