ご縁結びのコーナー 第75回 株式会社ジャパンフォーシーズンズ 本澤 様 〜大手企業を退職、やりたい事もなく起業するも、どん底から這い上がり元気に活躍のステージへ〜

ー杉浦佳浩

ご縁結びのコーナー 第75回 株式会社ジャパンフォーシーズンズ 本澤 様 〜大手企業を退職、やりたい事もなく起業するも、どん底から這い上がり元気に活躍のステージへ〜


2021年 04月 10日

株式会社ジャパンフォーシーズンズのHPはこちらです。

このコーナーで初めて同じ会社で働いていた、しかも同じ職場で、かなり一緒に汗をかいた仲間のことを今回は記事化させていただくことになりました。いつもと違う嬉しさを噛み締めながら、今回、独立起業後の本澤さんの頑張りをお伝えできればと思います。

なかなか起業の選択をする人のいない大企業で働く人達。資格取得ばかりに熱心、いつかは起業とか、あと何年後にはと結局一歩も踏み出せない人も多い。しかしここ数年で経済環境、企業を取り巻く環境も一変し、茹でガエル状態となりそうな会社、人材も多数となっていくのも容易な社会情勢であり、大企業も一瞬で蒸発、市場から退場となるそんなことが常態化してきていると思います。沈みゆくタイタニックの様に共に心中するのか、勇気を持って一歩を踏み出すのか、今回は後者の皆さんに少しでも役立つメッセージとなればと思います。

【最近の本澤さん】

◆初めて会って19年ほどが経過しています 出会った当初、恩人だった本澤さん

とにかく笑顔の素敵な本澤さん、そして楽しいトーンでの会話、周囲の人達もそのペースで楽しくなっちゃうそんな本澤さんです。すぐに時間が過ぎ去ります。

1973年生まれの本澤さん、起業前は私と同じ会社。三井住友海上出身。ご本人からいただいたプロフィールを以下に。

1996年4月 住友海上火災保険株式会社入社 愛知東支店 岡崎支社配属
     リテール営業担当し、フリート開拓を得意とし多くの運送会社を開拓

1998年度 社長表彰受賞 ポストチャレンジ制度に応募第一号として以下の部署へ

2000年4月 営業推進部 販売網推進チームに異動

     1.保険の自由化に対応し、三井海上・住友海上の合併に対応した、

       新たな代理店の評価・育成制度の構築担当

      (1)代理店制度 企画・運営

         業界統一制度からの脱却。銀行窓販などにも対応

      (2)代理店手数料体系 企画・運営

         企画部門で結果責任を負う唯一の業務

         社内最大経費である2,300億円をコントロール

      (3)代理店教育体系構築

         業界に先んじてWEB講習を導入

     2.子会社再編(教育子会社)担当

         WEB講習の新規導入でリストラ回避

2001年10月 三井海上・住友海上合併
     新会社の販売推進部・販売制度グループに配属
     業務内容は旧住友海上の業務をそのまま踏襲

2008年4月 大阪北支店 梅田第二支社に異動、その後組織改編で大阪北第二支社
     都市型リテール営業担当
     政府方針に則った地域ぐるみの活動に積極的に関与
     ・代替エネルギー:太陽光発電システムの普及促進活動
     ・輸出促進:関西発の日本食の輸出促進
      関西フードエクスポート&ブランディング協議会を発起
      農水省特任団体
     ・三井住友海上が協議会長会社。本澤が事務局長
      官民連携での輸出促進をアジア全域で展開
      中小企業への輸出教育、現地販売会、商談会を開催

2015年4月 埼玉支店 川口支社に異動
2016年3月 三井住友海上火災保険株式会社退職

2016年4月 株式会社ジャパンフォーシーズンズ設立
     主な取引先:江崎グリコ、日本果実工業
     CSR、SDGsに対応した環境対策として、KAB(機能強化複合菌)を
     使った有機産業廃棄物のゼロ化を提案・推進

2016年7月 PT. Jaya Fortuna Sakti Indonesia(JFSI:インドネシア)設立
     ※100%出資会社。JFSのインドネシア関連会社として設立。

損保会社で働いたことのない人からするとなかなか伝わりづらいこともあるかもしれませんので、仕事の概要、働きぶりについても。本澤さんとの出会いに含めてお伝えいたします。

