一生懸命 ≒ 苦しんでではないと思う。楽しんででいいんじゃない。

ー杉浦佳浩

一生懸命 ≒ 苦しんでではないと思う。楽しんででいいんじゃない。


2023年 03月 27日

【今週の自戒】
一生懸命 ≒ 苦しんでではないと思う。楽しんででいいんじゃない。

あるコメントに
苦しんで花を咲かせる者
苦しんで怨みを残す者
苦しみ方次第、心次第。
とありました。

確かにその大切さもありますが、
苦しんで苦しんむを美化して
それがいつしか一生懸命と同じような
一生懸命は苦しむことと変な通例化
していることに子供の頃から違和感を
持っていました。

楽しんで楽しんでそして一所懸命に
結果、花は咲かなくても
その楽しさに人は集まってくる。
そう思っています。
60歳後半、未だ第一線、
現場で輝く方がいます。
たくさんの方々に囲まれ元気そのもの
そして笑顔に裏に一生懸命
街中でバッタリあった時、
ちょっとくたびれた会社員って感じに
俺は普段こんなもんやと
本音を話してくださいました。
しかし仕事モードになった瞬間
周囲を笑顔の渦に。
その瞬間瞬間を楽しんで。
花が咲くか咲かないかは結果、
命の大きさに何も変わりはありません。
生きる姿勢を大切に。
今週もよろしくお願い申し上げます。

【日々これ好日なり】

大徳寺大仙院閑栖(かんせい)、尾関宗園氏の心に響く言葉より…

ある日、雲門和尚(八六四~九四九)が弟子たちに向かって言った。
「今日までのことはさておくとして、これから十五日間の生活の中で、いちばん大切だと感じたことを、何か一句であらわしてみなさい」

弟子たちは、それぞれ、禅を修行した境地を指摘するようなことばを見つけだそうとして、日夜、必死になって悩んだ。
しかし、期限の十五日目になっても、誰一人答えることができない。

そこで雲門和尚は、自ら一句をつくって、弟子たちに聞かせた。
「日々(にちにち)これ好日(こうじつ)なり」

このことばは、よく掛軸などにも書かれて、床の間に飾ってある家庭もある。
ふつう、これは、毎日が平穏無事、快適に過ぎていくといった意味で使われているが、禅の場合にはそうではない。
すくなくとも私は違った見方をしている。
人生は晴れた日だけではない。

嵐の日や疲れた日、絶望する日もある。

そうした毎日を、よい日と感じていくためには、瞬間瞬間を精一杯生きることに尽きる。

美しいもの、正しいこと、よいものを心で受けとめることができれば、毎日はよい日になる。
今日一日、この一瞬がすべてなのだ。
その日一日を充実させていく。
そうした日々を積み重ねていけば、充実した人生になるということだ。

《自分の一生は今日一日しかない》

『心配するな、なんとかなる』PHP研究所

「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は変らざりけり」

剣と禅で自らを鍛え上げた幕臣、山岡鉄舟の言葉だ。
のちに天皇の侍従に就任した。

どんな天気になろうと、富士山の偉大さとその価値は変わらない。
これは、人も同じで、どんなに失敗しようと、あるいは成功していようが、その人の価値は変わらない。
まさに、「日々これ好日なり」。

人生には、もともと良い日も、悪い日もない。
そう感じる自分がいるだけだ。
今日はひどいことばかり起きた、ツイてなかったと思う人がいれば、この程度で済んでよかった、ツイてると思う人もいる。
同じ出来事でも、その人の受け取り方次第、感じ方次第だ。

「日々これ好日なり」の気持ちで毎日を過ごせる人でありたい。

上記の【日々これ好日なり】については人の心に灯をともすより引用しています。