第120回ご縁結びのコーナー 新家 康之 さん 「信は力なり」を大切にされている江戸っ子!VCから事業会社へそこに曇りのなさを感じるキャリアを歩んでおられる方!

ー杉浦佳浩

第120回ご縁結びのコーナー 新家 康之 さん 「信は力なり」を大切にされている江戸っ子!VCから事業会社へそこに曇りのなさを感じるキャリアを歩んでおられる方!


2025年 01月 02日

新家さんがお勤めの株式会社アトラエ社のHP

副業参画中のK&Pパートナーズ社のHP

新家さんのプロフィール(アトラエ社のwantedly)

私の出会った際は、IT企業の最年長社員さん。とにかくニコニコ顔が印象的な方でした。じっくりお話しするとなんとも温かい心、その上に燃え盛る太陽のようにパワーをお持ちで周囲を照らすそしてチャキチャキの江戸弁、ご自身がメインパーソナリティーであった際もあくまで周囲のため、縁の下で支えようとされる方です。その後はえ?って感じでまた別のご縁がつながる場面を何度も経験し、不思議不思議なご縁の連鎖も経験させていただきました。伏見工業ラグビーと言えばスクールウォーズ!その監督だった山口さんの言葉「信は力なり」を大切にされている新家さん、素敵な素敵な新家さんについて今月、お伝えできればと思います。


【最近の新家さん】

◆不思議なご縁が紡がれた状態だったことを後になって気づくことになった新家さん

いろんな出会いを経験した中で、不思議のご縁が何層にも紡がれた状態であったことが後々判っていくそんなご縁が新家さん。不思議さ加減をいくつかまずは書き出したいと思います。

・当初の出会いは、松林さんの紹介で、はじめまして。IT企業に属する方で、組織のエンゲージメントを高める

プロダクトであるWevox(マネジメント支援・離職低減・生産性向上ツール)を担当されていて、5年間限定で働き方改革に寄与する団体だったat will work(私も少しだけ関与)の活動にも共感してくださっての出会いでした。

K&Pパートナーズと言えば、目立たないけど、経営者と向き合い、キラキラベンチャーではないがリードVCとして株式公開への階段を伴走し続け、業界平均を突出して上場確率を保っている、その創業メンバーからすごい先輩、多大な影響力があり、お世話になった話を聞いてきたのですが、それがなんと新家さんであったことHR系の方だとてっきり思っていたことに驚いた次第です。

・私が会社員時代に投資した某社、17、8年前でしょうか。当時、その会社さんから、めちゃめちゃお世話になったベンチャーキャピタリストがいると聞いていましたが、その恩人が新家さんであったことを数年前に知ってひっくり返りそうになるくらいびっくりでした。

・一本筋が通ったベンチャーキャピタリストの方で10年ほどのお付き合いでしょうか、その方との思い出話もたくさんある中で、この方の同期が新家さんだった。これにもまた驚きました。

・仙台の経営者である成田さんと話していて、新家さんご存じですよね?と聞かれてびっくり。成田さんは、新家さんの会社のプロダクト販売のお手伝いをしていることが判明。

こんな具合に、全く違うエリア、業界、ご縁が入り混じり、紡がれている感じでした、出会うべくして出会った方だと認識しています。

【浅草の素敵なうなぎ屋さんで】

◆子供時代から今に通じる話をお聞きしました

インタビュー冒頭、元気な声で、『恐縮でーす!』とスタートとにかく明るい!。今回が120回目のインタビューなんですと伝えると好きな数字なんですよ。と即答でした。とにかくポジティブに物事を見ておられる方だなと感じています。このハキハキ、チャキチャキって感じる所以は子供時代にあると思った次第で、そのあたりを聞いてみました。

生まれも育ちも、そして今も浅草に。町工場の三男坊、紙関連事業を営んでいたそうで、1階は工場(コウバ)2階が住まいという環境。小さい時から仕事、商売の現場を見てきた、経営者であるお父さんが、社員の雇用を守る立場を貫いている姿勢を、語らずとも背中から感じて大きくなった。経営者へのリスペクトはこの影響が大きいと話してくださいました。浅草という土地柄も大きい。スーツを着ている人を見たら、『イケテナイ!』と声が飛ぶような場所。日雇いの仕事に出る人々、夜の街も身近にあった。とにかく強制的な多様性の中で育ったこと、そこが良い意味で自己肯定感を醸成することに役立った、小さい時から自立心ができたんじゃないかなと感じました。