新卒2年目の1998年に社長表彰を受賞、これほんと素晴らしい。マーケットの大きな部署ならまだしも、名古屋中心でもなく(岡崎の方には怒られますが)地方の小さな支社で在籍して大きな成果を、しかも2年目で。頑張った証ですね。

自分から手を挙げて本社営業推進部に配属され、損害保険会社における最大経費である保険代理店向けの手数料を統括する部門に在籍することに。本澤さんの経歴にも【企画部門で結果責任を負う唯一の業務、社内最大経費である2,300億円をコントロール】と記載があるとおり、若くしてこの部門を実質切り盛りしていました。素晴らしいことですね。

私との出会いは、本社の部門に転勤後、2年半後の秋口だったと記憶しています。後々、大きな数字を残してくださったある会社さんの件でどうしてもイレギュラーな対応でOKをもらいたいと思い、その担当部門だった本澤さんに連絡をしたことが出会いへのキッカケでした。私の当時の印象は、電話はぶっきらぼう、大阪から上京して話に行ってもてやんでぇ調な感じでした(笑)。特段私だけにそのような対応していたわけではなく、当時の本澤さんはミーティングで席を外し、小一時間で戻ってくると、机の上は伝言メモで机上が覆われるくらいだったそうです。全国の営業担当から依頼、相談、申請等々で毎日が多忙を極める状況、いくら大阪からワザワザ乗り込んでもそんな対応になるのも致し方ない。

単にぶっきらぼう、投げやりに仕事をするのではなく、きちんと私の意を汲んでなかなか至難の業である依頼ごとに上司を説得、直接当時の役員の決済を取ってくれた事を後になって知りました。現場想い、やると決めればトコトンやり切る仕事ぶりでした。ただ当時のこと本澤さんから先日聞きましたが、『極めて消極的でしたよ』と言われました。

経歴の中にある、WEB講習の新規導入でリストラ回避これもさらっと書いてますが、合併による人余りの状況を回避するために新たな事業を創出することでリストラ対象者に仕事を創ったことこれも素晴らしい話だと感じます。

上司ばかり、上司のいいなりになっていることが多い大企業のヒラメ族、そんなヒラメ族にならずに経営マインドを持って仕事に取り組んでいた本澤さんでした。

私とは、その後、書類上のやり取りくらいでいつしか話す機会もないままとなって行きました。

◆同じ職場で再会しびっくり、楽しく仕事ができたこと、大きな財産でした

あれ杉浦さん?! あまりに痩せていてびっくりした!と元気よく声をかけてもらって再会したのが6、7年ぶり、これが同じ支店でした。部署統廃合で同じ部署になった時、本澤さんはその1年前に大阪に転勤、私と翌年に再会となりました。当時私は本部と支店で2足の草鞋状態、しかも有難いことに役員から【社内フリーランス】認めてもらって私には最高の居場所を提供してもらった時でした。これが私にとっても、本澤さんにとってもめっちゃよかった(インタビュー時に感謝の気持ちを話していただきました)。

本社の企画部門に8年もいた後にいきなり大阪の営業部門、しかも合併、金融の自由化で浦島太郎状態、仕組みのこと、会社の方向性は現場の部長クラスよりも理解していたものの保険商品についてはちんぷんかんぷんだったと話します。

保険商品はわからなくても大切な、お客さんと向き合うことこれはいつの時代も変わらぬ本質。お客さんが喜ぶこと、特に法人の経営者の課題に向き合うことに集中し、保険はわからなくても、いつしか本澤ファンは増えていきました。

二人の仕事における良い思い出が、今も見ることができます。近畿農政局のHP【輸出セミナー&情報交換会】の平成24年11月30日(第6回)、【大阪合同庁舎1号館にて「第6回輸出セミナー&情報交換会」を開催しました。本セミナーでは、三井住友海上火災保険株式会社から「輸出商品のPL法と輸出保険の取扱いについて」、「海外進出のリスクについて」と題し、講演いただきました。】と記載があります。

