第130回ご縁結びのコーナーBankers’ Mission株式会社 岡田聡朗さん(岡ちゃん) ”バンカーを自ら求め、求められる場所へ”セカンド&サードキャリアでもイキイキ働けるように〜私も共感しかないです!
2025年 11月 10日
代表世話人株式会社がめちゃめちゃ成長しているとか、うまくいってるとかは別として、現在12期目を継続できている事はある意味良かったなと自分なりに評価しています。
会社を継続していく上で大きく参考にさせてもらい注意してきたこと、それは会社員時代からやってはいけないことを感じていたこと、その事象の1つに、銀行を退職し独立する方々の失敗を見て、こういう風にやっちゃうまくいかないなという事例、たくさんの失敗事例を見ることで私は、自分がやらないことを決めることができました。その部分が大きく寄与して継続できていると確信しています。
多くの銀行OBの方々が融資のお手伝いをされ、ブローカーのような立ち位置をやっていかれて、浮利を追い続ける、クライアントを大切にせず自分のフィービジネスに熱心、そんな独立は長続きするはずはなく(せいぜい長くて5年)、せっかく銀行で活躍してこられた仕事の数々やご経験をもっとうまく生かせたらいいのにと、いつも思っていました。
今回のBankers’ Missionの岡田さん(私は岡ちゃんと呼ばせて頂いています)が独立する際に、その思いや理念をお聞きし、私も何かお役に立てたらと、微力ながら応援させていただきたいと思いました。
前述の様な独立ではなく、銀行で頑張ってこられたOB OGの方々がセカンド、サードキャリアでも、イキイキ活躍できるフィールドを、銀行に頼るのではなく、岡田さん自らが提供しようと一念発起されたからです。実際にイキイキと頑張っていらっしゃる元銀行員の方々の姿を見て、岡田さんのお仕事の素晴らしさを改めて皆さまに伝えられたらと思って、今回のインタビューをお願いした次第です。

【母校の前で2022年】
◆岡田さんとの出会いについて
岡田さんと私の出会いは、SMBCベンチャー会(SMBC現役行員や自分の意思で早期退職していったOB OGを中心としたベンチャースピリッツのみが参加資格の任意団体)です。この存在なくして出会いはなかったと思っています。このSMBCベンチャー会を立ち上げた川元さん、齋藤さんの同期コンビがいらして、もともと、私に川元さんから齋藤さんをご紹介いただき、お二人と仲良くさせて頂いておりました。このベンチャー会を、現役・卒業生や年次に関わらずフラットに繋げて盛り上げていくための同志として、岡田さんがいらっしゃいました。川元さんから岡田さんをご紹介いただき、岡田さんが起業される前、助走期間の段階から、私の仲良くしている経営者の皆さんに会っていただくようなことを、始めていました。私がご紹介した会社さん、経営者さん、皆さん非常に喜んでいただき、私もご紹介した甲斐がありました。この出会いを作っていただいた川元さん、SMBCベンチャー会を一緒に立ち上げられた齋藤さんに今も大変お世話になっております。

【2025年4月】
◆引っ込み思案?子供の頃の岡田さんの変化
子供の頃は引っ込み思案でした、今の岡田さんからは信じられないようなコメントが飛び出しました。幼少期から両親が共働きだったせいもあり、1人で遊ぶことを好んだそうです。昔、私も友人とよくやっていた野球盤ゲームを、ピッチャーとバッター、敵味方を同時にこなしながら、黙々と一人で一日中遊んでいたそうで、よく飽きずにと思った次第です。コマ回しも一生懸命、手が擦り切れる位まで一人練習するようなタイプで、負けず嫌いな性格もこの辺から培ったかも、と教えてくださいました。この一人遊びで、集中力が高まった事は、後々岡田さんの仕事にも起業にも大きな意味があったんじゃないかと感じた次第です。