たくさんの多種多様な情報にアンテナが高いと感じることが多い方だなと思っていたのですが、子供の頃のお話しに、経済誌、大衆新聞、一般紙、スポーツ新聞、これがそれぞれ複数自宅に届いていたそうで、多様な情報に接する機会が整っていた、そこには、情報を得ること、興味のないことも飛び込んでくる、そこから興味を持つ偶発性があった。世間知らずだったとあくまで謙虚に話されていました、この偶発性が大人になっても大切だと身体に浸透しているからこそ、たくさんの知らないことへの興味・行動につながっていると確信した次第です。

◆当時身近ではなかったVCへの道 必然として入社へ

中学から慶應義塾普通部に進んだ、新家さん、そこから大学まで。しかし、中学受験で行きたかったのは別に合格した中学だったそうです。でも周囲の意見で慶應へ。ある意味断定的に決められた道を一度は地団駄しながら通い始めたそうですが、後々幸せな学生生活を送ってよかったと振り返り、大学時代には、バックパッカーとして世界各地を旅し、ゼミでもアジア関連について専攻していたそうです。

大学2年生の時に初めての一人旅で南紀へ行った。お母さんが歌舞伎が好きで、演目に熊野が取り上げられていて、全く行ったことも知らない場所に惹かれて行ってみた。人が行かないところへ行ってみる。それがこのバックパッカーの経験としてよかった。大学後半には世界一周も経験し、平面で物事を見たり感じたりするのではなく、まさに三次元で物事を立体的に見る大切さはスタートアップ発掘に大切なことと感じているそうです。

どうして、新卒VCへ?の質問に、『ちょこっと情報はありました、兄が内定をもらっていたVCがあり存在を知った』それが当時の日本合同ファイナンス、現在のJAFCO社に。結局お兄さんは別の会社へ進んだそうですが、VCの存在を社会に出る前から知っていました。

ご自身の就職活動はなかなか決まらず、大企業を受けていたが、何かしっくりこない、面白くない、心が踊らない。そう感じ続けて、とうとう就職活動も終盤戦にズルズル行ってしまったそうです。

そんな頃に、友人から声がかかり勧められたのが、日本アジア投資。小さい頃からの経営者へのリスペクト、バックパッカー時にアジアを中心に巡っていた、ゼミでアジアの勉強をしていた、VCに憧れていたわけではないが経営者に会う仕事は自分には合っていると感じ、導かれるように入社への道に進みます。親御さんからは、社名が怪しいと思われつつも。

大学時代のことで私が気になったのは、アルバイト経験、家庭教師のバイトをやりつつも、日払いのバイトもやっていた、そのほか、東京ドームでのバイト。多様な仕事を体験されたことも大きいのではと感じました。

◆新卒でいきなり九州福岡へ赴任 4次元の世界を感じたことがよかった

VCに入社して、いきなり九州福岡へ。東京生まれ東京育ちの新家さんは、未知のど田舎にいく感じ。安い家電製品なんか売ってない。ということで東京で購入して赴任したほど。九州地盤のベスト電器があるのに驚くほど。

天神近くに住み、会社もすぐ、海、山もすぐコンパクトシティ福岡を満喫しながらも仕事ではかなりの苦戦スタートだったそうです。

福岡に限らず、九州全域、会う人会う経営者が個性の塊。それだけでもなかなか大変だった上に、株式公開、上場を目指すことを気付かせ、目指してもらうことへのハードルの高さ。上場の存在ということの説明から始めることに大きな努力が必要だった。上場を知っている人があまりにも少ない、そんな中で、広島証券取引所に、ユニクロが上場して急成長の時代、ワクワクしながら仕事に向かっていき、福岡時代に初めから担当していた長崎の宝飾店を展開していた会社が後にジャスダックに上場したことが大きな糧になったそうです。何事も1から担当することの重みがありますね。

この福岡での経験は、さらにモノの見方、仕事での関わり方に厚みを持つことになって、4次元の世界を感じることになったと振り返っていました。

◆大好きになっていたVC業界から転職へ そのキッカケが人事に

自分が投資した先にまさか転職するとは。そんなことは全く感じることなく、VC業界の楽しさ、所属会社も新興市場、東証一部上場へ発展していこうとしているところ、ベンチャーキャピタリストとして投資先企業の発掘、投資活動に勤しんでいました。福岡から東京へ転勤した2000年初頭に、小さな記事を見て訪問したのが来店型保険販売の会社、現在は伊藤忠の傘下になっている、ほけんの窓口グループ社でした。

