第129回ご縁結びのコーナー 株式会社カシスト&株式会社TSグループ 吉松さん 子供の頃からブレずに経営者の道へそして教育の大切さを実践し、祝20周年!
2025年 10月 10日
2024年8月7日放送「森清華のLife is the journey」ラジオ出演時の音源
私にとっては、第二の故郷鹿児島で新卒、社会人をスタートし、たくさんの鹿児島の方々のご縁で今の私があると言っても過言ではありません。その大切な鹿児島の地で経営者として奮闘され、びっくりするようなビジネスモデルで頑張っておられて、今年法人設立20周年を迎えられる。吉松さんについてお伝えできればと思います。少し男前すぎるところは気になるところでありますが、教育を主体にしておられる事は、これからの人材育成にとって人手不足の世の中にとって本当に重要な事業を展開されようとしています。今回の吉松さんのインタビューも楽しみにしていただけたらと思います。

【最近の吉松さん】
◆吉松さんとの出会いについて
最初の面談2回はともに空港でお会いするという面白いものでした。吉松さんのご紹介者は、FCビジネスで1つの世界、事業を作り上げ、新聞社に売却をされた宮嵜さんのご紹介でした。私が福岡に行く事は稀であり、その福岡出張の際、空港でタイミングを合わせて、本当に絶妙なタイミングでお会いしたことからご縁が始まりました。1度目は福岡空港、2度目は鹿児島空港、吉松さんが絶妙に私に合わせてくださって、面談が叶った次第です。そこに何か気持ちが通じること、感謝しかないです。
そこからコロナがやってきて、オンラインでの面談もスムーズに行えるようになっていき、鹿児島にもお伺いさせていただくようなことから親しくなっていった次第であります。経営者として頑張っていかれる魅力があり、その奥底にある何かをお聞きしたくて、子供時代のころからまずインタビューをスタート、発掘し、お話をしていきたいと思いました。

【吉松さんの会社訪問時2023年2月】
◆吉松さんの子供時代について 引っ込み思案・クールだった
インタビューの中で面白いなぁと思ったのは、子供の頃のこと、子供ながらわりと冷めた感じで周りを冷静に見ていたと感じたところがあったそう。例えば小学校卒業するまでにあと夏休みは何回とか、お正月は何回とか大人になるまでには〇〇が何回というように客観的に、まずは未来に向かってマイルストーンを置いていくような覚めた子供時代であったと話ししてもらったことが印象的でした。
子供時代は怪我が多く怪我の理由は、お兄さんがいて、お兄さんに負けたくないと常に追いかけていたことから、少し危ないことにも果敢にチャレンジするようなことが多く、それによって怪我が多い子供時代を過ごしていたそうです。
経営哲学における大きなポイントも小学校4年生の時にあったと教えてもらえました。絶対に引かない。やり切るまで達成するまでは継続してチャレンジしていく。そんなことを吉松さんからは常日頃感じていたのですが、子供時代にお母さんからあなたは生まれてくるはずではなかった子供です。本当は妊娠したときに下ろすことをお父さんから言われていたところ、お母さんが絶対見たいということで生まれてきたと教えてもらいました。もともと存在していなかったのか? 生まれたこと、自分の人生を大切にすること、何か1本道筋が見え、心が真っ直ぐ通ったような衝撃を受け、そのことが今でも哲学的に経営者として1本筋金入りとなっている、この実体験も大きく影響していると話してくださいました。
小学校高学年には商売に、ビジネスに興味を持ち、地元の縁日や、お祭りでテキ屋の商売の手伝いなんかをして、小遣い稼ぎなんかもしていたそうです。中学校に入る頃には経営者になろうと真剣に想い考え、勉強や漫画の本や、ゲームを買ってきては読んだり遊んだりしながら学び始めていました。またお兄さんが持っていたビデオをダビングして友人に販売する。そこで小遣い稼ぎなんかもまさに商売人としてやっていたそうです。なかなかですね。

