第123回ご縁結びのコーナー 金井 智秀さん 結(MUSUBU代表) コンサルタントって軽はずみにはこの方の前では言えません。徹底的な現場主義と顧客基点。そこから的確な経営判断を繰り出し続ける、いつも頼りっぱなしの方なんです。

ー杉浦佳浩

第123回ご縁結びのコーナー 金井 智秀さん 結(MUSUBU代表) コンサルタントって軽はずみにはこの方の前では言えません。徹底的な現場主義と顧客基点。そこから的確な経営判断を繰り出し続ける、いつも頼りっぱなしの方なんです。


2025年 04月 05日

金井さんがスシロー子会社時代のリリース

金井さんが業態開発したつけ麺店

結(MUSUBU・オランダロッテルダム)HP(近日開設予定)

いつも飲食店のみならず食に関することで相談事と言えば全て金井さんと言い切れる位、頼りきりの20年そんな感じで金井さんとは20代後半から仲良くしていただいております。これだけ数字に強い20代を見たことないなと思ったりしたのが感想、徹底的な現場主義お客様主義起点を感じた人はいないという金井さんを今回はインタビューさせていただきました。こんなに数字に強い20代の時から経営者がいかなる人生を歩んで来られたのか?何か解き明かすことができたらと思っています。当時ありとあらゆる質問に対して数値で返事があり、加えて過去現在未来をすごくわかりやすくご説明いただけたことを感動のレベルとして覚えている次第です。なみなみならないほどの勉強、努力を厭わず、努力と思わない注力をされたんだと認識しております。

【金井さん2025年2月オランダにて】

◆金井さんの経歴書から抜粋 実績が凄すぎて。。。まずはそこから

【私の強みについて】

18 歳の時から飲食店に携わってきております。様々な役割を担わせて頂いた事もあり

・事業開発に関わる業務…業態開発、既存業態の診断&改善、等

・経営に関わる業務…経営者としてのマネージメント、経営計画の立案、運営計画の策定、等

・運営管理に関わる業務…運営管理業務、組織整備、人事制度策定&運用、等

・その他…上場準備、M&A支援、資金調達、などは当事者としてある程度の経験有

など全般的な業務管理が可能です。またフランチャイズ経験が長いため本部側、加盟店側ともに深い

見識があると自負しております。また私は現在直属の部下を保有しておりません。業務内容に応じてク

ライアントの現状を把握したうえで、不足している機能を補充するため他の専門家とチームを結成し

対応しております。

業務実施の際にはクライアント様の人材育成を大切にしており、業務の中で自身の経験や思考、また関

与する支援企業のスキル習得などを促し、各支援企業の運営力の底上げを心がけております。

また多様な職種の経営指導経験に伴い、異業種の様々な方とも情報交換をすることで外食産業にとど

まらず、多様な事業展開を検討できるコミュニティを構築しております。常に新たな事業展開のシーズ

(種)は保有しており、企業間での事業提携なども支援してきました。

現在は海外進出も並行して実施しており、 自身の事業展開は欧州(オランダ)、豪州で進行しております。

国内は新規事業開発、店舗展開&海外進出支援、デベロッパー支援、などを軸に対応をさせて頂いております。

(例)

・医療系企業の回転寿司事業の新業態開発

・食品小売業のレストラン・カフェ&ミートショップの新業態開発

・百貨店等の商業施設内の飲食店街におけるコンセプト&リーシング支援

・有名ラーメン店のフランチャイズ化支援と店舗展開スキーム構築

・チェーン居酒屋を全国展開用に業態改善&フランチャイズ化支援

・上場異業種企業の外食産業参入に伴う開業支援業務

等、支援企業様は外食産業だけではなく異業種からの業務も多く経験があります。

大企業だけでなく中小企業の支援も含め幅広く行っております。

 

現在はオランダへの事業展開と日本国内でのコンサルティング業務を実施

・新業態開発(コンセプト立案&開業支援) ・フランチャイズ本部構築業務

・店舗展開支援 ・経営計画策定、企業運営アドバイス(顧問業務)

