【今週の自戒】 裏の中に表あり、でも表で行こう
2026年 08月 31日

【今週の自戒】
裏の中に表あり、でも表で行こう
いつものお寺前で唸りました。
believe(信じる)にはlie(嘘)がある。
lover(恋人)にはover (終わり)があ る。
next(次)にはex(元)がある。
life(人生)にはif(もし)がある。
樹木希林氏の心に響く言葉より…
お経は今でも、気がつくと声に出して読んでいることがあります。
一人で暮らしていると、「今日は誰ともしゃべってないな」という時がありますよね。
そんな時にお経を読むと、心身の活性化につながります。
わたしにとってお経を読むのは、日常的なことなんです。
お経の中の言葉が、生活の中で、ふっと口をついて出て来ることもあります。
たとえば、この映画(『神宮希林 わたしの神様』2014年公開)の中でも、私は「夫は私にとって提婆達多(だいばだった)みたいなものだ」という表現をしています。
提婆達多はお釈迦様の従兄弟で、最初は同じ教団内で活動していたものの、やがて反逆し、お釈迦様を殺害しようとまでした人物です。
しかしお釈迦様は、提婆達多がいたからこそ、見えてきたものがあるとおっしゃっています。
自分にとって不都合なもの、邪魔になるものをすべて悪としてしまったら、病気を悪と決めつけるのと同じで、そこに何も生まれて来なくなる。
ものごとの良い面と悪い面は表裏一体、それをすべて認めることによって、生き方がすごく柔らかくなるんじゃないか。
つまり私は、夫という提婆達多がいたからこそ、今、こうして穏やかに生きていられるのかも知れません。
皆さまもご存じのとおり、夫は、俺の神はロックだと言うような人で、思いこんだら一筋。
そのため何かと騒ぎを起こしてきました。
傍からは、私がちゃんとしていて、あの人がめちゃくちゃというふうに見えるかも知れませんし、まあ、実際その通りでもあるのですが、私の方にも、あの人と一緒になってから、自分が、これほどいさかいの好きな女であることがわかったという面もあります。
肋骨が折れるほどの大喧嘩をした日さえありました。
よくもまあ、あれほど激しくやり合えたものですが、自分の中にも、何かどうにもならない混沌とした部分があって、それが、内田さんという常にカッカしている人とぶつかり合うことで浄化される。
そういう部分もあったのではないかと、今は思うのです。
誰もが自分にとっての提婆達多(だいばだった) を持っているし、それと同時に、自分も誰かにとっての提婆達多になりうる。
我々は、互いが互いにとっての提婆達多なんです。
だから、人に何を言われても別れないんでしょうね。 (「全身がん 自分を使い切って死にたい」2014年5月)
『一切なりゆき ~樹木希林のことば~』文春新書
日本の神話の中にこんな物語がある。
『天照大神の孫で「天孫(てんそん)」といわれる、ニニギノミコトが地上(葦原中国)に降り立ったとき、美しい姫であるコノハナサクヤヒメに出会い、一目で心を奪われた。
ニニギノミコトは姫の父であるオオヤマツミに結婚を申し込む。
オオヤマツミは大変喜び、妹のイワナガヒメも一緒に嫁がせようとした。
しかし、ニニギノミコトは美しいコノハナサクヤヒメだけを妻にし、容姿の優れないイワナガヒメは送り返してしまう。
するとオオヤマツミは、
「イワナガヒメを添えたのは、天孫の命が岩のように永遠であるようにとの願いからだった。
コノハナサクヤヒメだけを妻にしたため、その子孫の命は花のように美しく咲くが、やがて散るものとなる」
と語った。
これが、人間の寿命が有限になった理由を説明する神話とされている。』
人はどうしてもこう思ってしまう・・・
●美しい花だけほしい、醜い岩はいらない。
●健康だけほしい、病気はいらない。
●成功だけほしい、失敗はいらない。
●良き友だけほしい、悪しき提婆達多(だいばだった) はいらない。
空腹があるから、食事がおいしく感じられるように、いいとこどりはできない。
自分が「不要だ」「嫌だ」と思っているものの中にこそ、自分を成長させる種がある。
「いいとこどりはできない」という言葉を胸に刻みたい。
上記の【いいとこどりはできない】については人の心に灯をともすより引用しています。