第108回ご縁結びのコーナー 株式会社まつくる 糸川孝一さん 〜山陰でのご縁元でたくさんお世話になっています!〜

ー杉浦佳浩

第108回ご縁結びのコーナー 株式会社まつくる 糸川孝一さん 〜山陰でのご縁元でたくさんお世話になっています!〜


2024年 01月 03日

株式会社まつくるのHPはこちら。

糸川さんを語るのに大切な株式会社田部のHPはこちら

私が会社員時代の最後の頃、地方銀行の大阪支店や関西一円の地銀さんと仕事上訪問する機会がありました。特に地銀の大阪支店、支店長にお会いして、自社のプレゼンスを上げる、損害保険会社に在籍ながら保険の話はしない、銀行さん側に喜んでいただける話題、情報、銀行の先にいる企業に企業経営者に喜んでもらえる情報を持っていくそんな役割を担っていました。そんな私の役割に価値を感じてくださる方、銀行員さんはごく稀でした。その頃から仲良くしてくださっているのが、今回の糸川さんです。当時は山陰合同銀行大阪支店長の肩書き、そこから10数年が経過して、お互い持っている名刺も変化、特に糸川さんは560年を超える奥出雲の名門企業株式会社田部で大活躍をされてきました(杉浦の主観です)。糸川さんのおかげで、今でも、山陰合同銀行さんとはご縁が繋がり仲良くさせていただいています。出雲大社のある島根県、糸川さんは私にとっては、御縁結びの神様、出雲大社のような存在です。

現在のお仕事について、またこれまでについてお話を伺いました。

【最近の糸川さん】

実は、糸川さんの取材は今回で2回目、1回目の取材は幻の取材となった経緯があります。自画自賛ではありますが、その際にまとめた内容を最初にご覧いただいて、その後の糸川さんについてお伝えしたいと思います。

記事の内容は2022年に取材したものとなります。まずは修正を加えずに。

【創業500年超 老舗で活躍する元地銀マン】〜伝統を重んじと革新を繰り出す 奥出雲を訪ねて〜

たくさんの経営者にも会い、たくさんの会社員にも会ってきました。仕事柄、銀行員にもたくさん会ってきたサラリーマン時代。2つの側面を色濃く感じていました。

銀行の立場、優先の銀行員と顧客目線で考える人。どちらも理解できますが、もう会社員生活を辞めて9年、未だに付き合いのある銀行員は後者のみ。10数年前地銀の大阪支店長時代に出会い、地元島根で活躍している糸川さん(60歳)を訪ねました。

糸川孝一さんが現在勤務している会社は、株式会社たなべたたらの里、そこで常務取締役 兼 里長補佐という肩書きです。同社グループの歴史は古く鎌倉時代、750年前和歌山に端を発し、そこから室町時代の563年前に

川砂鉄を採取を島根県奥出雲で始めた田辺彦左衛門を初代とし、現在25代目の田部長右衛門氏が25代目となっています。糸川さんの会社の代表取締役は長右衛門氏であり、代表取締役社長ではなく、【代表取締役里長(サトオサ)】を名乗っています。


【第25代田部長右衛門氏 HPより】

田部グループについて、そもそもどこからどこまでをグループというのも難しいのが田部グループ。株主である、歴史的背景がある、実質支配権、経営をしている、さまざまな観点でみても幅広い。江戸時代の最盛期には集う人が1万人を超えていたこともあり、1970年代という早い段階で米国フライドチキンのFCを展開、テレビ局、新聞社、建築、森林事業、温泉ホテル、酒蔵、高級食材EC運営、ルーツでもある砂鉄から製鉄をする【たたら製鉄】を近年復活させています。江戸時代は日本一の山林王と言われ、その栄華を誇る美術館を所有し、最先端の事業には、カーボンニュートラル、自社の森林を活用した排出権取引、森林を活かしたフォレストアドベンチャーも昨年開業しています。このような伝統を持つ企業で、【過去】を守ることで精一杯なことありがちですが、新たなことへのチャレンジ精神、実践を伴ったところが田部グループの強み、魅力と感じます。現在、エネルギー、食物の地産地消を目標に掲げて企業活動を行っています。

