我を張っているときって、どこか角ばっている、丸くいこう、心ころころ。

ー杉浦佳浩

我を張っているときって、どこか角ばっている、丸くいこう、心ころころ。


2020年 12月 21日

【今週の自戒】
〜我を張っているときって、どこか角ばっている、丸くいこう、心ころころ〜

日々のビジネス上の対話の中で、
年末だからか、角張った話が
耳に入ってくる様な気がします。

前後左右なく
『これやっといて』
『ついでにできるでしょ』
『やれるよね』
『できないの』
刺々しい、えっ?このタイミング?
ってそんな心無い、指示命令で
塞ぎ込んでいる人と会いました。

これもなにかの知らせ、
その人とはもうビジネスをするな
って教えてもらっていることだと。

角張った言葉を発する人とは
長続きしない。
それがわかっただけも大きいこと。
その人とはこんな会話をしていました。
そしてどこか他責になっている。。。

自分への戒めに
角張った言葉を発しないように。
・出来もしない約束はしない
・焦ったタイミングで動かない
・できない自分を隠さない
・忙しい時ほど余裕を持って
・非をきちんと認められる
・ワクワク感で行こう

棚卸しって大切なこと
人付き合いの棚卸し、
心の棚卸しができる時間も必要。
心ころころ丸く活きていけるように
今週も
よろしくお願い申し上げます。

我を張り続ける人には、
小さな努力を怠っている、
継続力(人付き合い、事業の継続)
が低いように感じます。
小さな努力を大切に。

【小さな努力積み重ね】

渡辺和子氏響く言葉より…

学生がこんな手紙を書いてくれた。

「小さな闘い…幼い頃よく聞かされた努力とか忍耐ということを、知識が多く入って来るつれて、私はないがしろしてしまったようです。
理想や、大きな結果ばかり追っていました。
…たいせつなは、これら小さな努力積み重ねではないでしょうか。
小さな苦労をいとい、自分自身生活をコントロールできなくて、どうして『神だ』『愛だ』と言えるでしょうか」

大学3年生学生は、だから「小学生道徳ようですが」と前置きして、「これからは早起きすること、一つひとつ授業ち込むこと、何ごとも後まわさないこと、気分左右されず、一定時間勉強し、定刻寝ることなどを自分課していく」というである。
これは、こ学生とって、実行するという決であると同時いやそれ以上、自己変革へ決意と言ってよいだろう。
私はこ手紙を読んで、はからずも数週間前した草野天平詩書かれていた言葉を思い出していた。

「いくら立派な詩を書こうとしても、詩的生活が安易で一般と大差なければ、形も精神もも打たず、特別な響きなど到底生まれてくるもではない。
本質は憧れ向かって実際歩くことで、難しいはこ身である。
向こう世界と歩き方純粋さある」

先述学生言葉ではないけれども、「神だ」「愛だ」といくら立説こうとしても、説く日常生活が安易流れていて、そこ厳しさがないとすれば、そ言葉も精神もを打たず、動かすことなど到底望めたことではない。
難しいは、いか説くか以前「こ身」であって、いか毎日を生きるかある。

「小学生道徳」ようなことでいい、というか、むしろ、それさえできていない自分が恥ずかしい。
新しい年は、小さなことでいいから、一つずつ自分課してゆくをつくり、守ってゆこう。
それは「自分らしさ」というもをつくってゆく近道ではないだろうか。

わずらわしい間関係中で自分らしく生きてゆくは勇気がいる。
自分はこうありたいという理想へ現実的な忠実さが求められる。
それは、悪意を持っているとしか考えられない相手対して、なおかつ善意を失わないことかも知れないし、無礼な態度をとる儀正しさを崩さない毅然とした在り方をいうかも知れない
おさめる」ことを知っていたマリアよう、神と対話を優先する生き方であり、神まなざし映る自分姿を絶えず正すことよって、他から評価それほど一喜一憂しない自分を創り上げてゆくことでもある。

それは決して、ひとりよがり生活をすることではなく、一つひと思い、言葉、行動自分なり意味を与えることよって、自としてゆく責任ある生き方へ努力である。
淋しさを味わわねばならない時が必ずあるだろう。
しかし淋しさなし確立はあり得ず、孤独をかみしめたことない者、他いたわりとやさしさは生まれない。

来年はいつも増して機械化、自動化が押し進められる時代となるだろう。
文明進歩を手放しでよろこぶ前、そため間が失いつつあるもじっと目を注がなければならない。
繰り返すことしかできない機械対して、二度と同じ時間を過ごすことできない間が、そかけがいない一生を充実したもとして過ごす一つ方法は「自分らしく生きる」ことではあるまいか。

一つひとつ物事、一ひとりをこめて接してゆこう。
一日一日自分格をきざみつけてゆこう。
そこ自分しかつけられない「生軌跡」がつけられてゆく。
自分らしく生きる強さは、他も「そらしく生きる」ことを許す寛容を生み、相手をやさしく包んでゆく。

やさしくね、やさしくね
やさしいことは強いこと

宮城まり子さん言葉が、そんな生き方を裏づけ、励ましてくれるようである。

『あなただけ生をどう生きるか 若いたち遺した言葉』ちくまプリマ―新書

哲学者森信三先生は、躾(しつけ)三原則を提唱している。
【しつけ三原則】
1.  朝あいさつをする子。 それは先ず親方からさそい水を出す。
2. 「ハイ」とはっきり返事できる子。 それは母親が、主呼ばれたら必ず「ハイ」と返事をすること
3. 席を立ったら必ずイスを入れ、 ハキモノを脱いだら必ずそろえる子

挨拶基本は、より先挨拶をすることをがけること。
そして、呼ばれたら必ず「はい」と返事をし、席を立ったら椅子を入れ、脱いだ靴は揃えること。
「はい」という返事は自分「我(が)」を捨てる一番よい方法だ
我ままなったり、偉そうなる気持ちをおさえるからだ。

躾(しつけ)とは習慣化ことだ。

前で、どんな偉そうなことを言ったとしても、「あいさつ」「返事」「後始末きちんと」という基本動作が習慣化できていないは信用がない。
小学生で教えるような「躾」ができていない大は多い。

長く続く良き習慣は、そとって「信用」であり、目は見えない財産だ。
小さな努力積み重ねこそが、習慣化第一歩。

それこそが、「凡を極めて非凡至る」ということ。
でもできる平凡なことを、誰もできないくらい徹底して続けてゆくと、「非凡」というより一頭地抜きんでたとなることができる。
「凡事徹底」でありたい。

上記の【小さな努力の積み重ね】については人の心に灯をともすより引用しています。