その訪問から3年後に、同社社長から連絡があり、10店舗になっていた。相談に乗って欲しいという連絡。熱心に事業、保険業界の問題について語る社長の言葉に、キャピタリストとしての投資判断が前に進むことになります。

しかし、投資後すぐに社長と大げんかに発展へ。理由は、大赤字の中で、研修所を購入したという連絡があったこと。なんでこんな時期に研修所を買うのか?事業の見立てをセオリーどおりに判断すると私もあり得ないと感じましたが、新家さんはそこが経営者とそうでない自分との違い。まざまざと後に感じることになったと。

創業者の想いは、一部のセールスエリートのみが生き残る生命保険の業界を変革するには、徹底した教育を行うことそれに尽きるという信念。そのためには研修所が必須。売れる営業マンだけの世界、保険業界、セールスのあり方を変化させる、人は変われるんだということを立証することになっていった研修所に、新家さんも特別の想いを感じたそうです。世間の常識、保険業界の非常識、保険を顧客が納得して買う時代に作った功績は大きい、後々業界構造を変え、経常利益100億円近く、グループ社員5、6000人に。1店舗からここまでの成長へそこに携わった新家さんの眼力は素晴らしいですね。

後にこのほけんの窓口グループ社に転職することになった新家さん。それはベンチャーキャピタリストから人事部門に配属が変わった時から繋がって行くことに。今になってはCVCも流行りのようにどこもかしこも立ち上げラッシュ。その先駆けとして新家さんは3社のCVCの立ち上げに関わります。2004年のこと。かなり早いタイミングですね。ベンチャーキャピタリストとして腰を据えて仕事に集中している時に、社長から呼び出され、東証一部へ鞍替えする中で力を貸して欲しい、人事部門の強化、特に採用、育成の強化をしてほしい、なんで自分が人事?と思ってみましたが、自分の中で腑に落ちることが早々にあったそうです。それが冒頭に記述した、三次元、四次元で物事を立体的に、多面的に見ることができる能力。社内の人事データを閲覧して、冷静に同期の成績を分析できたところ、自分は人事でやっていけるスイッチが入ったと思ったそうです。当時、採用時に斬新なことを学生に向かって伝えていました、それは、内定拘束を一切しないということでした。納得して自社にきて欲しい、たくさんの会社を見てそこからよければ選んで欲しい。なんとも素晴らしいことを学生に語っておられたと思います。その際に同じチームには、現在K&Pパートナーズ代表の松村さんも一緒だったという、なんとも素敵なチームですね、と申し上げました。

人事チーム ゼネラルマネージャーとして、学生さんに未来を語って、入社を牽引していきますが、それから1年と少しで急に風向きが変化します。それがリーマンショック。何段階かでリストラを敢行していく中で、厳しい状況がますます背中に迫ってくる。ここまでかなと思っている時に、ほけんの窓口グループ社の創業者からうちに来て人事をやってよ、と声がかかります。今後のキャリアをどうするかと考えている時にでしたが、このオファーを受け入れ事業会社に転身を果たします。

【2拠点生活のキッカケ新川さんと】

◆人事部長を経験後、現場に、マーケティング部長に そしてHR業界へ

ほけんの窓口グループ社に入社、人事部長として3年と数ヶ月、新卒・中途の採用、人事・評価制度改定、働き方改革など、人事業務全般を統括をしておられました。その時には、Jリーガーのセカンドキャリア支援として、プロとして活躍ができなくなったサッカー選手達を積極採用していくというプロジェクト。ほけんの窓口グループ・日本プロサッカー選手会 『選手セカンドキャリアプログラム』創設という記者会見、2012年4月、キングカズこと三浦知良さん(当時の選手会選手代表)も出席して行ったそうです。

当時の記事はこちらから。

こういうセカンドキャリア支援も当時としては早い取り組みだったと思います。

その後、現場を経験、知ろうとして、ライフパートナーとして生まれて初めてリテール営業も経験、これなかなかできないことだと私は思います。人事部長から現場へ、 素晴らしい。その後社内改革をするため、マーケティング部に移って、CM制作、冠協賛の女子プロゴルフトーナメント運営、相談予約HP全面刷新、地域別広告強化など、広告宣伝/マーケティング/ブランディング全般を統括されます。ご自身として振り返ると、当時の経験は宝物のような時間と経験を得た、自身として大きな成長の機会だったと語ってくださいました。