上記が金井さんの経歴書からの抜粋です。ご実績が素晴らしい方なんです。

【荒川さんと3人会 九条会メンバーにて2025年1月】

◆金井さんとの出会いについて

当時大阪で株式上場支援でがんばっておられた。新光証券の担当の方からすごい経営者がいます。ということで、ご紹介されたのが金井さんでした。20代とは思えないほどの自信に満ち溢れた方で、出会ってから数年であっという間に店舗数が100店舗近くになり、パートアルバイトを入れると1200名を超える会社の経営者としてまっしぐらと言う状況になっておられました。年齢に関係なくいろんな学びを常にいただいたり、飲食のみならず幅広い食に関する情報交換、もしくは食のみならず、いろんな経営の観点で私に示唆いただいているのが金井さんになります。

◆金井さんの子供の頃、今に通じるお話について

金井さんのインタビューを通じて、大きな影響を与えた人としてお父様が挙げられるなと感じました。お父様は金井さんが17歳の時に交通事故でお亡くなりになりました。その生き様を小さな時から見ていて、影響をお父様の背中を見て育ったと思った次第です。お父様は大学時代からヨットに勤しみたくさんの方々との交流を率先するタイプであったそうです。例えばスペイン国王が生徒として習っていた、空手の達人の昼間さんという方が大学の先輩であり、とてもフレンドリーで、スペインからたくさんの方々を連れて日本に、広島に来てその交流をする姿を見て、そのコミュニティーの素晴らしさ、今に通じる活動量になっていると話していただきました。この時に出会った中で、スペインのサッカー(レアルマドリード等)のお話に触れることもあり、金井さんは日本を飛び越えてサッカーオーナー(ヨーロッパで)になることが大きな夢であることについてのお話にも通じるなと思った次第です。お父様はヨットで有名なハワイのレースに出るため、私財に糸目をつけず注ぎ込みました。経験者を揃えた勝てるチームを作ればできたと思うのですが、経験があまりない素人集団でその有名なレースに挑んだそうです。理由については経験をすることが大切なんだということと、もっとヨットのファンが増えるように、世界大会に行って萎縮するようなチーム編成をしながらも、世界と戦うということで、瀬戸内のヨットの関係をする人を育てることにも注力していたそうです(本当に素晴らしいお話し)。お父様がお亡くなりになったときに、とんでもない数の方々がお葬式に集まったこと、それが今の金井さんにも大きな影響を与えているそうです。大切なことを言葉ではなく背中で示してくださったお父様に今も感謝しておられます。広島出身の金井さんですが、家庭の教育方針で、全寮制の中学高校にて千葉県で過ごしたそうです。この辺も早い段階から自立を促されるそのような方針があったとお見受けします。15歳の時にブラジルに短期留学されたことも大きな影響となり、サッカーが生活に馴染んでいる状況。人生の大きな部分に影響しているのもこの時に感じたことなのだと認識いたしました。ご本人もいつかはヨーロッパでサッカークラブのオーナーになりたいという夢を見るようになっていきました。後に、私とお会いした時も夢はなんですか?と言う質問に対して、ヨーロッパのサッカークラブオーナーになることと明確に話していただいたことを思い出す次第です。その後大学に進むのですが、大学の勉強の意味のなさを感じると社会に早く出ようと、大学中退し、親戚のおじさんがやっていたフランチャイズのサンマルクに入社することになります。それが高知県に住むこととなり、ちょうど22歳の頃だそうです。

◆社会人になって、反骨精神で誰にも負けない努力をしていく、金井さん

高知に行く前、20代前半の頃アルバイトでカプリチョーザの渋谷店そこは1番の繁盛店でアルバイトをしたり、当時エフシーとして大きな展開をし始めていたサンマルクの店長研修を半年間みっちり受けた後に、おじさんのフランチャイズ店舗のあったサンマルクで高知県に行きました。そこで都内の繁盛店での動きを徹底的に鍛えられた金井さんが来た瞬間に田舎の店舗の人たちにはついていけない状況で、先輩社員たちは次々に辞めていくことになっていきました。先輩がいなくなったということで22歳そこそこで店長になり、現場感覚はあったものの数値に関する勉強は自分に足りないと認識、PLに関する勉強や、経営に関する勉強を次々に自分一人で取り組みのめり込んで行きます。そうしているうちに人件費にかける割合がどうだとか生産性を上げるためには、ああしよう、こうしたほうがいいとか、社員の給与を上げるにはこうしたほうがいいと、さらにお客様が喜びながらも社員アルバイトを活躍してもらうにはどうしたらいいのかということを現場で具体化していくとをやり続けます。社長である親戚のおじさんとぶつかり合うことも多かったのですが、社員にボーナスを払うことも実現し、あらゆる実践もしていきました。業績好調、そんな中で、2店舗目を出すとなって、あっさりおじさんと確執は埋まらず、自分は高知を後にすることを決断します。そこから3ヶ月だけ飲食ビジネスの中でも大切な不動産に関わること(物件を調査、借りること等 不動産を学ぶことは外せないキーファクター)を学ばないといけないと考え、不動産業界に飛び込み不動産賃貸ビジネスの営業会社に入社します。そこで1年ぐらい頑張ろうとしていましたが、お客様起点ではないこと、自分たちの都合で手数料の高い物件を販売し続ける部分に納得がいかず、成果も挙げながらも3ヶ月で退職に向かったそうです。