【2020年10月橋口さんと鹿児島へ】
◆学生時代の吉松さんについて 番長となって
中学校までは引っ込み思案だった吉松さん、現在は全く想像もできないわけですが、コミュニケーション力が開花し始めたのは高校生の頃だったようです。中学からバスケットボールのクラブ活動には入部はしていたものの、スポーツやクラブ活動に熱心だったか全くそんな事はなくて、とにかくアルバイトに精を出しながら回転寿司やゴミ回収、宅配便の仕事なども経験していたそうで、たくさんの仕事の現場を経験し、早く社会人になっていこう、会社の経営者になろうと思っていたので、大学には行かずに勉強しながら給料がもらえる自衛隊に入隊することを決意していました。
自衛隊では自分を厳しく追い込むことで身体の鍛錬も心の鍛錬もできると思って目指すことになっていきました。高校時代、大きな交通事故をきっかけにあだ名が番長と言われていたそうで、周囲から一目置かれるよとになり応援団長や学級委員長も努めていたそうです。端正な顔付きも影響していたのか、周囲とのコミュニケーションは、このあだ名である番長のおかげで、今までとは違って意思疎通がかなりうまくいくようになったそうです。
それまでは、割と控えめな感じで、声をかけられることも少なかったタイプと話してくださいました。ニックネームによって、以前は人から話しかけることが少なかった吉松さんが、気軽に話しかけてもらえるようになり、応援団長や学級委員長を務めるまでって大きな人格変容であり経営者に必要なことを体得した時期に感じました。
◆自衛隊でも大活躍だった吉松さん
自衛隊に入隊して驚いたのは、とにかく教育プログラムやマニュアルが徹底してあったこと、その上で一生懸命再現性を持って訓練に励んでいると自衛隊では最優秀隊員に選ばれ、体力検定や射撃大会で優勝するなど、自身の成長を実感できた最優秀隊員にまで選ばれるほど活躍するようになります。もともと運動能力も抜群な上に学ぶ姿勢も優秀であること、集中力も備わっていたこと、そこから結果を残せたことも大切かなと思います。これも経営に活きる実体験かと感じますね。何より真面目に言われたことを素直に受け入れるということが吉松さんの1番人としての強さかと思った次第です。