しっかりした会社となっていった実感もありつつ、居心地が良すぎる状況に疑問を持つようにもなっていきます。当時のメモ帳に、【安定は不安定 不安定は安定】と書いていたそうで、このままで幸せだけど40代このままで良いのか?と疑問を持つように。44歳になった新家さんに誕生日メッセージが届きます。それが現在所属しているアトラエ社の社長から。40代を共にワクワクドキドキしよう!ITはわからないと答えますが、なんとかなるでしょう!ということでエイヤー!という感じで転職を決意します。

今の仲間たちを、新家さんは、気概を持って仕事に向かっている、コミュニケーション力が高い、対応力も素晴らしい、働き方ランキング1位はホンマもん。当時月商数百万だったプロダクトのWevoxを月商数億円に成長させることができたのもメンバーの素晴らしさと讃えています。最年長社員として7年、大企業を中心とした活用フォロー、組織開発支援、各種ユーザーコミュニティの企画、外部パートナーとの連携/共創を実施して来られました。

【2024年2月徳之島へ 新家さんは前2列目真ん中に】

 

◆次の未来に向かって 活動量を上げていく 新家さん

VC→事業会社を2社、51歳になった新家さんに今後についてお聞きすると、多岐に渡ってますます活動量を上げていくお話がありました。2年ほど前から、複業として参画してきたK&Pパートナーズ、ここでの活動量を上げて経営者の支援者としての軸足を持つこと、そこには地方で活躍する経営者と向き合っていくということもキーワードがありました。2024年12月末でアトラエ社の社員から仕事は続けるものの業務委託を選択し、外部から同社の仕事に関わることになったそうです。【安定は不安定 不安定は安定】を50代でも実践する心意気を感じます。

さらに昨年からスタートしたのが2拠点生活。お遍路体験会でご一緒だった、新川さんが千葉南房総で修行する身になって、そこへ訪問、その土地柄に惚れ込んで、週末は南房総の住人となって地方活性化を肌で感じながらできることを探る、実践しようとされています。2025年1月には私も訪れる予定です。そのほかにも、大学野球チームのエンゲージメントコーチ就任にもチャレンジされます。

写真にもあるように、お遍路体験から、実際のメンバーを募ってお遍路チームも結成し、数ヶ月に一度お遍路にいくこともスタートしています。

出会いが増えると機会が増える。キャリアの形成は、世の中との繋がり、今までの人生で行ってきた、立体化して思考すること、複眼思考とも言えることをさらに実践をしていく運と縁が重なっていく、人生を不安定は安定を次の未来へと繋げていくバイタリティー溢れる新家さんとこれからもご一緒したく思っています。

【お遍路メンバーの皆さんと】

◆K&Pパートナーズ松村さん・神尾さんから新家さんについて語っていただきました

お二人に2つの質問を投げかけさせていただきました。
①JAIC時代の新家さんのエピソード、思い出、仕事ぶりについてお教えください

②K&Pパートナーにジョインをされて今、御社の中ではどんな存在ですか?新家さんと描く未来についてコメントいただけますと幸いです。

◉まずは松村さんから。

その①

初めてお会いしたのは、2001年4月(24年前!)です。私が前職日本アジア投資株式会社(以下JAIC)に新卒入社した直後の新人向け研修で講師をなさっていました。新家さんの福岡支店時代の投資営業の話を題材とした講義でした。

飛び込み営業で福岡から長崎の会社に行って、社長に会えないから社長宛ての「お手紙(自己紹介、株式上場について等)」を置いていった。

後日、その社長から福岡支店に連絡が来て、会う事ができた。その後、しっかりと時間をかけて信頼関係を構築し、投資を実行し、その会社が株式上場をした。

ベンチャーキャピタルという仕事が、良い意味で泥臭く、経営者との信頼関係の構築が大切だということを教えてもらった新入社員時代の講義として、とても印象に残っています。

その後、2008年に新家さんは人事部長兼社長秘書となり、私の直属の上司になられ、一緒に仕事をさせて頂く事になりました。

ここで印象に残っているのは、「人事評価シート」の事です。内容としては、自分の上司の事を評価するものです。実際に他の社員は自分の上司を評価するシートを直属の上司に見られることはありません。但し、人事部長の新家さんは全員のシートをチェックします。当然私の上司は新家さんなので、新家さんは私の評価シートコメントを見る立場になります。

私は言いたい事を全て書きました(笑)端的に書くと、「新家さんは頭が良すぎて、自分で殆どできてしまう。だから部下に対しての関与度合いが強い。でも、私には自由にやらせてほしい。そうしないと私は伸びない」的な極めて生意気な評価シートを作成しました。

