第101回ご縁結びのコーナー PUBLIC GATE合同会社  村田雅幸さん 〜信念を大切に、まさに体現され続けて今があると思います 【公】となることの意味を教えてくださる方〜

ー杉浦佳浩

第101回ご縁結びのコーナー PUBLIC GATE合同会社  村田雅幸さん 〜信念を大切に、まさに体現され続けて今があると思います 【公】となることの意味を教えてくださる方〜


2023年 06月 04日

第101回ご縁結びのコーナー PUBLIC GATE合同会社  村田雅幸さん 〜信念を大切に、まさに体現され続けて今があると思います 【公】となることの意味を教えてくださる方〜

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いろんなご縁がありますが、ご本人にノーアポで訪問、名刺を置いてから2年後に先様から連絡をいただき、そこから繋がり18年ほどのお付き合い。当時2003年あたりは私はとにかくたくさんの方々に会い続ける毎日。今回の村田さんからの2年後の電話がなければお会いすることも、楽しくたくさんの経営者さんと一緒に向き合うこともなかったと思っています。袖すり合うもと昔から言いますが、会うことのなかった名刺からこのご縁の広がり、2年後の電話をいただけたことに感謝して今回のインタビューを始めることにしました。加えて今年で独立5周年の記念、私のこのコーナー101回目という新たな門出にも相応しい方にご登場をいただきました。(自己開示が苦手なんですよと話してくださいました)

【2021年3月に独立3周年のお祝いを二人会で】

◆村田さんのプロフィールについて
まずはHPに掲載されている概要を。
・1991年より、27年間、証券取引所に勤務。
・2003年に執行役員に就任し、ナスダックジャパン市場の撤退からヘラクレス市場立ち上げの責任者を務める。
・2006年からは、自主規制部門の新規上場審査と上場廃止審査の担当役員を務める。
・2010年には、大阪証券取引所とジャスダック取引所の統合の責任者として、上場制度の設計や市場創設業務の陣頭指揮 をとる。
・2013年以降は、東京証券取引所の執行役員としてマザーズ市場などの上場推進業務に当たる。約500社のIPOの上場誘 致や上場審査を経験。
・2018年にパブリックに成長を目指す経営者とともに歩むパートナーとなることを目的に、PUBLIC GATE合同会社を設 立。

上記の通り、輝かしいご経歴。
今回のインタビューで私が完全に勘違いしていたこと。それは、2003年に執行役員とありますが、私の記憶がいい加減なもので、2008年という認識でした。2003年というと、34歳ということになります。村田さんから人数もさほど多くない会社とお話がありましたが、公的な立場とも言える証券取引所において34歳で役員になられたのが村田さん。自ら声高に話される方ではないので、私が勝手ながら、すごい!と申し上げておきます。
その凄さをもう少し説明を。34歳で役員にそこから10年間は大阪証券取引所で2013年以降は東京証券取引所において大証出身でたったお一人の役員としてご活躍されたのが村田さんです。都合15年間役員として、経営者としての立場を経験されてきたこと、稀有な方です。

なぜ、取引所に入社を?とお聞きすると、公務員家庭に生まれ育って、公務員になれと育ったそうなのですが、学生時代から経済市場を見通していくことに興味があった。証券会社?とも考えたが営業の世界でやっていくのは違う、取引所という存在を知るに至って入社を希望したそうです。

入社後、仕事が楽しかった、入って本当に世の中の動き、経済全体を見ることができる、特に新規上場の企業を見ることで近未来を感じることもできたと話してくださいました。

◆成長の糧、乗り越えられた大きな仕事について そして公を貫くことの大切さ
34歳で執行役員になられた村田さん、なぜその若さで役員に?どう思われていますか?とお聞きすると、直接的な理由はわからないとしながらも、ある大きな問題があった時、村田さんは上役から言われたことに首を縦に振らないことを貫き通したそうです。その結果その村田さんの信念が後々認められることがあってその影響か、若さは関係なく、役員となられたそうです。

取引所時代に大きな成長の糧となったことをお聞きすると。
米国NASDAQと提携解消後の後処理から新市場ヘラクレスへの移行の時がとにかく辛かった。米国へ、世界への扉があるとスタートしたナスダックジャパン市場、私もワクワクしていたことを思い出します。しかし、スタートから2年で提携解消その時、大阪証券取引所の東京事務所では、全く電話がならないことも経験していたそうです。関係する、証券会社やベンチャーファンドからそっぽを向かれた、全く相手にされない日々が続いたそうです。
ナスダックジャパンに夢を抱いて上場を果たしていた会社数は98社、村田さんは責任者として全社を訪問経緯の説明と今後について説明をし続け、この98社と向き合い続けることにフォーカスしていたそうです。相手によっては、名刺を投げ返すような経営者、怒りを顕にする人もいる中、不満の解消、状況の説明と理解を丁寧に進めていった、その時が一番しんどかった。社内の取引所内でも諦めムードが出ていたり、この厳しい環境で、自立心を持ってことに当たったことが大きな糧になって、全ては自責で物事を捉え考え向かっていく、強い経営者マインドを持つように。大きなピンチが現在の独立への道にも繋がっているように感じました。
余談ですが、当時、私が懇意にしていたナスダックジャパンに上場を果たしていた社長も激昂し、怒りを顕にしていたことを思い出します。こういった経営者を説得し真摯に対応されていかれたこと頭が下がります。