この田部グループに2017年に入社の糸川さん、銀行員時代の経歴は、出世街道まっしぐらではなかったそうです。地域振興に関わる部門で、行政の仕事、施策、事例を銀行の立場で見ること、支店長の経験、銀行子会社のベンチャーキャピタルの事業、さらに経営企画部で各種ローンについての企画を経験、そこから銀行の経営自体を学ぶ貴重な経験ができたことが現在の仕事に活きていると話します。経営企画部門でマネジメント職を務めていたこと自体で銀行内で評価が高かったことが伺えます。

田部グループ、長右衛門氏(長右衛門氏も会社員時代)との出会いは今から20年ほど前、NYでのこと、地域振興の仕事で、島根県の和菓子をNYで展開する支援で出張時でした。たまたま高校の先輩後輩という関係もあり親交がはじまったそうです。糸川さんの銀行員でありながら、地域活性化、行政との取り組み、新興企業・事業の支援、経営そのものに関わったこの多彩な経歴と私が感じていた、顧客目線でのビジネス感性を理解し、長右衛門氏が糸川さんに直接、転職オファーをしてきたことが頷けます。


【2017年都内の焼き鳥屋で】

会社員としてもなかなかないオファー、しかし銀行では経営企画での仕事ぶりからも、次のステップへの可能性、上の肩書きもありえる中、糸川さんを動かしたのは、元頭取に相談した際に、ぜひ新たな道でがんばってみたらという背中を押されたことも大きい、と話していました。

銀行時代に多様な経験をしていたというものの、最初から成果を出せたか、ということでもなかった。厳しい経営状況のグループ会社の立て直しにまずは着手します。最初の事業は、高級冷凍食品の販売会社でした。高コスト体質、店舗を構えて飲食事業との合わせ技で周知を広げようとしていた過去を、商品の価値を高め値段を上げたり、BtoBからBtoC(通販主体)へ販売手法を利益体質へ変化させていきます。既存社員から反対を浴びながらも、店舗の閉鎖、マーケティング手法の見直し、高コスト体質からの脱却、価格の見直し等を次々に行いました。小さな売上でしたが、コロナ禍も味方をし、大きな利益を創出するまでに成長させました。数字は非公開ですが、関わって3年で4桁アップの成長となりました。

この食品事業の立て直しの際、初めての東京での単身生活でした。ほとんど地元島根に戻ることもなく仕事に集中し、年末年始も戻らないで没頭して気づけば年末年始というぐらいの働きぶりを2年連続。ここでの実績も認められて、島根に戻りグループ中枢会社で取締役に就任します。

銀行員時代にベンチャーキャピタルの仕事もあり、スタートアップのスピード感で事業をどう作るのか、地域産品をどうやって販売し軌道に乗せるか、銀行員時代の社内外のネットワークを活かしたり、島根での補助金を利用した事業では行政との連携、最近では自社森林を活用したカーボンニュートラルの取り組みと多方面に渡る事業開発も銀行での経験、今も良好な元々古巣との連携が大きいと感じました。

【仕事に厳しい真摯に向き合いながらもユーモアたっぷりの糸川さん】

特に、カーボンニュートラルについて、実際に自社所有【森】を活用して森林クレジットで排出権取引(販売側)をしている企業はまだまだ少なく、その中でも通常取引額の約10倍ほどで取引されている。言い換えれば10倍高くても購入する側がいるということ。しかも購入側の中には上場会社も。株主への説明責任を考えるとこの価格差でも購入すること自体がリスクとなり得ますが、糸川さんに尋ねると、ストーリーがある、顔が見える相対取引であること。値段だけではとても売れるものではない、購入側には言わばオプションが付帯されている。植樹祭に招かれる。森林での体験研修がある。購入側も島根に縁がある会社、工場を置いている先もあったりする。値段ではない付加価値、たたらの森という地域ブランディングが成り立っているからこそと返ってきます。

人材面でも厚みを増すため面白い取り組みを行っている。糸川さんの元々の銀行人脈で古巣である銀行からの現役銀行員のレンタル制度を柔軟に活用している。事業計画を作る、新規事業としてフォレストアドベンチャーの開業に短期間で漕ぎ着けたのも銀行の現役メンバーのおかげと話します。

