『仲間力』を大切に、その先に自分の「使命」は、人に探してもらうわけにはいかない。 自分で探すしかない、と気付く。

ー杉浦佳浩

『仲間力』を大切に、その先に自分の「使命」は、人に探してもらうわけにはいかない。 自分で探すしかない、と気付く。


2020年 04月 20日

【今週の自戒】
~『仲間力』を大切に、その先に自分の「使命」は、人に探してもらうわけにはいかない。  自分で探すしかない、と気づく~

先日、大阪のビジネス街にて、
人通り少ない中、
15分ほど歩いていると
3人の人にバッタリ会いました。

一人目、数カ月ぶり、
前回面談のお礼を伝える。
近況をお互い交換して
『また連絡しますね!』

二人目、恐らく10年ぶり?
私のことを周囲の方々から
お聞きいただいていたようで
嬉しいバッタリ、そして立ち話。
『近々会いましょう!』

三人目、6年ぶり?
私から声を掛けても
ほぼ無反応。。。。無視に近い。
私はこの再会、ほんと良かったと
思っています。
当時から、その人が勤める会社で、この御仁
人望のカケラも無かったことを
思い出しました。
私もこの6年一度も会いたいと
思わなかった。
もう一度会いたいと思わない人
そうならないように。。。

この人を思い浮かべながら、
スプレッドシートに
単純な計算式を入れてみました。

一番上に【1】を入力、その下に
=A1*2 この数式だけ、
この数式を下にコピーしてみる。

5段目は16に
10段目は512に
15段目は16,384に
20段目は524,288に
25段目は16,777,216に

この計算結果の数字を
人(お客さん)や会社数(顧客社数)に
段目を年数に置き換えてみる。
1人(社)の人から2名(社)の人(社)を
毎年確実に
ご紹介を貰えたら、、、
25年目には1600万人(社)に。
たった一人ではなし得ないですが、
これを企業と例えると、
最初は一人カンパニー、
しかし、社員という仲間、
お客様という仲間、
立場が違えど『仲間』が集うと
こうなりますね。すごく単純。

しかし、
仲間が集わない人、会社だと
いつまでもしんどい、しんどい
状況が続きます。

もう一度会いたいと思わない人、
人望も人徳もない人が集えば
いつまで立っても、売り込み、売り込み
すぐに人が離れて行くその繰り返し。

今朝投稿の写真、
・人生は短い、怠けて良い日は一日も与えられていない。

・相手を尊び思いやる気持ちが人の輪(和)を生み出していく。

まさに。

先週、経営者のお二人から嬉しい報告がありました。

・お一人目は、10社近いグループを経営されている方
お世話になります
昨日、コロナ対策について話し合い方針を社員さんに伝えることにしました
①会社として雇用を守ることを第一に行う
②都市封鎖となっても1年以上は安定して給料を払える
③出勤でなくなった場合、残業代などがなくなり減ってしまうが、減った分は食料などで現物支給も検討している
④当グループは終生雇用を目指している
各会社の社長と合意できてよかったです
熱き仲間に感謝です
嬉しかったのでおもわずメールしてしまいました

・お二人目は、会社経営20年の節目を迎えた方
売上ベースでは短期的には50%のダウンです。
この時期に、同業他社がやらない事業について
社員と話し合いました。
社員との合意で、7月には新規事業の立ち上げを
行うことにしました。
面白いことになりそうです。

先週、
このお二方以外にも多数の嬉しいお知らせが
いただけるというシアワセ。。。

仲間力を大切に、その先に、自分を律しているからこそ
社員のみんなも共感しくれる。
このお二人は自分の【使命感】をはっきり持っている。
その大切さも。【独り】の部分があるからこそ、
仲間も大切に出来るように感じました。

今週もよろしくお願い申し上げます!

【生まれるのも独り、年老いるもの独り】

曹洞宗の尼僧、愛知専門尼僧堂堂長、青山俊董氏の心に響く言葉より…

《独り来たり独り去る。一として従う者なし。》(大無量寿経)

幼な子が独り旅立った。
なげき悲しむ母をおいて。

五十余年の歳月を共に歩み、いつくしみあってきた老夫婦。
夫を残して妻は逝った。
旅立つも独り、あとに残るも独り。
独り残った老翁はつぶやいた。
「孤独地獄におちています」と。

釈尊は生・老・病・死の四苦を説かれた。
生まれるのも独り、年老いるもの独り、病むのも独り、死するのも独り。

「人は、ただ独りでそれに立ち向かっていかねばならぬものだ」ということを、唯識学の泰斗(たいと)の、太田久紀先生は、ご自分が病んでみてあらためて痛感したと語っておられる。

「独り来たり独り去る。一として従う者なし」と、すでに仏は説いておられる。
「助けてもらえるような」「助けてやれるような」というあまえを捨てて、立ち向かわねば、と思うことである。

『あなたに贈る人生の道しるべ 続・ことばの花束』春秋社

「我々は遠くから来た。そして遠くまで行くのだ…」
という、イタリアのパルミーロ・トリアッティの言葉がある。

我々は、この時代、この国に生まれ、今、この時を過ごしている。
独りで生まれ、そして、独りで死んでゆく。

かつての東北大震災のときは、我々は、「絆を深めよう」「手を取り合おう」「応援のためにもっと店に行こう」「みんなで集まって応援しよう」と、仲間としての温かなつながりが強く必要とされた。
しかし、このコロナ禍(か)においては、「人と距離をとれ」「近づくな」「集まるな」「不要不急なことで出歩くな」「人の集まるところには行くな」「ステイホーム」と、かつての価値観とは恐ろしいほど様変わりしている。
独りになること、孤立することをこんなにも要求されたことは、かつてなかった。
そこに何の意味があるのか?

メンタルトレーナーの梯谷幸司氏はその大きな目的を、独りになることにより「何のために生きているのか」という、問いかけを自分にするためだという。
独りになって自分を見つめなおすこと。
使命を知ること。

およそ、大事なことは、すべて独りでやらなければならない。
「生、老、病、死」は、誰に代わってもらうこともできない。
あるいは、読書も、勉強も、修行も…

『他(た)は是(こ)れ吾(われ)にあらず』
という道元禅師の言葉がある。
道元禅師が中国に留学していたとき、典座(てんぞ)の68歳の年老いた僧が炎天下黙々とシイタケを干していた。
道元禅師は、そういう仕事はもっと若い僧に任せたらどうかと言ったが、「他の人にやってもらったことは、自分でやったことにならない」と年老いた僧は答えて、その作業を続けた。
自分の「使命」は、人に探してもらうわけにはいかない。
自分で探すしかない、ということだ。

また、こんな言葉もある。
『独(ひと)りを慎(つつし)む』

君子は誰もみていないところでも心を慎み戒(いまし)める。
そして、誰も聞いていないところでも自分の言動を恐れる。

隠れて誰も分からないように思うけれども、それを長く積み重ねていくと、思いがけない時にそれが明らかになる。
これを、「慎独(しんどく)」と言って修養の一番重要な部分であり、自分を磨き、人格を高めるために必要なこと。
お天道様が見ている、ということだ。

この時期、この時…
独りになって己を見つめなおし、自分を磨きたい。

上記の【生まれるのも独り、年老いるもの独り】については人の心に灯をともすより引用しています。