心から心へと灯す。後が大事と教えられる

ー杉浦佳浩

心から心へと灯す。後が大事と教えられる


2023年 04月 03日

【今週の自戒】
心から心へと灯す。後が大事と教えられる

年に数度お会いする人生の先輩
その時々、私の状況を知らずとも
不思議と心に火が灯る、また頑張ろうと思う
たった一言を残してくださる方がいます。

70代後半に差し掛かっても今でも
クリアであり、かなりのスピード感
その人を頼ってくる人は数知れず
短時間でも聞き応えのある内容。
先日の私は17分でした。。。
その中で、
『後が大事』と何度も話がありました。
自分の用事やアポイントの前に
何度も連絡があっても、その後、
『その後』に拘っているか?という質問。
それができない人とは付き合わないと
後を大切にする人とは長い付き合いができる
たくさん思い当たる節もあり、反省も。
こうして心から心へ火が灯る、
そんな毎日に。
励みとなる一つの言葉を残せますように。
アップデートを心掛けて。
今週もよろしくお願い申し上げます。

【人生後半の戦略とは】
アーサー・C・ブルックス氏の心に響く言葉より…

「全力で生き、若くして死に、美しい亡骸を残す」
という、俳優ジェームズ・ディーンの信条に従って生きるのでない限り、キャリアと体力と気力の落ち込みは避けられないことを、あなたも分かっているはずです。
ただ、それはまだまだ先の話だと思っているのではないでしょうか。

現実をお伝えしましょう。
高いスキルを要する職業であればほぼ例外なく、30代後半から50代前半にキャリアが落ち込みはじめます。
耳が痛い話ですみません。

でも、もっと悪い話があります。
ピークが高ければ高いほど、キャリアは落ち込みはじめたら一気に落ち込むようなのです。
もちろん、私の言葉を鵜呑みにするわけにはいかないでしょうから、根拠を見てみましょう。

まず、落ち込みが最も分かりやすく、早期に現れる例から。
スポーツ選手のことです。
瞬発力や全力疾走が必要なスポーツの選手は、20歳から27歳にパフォーマンスのピークを迎えます。
一方、持久力を競うスポーツ選手のピークは、もう少し遅くなります。
とはいえ、若い時期であることに変わりはありません。
当然と言えば当然です。

第一線で活躍するスポーツ選手に、60歳まで現役を期待する人はいません。
スポーツ選手の大半は、30歳には別路線の職を見つけなくてはいけないだろうと考えていました。
その現実を、歓迎しているわけではないものの、おおむね受け止めていました。

これが、いわゆる「ナレッジワーカー (knowledge worker)/知的労働者」となると、だいぶ話が違ってきます。
運動能力やずば抜けた体力ではなく、発想力や知力を求められる職に就いている人で、70歳より前に落ち込みが訪れるだろうと語る人は皆無に等しいです。
なかには、落ち込むのは80歳以降ではないかと言う人もいます。
しかし、スポーツ選手と違い、ナレッジワーカーは現実を受け止めていません。

主な発明家やノーベル賞受賞者の経歴を調べたところ、大発見をする時期は30代後半がもっとも一般的だと判明しました。
主要な発見をする可能性は、20代、30代にかけて徐々に上昇し、40代、50代、60代にかけて急激に低下するといいます。
70代で主要な発明をする確率は、ほぼゼロです。

『人生後半の戦略書』SB Creative

では、我々はどうしたらいいかという問いに対して、アーサー・C・ブルックス氏はこう語っている。

『晩年に入ったら指導に回るという考え方は、古今東西の偉大な知恵文学に見られるテーマです。
オイゲン・ヘリゲルの名著『弓と禅』では、弓道の老師が次のように言っています。
「燃えるろうそくで他者のろうそくに火を灯すのと同じように、師というものは、火種となる正しい術の精神を心から心へと灯すのです」
紀元前1世紀に政治家、弁護士、学者、哲学者として活躍したマルクス・トゥッリウス・キケロの知恵も借りましょう。
キケロは当時の声を現在に伝える最重要人物で、キケロが生きた時代のラテン文学のうち、現存する文学の4分の3は、キケロの著書です。
キケロは晩年、『義務について』と題する息子宛ての公開書簡を書き、高潔な人が負うべき責任について語っています。
その大部分は若者の義務について語られていますが、人生の後半の職業にも触れています。
老人は(中略)肉体労働を減らし、頭を使う活動を増やすべきであるように思う。
相談に乗ったり、実用的な知恵を教えたりして、友人や若者、そして何より国家にできるだけ奉仕するよう努力すべきだ。
キケロは歳を取ってからの生き方について3つの信念を抱いていました。
第1に、ぐうたらせずに、奉仕に専念すべきであること。
第2に、晩年に恵まれる最大の強みは知恵であり、学習と思考から生み出す世界観によって、他者を豊かにできること。
第3に、晩年ならではの才能を活かす手段が相談を受けることであり、お金や権力や名声といった世俗的な見返りを狙わずに、他者を指導、助言、教育すべきこと。』

また、晩年になったら「教える」というだけでなく、「林住期(りんじゅうき)」や「遊行期(ゆぎょうき)」が大事だという。
古代インドでは、生涯を「学生期/8歳~25歳」「家住期(かじゅうき)/25歳~50歳」「林住期/50歳~75歳」「遊行期/75歳~」に分けていた。
学生期は、身体と精神を鍛え、学びを通して独り立ちを目指す。
家住期は、社会人として活躍し、家族を養い自立する。
林住期は、社会人としての役目を終え、新たなステージにすすみ、より精神的に生きること。
遊行期は、この世の旅路を、行雲流水の如く、気負いなく、淡々と楽しみながら生きていくこと。そして、間違いなくあの世に近くなるのだから、神社やお寺などと近しくなること。本書ではそれを信仰心を持つこと、と記されていた。

キケロのいうように、晩年に人を教えることをするためには、年を取ってからも学び続けなければならない。
自分の経験や学んだ事を教えるにしても、常に新しい情報も学んでいかなければ、その教え方も古臭いものとなってしまう。
つまり、アップデートし続けなければいけないということだ。

人生の後半には…
ますます学び、人に教える立場になりたい。

上記の【人生後半の戦略とは】については人の心に灯をともすより引用しています。