ホンモノなのにニセモノになりたがる人、浦島太郎の世界に

ー杉浦佳浩

ホンモノなのにニセモノになりたがる人、浦島太郎の世界に


2022年 03月 07日

【今週の自戒】
ホンモノなのにニセモノになりたがる人、浦島太郎の世界に

先日入ったお店で掲げていた
相田みつをさんの言葉
ちょっと見入ってしまって。
この言葉を見て
先日事業説明をしてもらった経営者さん
が思い浮かんでいて、
まさにトマトのままで十分活躍できるのに
メロンになろうとしているなと思い出した。
トマトの世界で一番目指してからでも
全く遅くないのに、話を突っ込んでみると
メロン、マスカット、マンゴーと煌びやかな
事業の話を展開というよりコロコロ変わる
全く根無し草のような、熟していない
すでに腐っている?そんな気がしました。
結局は、周囲を喜ばす話もなく
自分のことだけ、自分はすごい?
そう認めて欲しいの?って
聞きたくなっちゃう。
トマト(その場で)で日本一、世界一美味しいってまず
言ってもらえることを考えたらどうですか?
って伝えました。
ホンモノは追求、深堀できる人
周囲の役に立っている人
そうありたいと思いました。
浦島太郎の世界に今一度、
今週もよろしくお願い申し上げます。
【浦島太郎の時間】
葉室頼昭(はむろよりあき)氏の心に響く言葉より…昔話というのは、いわゆるおとぎ話のことです。
おとぎ話というのは、昔から何度も何度も語り伝えられていくうちにだんだんと研ぎ澄まされた、素晴らしい真実の話なのです。
それがおとぎ話だと思います。
このおとぎ話というのは、いかにも子ども向けの話のように見えるけれども、この中には人間の生きるべき真理、いのちというものが理屈なく語られているのではないかと思います。

落語にも古典落語がありますが、これも昔からいろいろな落語家が語っているうちに、 研ぎ澄まされて素晴らしい話になったのが古典落語です。
ですから、この話の中には神さまが伝える真実が伝えられていますので、名人と言われる落語家が語ると、何度聞いても面白く、物語もすべて知っているのに面白さが表れてきます。
おとぎ話もこれと同じで、子どもの時、毎日のように、おじいさんおばあさん、お父さんお母さんから、同じおとぎ話の話を聞いても、あきないで子どもたちは聞きます。
これは理屈ではなく、世の中の神さまの真実のいのちを伝えているからだと思います。

「浦島太郎」というお話しがありますね。これは人間の生きる道は、他の動物とは全く違うということを伝えているお話だと思います。
人間以外の生物は、みな自分が生きるために食料を求め、セックスをして子どもを産んで生きていますが、人間だけは自分のために生きるのではなく、人を幸せにするということで生きているのです。
自分以外の幸せのために生きるというのは、人間以外にはおりません。
これをむずか しいことばで言えば、陰徳ということだと思います。
陰徳というのは、人に知られずによい行ないをすることです。

浦島太郎が、子どもたちがいじめている亀を助けるというのは、助けたからといって、自分が何か見返りを求めるということではない。
ただかわいそうだから助けてあげただけです。
何ら見返りを求めない。
そうしたら亀がお礼にと言って竜宮城に連れて行ってくれたというお話です。

つまり、見返りを求めない陰徳の生活をすると、神さまの世界に近付けるという、人間本来の生き方が語られています。
それに比べて現在の人間は、特に戦後の日本人は、外国から入ってきた理屈の教育で、人のことよりも自分の目先の欲だけで生きるという我欲の生活をするようになったため、 現在のような乱れきった世の中になってしまったのだと思います。
人の幸せのために生きるなどと言うと、そんなことでは今の世の中は生きてはいけないという人がたくさん いますが、これはまったく逆だと私は思います。

神社でも、ただ神さまをお悦ばせする祭りだけを、繰り返し繰り返し行っております が、その結果、春日大社は千三百年たった現在でも、祭りは続き繁栄しています。
これこそ人間の生きる道を、神社の祭りは示していると私は思うのです。

『神道と《うつくしび》』春秋社

葉室氏は、浦島太郎の「時間の概念」についてこう述べている。

『また、浦島太郎が竜宮城で時間の経つのも忘れて楽しく過ごし、再び自分の家のところに帰ってきたら、知っている人は皆とうの昔に死んでおり、誰もいなかったということですが、これは竜宮城で何日か遊んだだけだと思っていたけれど、地上では数百年もの年月が過ぎていたことを語っています。
現在のわれわれは地球上で毎日、時間単位で生活しておりますが、この時間というものはあくまでも人間が作ったものであって、神さまの世界には人間が考える時間というものは存在しません。
例えば、嫌なことを経験すると、早くそれから抜け出したいと誰でもが思いますが、なかなか時間は過ぎてくれません。
それなのに、無我夢中で楽しいことをしていると、時間の経つのも忘れてしまうということは、誰でも経験したことがあるでしょう。
時間というものが、外にあるのではなく、自分の心の中にあるということを、このおとぎ話は示しているのではないでしょうか。
こうした時間の違いということについて、宇宙飛行士の毛利さんがおもしろい話をされていました。
例えば光に乗って何億光年という先にある星に行って帰ってきたとする。
すると自分は歳を取らない。
ただ瞬間的に行って帰ってきたのだけれども、地球では何億年もたっているということになる。
理論的にはそうなるという話をしていました。
どうしてこのようなことを、日本人の祖先たちは知っていたの でしょうか。
ですから私は、日本人というのは本当に素晴らしい民族だと思うのです。』

物理学者の保江邦夫氏はこう語っている。(タイムデザインの法則)より
『現代の物理学の世界では、「時間というものはこの世には存在していない」というのは常識となっている。
それは、量子力学の考え方だ。
天文学者のアーサー・エディントンが、世界で最初に、「未来は過去の延長ではなく、未来と過去が今を決める」と言った。
つまり、過去の延長線上に今や未来があるわけではなくて、「未来と過去が同時に今を規定する」ということ。』

誰もが知っている「浦島太郎」の話。
その時間の概念は、現代の最新の量子力学と同じ考え方だった。

「古くて古いものは滅び、新しくて新しいものも滅びるが、古くて新しいものは栄える」という。
それを、伊勢神宮は「常若(とこわか)」という。

陰徳を積み、常に若くありたい。

上記の【ホンモノなのにニセモノになりたがる人、浦島太郎の世界に】については人の心に灯をともすより引用しています。