田部グループの山林は東京ドーム856個分、広大な面積次代に向けて守っているのが同社の山林部20名のメンバー。

そこで500年の重み。自分達は人生をかけて終わりのない仕事に取り組んでいるということ。自分の世代で終わる話ではない、世代を超えて山を森を守っていくという覚悟をインタビューを通じて感じた。上辺ではない社員一人一人の心根に浸透しているインナーブランディングの強さを感じました。

2022年10月1日、歴史的な出来事がありました。156年後の事業承継話。それは同社のHPを見ると数行ほどのリリースである株式会社田部竹下酒造の酒蔵を引き継いだこと。承継前の竹下酒造は、元首相竹下登氏の生家であり、実弟が1976年から経営を引き継いでいました。1866年に酒造を開始したきっかけは、当時の田部家当主から『酒造りを始めてはどうか』と打診と権利を譲ってもらったことが事の始まり、156年後に事業を継承するという責任感もなかなかない話に感じる。そこには150年の歴史が詰まっています。

頑なに伝統だけを重んじている長寿企業が多い中、田部グループは伝統とチャレンジング(時代に伴った変化)双方を大切にしています。

伝統的なこと
・出雲大社 遷宮の杜調印(次の遷宮の木材を田部グループが提供する)
・田部家たたら吹きの復活
・竹下酒造の事業承継

新たな取り組み
・森林クレジットの販売
・フォレストアドベンチャーの開業
・自動運転実装化 調査開始
・高級食材のEC販売の成功
・古民家再生事業

地産地消 食料自給率100% エネルギー自給率100%を掲げながら進化を続ける長寿企業には元地銀マンの存在そして田部グループの経営理念にある人・地・想(ジンチソウ)、関わる人を全てを大切にし、地元を大切に地域を担う覚悟の重み、想いと想像力で地域のリーダーであるという認識。時代にそして次代に受け継がれる企業であり続けると今回の訪問で感じました。

【2022年10月1回目の取材で奥出雲にて】

▼今回のポイント 記事を描きたくなった理由
・老舗企業にありがちな代々の資産を守り続けるのではない、その資産を未来にどう活かすか、挑戦と変化への柔軟性と連続
・25代目から、絆され、会社員を退職、挑戦と変化に元地銀マンの経験が活きている。
・社会情勢からスピード重視も理解できる、しかし待つことの大切さ、仕事に終わりがない(時代を繋ぐということ)という考え方を伝えたい。

会社の概要として 一番の推しどころ
・古いが挑戦を常にし続けているところ

とここまでが1回目の取材でまとめたところです。

【2023年6月大勢の経営者と奥出雲、松江を訪ねました 最前列左に糸川さん】

◆2023年1月から【株式会社まつくる】にて専務、まちづくりプロデューサーに

現在はこの役割にフルコミットされている糸川さん。その経緯についてお聞きしました。

地元商工会議所の会頭といえば、田部長右衛門氏、公職だけでも多数、まさに地元の顔でいらっしゃいます。大きな課題の中に、地元の【まち】の活性化、商店街に賑わいを取り戻すこと、中心市街地に、ハードのみならずソフトも含めたプロジェクトを、行政任せにすることなく、民間側でも地元で力を併せて、稼ぐ力をつけていきましょうと法人が設立されました。それが【株式会社まつくる】です。

株式会社まつくるは、地元の金融機関3行と地元テレビ局(田部グループ)で共同出資をし、都市再生推進法人としてスタートしています。

銀行員時代に、行政とのやりとり、地域活性化のプロジェクトに携わってこられた経験値から、糸川さんがまちづくりプロデューサーとなって切り盛りされて、いろんな結果が現れてきています。

松江市で初めて指定されたのが【株式会社まつくる】であり、2023年11月NHK島根 NEWS WEBでも取り上げています。そこから記事を切り取り、下記に。

→指定を受けたのは、去年設立された株式会社「まつくる」で、市内中心部での「土曜夜市」の復活など松江市の中心市街地の活性化を目指してさまざまな活動に取り組んでいます。

松江市役所で行われた指定書の交付式で、中尾禎仁代表取締役社長は、「松江市の活性化に向けて住民たちを巻き込みながらこれからも気を引き締めて取り組んでいきたい」と意気込みを語りました。