その後、飲食で自分は事業をやっていきたい。仕事をやっていきたいと思った上であらゆるところに履歴書を送るのですが、なかなか就職が決まらなかった。

【2020年11月北海道厚真町へ】

そんな中で当時東証2部上場であった日本LCA社に採用が決まり、コンサルタントにシフト、飲食店を中心としたコンサルの仕事をスタートさせます。この会社で仕事をしていてすぐに現場主義を徹底しない、机上の空論のようなコンサルティングをしている部分に我慢ができず、自分なりの持論を展開したところ、経営側の目に停まり、入社半年後で子会社の取締役になるという抜擢人事の対象となりました。この子会社は5年という短い期間でとにかく上場をするという目標を掲げ、その代表取締役専務として、金井さんはめちゃめちゃがんばります。数字で見てみるとその凄さがわかるのですが、1期目1.5億 2期目5億 3期目30億. そこからもう5年で50億越えという圧倒的スピードで伸びていきました。

経営者にとって大切な事は数字で語れること、社員や役員とお話しするには客観的に数値できちんと話ができることが大切だということを早い段階から実践しておられて、その当初に私がお会いできた事は本当に良かったこと、また驚きの連続でありました

上場するために売り上げ5, 60億を目指す。そのためには何をすれば良いかということを俯瞰逆算しながら経営に活かしていくという手法で圧倒的スピードで成長した金井さんですが、当時の戦略の中に、店舗を1店1店構えるということでは多額の資金も必要であり、スピードも上がらないことから、デリバリー業態に集中する判断も素晴らしい意思決定と感じます。

ある時、有名ピザチェーンが大阪から撤退する話(20店舗ほどあったそうです)を耳にすると、すぐに動き、一気にデリバリー業態のお寿司屋で展開していきました。ところがスタートして1年でそのお寿司屋さんは3億の赤字を出してしまい、親会社の社長からはもう撤退しろ命令が下りましたが、そこで頑なに拒絶し、『出店は止めません』と言い放ち、金井さんはどうすればうまくいくか?徹底的に追求していきます。フランチャイズ本部が持ってないようなデータベースを作り、分析をし、それを経営に反映してスピード感持って、経営効率に反映し実行をしていきました。厳しい状況もありましたが、翌年には3億の利益が出るほどの急成長のデリバリーのお寿司業態を展開することになり、親会社経営陣から認められ、代表取締役社長の座に就くことになります。こういった実績からも能力で立場を確立し、肩書を獲得していくという素晴らしい経営手腕を持った方です。しかも年齢に関係なく、実績を出していくという意味では本当にそろばんも持ちながらロマンも持っている人だなと感じた次第です。

◆杉浦さんはどんな人だったんでしょうか?

ちょっと、金井さんに私のことをどう感じておられるか?聞いてみました。

金井さんから面白い回答をいただきました。

杉浦さんは私にとってリトマス試験紙みたいな人なんです。何か売り込むこともなくチヤホヤすることもなかった。金井さん本人は30前後では周りからはちやほやされる対象として褒められること、そういうことからはどんどん遠ざかるように自分で決めていたそうです。そんな中で私に会っていただいて私はちやほやすることもなく、ただ的確に金井さんが言っていることに対して質問に答えていた。私はそんな記憶は無いのですが、このように表現してくださいました。嬉しいですね。20代30代40代そして今50代という中で、自分の中で何か決めないといけないことや迷いがあるときには私に連絡をいただいて話をしていただいたことに感謝しています。金井さんからは杉浦さんは仏様のような人だとも思っていてくださるそうで、ありがたい存在なんですよと付け加えてくださいました。自分では全く思ってないのですが…