【左端本澤さん:2013年3月。私もこの時は社章を着けていました。】

上記の写真の私の左隣近畿農政局の今井さん(当時)のお陰で広く動き出し、2年後には大きなリリースが発表されます。日本通運、三井住友銀行、新関西国際空港、関西・食・輸出推進事業協同組合、そして三井住友海上の5社で「関西フードエクスポート&ブランディング協議会」を設立することになりました。詳細の記事はこちらです

この協議会の事務局長を買って出る感じ。それが本職ではないのに。

ありがちな縦割りの組織、横断的に仕事がやりづらい中で、法人専門部署でもない、リテール部門からこのような新しいことを立ち上げやりきったことはなかなかできるものではないと思います。

だから会社員の枠組みに収まらなかったとお互い笑いました。

◆人事異動初日に退職を告げた 独立志向だった高校生の時から 家を継げないので独立を漠然を

今となれば辞めるキッカケを貰えてよかったと話す本澤さん、独立志向は高校生くらいからだったそうで、ご実家の商売をを継ぎたかったけど、親御さんからやめときなさいと言われ、将来どこかで独立を考えていたそうです。

社会に出る際に、ビジネスを勉強ができるところはどこ、当時は漠然としていたが、いろんなチャレンジ、経験ができるところ、商社と損保がいいんじゃないかと思っていたそうで、採用面接に進んだところは殆ど合格を手にしていました。

内定時のエピソードには、早めに内定をもらった当時の住友海上の人事部の人から、採用面接に動いている会社や内定をもらった会社の人事部へ内定辞退、就職活動をストップしますと電話をさせられたそうです。保険がやりたいわけではなかった、いろんな業界と交流できると将来独立の可能性に役立つと思って入社を決めたそうです。

入社しての驚き、多種多様な業界、大企業、中堅中小企業、スタートアップに至るまで、取引があるのは損保会社の良いところではあるものの、ほとんどの社員は担当保険代理店の【壁】を超えることはなく、セクショナリズム、縦割り、保険以外のことに興味のない割と引っ込み思案な社員が多いことに辟易としたそうです。これは私も同じで、ただ新卒で他の業界を知らずに入社したプロパー社員には珍しい感性だと思います。

大阪で、社内の軋轢に屈することもなく頑張っていましたが、会社員の宿命、転勤で自分の意図を汲んでもらえるなんてなかなかあるものでは無いもの。7年間在籍した、楽しい大阪生活から人事異動で埼玉転勤を命じられ、『?』って感じ。もう1回リテール現場で仕事をする気もなく、本人としてはその場で、退職することを決めました。

退職の意志は決めたものの、準備はこれから、まずは退職の進め方を1年掛けて本澤さんとやり取りさせていただいた記憶も懐かしいです。

◆社名に込めた想い、どん底を味わった起業当初

埼玉に転勤して1年、人事異動からちょうど1年後に退職、起業の道を選択します。

会社名は、株式会社ジャパンフォーシーズンズ、まさに四季の国日本をイメージできる素敵な名前、本澤さんに社名に込めた思いを質問すると、

・社名の質問が一番辛いところなんですよね。東南アジアの国にいくつか行って、日本の四季ってやっぱりいいなぁと思ったんです。地球環境がどうこう言われていましたからね、環境守らないと日本の四季もメチャクチャになってしまうのかなと。で、環境ビジネスを考えてましたから、環境保全→日本の四季を守るビジネスをやってる会社と言う事でこの名前にしたんですよ

なので、たまに聞かれるんですけど、あまり人に話せるほど深くないです。最近、感のいい人には話さなくても分かってもらえるようになって、ちょっと嬉しいんですけどね。

起業当初のインタビュー記事を発見しましたのでこちらに。

起業当初はこれをやるということを絞りきれた訳ではなかったと話す、本澤さん。上記の記事中でも、3つの事業をやっていくと書かれていました。その部分を抜粋しますと→『最適バイオ配合をオーダーメイドで提供する「バイオ事業」、産業用の鉛蓄電池や鉛バッテリーの性能を向上させる「ナノ事業」、前職時代から手がけている「食品事業」が3つの柱です。この分野に強みを持つ日本の中小企業とパートナーシップを図ることで東南アジア諸国に技術提供をしていけたらと考えており、現在はインドネシア企業との提携の話が具体的に進んでいる最中です。』