これに対して上定市長は、「空き家や空き店舗などをどのように活用するかは松江の活性化に向けて欠かせず、市としても一緒に取り組んでいきたい」と述べました。

法律に基づき、地域のまちづくりなどに積極的に関わる「都市再生推進法人」に企業が松江市から指定されるのはこれが初めてで、国の関係機関から整備に必要な資金の支援を受けることができるようになるほか、土地や建物の所有者などの関係者との調整がよりスムーズになることが期待されます。

交付式のあと、中尾代表取締役社長は、「今回の指定をきっかけに交流人口増加を目指してさらに活動を加速させていきたい」と話していました。

1年でかなりの実績、上記 記事にもある、土曜夜市は過去地元での名物、5回開催し、合計8万人ほどが押し寄せたそうです。

この活動により、地元ではやればできる機運、諦めから地元への期待に大勢の方々の意識に変化が起こってきた、空き家の活性化にも商店主だった方々が前向きになってきているとのことです。

ローカルヒーローに会える街 松江へ

糸川さんからこの言葉が出てきて、いいですね!と思わず返答しました。ミートザローカルヒーロー、人と人が近い松江で地元のヒーローが地元や関係、交流人口の人々が繋がりやすい場所を作っていく。

都会で、有名人に会うのは至難のこと、地元松江であれば、経営者、蔵元、文化芸術、スポーツ選手などに携わっている人々との距離が近い、その場づくりを来春からどんどん手がけていくそうです。いいですね。

郷土料理を味わいながら、地元のヒーローの皆さんと交流できる場に私も出かけたいと思っています。

商店街全体のDX、イベントで地元専用のアプリ開発、駐車場の整備、テナント・古民家や古い蔵の改装、ベンチャー企業の誘致、なんと電動のトゥクトゥクまで走らせる計画もあるそうです。

銀行員時代からのたくさんの経験を活かしながらイキイキとご活躍の糸川さん、私も背中を追いかけながら見習い、お役に立ちたいと思っています。

今年の春にはまた経営者を募って松江を訪れたいと思っています。糸川さん今回も有り難うございました。

◆最後に糸川さんにコメントをいただきました。

・「汗は自分でかきましょう、手柄は人に渡しましょう」

元総理大臣竹下登先生の言葉です。会社員は、基本的に「出世したい」ので「目立ち、手柄を自分のものにする」という傾向にありますが、私は銀行員時代にこの竹下先生の言葉を聞いたとき「なるほど、そういう生き方もあるな」と思い、以後それを実践してきました。そのおかげか、地元山陰はもちろんですが、今でも困ったことがあれば相談できる友人が全国にたくさんいて本当にありがたい限りです。

・「杉浦さん!」

その相談できる友人の中でも最高峰の方が杉浦さん!まさに手柄を自分のものにされず人に渡される方です。杉浦さん、この度は過分なる記事を書いていただきありがとうございます。私のライフワークは「ベンチャー企業の支援」と「地域の活性化」で、銀行員時代から現在に至るまでどんなポジションにいても常にそのように考えて行動しているのですが、今回その思いをきちんとした記事にしていただき、杉浦さんには改めて「感謝!」です。

・「ご縁結びのコーナー」

ところで、縁結びの本場と言えば出雲大社のある島根県です!2023年6月には、たくさんの全国の経営者の皆様に島根県松江市にお出かけいただき、リアルで交流できたことは本当に楽しく有意義でした。是非ともまた皆様で松江市にお出かけください。現在我々が進めている松江市の中心市街地活性化の様子をご説明いたしますし、もし良かったら話題になったTBS日曜劇場「VIVANT」のロケ地巡りもご案内可能です。

・「同世代のおじさんw」

杉浦さん1963年生まれ、糸川1962年生まれ。同世代のおじさんとして地域をそして日本を元気にすべく、末永くお付き合いさせていただければ嬉しいです。引き続きどうぞよろしくお願いします。

と素敵なコメントをたくさん寄せていただきました。感謝と共に、またお役に立てますように大阪からお伺いしたいと思っています。今回のインタビューを通じて糸川さんの素晴らしさがたくさんの方々に届きますように。これからもどうかよろしくお願い申し上げます!