羽ばたく備えを怠りなく、踏み出す一歩はもっと大切

ー杉浦佳浩

羽ばたく備えを怠りなく、踏み出す一歩はもっと大切


2021年 03月 08日

【今週の自戒】
〜羽ばたく備えを怠りなく、踏み出す一歩はもっと大切〜

500メートル圏内にあるお寺に掲げてあった言葉
〜羽ばたく備えを怠りなく〜写真上下を見比べると
どちらが備えているか。準備に時間、丁寧かが分かる。
そしてその丁寧の大切さも教えてもらえたことが大きい。
準備の大切さも見比べることで一層気付きを
貰えました。
双方のお寺さん
もう10年以上は毎月【書】を掲示されている
その継続力には頭が下がります。
近所のお寺にはなにも掲げていないお寺もある。
そうなにも踏み出していない、発信もしていない。

先日、発信力が弱い自分を変えたい
という人に出会いました。
それで、こんなこと、あんなこと、
やっていますか?
と聞いてみるとなにもやっていない。
やろうとしないのですか?
・・・・・・・
そんな感じ。

羽ばたく、一歩を踏み出すイメージも無いのに
備えなんてできるはずがない。
なにかやってみて、やりながら改善、改良していく
そして周囲の人を巻き込んでいく。
自分一人でずっと継続的にできるなんて
よほど自立した人。

自分で行動し、継続できることを
増やしていこうと思います。
春風に乗って羽ばたく1週間に
今週も
よろしくお願い申し上げます。

【とにかくステージに立とう】
伊藤羊一氏の心に響く言葉より…

インターネットの普及のおかげで、誰もが自分の求めている情報をピンポイントで、かつ大量に手に入れられるようになった。
インプットについては、これほど恵まれている時代はない。
けれども、毎日大量のネットニュースを読み、バズったSNSのエントリーを読み、「すごい」ビジネスパーソンのブログを読み、ビジネス書もたくさん読み…と大量のインプットをしながらも、それは人生の充実には必ずしも直結しない。
むしろ、大量にインプットしながら、モヤモヤすることは多い。

他人のアウトプットを消費して、「すごいな」「役に立つな」「おもしろいな」と思いながら、その反面で、「でも、自分にはアウトプットできるものが何もない」「この本の著者はすごい。それに比べて、自分はすごくない。イケてない」「自分には表現するだけの価値がない。自分は何者でもない」
そんなモヤモヤを、心の中に降り積もらせてることもあるだろう。

デジタルの力で人とつながることは容易になった。
では、誰もが他人といいつながりを作れているのか。
足りないところを補い合い、自分の力をぞんぶんに発揮できるようになっているのだろうか。

モヤモヤを溜め込んでいても、がんばっていないわけではない。
むしろ、向上心があって勉強熱心だったりする。
本を熱心に読んで、ウェブ上でも常に情報収集をして、勉強会やオンラインサロンにも積極的に参加する。

あなたにも、表現することはある。
あるに決まっている。
あなたは他の誰でもないあなたである。
あなたが自分の中にあるものを表に出せば、それは世界にひとつしかない。
世界をよりよく変えていくための貴重な種になるのだ。

だから、表現しよう。
アウトプットしよう。
あなたにもアウトプットするべきものは、たくさんあるし、できる。

僕がこの本で言いたいことは、
「モヤモヤをエネルギーに、自分を表現しよう」
ということだ。
そのモヤモヤは、
「自分を知り、表現したい」
という欲求だと思う。

経営者がビジネスを通じて自分の理想を実現しようとするのは、表現のひとつの方法だ。
ミュージシャンが楽曲を通じて表現をするのと同じだ。

「モヤモヤしている人は、どうすればそんなことができるようになるのか?」と知りたいだろう。
結論を言ってしまえば、「とにかくステージに立とう」
「どうしたらできるようになるか、じゃなくて、とにかく自分の中にあるものを出してみよう」ということだ。

『ブレイクセルフ』世界文化社

人生を舞台にたとえるなら、世界中の誰もが舞台(物語)をひとつずつ持っているということだ。
つまり、75億人分の舞台(物語)があるということ。
その舞台では、自分が主役となり、脚本も書き、演出も監督もすべて自分がやる。
その舞台には、友情出演してくれる多くの友人や会社の仲間、そして家族がいる。

本当は、生きているということだけで、一人ひとりが舞台に立っているということ。
華々しくて、自己表現が上手で、有名人となり、観客も多い舞台もあれば、
ひっそりと、淡々としていて、つつましやかで、観客も少ない舞台もある。

どちらの舞台がすぐれている、というわけではない。
神様からみたら、どれも同じ舞台。
ただどちらの舞台でも、一生懸命に演じているか、それとも、ふてくされたり、投げやりに演じているかの違いは大きい。
誰にも見られていないからと、手抜きして適当に演じたら、それはわざわざ時間を使って見に来てくれる、観客や神様に対してあまりにも失礼だ。

本当は、多くの人が、今この瞬間もステージに立っているのに気づいていない。
そして、観客にも神様にも、一部始終をすっかり見られているのに気づいていない。

誰にとっても、一度しかない舞台。
いい加減に演じるにはあまりにもったいなすぎる。

どうせ、ステージに立つなら、最後の最後まで、力の限り一所懸命に演じ切りたい。

上記の【とにかくステージに立とう】については人の心に灯をともすより引用しています。