【自衛官時代の吉松さん】
期間としては2年でしたが、体力検定や射撃、体験訓練でも優勝するなど、圧倒的な成果結果を残しながら、満了期間である2年を経過して自衛隊を除隊することに決めていたそうです。それも早く経営者になるために。
◆早く営業の勉強がしたい そこで一般企業でのギャップを
自衛隊を円満に退職するためには、一般企業の就職が決まっていないといけないというルールがあったそうで、自分が早期に独立をして会社を起こしていくことを事前に就職希望先に伝えた上で短期間ではあるが必ず貢献するので、雇ってくださいと就職活動を繰り広げた吉松さん、なかなか採用してはもらえなかったそうで、それも吉松さんらしい。嘘はつかない。正直に自分の事情を伝えるというのも素晴らしいなと思いました。
そんな中で修繕工事、外壁塗装の会社の営業部員として採用が決まり、入社するに至りましたが、本当に申し訳程度、簡単な営業手法だけ教えられ勝手に営業に行ってこいというスタイルで営業現場に放り出されて、心が折れるような位、全く成果が上がらなかったそうです。
そこでへこたれなかったのがまさに吉松さん、この自衛隊と一般企業のギャップ、まさに教育のあるなし、研修レベルの低さを肌で感じて、自分でなんとかしようという精神で、トップセールスマンの先輩にボイスレコーダーとお金を渡して、その人のセールストークを吹き込んでもらって、それを一言一句、真似ができるようになり、あっという間にセールスで1位を取れるほどの成長したそうです。
まさにそこで教育プログラムの大切さを肌身を持って経験することになっていきました。1年で営業を一定習得したことから、今度は現場仕事を学ぼうと同じ会社で職人さんとして活躍していた親方の下で現場を学ぶことを、自ら手を挙げて、一生懸命今度は外壁塗装の仕事を習得しようと奮闘します。2年ほど頑張った結果、営業と職人・商売と結びつけ職商人というイメージを作って自ら起業することを決断します。
23歳で独立して社長の勉強をするフィールドに乗り込んでいくことに。
◆社長になって、大きな失敗を経験して
独立から商人としての才覚もあったこと、職人としても順調にスタートできたことから、順風な状況が2年ほど経過。25歳となり会社を法人化、今度は仲間集めをするようになっていきます。採用も好調で社員さんが職人として7名ほどになってすぐに会社が傾いていくことになります。
その理由は、法人化したときの福利厚生部分を何も考えていなかったこと、社会保険料1つとっても大きな負担感がのしかかってくることを何も考えずに採用してしまった結果、あっという間に会社の資金は底をついていきそうになってきます。吉松さんは怯むことなく若いながらも大きな決断をし、せっかく採用してくれた人たちに申し訳ないと頭を下げつつ解雇の道を選択することになります。
法人設立から半年でこの事態になってしまってかなり落ち込むことになりましたが、当初から一緒だった職人時代の先輩が支えてくださり、再スタート後もその先輩が残ってくださって、また再起を目指して頑張ろうと立ち上がることになってきました。
◆25歳から、再起をかけて順調に事業を伸ばす5年間に
法人設立から一気に厳しい状況を迎えた。吉松さんでしたが、負の部分に即刻対処し、プラスに向けて動き出す行動力のおかげもあり非常に早い回復を見せ、さらに新たな展開をどんどんやっていく。勝ち筋を見つけてブラッシュアップするところはさすがだなと思った次第です。本業を順調に成長させていきながら、不動産事業(大家産業)にも手を広げたり、自身の事業とは異なるフランチャイズ事業にも積極的に挑戦していこうと動きを加速していったそうです。25歳から30歳までの5年間で一定の蓄えもでき、お客様からの満足度の高い事業モデルの構築に励んだ結果、営業マンがいなくても口コミだけ、紹介だけでお客様がどんどん広がっていく。外壁塗装修繕工事の会社社長として成長を遂げるようになっていきました。
◆30歳をすぎてまた大きな壁にぶち当たる吉松さん
営業マンを採用せずに事業を順調に伸ばす事は、周囲の同業他社からすると驚異的な話でありました。外壁修繕、塗装の事業は営業をしてお客さんを増やすことが当たり前、今も一般的なこと。業界異端児として、職人が商売人を兼ねる職商人という発想で頑張ってきた吉松さんに対し、同業他社さんが教えて欲しいそのやり方が学びたいと声がかかるようになっていきます。そこで吉本さんはフランチャイズオーナー(フランチャイジー→FC加盟店)としても事業をやっていたところから、自分の事業モデルをフランチャイズ本部を立ち上げてやってみよう!と展開をスタートします。九州各地で始めていき、福岡でもフランチャイズ展開をすることを決め、どんどんやっていった中で、その時、福岡で豆腐の移動販売でフランチャイズ本部として有名になっていた宮嵜さんともこの時点で出会うことになっていたそうです(そのご縁の先に私も連なって)。順調にフランチャイズ契約を増やしていったわけでありますが、教育プログラムが不完全であったこと、マネジメントがうまく行き届かず、この業界の職人が商人になることのハードルがあまりにも高すぎて、フランチャイズ加盟店が全く売り上げが伸びない状況が散見され、吉松さんはここでも大きな決断をし、フランチャイズ契約を止めていくその判断をすることになっていきました。ここでも大きな負の遺産を抱えることになりました。その一番しんどい頃に、私は吉松さんと出会いました。2016年頃のお話になります。
この失敗から、フランチャイズ事業は人材育成が苦手な自身にとって「逃げ」だったと振り返りました。しかし、その経験を通じて、未経験者を短期間で育成することが現在の取り組みへと繋がったと述べ、1年で熟練職人の基礎スキルを習得できる環境が整いつつあると話してくださっていました。まさにマイナスをプラスに変換する達人ですね。
◆私の言葉をキッカケに教育プログラムを磨く 20年目の決断へ
職人としてできないことができるようになることに喜びを感じて若い頃から職人道をまっしぐらだった吉松さんですが、事業、法人が先行き失敗しっても、最悪1人で職人としてやればやっていける、そう思っていました、しかし2度の転落事故から大きな怪我を負い、屋根の上、高所で作業をするのが怖くなってきた吉松さん、加えてFCプログラムでの失敗から落ち込んでいる時に私と出会い、私の言葉がキッカケで、新たなチャレンジを目指すことに。私にとって嬉しいお話であります。
それは新STYLE職人を創出するための職人教育プログラム開発すること、再現性を担保するために動画マニュアルの構築、システム化へと、段階的に変化、成長へ、吉松さんご自身が職人として成長は厳しい、しかし経営者としての成長を果たすためこの教育プログラムは大きなチャレンジになっていく。TSグループとは法人を別として、新たな法人を20年目に分社化していくことを決断します。TSグループの利益が新事業部に流れていくことで、社員を心配させない、会社を分割し、大人ベンチャーとして活動することが意思決定となっていきます。
ところで、TSグループの名前の意味は?と聞いて見ると、それは。。。。と若干止まりました。理由はチャレンジスピリットグループの意味合いでしたがCSであることに後で気づき、ザ・チャレンジスピリットの意味で、TSグループとしています。さすが常に前向きです!

