千載一遇も一歩から、コチコチ人間にならないように

ー杉浦佳浩

千載一遇も一歩から、コチコチ人間にならないように


2021年 12月 20日

【今週の自戒】
千載一遇も一歩から、コチコチ人間にならないように

この時期、忘年会、望年会、お声がけ
くださって感謝しています。

自分にとってロールモデルと
思っている方から、お誘いいただき
ありがたくご一緒させていただきました。

56歳で起業、そこから17年今では
3桁億の会社に成長されています。
私も気づけば10年以上のお付き合い。

こんな人に最近会いました
→面白いねぇ今度紹介して!

先日こんなところに行ってきました
→それは興味深い、会社コアメンバーで行こう!

私の話を面白がって、興味を持って
どんどん縁が広がる感じが小気味いい。
70代半ばでこの高いテンション、
素敵な笑顔、柔軟な発想、
そして行動力。

全てが目標として追いかけています。
まさに凝り固まったところはなく
塞ぎ込んでいる暇もない。

想いの強さを貫き、
一歩を踏み出し続ける
年明けだからとか先送りすることなく
まさに
今、今日から行動を。
世代、人、場所、領域をどんどん越え
アチコチ人間になれるように
今週もよろしくお願い申し上げます。

【コチコチ人間より、アチコチ人間】

医師、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…

父の茂吉は歌人であるが、本業は医者である。父の短歌をかつて「趣味」といって、 烈火のごとく怒られたこともあったが、今ではいい想い出だ。
さて、私もこのような雑文を書いているが、本業は医者である。
ものを書くというの はボケ防止にいい、記憶力もよくなる。

ン十年前、本を書き始めたころ、私も、「よく時間がありますね」と言われたものだ。
医者は医者の仕事に専念していればいい、と先輩にいわれたこともある。
当時は、「この道一筋」とばかりに脇目もふらず仕事をする人が立派だという風潮があった。
これも、 だいぶ変わってきたようだが、「この道一筋」を引きずっている人は今なお多い。

このような人は定年退職した後が悲惨だ。
暇な時間はあり余るほどできるが、何をしていいかわからずに、一日をぼんやりと過ごす。
要は、時間の使い方が下手なのだ。
そのために急に老け込んでいくケースもある。

「医者の仕事に専念しろ」と忠告してくれた先輩もありがたいが、もう少し温かい目で 見守ってくれた諸先輩たちを思い出す。
「この本、おもしろかったよ」と言ってくれる 先輩もいた。
お世辞だろうが、そんなひと言でうれしくなるものだ。
「女房が君の本を読んでいてね。サインしてやってくれよ」などと言われた日には、ほくほく喜んでいた自分を思い出す。
単純だったなぁと思うが、そういう先輩たちは、仕事人としての私だけではなく、仕事をし、本も書き、遊びも好きという、ありのままの私を受け入れてくれていた。

その余裕はどこから来ていたのか。
話は単純で、そういう先輩たち自身が、盆栽、ダンス、釣り、俳句、絵画と、それぞれのこだわりの趣味をもっている。
「時間はつくるもの」である。
仕事に忙しい人ほど、真剣になって自分の時間をつくり、 趣味に夢中になれるもののようである。
また、現役時代から時間をつくる、余裕をつくることを心がけてきた人は、充実した老後を送れるようである。

『「あなたに会うと元気になる」といわれる人』新講社

本書の中にこんな一節があった。

『医者はいろいろな患者さんと会う機会はあるが、どちらかというと、「先生」という 立場に置かれるからか、対等の立場で気軽につきあおうと思っても無理がある。
さらにいえば、医者という仕事は、病院と家の往復と、学会の医者同士のつきあいに終始する場合も多い。
そうなれば、狭い世界を行き来するだけの「コチコチ人間」になるのは目に見えている。
ゴルフが趣味という人も多いが、あれは、仕事の人間関係をひきずっている場合が多い。
ゴルフで親睦を深めて、仕事をスムーズに進めようという計算が見え隠れしている。
もちろん純粋にゴルフ好きの人も多いことは知っているが、趣味に関しては、その人脈で仕事を広げようという考えは捨てることをおすすめしたい。

趣味というのは、仕事に関係ない人と出会えるところがいい。
仕事関係の人とも仕事 を抜きにつきあえるから楽しい。
わが知人の話。
出入りしている植木屋から、家で盆栽教室を始めますから、よかった ら来てくださいと誘われて、「俺も趣味らしいものもないし、年をとってきて盆栽なんてのもいいんじゃないか」と教室をのぞいたそうだ。
どうせ、じいさんばかりだろう……と思っていたのに、教室は三十代の男性や主婦、 高校生までいて、のびのびと明るい雰囲気。
驚いていると、「あら、今、盆栽ブームだって知らないんですか」と、笑われたそうだ。
女性が多いせいでもないだろうが、彼はすっかり盆栽にはまっている。
教室のあとは持ち寄りで飲み会。
商店の店主、学校の先生、主婦……など、今まで飲む機会もなかった人と知り合いになり、アチコチ顔を出しては、盆栽という話題で何時間も盛り上がっている。
年をとれば「仕事の人間関係」さえなくなる。
そのように思う寂しさを思ったら、今のうちから趣味を通して「アチコチ人間」になっておくことをおすすめしたい。』

年齢を重ねれば重ねるほど、同世代の人たちよりも、若い世代の人たちと会う必要がある。
同時に、違う職業や異なった趣味、異性、といった自分とは異質のフィールドの人たちと会うことも大事だ。
なぜなら、同じ人たちだけと会っていると、考え方も、発想も固まってしまうからだ。

そして、異分野の人たちと会えば会うほど、自分の知識のなさや、勉強の足りなさに気づく。
そこで大事なことは、自分ばかりしゃべるのではなく、人の話を真剣に聞くこと。
多くの年配の人たちは、この「聞く」力が弱い。
自分ばかり、上から目線でしゃべる癖が、長い年月をかけてつくられてしまっている人が多いからだ。

「コチコチ人間より、アチコチ人間」
いくつになっても、フットワーク軽く、好奇心と笑いを失わなわず…

アチコチ動き回る人でありたい。

上記の【コチコチ人間より、アチコチ人間】については人の心に灯をともすより引用しています。

また、写真の言葉、千載一遇の文章は以下です。

ほんとうのことを言ってしまおう。よく”長い人生、生きていれば機会は必ず巡ってくる”という。そんなことはないのである。たしかに必死に目標に邁進し、その実現に日日精進を重ねた人には、いつか報われる日が訪れるかもしれない。しかしながら、願っているばかりで努力を怠る、あるいは、些細な理由で努力の先延ばしをくり返している人には、そんな機会は滅多に来ない。小成に甘んじることもあろう。強欲者のそしりを免れないことへの遠慮も考えられよう。けれども寂しいではないか。せっかくの人生、高い志を掲げてこそ盛大になるのである。今の世の中、学ぶ人が多いのは喜ばしい。ただし、学びはあくまで手段、その先の手に入れたい成果を口にしない人があまりにも多すぎる。言うのは簡単、実現するのは至難の業。それゆえ慎ましいのも理解できる。でも、だからこそ言いたいのだ。千載一遇の機会とは、文字通り千年かけて一度あるかどうか。ひとえに思いの強さにかかっているということを。

上記は、月刊「PHP」2021年10月号 裏表紙の言葉を大阪のあるガソリンスタンドに掲げられているところを撮影しています。