後日、新家さんは「上司に対して、ちゃんといえる事が素晴らしい」と仰って、その後は本当にかなりの業務を任せてもらいました。結果として、一緒にお仕事をした「新卒採用」では本当に素晴らしい人材を採用することができたと今でも誇りに思っています。

(今、その後輩たちは様々なところで活躍しています。本当に嬉しい。)

その時、「こういう人がJAICの社長になるんだろうな~」と強く思った事を憶えています。

ただ、世の中の流れが非常に残酷です。その後、リーマンショックで古巣のJAICは非常に大きな痛手を負い、大規模な人員整理をすることになります。

人事部長である新家さんはそのプロジェクトの総責任者となり、結果としてご自身もプロジェクト終了後にご退職をなさいます。

その時に「これほどまでにJAICとその仲間を愛した人が辞める。JAICに残った人間は絶対にJAICの良い文化を残す責任がある」と強く心に誓いました。

その時の誓いが数年後、「JAICの良い企業文化を残したい」という想いで創業した現在のK&Pパートナーズの経営理念や行動指針に繋がっております。

その②

新家さんは現在、ベンチャーパートナーとして新規の投資活動や弊社投資活動の御支援をされています。JAICをご退職されてから、ほけんの窓口様の広告宣伝部長や人事部長を歴任されたご経験、アトラエ様でのプロダクト立上げやCSでのご経験をフルに活用して、弊社の行動指針である「志の高い起業家の為になることのみを事業とする」を実践頂いています。

ただ、私が新家さんにK&Pで一緒に仕事をしたいという想いは上記だけではありません。

前述した「JAICの素晴らしい企業文化をK&Pパートナーズでもしっかりと残していく」という誓いを実現するには絶対に新家さんにK&Pに参画してほしいという想いが創業時からありました。起業家に対する敬意と真摯且つ親身に接する姿勢、前向きに多くの仲間、同士を巻き込んでいく行動力、これからK&Pが更に目指すものを実現していくに必要な方だと思っています。

また、K&Pは良くも悪くも私と神尾でほぼ全ての意思決定をしてきました。多くの成功体験を積ませて頂く事もできた10年だったと思います。ただ、これは危険な状態であることも認識しています。慢心、マンネリ、こういったものを排除するためにも、元上司でありファンドマネージャーの経験、事業サイドの経験を有する新家さんに、良い緊張感をもたらしてほしいという想いがありました。そして、今現在においてその想いは充分する過ぎるほど叶えられている状況にもあります。

起業家へ投資をさせて頂く運用金額の多寡ではなく、どれだけ起業家に寄り添えるかがK&Pにとっては大切な事であり、これからも愚直に継続していきたいと思っています。

新家さんはまさに私が初めてお会いした2001年以前から愚直にやってきたご経験と志があると思っています。社内でもお互いに切磋琢磨して、これからの未来を創っていきたいと思っています。

【K&P社にて投資先のお祝いTシャッツを全員で】

◉続いて 神尾さんから

①JAIC時代の新家さんのエピソード、思い出、仕事ぶりについて



私がJAICに入社した時、新家さんは一つのチームを束ねる長でした。
新卒で当時真面目だった私は、VC業界は一応金融業界に属している、という認識を持っていましたが、目に映る彼からは微塵もそのような印象は受けず、ただひたすらに関わる人を笑顔に前向きにすることだけを考えている人、これが第一印象です。

学生がイメージする理想的な社会人を体現したような彼のチームはいつも活気があり、それを隣のチームから横目で見つつ憧れていました。

しかし、彼が卒業した後、別の側面を知ることになります。
彼は、2000年代前半のオープンイノベーション黎明期より複数の事業会社を巻き込みCVCファンドを立ち上げていました。当時業界2位の会社の最前線で旗を振っていたこともあり、当時としては国内トップレベルCVCの立ち上げと運営に関わっていたのではないか思います。

今でこそ日本でもCVCの数は増えノウハウも溜まってきましたが、あの前例のない時代に、事業会社を説得してCVCを立ち上げることがどれだけ難しいことか。。。

その時の苦労を、彼が残した分厚いファイル群とその中身を通して知ることになります。緻密で繊細な文章の数々。

これは皆さんに伝わるか分かりませんが、当時のVC業界では経営者やファンド出資者との折衝能力が重視されるが故に、攻撃(営業)100、守備(管理)0の様な方も多数いらっしゃったわけです。そんな砂漠に咲いていたのです。