また、転勤族のお父さんの関係でコミュニケーション力を培う方も多く見てきたことから、岡田さんにも同様の質問をさせていただいたところ、内向的だった性格から、小学校を3回転校するにあたり、自己の存在を主張することにも、目覚めるようになっていったそうです。たとえば当時流行っていた山本リンダや野口五郎の歌を突如熱唱したり、転校先でリーダー格の人と衝突し、結果として仲良くなるということも数多くあったそうで、今の岡田さんの人を思いやる気持ちも、この辺から、転校先で新たに出会うさまざまな方々とコミュニケーションを重ねることで、体感していかれたと思います。それにしても山本リンダの、どうにもとまらない、を突如熱唱したとは最高ですね!楽しい小学生だったんじゃないかと感じます。
◆名門開成中高へ、そこで学んだこと
小学校6年生の2月が人生頭脳のピークでしたと笑って話していただいた岡田さん、その甲斐あって名門開成中学に合格されました。しかし、後に家族で、開成対浦和の高校生クイズ決勝をテレビで一緒に見る機会があったそうで、岡田さんが全問不正解になってしまい、家族から学歴詐称疑惑が上がっていました、と笑いながら語っていただきました。また、中学時代、自分より全ての面で圧倒的に優秀なミスター開成と呼ばれた友人と出会うことで、ひどい劣等感を抱いたものの、シャイでもあったその友人をトランプの大貧民に誘って、仲間に引き入れ、喜ばせた経験から、誰しも万能ではなく、人を楽しませ元気づけることの喜びを知ったとのこと。この辺から人のためになること、勇気づけること、人の背中を押すことを、喜んでされていたからこそ、今に生きているように私は感じました。
高校時代、大きな思い出となることについて語っていただいたのは、開成中高の名物、運動会の話でありました。応援歌やアーチを自分たちで作ったり、とにかく運動会とそれぞれの組の戦いに没頭すること。それがチームワークにもつながるし、集中力をつけていくことや、勝ち負けにこだわる仕立てをされているんじゃないかと私も推察いたしました。その結束力はいまの年になっても衰える事はなく、遠慮なくいつでもお互い好きなことを言い合える間柄でいられることからも、この名門校の運動会の意義を感じます。
◆大学時代は麻雀と海外一人旅に 会社選びは知り合いが誰もいない場所を選択
高校の時の運動会で燃え尽きてしまった岡田さん、人生で生きていく意味を失いかけ、レールからも大きく外れ、二浪し、やっとこさ早稲田へ入学。ご本人からは、授業にも殆ど出ず、かなりやさぐれた大学生活だったと話しておられました。そんなこともあり、社会と少し距離を置くような状況で、大学時代は麻雀に没頭していたそうです。世の中の動きや流れに対して斜めから見るような感覚で大学生活を送っていたからと本人の弁。勝負の世界にしびれるような感覚があり、麻雀の世界で生きていこうと思っていた時期もあったそうです。
一方で、友人の影響もあり、初めて海外に、それも1人でブラジルなど南米に行った経験から、今まで自分の中でモヤモヤしていたような悩み事を吹き飛ばし、世の中は広いこと、サッカーとサンバがあればいつでも幸せなブラジルの国民性から、新たな生き方や視点を自分の中に取り込むことができたと話していただきました。ここは全く私も同感で海外旅行に行ったことから、自分の視野の広がり、世の中は広く世界にはたくさんのいろんな人たちが住んでいることを理解できたことが今の人生にも大きく影響していると感じています。
自由な大学生活を送っていく中で、就職についてあまり深く考えることがない中、岡田さんのご両親も心配していましたが、バブルの真っ只中で就職が容易にできる時代、商社に勤める先輩を訪ねてそこに就職しようかと思っていましたが、先輩から、これからの時代は、情報と金融の時代、片方の金融業界を見て来い、と勧められたこともあり、就職活動を真剣に始めるようになります。
