幸せではなく仕合せるで行こう

ー杉浦佳浩

幸せではなく仕合せるで行こう


2022年 01月 03日

【今週の自戒】
幸せではなく仕合せるで行こう

10年ほど前にある本を読んで、なるほど!
と思ったこと。
それは
幸せという字は、江戸時代あたりから。
もっと昔は、【仕合せ】と書いていた。
幸せは、自分が先に立つ。
仕合せは、相手がいて、一緒に、
さらに、仕合せるになると、
喜んでもらうことが先に。
昔の日本の素敵なところは仕合せるが
あったからではないかと考えるように。

最近のビジネスモデルが〜
アメリカでは〜、世界では〜等と
新しいこと、海外も大切ではありますが
それって今必要?
ちょっと馴染まない?
それをムリクリ通すと長続きしない。

仕合せるは、
お互い様を身に沁みて
今、今日を大切に生きて、
有り難うを見つけられる人に
正月だけに限らず
一隅を照らし続ける人でありたい1年に。
心が通い合う人と心を通わせて
今週も
よろしくお願い申し上げます。

【一隅を照らす人(元旦によせて)】
小林正観さんの心に響く言葉より…

「しあわせ」の語源は「為(な)し合(あ)わせ」です。
お互いにしてあげることが、「幸せ」の本質なのです。

努力をして、頑張って、必死になって、自分の力だけを頼りに生きていこうとする人のもとには、人は集まりません。
「孤独という状態」が続いてしまいます。

一方で、「自分の力なんてないんだ」と思っている人は、まわりに支えられて生きていることがわかっているので、「謙虚」です。
「謙虚」とは「感謝」すること。
「感謝をする人(「ありがとう」を言う人)」のもとにはたくさんの人が集まってきて、「よき仲間」に囲まれます。
教え合い、学び合い、交歓し合う「よき仲間」に囲まれたなら、それだけで「天国度100パーセント」。

頑張りも努力もいりません。
ただ、「喜ばれること」を続けていけばいいのです。
「思いを持たず」、よき仲間からの「頼まれごと」を淡々とやって、どんな問題が起こっても、すべてに「ありがとう」と感謝する(受け入れる)こと。

「そ・わ・かの法則(掃除・笑い・感謝)を生活の中で実践することであり、「ありがとう」を口に出して言い、逆に、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言わないこと。
すると、神様が味方をしてくれて、すべての問題も出来事も、幸せに感じて「よき仲間に囲まれる」ことになり、「喜ばれる存在」になる。
これこそが「人生の目的」であり、「幸せの本質」なのです。

『ありがとうの奇跡』ダイヤモンド社

小林正観さんは「よき仲間に囲まれている状態」を「天国度100パーセント」と言っている。
よき仲間とは、次のような人のこと。

●「自分の喜びを一緒に喜んでくれる人」
●「『あなたはあなたのままでいい』と言ってくれる人」
●「同じ方向を向いて、同じ価値観で生きている人」
●「同じ話題を、同じように笑顔で話せる人」
●「喜ばれるように生きている人」
●「不平不満を口にせず、常に感謝をしている人(「ありがとう」を言っている人)」

そして、小林正観さんは「頼まれごとの人生」で生きると、楽に生きられるという。

頼まれごとは二つある。
一つは人からの「頼まれごと」。
もう一つは神さまからの「頼まれごと」。

神さまからの「頼まれごと」とは、「すまないが、あなたはこの役をやってほしい」と頼まれること。
人生は、神さまのつくったシナリオ通りに動いている演劇のようなもの。
ある人は、「会社の社長」や「お金持ち」の役で、またある人は、「サラリーマン」や、「芸術家」、はたまた、「病人」、「貧乏」、という役だったりする。
その役という、神さまからの頼まれごとを通じて、愚痴や不平不満を言わず、人生を立派に演じ切る。
目の前の一瞬一瞬を懸命に生き、人に喜んでもらう。
それを「一隅を照らす」という。

伊與田覺氏は「一隅を照らす」についてこう語っている。

「古人曰く、径寸(けいすん)十枚、これ国宝に非ず。一隅を照らす、これ則(すなわ)ち国宝なり、と」
と、伝教大師(最澄)はおしゃっている。
直径一寸もあるような珠十枚が国宝なのではなく、世の一隅に光を与え照らすものが国宝である、と。

まわりの人に感謝をし、よき仲間に囲まれる「喜ばれる存在」になること。
「喜ばれる存在」とは、一隅を照らす人。

「一隅を照らすもので私はありたい
私の受け持つ一隅が
どんなに小さいみじめな
はかないものであっても
悪びれず
ひるまず
いつもほのかに
照らして行きたい」
住友電工中興の英主(えいしゅ)と称えられた田中良雄氏の言葉だ。

以上、(人生を導く先哲の言葉/伊與田覺)より

「一年の計は元旦にあり」という。
今年こそ、「為(な)し合(あ)わせ」に徹し、「喜ばれる存在になること」を胸に刻み…

一隅を照らす人でありたい。

上記の【一隅を照らす人(元旦によせて)】については人の心に灯をともすより引用しています。