元気・前向きだけでなく、繊細で緻密な事にも対応できる能力を備えた方だったんだー
(後輩の失礼な表現も、きっときっと彼なら許してくれると思います。)




②K&Pにジョインした今、どのような存在か、描く未来



その後、独立し新たなVCを立ち上げるわけですが、事を成し遂げるためには彼から学んだ「元気・前向き」と「繊細で緻密」の両面が必要だと考えます。
一緒に立ち上げた松村さんは「元気・前向き」を備えていますから、私は「繊細で緻密」な事に対応する能力を備えなければいけないと心に決めたのを覚えています。まずは2人合わせて新家さんになろうとしたのが弊社の始まり。

また憧れのキャピタリストの一人ですので、当然企業理念や行動指針を決める際に参考にさせていただきました。そしていつかこのような方がVC業界に戻ってくれば、弊社が関わっている経営者の方はもっと喜んでくれるはず。

設立から9年経ち、経営基盤も整ってきたのでいよいよその時が来ました。
我々の9年に渡る思いの告白に少し戸惑われていましたが、新家さんらしく前向きに受け止めていただきました。

そして10数年ぶりに一緒に仕事をする事になり、この間色々な経験もしましたから、当時の憧れの人に少しは追いつけたのではないかと想像するも、軽く打ち砕かれる事になります。年を重ねたにもかかわらず、以前にも増した、人や物事への好奇心。「積んでるエンジンが違う」と感じ、改めて自分は自分のやるべき事に集中するとともに得意分野を伸ばそうと考える様になりました。

おそらく弊社の他のメンバーも同じことを感じたのではないかと思います。新家さんが参加してくれた事によって、各人のやるべきことや得意なことに、集中しやすくなった。これが組織内の変化です。

最後に、最近彼の企画で社内合宿を行いましたが、笑顔あふれる2日間でした。裏側には彼の手厚いホスピタリティがあってのことですが、5年後も10年後も同じような笑顔で共に過ごすことができればと考えております。

◆就任する大学野球の監督、アトラエ社のメンバーからもコメントを

◉帝京大学準硬式野球部 監督  浅野 修平さんからのコメント

①新卒時代(入社前も含めて)の新家さんの印象や仕事上での思い出、エピソード、新家さんの魅力につながるようなことがあればお教えください。

はじめて新家さんと出会ったのは私が大学3年生のとき、入社面接時です。たしか役員面接前の二次面接だったと記憶しています。当時新家さんは人事部の統括をされていた人事部長でした。面接の最後に「将来の夢」を聞かれました。
私は数社ほど別の会社も受けており、「将来的に会社でどうなりたいか」という質問はあっても、会社外の将来像を聞かれたのははじめてで、これってまさか本当のことを答えたら長く働く気がないと受け取られ落とされる?
なんて瞬時に小さい心配をしていましたが、「教員免許取るんだから例えば野球の指導者になりたいとか?」とかと追い質問をいただき、安心して、「秋田県知事になりたいと思っています!」と答えたのを覚えています。
これまでの面接の中で、いただいた質問と答えとその後のリアクションを覚えているのはこのときだけです。
その後、私は3年ほどで退職をするのですが、退職の事前報告をしたときも印象に残っています。
私は200人以上いるオフィスの端のほうで新家さんを呼び止め、小声で「すみません退職することに…」と伝えたところ、新家さん持ち前のビッグボイスで「えーそうなの!!!!次決まってるの?」と。
私はまわりの目を気にしながら、またどんな言葉が返ってくるのか心配になりながら「母校の監督、野球の指導者になります」と答えました。
新家さんからいただいた言葉は「おめでとう!」でした。(もちろんビッグボイスで)まさかの言葉に、今度はまわりの目も気にせずウルウルしながら「ありがとうございます!」と握手をさせていただいた記憶があります。
新卒で入社してわずか3年での退職はかなり早い方でしたので、採用していただいた当時の部長からまさかそんな言葉をいただくとは考えてもおらず、ただただ感動と感謝と、そのときは申し訳なさと、いろいろな感情がこみ上げていましたが、いつかこの会社に、新家さんに、関わってくださった方々に恩返しをしたいという思いが湧いてきたのを覚えています。
その後、退職しても何度も食事に行くことがありましたが、「〇〇さん今こんな活躍しているよ」とか、「〇〇さん結婚したんだよ」など、誰かの幸せを嬉しそうに語る新家さんをみて、人の幸せを自分のことのように喜べるって素晴らしいな、自分もそういう大人に、そういう在り方をしたいなと思いました。
思えば、野球の指導者として「幸福度の高い組織」を創る考えの基礎になったのは新家さんの存在であったと感じています。私にとって新家さんは、恩人であり、師であり、ボスであり、親父でもあり、兄貴でもあり、飲み友だちでもある。そんな関係です。