金融業界に魅力を感じ始め、その時、一番厳しいと言われた住友銀行と野村証券、どちらかに行こうかと考えるようになります。当時就職したら殺されると言われた両社でありましたが、住友銀行には知り合いが全くいなかったこともあり、あえてそこに挑戦する。その覚悟で銀行を選ぶことになりました。この選択、迷ったら厳しい方へという岡田さんの人生に対する考え方に共感するばかりであります。
◆住友銀行で厳しい仕事を学べて、心底良かった
私が住友海上で働いていたこともあり、たくさんの住友銀行の社外上司的な諸先輩と関係を持っていた経験からも、カルチャー、銀行員の皆さんの突破力、エネルギーには、住友海上は全く及ばないなぁと感じたこともある位厳しくも、仕事に集中する部分は勉強させていただきました。
私も感じていましたが、真冬にコートは着ないで、寒い中でもスーツだけでお客さん回りをする、それが外回りの心意気だ、などは意味があるのかなとも感じたことがある。それぐらい徹底的にお客様に向き合う姿勢、住友銀行が回っているお客さんにはペンペン草も生えない位だと言われたのも懐かしいです。
岡田さんは新卒で配属されたのが、東京の下町エリアで外回り営業を担当し、当時たくさんいらした高卒の銀行の先輩たちから厳しい指導を受け、自身の成長も実感できるようになっていきます。あの先輩たちがいたからこそ今の自分があると感謝されています。その指導のおかげでお客様との信頼関係構築の重要性や先義後利を学び、実際に信頼を得るようなことを体感し、お客様起点を真に学ぶことができたとニコニコしながら語っていただきました。
ある時40度の熱が出たとき、会社を休むこともなく、高熱のしんどい姿であえてお客さんに行くことを、先輩から強いられ、今ではありえないですけれども、それで信頼を勝ち取ることの一端も学んだそうであります。さすが住友銀行ですが、ちょっと地獄を感じますね(笑)
住友銀行では後に、法人部門と個人部門を真っ二つに分ける拠点の運営方法が決まり、そこには両部門の隔たりやお客様の棲み分けなど、大きな問題も感じていましたが、岡田さんは個人部門に配属されます。当時はまだまだ証券会社に遠く及ばないレベルと言われていましたが、後のプライベートバンカーへの第一歩に、1995年から配置されます。当初、山一証券から転職で来た部下から信頼を得られるような事は全くなかったそうですが、企業オーナーや富裕層のお客様との関係構築に強みを発揮して、法人部門で取引のない、もしくは、役員表敬時しかお会いできないなど、銀行全体としても薄いリレーションしかなかった、企業オーナーや経営者個人の取引を開拓するようなことを継続していきます。
岡田さんは全然大したことではないです、と話されましたが、異動していく支店の名前を聞いて成果を上げていかれたことを私は感じました。麹町、日比谷、赤坂など大きな支店で、法人部の銀行の同僚からも信頼を勝ち取り、その上でオーナーからも信頼を得て、高じてプライベートバンカーとして指名されていくようになり、銀行内でも少しずつ実力や実績が認められるようになっていきました、と話してくださいました。これはお客さん以上に、社内からの信用信頼を得ることの意味も、私も同様のことがあったので、意義が大きいと思いました。
リテール部門として明確な実績を作ってきていた岡田さんは、人事異動の発令で本店ブロックからプライベートバンキング(PB)部門に当時最年少で異動することになります。PB部門は、年齢層の高い行内でも名前の聞こえたマネジメント層や外資や証券会社から転職で入ってきた人たちが幅をきかせる部門であった中で、文化の違い、尖った個性のぶつかり合いの中でも、人間的な暖かさに触れることができたと話していただきました。ただリテール部門からPB部門に行った際は、反骨心を剥き出しに、先輩たちが手をつけていなかった新興上場企業のオーナー層にアプローチし、頭取室に一人で入って頭取にアプローチ中のオーナーとの新本店での面談を直談判したり、銀行では当時例のなかった個人や資産管理会社向けの証券担保融資を実現するなど、あの手この手の営業手法で、応援してくれる仲間の方々の力を借りて、大きな成果を上げていかれたことも話していただきました。