このインドネシアへの時間と資金投下があと一歩、一人カンパニーではなかなか実現することのない、【月次営業利益1億超え】の目前で頓挫しました。目論みが瓦解していき、資金もショート、東京に住所が欲しいと高い事務所を借りたりといらない経費もかけすぎたと振り返ります。

◆大手企業に導入事例も増えて 事業も順調に

いろんな人が去っていくそんな経験、焦燥感、まさにどん底を味わいつつも、本澤さんは諦めることなく、国内での展開に注力を始めます。必死な姿を見たある銀行マンとの縁で国内での展開が目鼻がたちはじめ、さらに飛び込み開拓で大手企業のグリコと縁ができ、今では回り切れないほどの案件になってきています。そのこの行動力には頭が下がりますし、なんもないところからよくここまで頑張ってこられたと思います。

現在の事業ドメインの中心は、起業当初からのひとつ、【バイオ事業】、そこから発展して、【ゼロ・エミッション・ソリューションカンパニー】を標榜されています。

環境コンサルティング、排水処理システム、排水設備向け遠隔化にシステムと水にまつわる環境対策カンパニーとなっています。

HPのメッセージにある最後の部分がまさに会社員時代から思い描いてきた、クライアントと本気で向き合う姿勢の表れと感じます。以下にて。

クライアント企業の皆さまが取り組まれる環境対策に関し、成果の“見える化”と“コスト削減”を両立して実現してまいります。

ゼロ・エミッション・ソリューションカンパニーとして、また、クライアント企業の皆さまの環境総合ビジネスパートナーとして、長期的に良好な関係を構築し、信用を積み重ね、信頼関係を育てていくことが最も重要であると考え日々取り組んでおります。​

クライアント企業の皆さまの持続的な発展に寄与し、貢献して参る所存ですので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。


【本澤さんの取り組みを引っ張るKAB事業】

◆本澤さんから一言 また元仲間からもメッセージを

未だに、前職から保険販売の依頼や、保険コンサルやらないの?と声がかかると苦笑いの本澤さん。私も同様ですが、近視眼的な発想ばかりで困ったもんです。そこで本澤さんから業界の人や大企業に勤める人々へ一言いただきました。

志実現の道標は、自分が描く人生のロードマップなんだよと言ってあげたいですね。それぞれの年代の方がいると思います。それぞれ、それまでに培ったキャリアがあると思います。それまでに得た経験や人脈をフルに活用して、また新たな夢の実現に向けてのプランを考えて、ライフ・ワークバランスを取りながら健全なストレスの中、自分の人生を組み立てる事が、生きる事なんだと思うんです。大企業に勤める事は全く否定しません。しかし、それが本当に自分の人生なのか、生きてると思えるのか、死ぬ時に自分の人生最高だったと思えるのか、悔いなく逝けるか、冷静に考えてみて欲しいと思います。
僕は大企業にいる事が、僕のそれではなかった。だから辞めた。ただそれだけの事。
志実現の手段は、もはやいくらでもありますからね。悔いの無い人生を送って欲しいですよね。

同感です。

また、同じ同僚かつ、本澤さん同様に社外に出て活躍中の須藤さんからコメントをいただきました。

本澤さんの第一印象は、いい意味で損害保険会社の社員っぽくない方だなということでした。柔軟な発想と行動力で支店をリードしている存在でした。また、親分肌みたいな側面もありとても面倒見がよく先輩後輩問わずみんなに慕われていて、いつも誰かと談笑しているイメージが強く残っています。

【私の左隣が須藤さん】

今回のインタビューを通して最後に一言を本澤さんにいただきました。

これからの事業展開は、自分が満足できるまで徹底的にやります!

今回のインタビューを通じて、思いがけず振り返りができました。

杉浦さんに対して、改めて感謝申し上げます。自分、ビジネス、今まで関わった人達との歴史を振り返る事ができ、これからまた新たな一歩を踏み出す勇気を貰った気がします。

仕事も、プライベートも、愛情をもって進んで行きたいと思います。

ありがとうございました❗️

と元気なコメントをいただきました。環境問題を取り組むことで、お役立ちを推進していこうと頑張る本澤さん、これからがますます楽しみです。長いお付き合いをお願いしたいと思っています。