②今回、野球部のコーチ就任と新家さんからお聞きしました。
野球とは縁のない新家さんの登用を決められた経緯、理由、就任後 新家さんに期待することをお教えください。

今回、新家さんには、『エンゲージメントコーチ』という役回りで帝京大学準硬式野球部に関わっていただくことになりました。お互いほけんの窓口グループを離れてからも度々お会いしており、さまざまな相談をさせていただいてました。相談の内容は野球部の監督としてではありますが、打ち方、投げ方の教え方がどうということではなく、「組織をよりよくしていくためにトップとして、どうしていくべきか」といった広義的な分野でアドバイスをもらっていました。
もともと私は野球部という組織が現代社会の在り方と少し乖離している部分があると感じており、実社会、一般社会に繋がる組織をつくるために、野球以外の分野の方々からの意見はかなり重要であると感じておりました。
なんなら、マネジメントする立場は野球人でない方がいいのではないかとも。私自身、組織が自分の価値観の中だけで留まり、成長する機会を逃しているのではないかと強い危機感を持ち始めていました。
そんな中、色々なタイミングが重なり、今年の夏の強化キャンプに新家さんが来ていただけることに。
実際に現場を見ていただき、私にとっては近くにいていただいたことで、新家さんに関わっていただくイメージが勝手ながら浮かびました。少し時間を置いてからですが、正式にコーチ就任をお願いさせていただきました。

新家さんは

・人の可能性を信じ、寄り添う

・組織に文化を創り、育む

個人と組織の両方を大切にしながら、エンゲージメントに向き合われている、まさに今私どもの部に必要な価値観を第一線で体現されています。
こうした新家さんのご経験や現在の取り組みを私どもの部で発揮いただくことは大変光栄かつ贅沢ではありますが、4年間限定の大学スポーツという再現性が難しい組織において、とくに大きな意味を持つと思っています。
また監督という役職は内部評価がされにくい立場でもあります。それが何年も続くと決していいことはありません。監督の私についても、部員への向き合い方や指導に関して気づいたことのアドバイスをどんどんいただきたく思っています。たくさんの期待を長々と綴らせていただきましたが、私が新家さんに出会ったとき、こんなかっこいい大人になりたい。と思ったように、学生も新家さんと話をすることで、「大人になる」「社会に出る」ことへの憧れが湧くと思いますし、部の活動を経て、将来自分はどう在りたいかを考える機会になってもらえれば、それだけでとてもありがたいです。
チャレンジ精神の塊のような新家さんですので、学生と関わることでその精神にさらに拍車がかかり、ユニフォームを着てベンチに立つ姿も普通にあり得るかもしれません!

◉アトラエ社で新家さんがリスペクトしている34歳の若きリーダーの森山さん

① アトラエ社における新家さんの存在についてお教えください。どんな存在ですか?あなたにとっての新家さん像もお教えください。

新家さんがアトラエに加わったのは2018年の初め頃で、初めてお会いしたのは2017年末の忘年会でした。当時、Wevoxの立ち上げと営業活動に奔走していた私が、移動中に代表から「とても素敵な人がいる」と新家さんの話を何度も耳にしていました。

直接お会いしたことがなかったので半信半疑だったのですが、忘年会で初めて握手を交わした際、彼の人柄やまっすぐさ、懐の深さが伝わり、「この人と一緒に働いてみたい…」と直感的に感じたのを今でも鮮明に覚えています。

私にとって新家さんは、料理の「出汁」のような存在です。本質に向き合うことの大切さを常に気づかせ、サポートしてくれます。個人としても組織としても、新家さんと話すときは、どんなテーマであれ常に「真正面から向き合う」ことの大事さを教わっています。なので新家さんには、「アトラエのメンバーや、想いを共にするWevoxのパートナー、顧客と話をしてほしい」とお伝えしています。それは、新家さんと話してくれることで、自分たちが何を提供したいのか、どういう良さを持っているのか、その上でどういうスタンスが大事なのか、自分たちの本質に気づかせてくれるからです。出汁が美味しいと料理が美味しくなるように、根幹を支えてくれてます!
さらに、言葉のセンスも鋭く、アトラエの「People Tech」や「コアとキワ」といった自分たちの中にある想いをうまく言語化してくれます。