【2019年3月鹿児島空港にて 中島さんと】
◆未来に向かって 考えていること、通過点としてのIPO



職人の負を取り払いたい. そこから経営の負を取り払いたい、そこを実現していく。未来への骨子はここを大切にしている。そのためにも、2028年までにTSグループとカシストをそれぞれプロマーケットとグロース市場にどちらかが上場している状況がまずはスタートライン。そのラインに早く立てる自分、会社でありたいと語ってくださいました。カシスト社のサイトにあるHPに大切な想い、私も響いているので、下記に記載しておきます。
想い:【カシスト®】という由来は、人が動いて働く各業界(フィジカル領域)のプロフェッショナルなスキルを抽出『可視化』し、企業成長は勿論、フィジカル領域で新たに働く若者たちの短期活躍を『アシスト』したいと想いを込めた造語となります。
【理想の上司をスマホの中に®】は、私自身、資質検査で一番向いてない仕事が人に教える職業と結果が出るほど
人に仕事を教えるのが非常に苦手で苦労しました。
現場ではお客様に喜んで頂いた上で生産性を上げ、さらに社員にはスキルを習得してほしい、事故も起させるわけにいかない…。本来はやりがいもあり、楽しく、カッコよく世の中にも絶対的に必要な働くという業界。
少しでも働く業界へ飛び込んでくれる方々に、やらなきゃでは無くやりたいと思って頂ける、スキルの伝承方法や環境を創りたいという自分自身の願望を叶える為に産まれたサービスとなります。
カシスト®事業を通じて、支援先様と日本のポテンシャルの伝承と発揮をアシストさせて頂き、働くをカイラクな世界へアシスト出来る企業へ成長して参りますので
今後とも一層のご理解、ご支援を賜りますようお願い申し上げます。 代表取締役CEO 吉松良平
どこまでも薩摩隼人がピッタリの吉松さん、薩摩の地から素晴らしい経営者として全国へお役立ちができる会社として成長、広がりを思いっきり期待しております。そして必ず達成して行かれることを確信してインタビューを終えたいと思っています。有り難うございました!

【吉松さん撮影2020年10月砂蒸し温泉にて】
◆吉松さんに最後 コメントをいただきました! 感謝!
この度は、素晴らしい記事を執筆していただき、心から感謝しております。
私の半生を丁寧に紐解き、身体を壊し将来に不安を抱えていた時期に、弊社の職人教育システムという強みを見出し、「カシスト」の産みの親として寄り添ってくださった杉浦さんが執筆いただいた記事を拝読し、感謝と共にこれまでの道のりを改めて振り返ることができました。
過去の失敗という多くの経験も、杉浦さんの温かい視点によって、未来へと繋がる大切な経験として描かれており、大変感激いたしました。杉浦さんがいなければ、「カシスト」は生まれていなかったかもしれません。
これからも杉浦さんのご期待に応えられるよう、「次世代が憧れる職人時代を創り働くをカイラクへ」という想いを胸に、「職人に関わるあらゆる不を取り払う」サービスを通じて事業の成長に邁進してまいります。
今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
株式会社 カシスト 代表取締役社長 吉松 良平