ご縁結びのコーナー 第63回 天創堂株式会社 粕井 健次さん 〜ご当地ブランド事業を通して世界中の人に感動をお届けする〜

ー杉浦佳浩

ご縁結びのコーナー 第63回 天創堂株式会社 粕井 健次さん 〜ご当地ブランド事業を通して世界中の人に感動をお届けする〜


2020年 04月 11日

天創堂株式会社のHPはこちらです。

出会いから今年で10年、25歳だった若手経営者も今では中堅の年齢に。ひょうきんな側面と真剣にビジネスに向き合う姿をずっと拝見してきました。今回は、オモシロ経営者の粕井さんの経営者、企業での取組についてお伝えしたいと思います。

◆天創堂に込めた思い。
社名だけ聞くと100年以上続く会社?と思いますが、事業承継を経た訳でもなく、自ら社名を命名したそうです。
HPには、
〜「天創堂」という社名は、サービスや商品を通して豊かで幸せな社会を創っていきたい、日本の個性や文化を発展させ世界に誇れる国にしたい、という思いを込めて命名いたしました。
また、ロゴの一番左のマークは、「人」を大切に中心に据えて、3色のグラデーションで「天」の漢字を表しながら、上へ上へとあがっていくイメージを表現しています。〜
と記載されていますが、粕井さんにもう少しお聞きしますと、『天を創りたい、天とは、理想の社会を実現したいという思いからきています。創業当初の事業は、ネットビジネスだったので、○○コムとか、○○ネットとか、横文字系の会社名の方が合うと思ったのですが、日本が好きなのであえて漢字名で、それでいて、ロゴは世界企業になって空港等でロゴ掲載しても恥ずかしくないようなぐらいに、ということを考えて創りました。』と熟考されての社名、大切なことだと思います。

【なぜか坊主頭の時の粕井さんと】

◆お祖父さん想いの粕井さん
今までに何度なく粕井さんからお聞きすることに、お祖父さんのこと、その存在の大きさに気づきます。
現在の事務所のすぐ目の前にはお祖父さんが創業した会社があったところ。
お祖父さんとも同居の7人家族で生活していた。
お祖父さんの最期も自宅で間近で経験
お祖父さんが創った会社のように3ケタ億の売上の会社を展開したい
資本金777万円は験担ぎ、これも商売人のお祖父さんの影響か
粕井さんと話していると、起業家というより、どこか懐かしい大阪の商売人のような錯覚に陥ることがあるのですが、大好きなお祖父さんの影響を良い面で受け継いでいるのだと思います。

◆明確に起業をすることを目標に就職へ
お祖父さんの影響もあり、起業家を目指すことを早い段階から決めていた粕井さん、就職も、起業をするのにどこが有利か?そこを考えて決めたそうです。明確に3年で独立すると決めて。70社〜80社を就活で訪問、その後、就職先に選んだのは、サイバード社。ガラケーからスマートフォンに変わろうとする夜明け前、これから益々携帯の時代、モバイルインターネットの世界、コンテンツの時代がやがて訪れると確信して入社したそうです。目利き力すごいですね。でも今はお土産物屋さんですわぁ〜と笑顔で話されてましたが。。。
3年で独立を考えていましたが、一刻も早く独立しようと予定より半年早く2年半で独立、天創堂を設立にいたります。

◆苦難の連続も10期連続増収を達成中
起業当初は、自社サービスを立ち上げて2〜3年で売上100億円!とかなり鼻息荒くスタートするも、実際は、調達した資本金はすぐに底をつき、会社の資金も残り30万円を切るところにまで一気に減ったそうです。
ちなみに、当初の自社サービスは、【超エコワリ】とネーミング、コンビニでのお弁当やおにぎりの食品廃棄ロスを軽減するため、モバイルを活用した画期的な事業モデルでした、当時大手コンビニに提案までしていましたが、どこからも受け入れらずに事業は撤退に。フードロスが今叫ばれていることからも、少し早すぎたのかもしれません。ビジネスのタイミングの大切さ教訓としたいと思います。粕井さんも、『パワポで絵を描いていたもの、Excelで入力した数字はそのとおりにならないこともある事を理解していなかった・・・』としくじり報告をされています。

起業して1年、資金が底をついてから、ホームページ製作等々の受託製作事業を開始、そこで順調に売上を伸ばしていきました。

資金面での苦労、それ以外にも。人の離反を何度か経験、創業メンバーの離職、ある時には半年で正社員3名が退職、その他にも同様のことが発生、その原因には、【組織図が気合だけ】【社員との信頼関係の欠如】【誰をバスに乗せるか?考えていなかった】、そこから、理念・ビジョンの明確化、自身での有言実行を教訓に組織を立て直し事業に向かっていらっしゃいます。2019年にはNewsPicksにも登場。その記事はこちらです。10期連続増収、創業対比売上、150倍以上となっています。
余談ですが、最近はNewsPicksへのコメントも注力され、プロピッカーを目指しているのでは?と感じたりしています。