後は、新家さんはとにかくエネルギッシュ。直感で意思決定し、常に動き続けているその姿には刺激を受けますし、「自分も挑戦したい!」という気持ちが湧いてきます。

② 新家さんとお仕事通じて経験した思い出深いこと、何かエピソードがあればお教えください。

Wevoxの成長の旅路を共に歩んでいる中で、数え切れないほどの思い出がありますが、特に印象的なエピソードをいくつかご紹介します。

・入社時に初めてMacを使うことになり、新卒メンバーに「そんなことも知らないのですか!?」と言われながらも、一つひとつ丁寧に学んでいたこと

→前職での役割や立場を考えれば、新家さんがこんなに腰が低いのは本当に驚きで、最初はその姿勢に衝撃を受けました

・事業の方針が出るたびに「ハッとさせられた!」と毎回全ノリで取り組んでくれていたこと

→ 方針が決まるまではさまざまなアイデアや意見を積極的に出し、いざ方向が決まると全力でその道を進んでくれる。その姿勢にはいつも助けられていました。

・若手メンバーと同じ行動目標を持って、毎日カスタマーサクセスとして走り回っていたこと

→ 「これ以上やったら倒れる…」と言いながらも、全力で走り切り、表彰台で若手メンバー達と肩を組んで涙を流す姿は本当にかっこよかったです。

・「面白い人がいる!」と、いつも周囲の人の魅力に気づき、尊重する姿勢。

→ 今のWevoxは新家さんが紹介してくれた素晴らしい仲間のおかげで成り立っていると言っても過言ではなく、本当に感謝しています。

・誠実に向き合うべき事案に対しては、厳しい意見をくれるところ。

→ 曖昧にせず、真摯に向き合うこと、そして決して逃げないことを新家さんから教わりました。

これらに共通する新家さんの素晴らしいところは、常に目線が一緒であることです。謙虚で素直、フラットに向き合い、「相手と同じ目線に立つために、まずは自分から動いてみる」

その姿勢は私自身が学ばせてもらった大切な姿勢です。

◆最後に新家さんからこのインタビューへの感想も

まずは自身のこれまでの歩みやキャリアを振り返る貴重な機会を杉浦さんから頂きましたことに深く感謝申し上げます。杉浦さんには特にこの2年ほど、色々な形で日々お世話になっており、素敵な出会いやご縁、そして気づきを毎回頂いておりますが、今回もこのタイミングで自分が大事にしていることを改めて深く自己理解することができ、インタビューを読み直しながら内面からエネルギーが満ちてきております。ありがとうございます。

また、コメントを頂いた4名の皆さん、それぞれ多忙の中で私に対しての言葉を紡いで頂いたこと、とても嬉しく、感謝ばかりです。その行動力や背景にある想いなど、日頃より心からリスペクトしている皆さんからこのような宝物のようなコメントを頂けること、これこそ仕事や人生の醍醐味だと思います。本当にありがとう。

東京下町の町工場の三男坊として生まれ、能天気に育ってきた私が、何故かVCの道を選び、その後の仕事や人生を楽しくワクワクしながら過ごせていることも、これまでご縁を頂いた全ての方のおかげであると、改めて心から感謝しています。

そして、私以上に真面目な亡き父、私以上に明るく楽天的な母、私以上にパワフルで行動力のある妻の存在が、特に今の私自身を形づくっていると感じます。この場を借りて感謝を伝えたいと思います。
自らに対しては「安定は不安定、不安定は安定」の言葉通り変化(不安定状態)を意図的に創り出すことが実が未来への安定に繋がっていくということ、そして真摯な姿勢の他者に対しては性善説に基づきその可能性に興味を持ちまずは信じてみるということ、これからもその軸はぶらさずに生きていきたいと思っています。
引き続き、皆さんにはたくさんたくさんお世話になると思いますが、よろしくお願いいたします!!

元気と笑顔に溢れた新家さんにインタビューできて新年早々良いスタートができました!昨年末には以前からチャレンジしようとされていた地域創生の勉強のために大学試験へ、そして見事晴れて今春から大学院へ!法政大学の石山教授の下で、地域創造インスティテュートの研究をすることに。

不安定が安定につながる人生を実践されて素晴らしいと感じます。新家さん!長らくのお付き合いをよろしくお願い申し上げます!この度はインタビュー有り難うございました!