◆起業に向かうきっかけ、外部への出向
PB部門での経験を積んでいくにつれ、銀行から初めて指名され、赴いたSMBC日興証券のプライベートバンク部門への出向が水が合い、出向終了後は転籍を強く希望するようになっていきます。しかしそれが叶わぬ夢となってしまったときに、当時お客様の上場IT企業の社長から声がかかって、転職を会社に伝える決断をします。ここで銀行側も実績がある岡田さんをおそらく守るため、転職ではなくて、出向扱いというかなり異例な対応をすることになります。岡田さんは出向扱いであったとしてもすぐに転籍し上場IT企業で頑張る覚悟で入りますが、カルチャーの違い、社長の取り巻きとの軋轢もあり、いつしか夜中飛び起きることも度々、奥さんから銀行に戻れるなら戻ったほうがいいんじゃないかと進言され、監査部に出戻ることになります。おそらくこの頃に私は前述の川元さんから紹介されたことを覚えています。

【SMBCベンチャー会立ち上げた川元さん、齋藤さんと】
しばらくは自分の無力感に打ちのめされ、抜け殻のようになっていましたと述懐される中、新規事業を頭取にプレゼンするようなコンテストが三井住友銀行の中であったそうで、岡田さんは4年連続出品し、第2回ではファイナリストに選出され、頭取の前でピッチをしたそうです。その冒頭で「監査部出戻りの岡田です」と話し出すと、頭取以下役員の審査員一同が大笑いしながらピッチを聞いてくださったそうです。
この頭取へのプレゼンに関しては、本店の中枢部門はじめ、新規事業部門や若手精鋭の行員がほとんどで、監査部からピッチに出るような人は誰もいなかったそうで、その中で、岡田さんは当初はSMBCベンチャー大学を創って、ベンチャースピリッツを醸成し、SMBCの中の閉塞感を打破したい、合わせて外に向けたバンカーのセカンドサードキャリアの支援ができたらいいんじゃないかと考えていました。途中からは今のBankers’ Missionの事業モデルを一生懸命語っていたそうですが、優勝することはできなかったそうです。

【SMBCベンチャー会のメンバーと】
この頃のもう一つの大きな取り組みであったSMBCベンチャー会を通じて、安定した組織にしがみつくのではなく、本当にやりたいことを追求する大切さと覚悟を得たと岡田さんは語っていました。銀行の中で事業実現しようと4年続けて頭取ピッチに挑戦しましたが夢叶わず、かくなる上は、自分で銀行員のセカンド、サードキャリアの課題を克服するために立ち上がる決意をします。そこには銀行時代を一緒に過ごした、早稲田同期の友人4名、そのうち岡田さんを除く3名は既にこの世を去ってしまっているそうで、その仲間のためにも、自分が問題意識を持っていた、企業側とバンカー側との相思相愛の欠如、出戻りの多さ、個人の意思やスキルと無関係に示達されるキャリアプラン、階層本位の上意下達の出向転籍制度を変えていきたい、心あるバンカーのチャレンジスピリッツを奪わないよう、いくつになっても輝き続けられるBankers’ Missionを立ち上げ、応援するため、動いていくことになります。
◆最後の最後まで、人のご縁と支えのもと
監査部で銀行の最後を迎えるのが私の感覚では一般的と思っていましたが、人材紹介事業を外部でイチから起業するためには、少なくともある程度のノウハウは培わないといけない。ただ監査部ではそれは実現できないと思って、応援してくれる上司の監査部長にお願いをし、独立前提でグループ子会社に出向させてもらいつつ、やはり起業を応援してくれていたグループ会社社長のもとで、会社の置かれた苦境とも共に戦いながら、学んでいくことになります。それを銀行側が認めた事は、やはり仲間が岡田さんを見捨てなかった、周囲が認めていたからこそだと私は感じます。
