【今週の自戒】人生は問いに始まる道である

ー杉浦佳浩

【今週の自戒】人生は問いに始まる道である


2025年 10月 20日

【今週の自戒】
人生は問いに始まる道である

写真のコトバ、
仏道は問いに始まる道である
仏道だけでなく、全ての人、
その人生は問いに始まる道である
と向き合いました。
そして道とある以上は
歩を進めること。
自分に問い続け、
歩を進め行動をし続ける。
ある事象に対し、周囲の人から
たくさんアドバイスをいただきました。
めちゃめちゃ有難い、
でもその解は、あくまで自分で決めること。
そして決め、自分の道を歩みました。
その時の判断に
100年先は誰もいないというコトバ
留まることも一つ、でも
100年先は誰もいない、
私もこの世にいない。
それでは悔いのないように。
そんな問いを投げかけ
自分で決めました。
すると不思議なくらいの
繋がり、広がり、ご縁の数々。
ご先祖さんも味方かなと
感謝するばかりでした。
問いに始まり、歩を進め
100年先は誰もいない
そうあり続けたい。
今週もよろしくお願い申し上げます。
【もし、百年たったら】
リチャード・カールソン氏の心に響く言葉より…
友達のパティが、愛読している作家から学んだという知恵を教えてくれた。
それは私の人生観に大きな広がりを与えた。
時の流れのなかで百年というのはそれほど長い時間ではない。しかし、確実なことが一つある。
いまから百年後、私たちはこの地球にはいないということだ。
それを念頭においておけば、人生の危機やストレスにみまわれたときも客観的な視野にたてる。タイヤがパンクした、鍵をなくして家から締め出されたとしても、百年たったらどんな意味があるのか?
だれかに意地悪をされる、夜勤を続けるはめになる、家が汚くてまるでブタ小屋だ、コンピュータが壊れた、休暇旅行にいくお金、新車を買うお金、もっと大きいアパートメントに引っ越すお金がない・・・そんなことが百年後にどんな意味がある?
いまから百年後を視野に入れると、こういったことにたいする見方が変ってくる。

今朝も私は仕事のことでちょっとした緊張状態におちいった。
手ちがいでダブルブッキングをしてしまい、二人のクライアントが同時に現れたのだ。
過度のストレスと緊張におちいらずにすんだのは、百年後にはこの瞬間を覚えている人、気にする人はだれもいなくなるだろうという考え方のおかげだ。
私は冷静に自分の間違いの責任をとり、彼らの一人が快く予約を変更してくれた。
これもまた「大ごと」に発展したかもしれない「小さなこと」の例といえる。

『小さいことにくよくよするな!』サンマーク出版

高橋歩氏のこんな言葉がある。

『人生は有限であるということ。
遅かれ早かれ、自分も死に、大切な人も亡くなるということ。
それは、誰もが受け入れなければならないリアル。
死を身近に感じることで、生への緊張感が生まれる。
メメント・モリ ~死を想え~
限られた時間の中で、最高の人生を送るために。』 (人生の地図/A-Works)より

どんな失敗であろうと、人に非難されたことも、責められたことも、百年たったら誰も覚えている人はいない。
すべては些細(ささい)なこと。
悠久の人類の歴史からみたら、一刹那(いちせつな)の時間。

「この今という時間は、刻々、すぐに過去となり、時が経てば、やがてすべては忘れ去られる」
どんな悩みも、歴史の中ではさざ波のようなもの。

もし、百年たったら・・・
すべての心配事や、苦悩は、「小さいこと」となる。

上記の【もし、百年たったら】については人の心に灯をともすより引用しています。