1人の人間として金井さん個人と向き合い、接してくれてきたことを感謝の言葉をいただきました。

◆厳しい30代、退任そして民事再生も経験して、経営者の実力がアップ

2008年終盤、もう翌年には上場を目指して、上場申請へ間際の2ヶ月前、もう上場とできるところまで行っていたのですが、親会社の経営不審から、子会社である金井さんの会社が上場ができない状況になり、その親会社が保有している株式がファンドに売られることになり、上場に向かって頑張っていた社員の皆さんを裏切ることになったことに悔しさと辛さが入り混じりながら社長業を続けます。親会社の責任にせずに自身の責任と受け止めて経営していく姿勢は素晴らしいに尽きますね。その状況を3年ほど継続するものの、意見の合わないファンド側とこれ以上は無理だと判断し会社を去ることになってきます。

その時も私に真剣に話をしてくださったことが今も嬉しく、懐かしく思い出されます。その後金井さんは20代前半でお世話になったおじさんの会社の経営が厳しいということを知り、また茨の道を選んで高知県に戻り民事再生の取り組みをやっていくことになります。高知での5年間かけてやっていったことが経営者としてありとあらゆる経験の糧となり本当にやっていて良かったと話してくださいました。経営再建中、挽回しようとする時は、奇を衒うのではなく、流れに逆らうこと、あらがうことをやってはうまくいかない。まさに起死回生、満塁ホームラン狙いでチャレンジしようとしましたが、そこはやっぱりうまく行かず、まずは足下、小さなこと現場のことをコツコツ改善することで、既存店の状況を良くしていくことで、再生の状況は好転するようになっていき無事にその手続きを終えて離れることになりました。その後、事業が厳しくなっていった会社の取締役に就任したり、大手百貨店のコンサルティングを請け負ったりと多方面で活躍もしていく中で、2017年にスシロー社のお手伝いに携わるようになっていきます。スシロー社と言えばおじさんの会社の再建中、高知県にいた頃、回転寿司店をやっていたそうで、スシロー社が高知に出店を加速し、敢えなく店舗を閉めないといけないようになった間柄であったという因縁もありつつ、金井さんはスシローの子会社の取締役になり、その後、代表取締役になるというなかなか珍しい、数奇な経営者人生を歩んでいかれることになります。

その後、今までなかった業態である寿司居酒屋を開発し、展開の青写真を創って行かれた金井さん。その名前が【寿司居酒屋杉玉】、一号店をオープンした際は、私もお招きいただいたことが嬉しいです。

その後、10店舗の出店を果たしたところで、子会社経営にフルコミットを求められ、そこには自分としてはできないということで退任をされました。現在、寿司居酒屋の杉玉は現在100店舗になっており、また海外にも展開されていて金井さんが目指していた姿を実現しています。

◆海外へお店を出すこと、20代の夢を忘れずサッカーオーナーになることを優先

スシロー社退任後、ヨーロッパもしくは豪州に行って本格的に日本食にの展開をやっていきたいと私にお話しされておりましたが、まさにその時に来たのがコロナであり、せっかくの海外視察もできない状況が続きました。数年、コロナショックで頓挫したものの、ヨーロッパもしくはオーストラリアニュージーランドで店舗を出すことを計画をブレずに遂行し海外に出張することが解禁となった途端に、ヨーロッパやオーストラリアに視察に行くことを繰り返しました。ヨーロッパに傾きかけた中で、どの国でやっていくか? 当初はイタリアが候補に上っていましたが、金井さんのフィーリングに合致したオランダにフォーカスし始めると集中的にオランダに出張を繰り返すようになります。この時の活動で金井さんが素晴らしいと感じるのはスシロー社の子会社の社長だったことを全て隠した上で金井さん個人として何度も自分で現地の人たちとのネットワークを作っていくことに集中していたことです。その実行を繰り返すことで現地でのネットワークができていき、たくさんの応援者も増えていくようになり、昨年2023年から本格的に店舗の出店を決めるようになっていかれました。2024年春には本格的な日本人による店舗をやっていこう決めておられます。韓国人や中国人によるなんちゃって日本食が世界を席巻する前に、コンセプトとしては、日本人による日本人の日本食レストランをヨーロッパで、まずはオランダで広げようと決めてこれからやっていこうとされています。

たまたま出店する場所のオーナー(地権者が)世界ナンバーワンビールメーカーというのも何かのご縁、不思議の出会いもあり、いろんな方々がいろんな地域から集い、メンバーも揃っていきます。今春以降が心から楽しみです。