厳しい人事制度の中でこのように対応してもらえた事は、やはり岡田さんの人柄なのかなと感じた次第です。起業にあたって私にも色々お話を聞かせていただいた時に、岡田さんは銀行のプライベートバンカー時代の顧客人脈を使って人材紹介はやりたくなかった、起業したからには、ゼロイチからやりたかった、とはっきり言っておられ、私の仲良くしている経営者さん達に一生懸命自分の思いを伝えることで、まさに心あるバンカーのセカンド、サードキャリアを輝かせるため、起業され頑張ってくださっています。私がご紹介した経営者の方々も、今では岡田さんに頼ることも多く非常に助かっており、感謝している次第です。
現在Bankers’ Missionでは、およそ100名のバンカーとつながりがあり、一般的な人材紹介業のように見も知らぬ方をスカウトするようなことは殆どなく、求人側のオーナーや経営者とも、100%リファレンスで紹介が成り立つような、他では聞いたことも見たこともないような事業を成立させていらっしゃいます。その銀行員の先にいらっしゃる知り合いの方々も含めて、いろんな人材もプールされていて、財務経理人事総務ほかバックオフィス部門のみならず、営業に強い方、秘書的な役割をされる方も含めて、応援企業側の経営者やオーナーのオーダーメードの人材ニーズに応えようと3年目を迎えて、益々頑張っていらっしゃいます。
既に20名以上のバンカーのセカンド、サードキャリアを応援し送りだしつつ、送ったあとも一生お付き合いするつもりで、バンカー、経営者双方から、感謝もご不満もお悩みも直接お伺いする。古巣SMBCの関係者は、そのうちの半分程度であり、今は現役、OB問わず、SMBC関係者以外の方々からも、いろいろなご相談やご紹介を頂ける状況になってきていて、外資や信用金庫、地銀のバンカーとも徐々にご縁が広がっていき、オーナーや経営者のご紹介とオーダーメードの人材ニーズも、途切れることなく、頂けているとのことです。
◆強烈な応援者も加わり、益々楽しみな事業へ
未来に向かってBankers’ Missionのここ最近の最大の変化は、強烈な応援者が加わってくれることになったことです、と岡田さんは話してくださいました。それは岡田さんの奥さんであり、Bankers’ Missionのもう1人の取締役でもあります。私は一体何なの?名ばかりの役員なの?とすごまれ、先日ある会社に同行した際に、相手社長が思いのほか喜んでくれて、会社施設や各ルームまでいろいろ紹介してくれたり、話も弾んだそうで、また奥さんが積極的に業務に多方面で関わるようになってくれて、岡田さんの視野が広がり新たな可能性を感じていると話してくださいました。コミュニケーション力を子供の時代から養い、銀行時代に培った、役職や年次や旧行を超えた、たくさんの方々からの信用と信頼を大切に、心あるバンカーたちのセカンドサードキャリアを応援し、時には背中を押して、銀行に依らない新たな未来へのチャレンジを促すことを、この会社とともに今後もどんどん繰り広げていかれることを、私自身も微力ながら応援し、ご一緒したいと思っております。この度はインタビューを受けていただき感謝しています。岡田さんありがとうございました。
Bankers’ Mission創業の思いはこちら
◆岡田さんからコメントもいただきました

【2023年8月】
私以外にもたくさんの方々が仰っていますが、杉浦さんは私の起業の大恩人です。なぜこれほど応援してくださるのか、正直分かりません。いつも返礼等は一切受け取って頂けないので、せめて杉浦さんにご紹介頂いた方々には、最優先で、自分なりに精一杯お役立てするよう努めております。
杉浦さん、いつも本当にありがとうございます。今後もどうかよろしくお願い致します。
岡田 聡朗