【今週の自戒】出来ないことがたくさんあってよかった。

ー杉浦佳浩

【今週の自戒】出来ないことがたくさんあってよかった。


2024年 08月 19日

【今週の自戒】
出来ないことがたくさんあってよかった。

写真の言葉を見ていて、
自分に置き換えてみた。
自然に小学校の体育の授業を思い出した。
自分にとっては
夏と秋で大きな【差】があったことが
本当によかった。
100歳にならなくても10歳くらいには
もうこの写真の感覚が理解できていた。

夏の体育の授業といえばプール。
まだ大阪にスイミングスクールが最初にできた頃
50数年前、軽い喘息だった私を両親が気遣い
当時としては破格、高額だったと思う月謝3,600円で
通わせてもらっていました。
裕福でも無い家計から月謝の捻出に感謝しています。

7歳からスタートして、10歳の頃には
小学校の体育の授業で先生よりも上手く
早く泳げたので、模範、最初に泳ぐ、
そんな待遇を受けることができた。
もう鼻高々。。。嬉しくて嬉しくて。

しかし季節が変わって、秋になると
強烈なギャップを感じることに。
丘に上がった河童とはよく言ったもの
まさにそんな感じ。
運動音痴そう言われるくらい。
走っても遅く、何をやっても
鈍臭いと言われるレベル。
運動会が近づくと、雨降らないかなぁ
と本気で思う始末。

このギャップがよかった。
水泳とその他の運動の差分が大きすぎて
できることの有り難さが
自然に身に染みて。

できないことばかりをフォーカスしても
仕方がない。
できること探しに頑張ってみよう。
そう思うと毎日の景色も変わる。

毎日を楽しんでいると
楽しい人たちが声をかけてくれる
さらに楽しい輪が広がる

置かれた場所で咲ける人に。
今週もよろしくお願い申し上げます。

【素行自得(そこうじとく)】
安岡正篤師の心に響く言葉より…

『君子は其の位(くらい)に素して行ひ、その外(ほか)を願はず、富貴(ふうき)に素しては富貴に行ひ、貧賤(ひんせん)に素しては貧賤に行ふ。
夷狄(いてき)に素しては夷狄に行ひ、患難(かんなん)に素しては患難に行ふ。
君子入(い)るとして自得せざるなし。』(中庸)

『意気地なく、或いは卑怯に、現実逃避しないで、正直に、着実に、勇敢に、現在の境地に立脚して勇往邁進(ゆうおうまいしん)してゆくことを「素行」という。
素行してはじめて人間は自己を把握することができる。
これ「自得」である。』(東洋の心)

『素行とはいうまでもなく、心ある人々がまず各々(おのおの)その位、すなわち立場々々に即して良心的に行動することである。』(天地有情)
『安岡正篤 人生手帖 古教に心を洗う』致知出版社

君子は、富貴(金持ちで身分が高いこと)の境遇にあるときは、おごらず、その富貴を楽しむ。
貧賤(貧乏で身分が低いこと)のときは、その貧賤を楽しむ。
夷狄(外国)に行ったら、その国の風習に合わせ、それを楽しむ。
艱難(苦しいとき)にあっては、その艱難を楽しむ。

君子はいかなる境遇におかれても、それに不満を抱かず、矩(のり)をこえず、あたかも遊ぶように、淡々と毎日を過ごす。
それが、「楽しむ」という世界。

「立派な人物は、己に与えられた環境について、泣き言や、不平不満を言ったりはしない。
その置かれた場所で、精いっぱいの努力をし、それ以外のことは考えない。」

行徳哲男師は、こう語っている。
『「大事到来、いかにしてこれを避くべくや」という禅の公案がある。
「酷暑到来、酷寒到来、いかにしてこれを避くべきや」。
その答えは「夏炉冬扇(かろとうせん)」。
そんなに暑かったら囲炉裏にあたっておけ、そんなに寒かったら扇をつかっておけ。
暑いときには暑さの中へ入れ、寒いときには寒さの中へ入れ、そしてそれを突き抜けろ、ということである。』(感奮語録)より

絶体絶命の大事と出合ったら、逃げずにそこに入り込み、浸りきることが唯一の解決策だというのである。
逃げれば、不運が追いかけてくる。
つまり、「これより他に道はなし」、という気持ちになることだ。

まさに、「置かれた場所で咲きなさい」であり、「素して行い、自らを得る」だ。
「素行自得(そこうじとく)」という言葉を胸に刻みたい。

上記の【素行自得】については人の心に灯をともすより引用しています。