【2019年10月Chatwork社の上場お祝い会】

◆2017年10月に二人で食事に行った際は、さすがびっくりしたお話
60歳を目前にして、たくさんの方々に人生100年どうしていく?という問いかけもあったり独立相談をいただくこともここ最近は多くなってきました。がしかし、6年前の10月に村田さんからご連絡をいただき、晩御飯へ、その時に今の立場から新たなことへのチャレンジについてお聞きした時はさすがに腰が抜けるほどびっくりしました。そして数年先を見据えてかな?と思いきやかなり早い時期をお考えだったのでさらにびっくりしたことを覚えています。
まだ誰にも相談する前、最初にお声をかけていただいたことに嬉しさもありますが、大きな責任も感じました。
私がその場で考えたのが、村田さんの役員就任10周年パーティーでした。(この時は10周年と思っておりましたが、実際は大証10年+東証5年で15周年でした。)、村田さんとお話していて、ちょうど半年後が周年に当たることを理由にまずはお祝い会を企画しましょう。もしその時に退任が決まっていたら、独立パーティーに看板をすり替えることにしましょうと提案いたしました(我ながら妙案と)。

今回のインタビューで、なぜ辞めることを考えたのかを今一度お聞きしました。そもそも独立については思うこともなかった中、取引所に役員という立場でまだまだこれからも実績を積んでいくこともできたが、、長らく上場推進担当を経験して、起業家は凄いな、その凄さが何年も自分の中で蓄積されてきて、ちょうど立場、役割が仕事上で変わった時に自分を振り返るタイミングがあり今後の人生どうあるべきかと考えていたそうです。取引所側の立場で起業家を応援するのではなく、起業家側で寄り添い、伴奏することに魅力を感じ、それを一生の仕事としたいということから今の事業へと繋がっていったそうです。

【2017年10月 村田さんからの相談でびっくり後 将来を見据えての笑顔】

 

◆たくさんの経営者さんから愛される村田さん
尊敬している人にどんな人がいますか?と聞くとニコニコしながら、高田純次さんと返ってきました。その理由がなるほどと。高田純次さんは、昔話、自慢話、説教話をしない。そこは同感、なので村田さんもこの3つの話はしないと決めているそうです。
加えて、取引所時代、社外活動にも熱心に取り組んでこられてきました。ご自身で勉強会を複数立ち上げたくさんの方々を巻き込み私もご一緒させていただいたり、仲間に入れてくださったりと感謝しています。

【2018年3月16日独立をお祝いする会】

毎年7月に女人禁制の世界遺産大峰山修行にも毎年理事的メンバーとして参加されていたり、この2年では、四国お遍路を一緒に廻らせてもらったりと仕事上も仕事以上でもお世話になっています。お遍路さんで村田さんの真骨頂を思い知る場面が毎回あります。それはお遍路さんで大切な行程管理・計画のところ。毎回の道のりを精査され、詳細を細かく解説、メンバー全員の体力を考慮して絶妙な行動計画が示されます。これが楽々達成できるものではなく、努力をしないと達成できないレベル。そこに我々(特に私)が毎回必死に頑張って達成するというなんとも、上場計画の厳しさをお遍路の世界でも体感させていただいています。それがなんとも言えないくらいの爽快感達成感に繋がっているのが、さすがだなと思っている次第なんです。笑
私ですらこんな感じで接してくださっている中、なおさら近しい経営者さんはてんこ盛り、2018年3月16日に開催された独立をお祝いする会では、日本全国はもちろん、遠くは海外からも駆けつけた経営者さんもいるほどでした。

経営者と寄り添うことでIPO(株式公開)を支援されていくと決意され、5年を経過して、すでに関わった21社が上場を果たしています。現状でも多数の会社さんが行列となって村田さんの伴奏を期待されている経営者も多い中、私もたまにお願いをしていますが、なかなか枠が空かない実情もあります。
そこも何でもかんでも引き受けはしない、まずは今手がけている先と向き合い、伴走すること、丁寧に向き合い、時には叱咤激励を飛ばしながら経営者と対峙されています。

◆独立を経験されて、今について
責任は全て自分にある。それが独立して感じていること。その責任を全うしながら、感じていることが、【とにかく全てが新鮮】という言葉が第一声でした。独立当初、毎日がドキドキハラハラだったが、全部自分でやってみる、パソコン、請求書一枚、納税と今まで会社組織のバックアップで経験したことのないことをなんでもやらないといけない反面自分でやってみると面白い、自分でやってみることの楽しさを今も感じている。会社の仕組みも実体験から理解ができている。個人として看板がない、100%個人の信用で成り立っていることに重みを感じ、1社1社、上場へ向かう会社のインフラになろうとしている。一緒の船に乗ることの大切さを学び実践しています。と充実感満載で独立後についてお話くださいました。

上場について一言、社会的影響度は違う。先般のWBCの野球とまでは言わないが、上場会社の経営者はスポーツでいう日本代表のユニフォームを着て仕事をしていること。社会的信用、採用への影響、資金調達等々大きなメリットとなることもありますが、自社の管理面がおざなりだと多大なトラブルに巻き込まれることにもなる。メリットを享受できる環境づくりが大切。と話してくださいました。

【2023年4月インタビュー時に】

これからも経営者に寄り添い、多くの夢を実現に持っていくお手伝いをされ、気付けば50社、100社とIPOへのサポートをされていかれると思います(もちろん上場後のサポートも含みますが)。その中には、私の懇意な経営者もたくさんお世話になると思っています。村田さん末長くよろしくお願い申し上げます!今回のインタビュー有り難うございました。