◆20代後半で出会った時とぶれない夢を実現すると決めている金井さん

51歳の今年オランダで出店を果たし、店舗展開をどんどん広げていこうと考えています。金井さんはユーロネクスト市場にも上場できるような会社へ成長させることも視野に入れています(まさに現地化です)。ここ10年でヨーロッパにおける社会的信用を確立して、日本の外食の素晴らしさをヨーロッパでどんどん展開していきたいと思っています。これ自信は日本食の正当性が失われる危機感を感じているからこそであり、日本人によるヨーロッパの人々のための日本食レストランを展開することをやっていく、現地で上場もしていく、その先には20代の金井さんから私がお聞きしていたこと、金井さんが15歳で心から決めているサッカークラブオーナーになることを全く諦めていなく、より一層そのチャレンジングなことに向かい続けようとして今は突き進んでいこうとされています。

本当に素晴らしい。ここまで徹底的に敢えて厳しい道を選択しながらも頑張り続ける金井さんに私は頭が下がります。私が独立したときにも何も言わずに業務委託契約書を結んでいただいて、最初独立祝いのような形で何も仕事をしていないのに、私にお金を振り込んでいただいたのも金井さんです。

人の心の優しさ、琴線に触れるようなことをさらっと実行する細やかさを持ちながらも、事業にも真摯にお客様基点で向かい続け、拡大・成長する経営者であります。ご自身への戒めや厳しい感覚を持っているからこそできることだと私は思っています。ほんとに素晴らしいチャレンジングな金井さんがここから10年20年活躍されることを楽しみに、私もヨーロッパへご一緒できるように頑張っていきたいと思います。今回はインタビュー金井さん本当にありがとうございました。

サッカークラブのオーナーになるという事は、単に儲かるからという観点ではなく、亡くなったお父さんが実現しようとしていた未来、ヨットで実現しようとしていた未来を、サッカークラブのオーナーになることで、コミュニティーを形成拡大すること、人たちが楽しく和気あいあいとする環境を提供することをニコニコしながら見届ける人生を金井さんは選択し、お父さんの背中を今も追い続けているんだと思います。

◆共通の仲良し杠グループ代表 川原田さんに金井さんを語っていただきました!

3つの質問を川原田さんに投げかけてみました。

【コメントくださった川原田さんと2018年4月】

◉1つ目の質問

金井さんってどんな人でしょうか?川原田さんから見たときに金井さんの人物像がわかるようなことを1つ教えてください。

⇒ やると決めたことは、必ずやりきる方だと思います。

金井さんと出会ったのは、今から16年前となる2009年ですが、当時から海外、特にサッカーが大好きでおられるのでスペインで事業をやりたい、そして海外の人たちにほんものの日本を感じてもらいたい、と熱く語っておられました。

いま、それを実現、実行に移そうと当時の夢に向かって着実に歩みを進めておられる金井さんを見ると、本当に有言実行の方だなぁと、まだまだ自分もがんばらないとと奮い立つ勇気をいただいています。

◉2つ目の質問

仕事上で金井さんの仕事ぶりで何か感じるものがあれば教えていただきたいと思います。

⇒ 金井さんと一緒に仕事をしたことはなく、会えばふざけたことを言い合いつつ、まじめな話も展開しつつと繰り返してきた良い兄貴分です。

ただ、みなさんもご存じのとおり、金井さんは誰もが知る居酒屋チェーンの業態開発をされ、多くの人が愛用していることを見るだに、金井さんのお仕事ぶりが表れているのではないかと思います。

◉3つ目の質問

その他何でも金井さん像がわかるようなことあればお願いしたいと思います。

⇒ 金井さんはよくしゃべられます。その舌の回り方にはみなさん、舌を巻いておられると思います。

それもひとえに、コンサルタントとしてクライアントさんに伝えたいことが山ほどあって鍛えられたからなんだろうと思います。

その昔、伊勢志摩方面に家族同士で旅行を一緒させていただいたとき、地域の名店ですき焼きをいただいたことがありました。

その際、店員さんの接遇がなっていなかったことがあったんですが、それに対し「顧客として」を超え、コンサルタントとしてダメな点を滑らかに列挙されていました。

金井さんのコンサルタント魂の真髄を見ることができ、強い記憶として残っています笑

◆昔の同僚インシュアランスサービス取締役 福島さんにも語っていただきました!

