心底おかげさまと言えるには。

ー杉浦佳浩

心底おかげさまと言えるには。


2024年 02月 12日

【今週の自戒】
心底おかげさまと言えるには。

心の底からおかげさまとなかなか言えない
そう思って生きてきました。
最近少しだけ言えるようになった気がします。

たくさん迷惑をかけ
たくさん経験をして
たくさんの助けを得て
今がある。
多くの経験、失敗、行動を繰り返し
おかげさまと言えるようになるんじゃないか
と思えるようになってきました。

『20代の自分に美味しいと言わせる黒糖焼酎を作りたい』
と言って、多くの苦難を乗り越えた
経営者さんのお話を先日伺いました。
そこで出てきた おかげさまは
なんと自然な感じを持ったか。
半世紀ぶりに自社ブランドを復活させるには
たくさんの乗り越えるべき壁があったと
感じ入りました。
そんな厳しい中でも、
20代いろんなことから逃げていた自分と向き合い
やり遂げると決めた瞬間から
楽しみを見出す工夫が始まり
おかげさまの境地に至った、
短時間でありましたが、素晴らしいお話を
聞けた幸せ。
また豊な経験が一つ増えました。
経験、失敗、行動の連続を大切に。
心底おかげさまと言えるように。
今週もよろしくお願い申し上げます。

【おかげさまの心】
ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子氏の心に響く言葉より…

小さなお子さんの手を引いて、一人のお母さまが水道工事の現場の傍(そば)を通りかかりました。
暑い夏の昼下がりのことでした。
お母さまは坊やに向かって、
「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。ありがとうと言いましょうね」
と話してやりました。

やがて、もう一人同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。
「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、こういうお仕事をするようになりますよ」
と言ったというのです。
同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。
最初の母親は、この日、子どもの心に労働に対しての尊敬と感謝の気持ちを育てました。
二番目の母親は、(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、恐ろしいまでに誤った差別観念を、この日、我が子に植えつけたことになります。

私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、どんな会話を交わすことでしょうか。
会話以上に大切なのは、どんな思いを抱いて、働いている人たちの傍を通るかということなのです。

人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。
感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、まず親がふだんから「ありがとう」という言葉を生活の中で発していることが大切なのです。

近頃の学生たちで気になることの一つは、いわゆる〈枕詞(まくらことば)〉のようなものを習ってきていないということです。
例えば、「お元気ですか」と尋ねると、「はい、元気です」という答えは返ってきても、「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、以前と比べて少なくなりました。
遅刻して教室に入ってきた学生が、授業の後で、「遅刻しました」と、名前を届けにはきても、「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。

「お話し中、すませんが」とか、「夜分(やぶん)、失礼します」という挨拶のできる学生も少なくなりました。
いずれにしても、言葉が貧しくなっています。
そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。

せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。
理屈っぽい人は、「何のおかげですか」と言うかも知れません。
何のおかげでも良いのです。
この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。
見えないものへの感謝なのです。

ところで、本当にありがたいこと、何でもない時に「おかげさまで」と言うのは比較的に易しいのですが、不幸や災難に遭った時はどうしましょう。
そんな時にも、「おかげさまで」と言える自分でありたいと思っています。
ごまかすのではなく、不幸、災難、苦しみをしっかりと受け止めながら、「いつか、きっとこの苦しみの〈おかげさまで〉と言える自分になりたい、ならせてください」と祈る気持ちをもっていたいのです。

『忘れかけていた大切なこと』PHP文庫

相田みつをさんの「つまづいたおかげで」という詩がある(同書より)。
「つまづいたり  ころんだりしたおかげで
物事を深く考えるようになりました

あやまちや失敗をくり返したおかげで
少しずつだが
人のやることを  暖かい眼で
見られるようになりました

何回も追いつめられたおかげで
人間としての  自分の弱さと
だらしなさを
いやというほど知りました

身近な人の死に逢うたびに
人のいのちのはかなさと
いま  ここに
生きていることの尊さを
骨身にしみて味わいました」

我々が何気げなく普通にくらしていられるのは、多くの人の、名も知れない誰かの献身的な努力があるから。
「おかげさま」という心を忘れたとき、人は傲慢(ごうまん)になり、感謝の心をなくしてしまう。

誰の助けも借りずに、たった一人で、この世の中を生きていける人は誰もいない。
つまずいたり、ころんだりすることも、「おかげさま」の気持ちを忘れないための神さまからのプレゼント。
どんなときも、感謝とおかげさまの心を忘れない人でありたい。

上記の【おかげさまの心】については人の心に灯をともすより引用しています。