昔は不平等と思っていた【時間】、今は【捉え方】がすべてに。

ー杉浦佳浩

昔は不平等と思っていた【時間】、今は【捉え方】がすべてに。


2019年 12月 09日

昔から【時間】は平等であると言われ続けてきました。
しかし私自身は不平等ではないか?
と思うこと若い頃感じていました。
・組織体をマネジメントしている人
・金銭的に裕福な人
明らかに違うのではないか?と。
しかしどうも時間はそこにあるだけ捉え方次第で明らかに変化する。
そんな風にやっと感じられるように。

先日お会いしていた方。一日の中で締切がいくつも設定されている業界。
しかも締切以外に突発対応も普通に幾度も。
気が休まらないとはこの仕事環境のこと。
その多忙を極める中で、
平然とニッコリとしながら私との面談時間に
コミットしていらっしゃいました。
机上には携帯が2台、
何度か着信があっても見ようともしない。
私と会うことを優先して下さって
感謝の気持ちが沸き立つ感じでした。

一方同業界で、
違う会社の方とも同じ週に会いました。
まずは遅刻からスタート。
自分は忙しいというオーラを撒き散らしながら。
自分の興味だけ、
こちらの話には、『そうですか〜』と聞き流す。。。。
自身の必要な情報を得た瞬間に
『それでは〜』という感じで。

このお二人の【時間】の使い方を見て改めて、
どう捉えるか、心がけ次第で
時間はいくらでも変化する。
若い頃に思っていたことは不平等ではなく
【見方】【心掛け】【捉え方】の違いだったのだと
せっかくの貴重な時間もっと大切にしたいと。
時間を大切にする1週間に!
今週もよろしくお願い申し上げます!

時間によく似た感覚には、
年齢差、性差、その他いろんな上下目線って
ありますね。
私はできるだけ、
リスペクトできるところはどこ?
そこを見つけ区別なく会話できるように。
これも捉え方次第と改めて感じました。
素晴らしい点を見出だせるように。

改めて、見方、意味付けの大切さを感じる年頃?
になってきました。
それも年の瀬だから?でもそれも捉え方ですね。
感謝の気持ちを忘れず、楽しく日々新たに。。。。

【すべては見方次第】
「正観塾」師範代、高島亮氏の心に響く言葉より…

「幸も不幸も存在しない。そう思う心があるだけ」
これは、小林正観さんがよく言った言葉です。
幸福や不幸という名の現象はない。
受け取る人のとらえ方次第で、目の前の現象は「幸」にも「不幸」にもなる、という意味です。

この言葉をはじめて聞いたとき、ぼくはすんなり受け入れることができませんでした。

(幸も不幸もないって、そんなことはないでしょう。
病気やケガをすることは不幸なことだし、貧乏だったらやっぱり不幸でしょう。
給料が上がったら幸せだし、宝くじが当たっても幸せだろうし、何かの大会で優勝したり表彰されたりしたら、それはやっぱり幸せなことでしょう。
願いが叶えば幸せ、叶わなかったら不幸っていうのは、今も昔も変わらない。
そもそも、自分の願いを叶えて幸せになるために人々はがんばっているんだし。
なのに、幸も不幸もないって、どういうこと?)

この「幸も不幸も見方次第」という考え方は、正観さんの教えの根幹です。
これと対になっているのが、「現象はゼロ」という見方です。

コップに水を半分入れ、それを「水が半分しか入っていない」と言うこともできれば、「水が半分もある」と言うこともできます。
でも、事実はただ一つ、200ccのコップに100ccの水が入っているということだけです。
それが多いとか少ないとかいうのは、人間がつけた評価であり感想です。
現象としてはプラスもマイナスもありません。
ゼロです。
現象自体には意味はなく、常に中立(ニュートラル)です。
それに対して、「たくさんあってよかった」と思えば幸せと感じ、「少なくていやだ」と思えば、不幸なものになってしまいます。

つまり、幸も不幸もはじめから決まった現象としてあるわけではなく、それをどう受け止めるかによって決まってくるということです。
だから、幸や不幸はそう思う心次第。
すべての物事の構造はそうなっていると言うのです。

また、正観さんは、こんな話をしてくれました。
ある宿のご主人から、「夕食のあと、早く食堂を片付けたいのに、食べ終わった客がいつまでもしゃべっていて片付けられない。どうしたらいいか」という相談を受けました。
正観さんは、解決策の代わりに次の見方を教えました。
食事がまずい、食堂の雰囲気が悪い、宿の人の対応が冷たいという場合、お客さんは食事が終わったらさっさと部屋に引き揚げる。
でも、食事がおいしい、食堂の居心地がいい、宿の人の対応があたたかいという場合は、食べ終わったあともそこでおしゃべりを続けたくなる。
なかなか部屋に帰らないということは、食事の時間が楽しかったということなのではありませんかと。

すると、「そうですね。部屋に帰らずに食堂にずっといてくれるということは、喜んでもらっているということなんですね。宿をやっている人間にとって、それはとてもうれしいことです」と相談者の顔がパーッと晴れたそうです。
現象は変わっていません。
お客さんを部屋に帰す方法を教えたわけでもありません。
お客さんが食堂に残っているという現象はそのままです。
そのゼロ(中立)である現象を、片付けの邪魔になるから困るととらえることもできるし、おしゃべりをして残ってくれてうれしい、楽しい、幸せととらえることもできる。
見方次第でどうにでもなるということです。
(解決策を言ったわけでも、何か指示をしたわけでも、現象が変わったわけでもないのに、悩みが解決している。
宿の人自身の見方が変わっただけで、悩みがなくなってしまった!)
コップの水だけでなく日々の出来事でも、この基本構造は変わらないというわけです。

『すべては見方次第』扶桑社

高島氏は、15年間にわたり、東京で正観さんの講演会を主催した方。
その後、正観塾の師範代に指名され、その教えを今も伝えている。

正観さんのこんな話が本書にあった。
『正観さんが伝えていた宇宙法則の中で、最も基本になる大法則がありました。
それは、「投げかけたものが返ってくる」というものです。
投げかけたものが返ってくる。投げかけないものは返ってこない。
愛すれば愛される。愛さなければ愛されない。
許す者は許される。許さない者は許されない。
裁く者は裁かれる。裁かない者はさばかれない。
作用・反作用の法則といってもいいものですが、すべての宇宙(世界)の現象にはこの大法則がはたらいているというのです。
「自分のしたことが自分に返ってくる」というカルマ(業)の法則といってもいいでしょう。
釈迦の教えでいえば、「縁起」の法に近いでしょうか。』

すなわち、この法則で言うなら、「ありがとう」と言えば「ありがとう」と言いたくなる現象がやってくる、ということ。
また、「与えれば、与えられる」ということでもある。
「ギブアンドテイク(give and take)」ではなく、「ギブアンドギブ(give and give)」
ただし、それらは、すぐに返ってくるときもあれば、時間がかかって返ってくることもある。
「幸も不幸も見方次第 」

ものの見方の達人を目指したい。

上記の【すべては見方次第】については人の心に灯をともすより引用しています。