「金井さんへ」

ベンチャーリンク時代からお知り合いということでかなり古いお付き合いだと思うんですが、今まで福島さんから見て金井さんってどんな感じの方でしょうか?

内に秘めた熱さを持ち、クレバーかつ繊細な方かと思います。

相手の言動や発言を静かに見聞きし、相手がどのような話をするのかニコニコしながら鋭い眼球で見ている感じがします(笑)

これまであまり接点が無かった方であればその方がどういうお人柄なのか、親しい方であれば最近はどういう感じでお過ごしなのかを感じ取られているように思います。

 

上場に手が届くところまで企業の成長にご尽力されたものの、苦渋の決断をせざるをえなかった等のご経験から、相手の人柄を観察し、誰と付き合うのかなどを判断されておられるのかなと。

また、極秘の学生時代のアルバイト経験も大きかったのではないでしょうか(笑)

【コメントくださった福島さん同じ列に金井さん2023年11月】

そして、飲食のプロフェッショナル。

そして、サッカー愛。

オランダで飲食事業を立ち上げてチームを持つという目標に向けて邁進されており、是非チームオーナーになって頂きたいと願っています。

私は何も出来ませんがオランダへ応援行きます!

金井さんのお仕事ぶりで、何かエピソードやお付き合いの中で経験されたことで、金井さんらしいこともしあれば教えてください。

ベンチャーリンク時代(約24年前)では、金井さんは若くしてグループ会社の代表を務めていらっしゃいましたので、私からしますと雲の上の存在でした。

しかし、そんな一社員の私とフランクに接してくださった事を今でも鮮明に覚えています。

周囲でもとにかく仕事が出来る人!という話でいつももちきりでした。

ベンチャーリンクを退社してからは残念ながらあまり接点を持つことができませんでしたが、私が現在所属している会社に入社する旨の報告をさせて頂いた時に、『清水さん(弊社代表)の所に!!』(清水とも10年以上の付き合いがあります)と

凄く歓迎して頂きました。

今では弊社の顧問になって頂いており、お客様をご紹介頂くこともあります。

またお勧めのお店や流行りそうなお店にもご一緒させて頂き、その際の様々な情報交換は私の知見や見聞を広げてくれています。

これからも仲良くしてくださいね!!

【金井さんと2011年10月】

お二人のコメントからも金井さんの素晴らしさ(安っぽくなくて)が伝わってまいります。これからの10年が本当に楽しみです。ますますご活躍され、私を引き上げてくださいね!

◆最後に金井さんからコメントをいただきました!

杉浦さん、いつも大変お世話になっております。またこのような記事にしていただく機会を頂きビックらこいております。過去が凄い経営者の方ばかりなので…

そしてお二人からコメントも頂き感謝しております。
川原田さん、伊勢のすき焼きネタは笑ってしまいました。これからも家族一同宜しくお願いいたします。

福島さん、秘密のバイトネタは色々ありますので今後も極秘事項でお願いいたします<(_ _)>

こうやって自分の人生を振り返って見ると、一貫性のない、いきあたりばったりの人生を送っているなあと反省しております(苦笑)。”自分が何をしたいか”がサッカーオーナーの夢はまだしも、ビジネスの面では漠然としており、誰かの役に立つ事が自身の原動力でしかなかったため、その時の出会いや流れに任せた人生だったと感じます。ただ、”自分を信頼してくれた人には何かをお返ししたい”という想いと、”やるからには負けたくない”というガキのような根性だけでしたが、杉浦さんをはじめ周囲の方々に助けられ50歳まで意味のある人生が過ごせたと感じます。

オランダ第二の都市であるロッテルダムに物件も決まりました。世界最大のビールメーカーであるINBEV社が物件の大家であるという偶然もあり、これも今後に意味をなしてくる気がします。店名の結(MUSUBU)は日本生まれの漢字であり、ロゴの家紋は妻の秋田家のものになります。”日本人によるオランダ人のための日本食レストラン”として地元に受け入れられる店舗にしていきます。

日本と欧州の懸け橋になると共に、50歳からの10年間をこれまで以上の最高にしたいと思います。杉浦さん、皆さま今後ともご指導とツッコミを宜しくお願いいたします!

株式会社GRACIAS
Gracias Netherlands B.V.
代表  金井智秀

今回のロッテルダムのお店のロゴを下記にてお知らせいたします。(素敵です)