もがくのは学生だけではない 幾つになっても

ー杉浦佳浩

もがくのは学生だけではない 幾つになっても


2023年 02月 13日

【今週の自戒】
もがくのは学生だけではない 幾つになっても

いつも素晴らしい筆使いと文章で
立ち止まる都内の某所
もがくのは受験生だけではないと
突っ込んでいました。
年齢は関係ない。

社会人になってもがくこと、
夢中になること、泥臭くどろんこに
熱狂して仕事に向かう
そうではない、口先だけの人は、
人生の折り返しを過ぎた時にやっと気づく
(気づかない人もいるけど)
それでも、もがくこともなく
時に急に縋る(スガル)人がいる
もがくこともせずに縋るだけ。
もがいてから出直して欲しいと感じる。

最近気づいたこと、口先だけの人は
50を過ぎると見事に消えていく
本当に見事、今、私のお付き合いがある人
仲良くしている人は人生のどこかで
思いっきりもがいた経験のある人ばかり。
そして今ももがいている、熱狂している。
有り難い、周囲の方々のおかげです。
明文化できていなかったけど
何か違う、そう思う人とは結局は隔たりができる。

先日、経歴だけを見ていると
超がつくほどスマート、スマートすぎて
憚れるほど。。。
株式を公開し、会社の代表としてご活躍
でも仕事に夢中、泥臭さを感じるほど
社会的意義に立って事業を拡張する
覚悟と道筋がはっきりしていました。
まさに 深沈厚重の人
素晴らしい出会いに感謝の瞬間と連続。
夢中に仕事に向かえることに感謝。
もがいて行きましょう
今週も
よろしくお願い申し上げます。

【「素朴愚拙」の魅力】
行徳哲男師の心に響く言葉より…

私は、人間の特に男の魅力というのは「素」「朴」「愚」「拙」の四つの言葉で表わすことができると思うんです。

「素」のよさは何も身につけていないことです。
カーライルが『衣装哲学』という本で述べていますが、いまの人間はいろいろと着込みすぎですよ。
枝葉をつけすぎている。
枝葉をつけた木は見栄えはいいけれど、滋養は枝や葉が吸ってしまい、幹や根が弱ってしまいます。
逆に枯れ木は見栄えはしませんが、力強さを持っている。
これが「素」の魅力ですよね。

「朴」とは泥臭さのことでしょう。
泥臭さがなければ本当の指導者にはなれないし、時代の救世主にはなれないんですよ。
作家の柴田錬三郎さんがシベリアに抑留されていたときに、極寒の中でしばしば靴下を盗まれたそうです。
そういう盗人はインテリや育ちのいい人間であったと書いています。
それに対して「俺の靴下を履けよ」と情けを示してくれたのは魚屋のおやじさんやヤクザ者だったそうです。
そういう限界状況で情を示せる人間というのは、どこか朴訥な田舎っぽいところがあったというんですね。
こういう朴訥(ぼくとつ)さをいまの指導者たちは失っています。

同時に「愚」がなさすぎる。
「大賢は大愚を見せるにあり」と言いますが、 大きな賢さというものは大きな馬鹿を見せることです。
「愚」の魅力とは阿呆になれる、馬鹿になれること。
そういう人物のもとには、「この人のために」 とたくさんの人が集まってくる。
それが本当の利口というものでしょう。
そういう「ど阿呆」が日本にはいなくなりましたね。

吉田松陰が一番好きだった言葉にこうあります。
「狂愚まことに愛すべし、才良まことに虞(おそ)るべし」
頭がいいだけの人間は恐ろしいですよ。

また、松陰はこうも言っています。
「狂は常に進取に鋭く、愚は常に避趨(ひすう)に疎(うと)し。才は機変の士多く、良は郷原(きょうげん)の徒多し」
愚の人は計算しません。
要領が悪い。
だからこそ、新しいことに挑(いど)めるわけでしょう。
でも、才良の士は郷原(きょうげん)の輩になってしまう。
すなわち、うわべだけ取り繕って人にこびたり、人を陥れたり、人を利用したりする。
いまはそんな人間が多すぎます。
馬鹿力と言いますが、馬鹿こそ力なんですよ。

最後の「拙」は下手くそのことです。
下手くそな人間は魅力的ですよ。
いまは上手に生きようとする人間、要領のいい人間があまりに多い。

『いまこそ、感性は力』致知出版社

「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」
という江戸時代の臨済宗の僧侶、仙崖(せんがい)和尚の歌がある。

世の中には理不尽なことが多くある。
批判や、揶揄(やゆ)、嘲笑という風。
ときには大風が吹くときもある。
気に入らぬことも多いが、柳に風と受け流す。

受け流すことができる人は…
「素朴愚拙」の人だ。

また、「素朴愚拙」の人は、「深沈厚重(しんちんこうじゅう)」の人でもある。

中国明代の儒学者である呂新吾(ろしんご)が 名著『呻吟語』で「人物」について語っている。
深沈厚重(しんちんこうじゅう) 是第一等素質
磊落豪遊(らいらくごうゆう) 是第二等素質
聡明才弁(そうめいさいべん) 是第三等素質

第一等の人物は、深沈厚重の人で、どっしりと落ち着いて深みのある人物。
細事にこだわらない豪放な人物は第二等。
頭が切れて弁の立つ人物は第三等である。

「深沈厚重」であり…
「素朴愚拙」の人を目指したい。

上記の【「素朴愚拙」の魅力】については人の心に灯をともすより引用しています。