【時より事業報告ということでお会いしています】

◆ふとしたご縁から今のお土産もの販売へ
厳しい経営環境から、web系の受託製作へと転換、順調に成長期に入っていた粕井さんに今の事業に通じる転機を迎えることになります。それがライセンス事業。そのスタートが、【ビリケンさん】関西人には馴染みのある幸福を招くシンボル。そのweb製作から発展し、ビリケンさんのライセンス管理にビジネスが移行していきました。

粕井さんの会社が運営するビリケンさんのサイトはこちらです。

キャラクターグッズの製作、着ぐるみを作っていろんなところにイベント出演したり、プロモーション、あらゆる商品化を通じてものづくりの楽しさにも触れて行った粕井さん。ここから、各エリアで参加熱のあるマラソンのライセンス事業にも展開がスタート。いろんな企画、【オモロイ発想】から、ロイヤリティ、物販、ノベルティ製作、そこに付随する委託費へと事業の領域が広がりました。

このライセンス事業からさらに次のステップとなり、大きな成長を遂げることになったのが、【お土産物卸事業】です。ライセンスで作っていたお菓子、土産物が注目されるようになり、大手小売企業から『うちの棚を任したい』という声が掛かるようになってきました。【帳合商売できる?】と言われ、なんのこと?と思いつつも、全国の中小お菓子メーカーに声を掛け、インバウンド市場にお土産物をぶつけるビジネスに乗り出しました。
在庫を持たないビジネスモデルで、お土産物の【棚プロデュース事業】という新しい手法で、どんどん棚の面積、扱い店舗数も増えていき、最近では、ドラッグストア、洋菓子店との連携にも乗り出しています。オリジナル自社商品の開発、海外への輸出にも。冒頭の〜ご当地ブランド事業を通して世界中の人に感動をお届けする〜をまさに体現されていると感じます。

【私がビリケンさんになっております】

◆最後に粕井さんから一言いただきました
「大阪のベンチャー会、いまや、日本のベンチャーの父的存在の杉浦さん、本当に有難く、感謝しています。10年前に出会った頃、杉浦さんはサラリーマンをされていましたが、その時すでに、大阪のベンチャー経営者の間でものすごい人だという噂を聞いていました。関西若手の会という勉強会で初めてお会いさせていただき、当時飯を食うことも困っていた僕は、「成功者に共通することは何ですか?」と初対面で恐るおそる声をかけさせて頂きました。それに対して杉浦さんは、少し考えられた後に「たらいの法則ですね」と答えられた事を、今でも鮮明に覚えています。「たらいの水は、自分のところにたぐり寄せると逃げていく。相手に水を送ると自然に自分のところにかえってくる。成功されている方は、そういう方ですよ」と、若造に真剣に答えて頂きました。僕がどれだけその教えを実践できているかは分かりませんが、そのお話を聞いて、自分だけでなく、取引先やお客さん、従業員を幸せにできるような仕事をしようと思うようになり、大変なこともありながらも、売上も伸びていくようになりました。そして、「たらいの法則」は、何より杉浦さんご自身が一番実践されていて、それが本当にすごいと思います。口で言うのは簡単。でもそれを自然体で、奢らず謙虚に、それでいて楽しそうに感謝に溢れながら実践されている。本当に、すごい方だと心から敬愛しています。

今後やっていきたい事。僕はやっぱり日本が大好きです。おじいちゃんは海軍の特攻隊でした。命がけで国や家族を守ろうとした人たちがいるからこそ、僕たちは今の平和や豊さを享受できている。こんなに豊かで素晴らしい国なのに、僕が生まれて(1985年)物心ついた頃から、バブル崩壊、ずっと右肩下がり、リストラや倒産、阪神大震災や地下鉄サリン事件等を経験し、僕らとそれより下の世代は、将来に夢が持ちにくくなっていると感じています。日本は素晴らしい国です。生まれてきて良かったと、次の世代が言えるような国であり、その一翼を僕らが担いたい。ご当地のブランドをもっと海外の人に買ってもらえるようにしていきたいですし、今後は日本を一つのコンテンツと捉えて海外進出、たとえばお祭り・縁日を再現したような催事をドバイでやる等、していきたいです!!

粕井さんの想いと共に世界中に日本の美味しい、オモシロ企画が広がることを私も願い、お役に立ちたいと思っています。これからの展開が楽しみです。

取材後記:このインタビューをさせていただいたのが今年の1月後半、そこから新型肺炎によるインバウンド観光客の激減、厳しい経営環境となった粕井さんですが、現在コロナショックにへこたれることなく事業再構築に励んでいらっしゃいます。その取り組み姿勢に真摯に受け止め、粕井さんへ心ばかりのエールを贈りたいと思い、今回記事公開に踏み切りました。
粕井さんの素敵な笑顔とともに事業の進展を楽しみにしています。