杉浦 佳浩 オフィシャルサイト

ご縁結びのコーナー第46回 株式会社日本情報マート様

2018年11月13日

このコーナーでは主に社長さんをクローズアップして書いてまいりましたが、
今回は出来事を中心に。私にとっては有り難い機会を今年の8月に戴きました。
それが岡目八目リポートの復活でした。サラリーマン時代の最後の約6年半、
350回以上に亘って毎週休まず発行し続けたこのリポートですが、
このお話と今回ご縁が繋がりどうして復活できたのか?
また、第一号と第二号についての想いをまとめてお届けしたいと思いました。
 
★どんなリポートだった?
サラリーマン時代の最後の6年半、役員、上司から
『社内フリーランスみたいなことにチャレンジしてみるか?』と
声をかけられたのが始まりでした。
歩合給系の職責でしたらこんなこともあろうかと思いますが、
損保会社の実質固定給制度にいる中で、
また従業員数2万人(連結)を超える中でたった一人だけ
フリーにしていただけた幸せは、今の仕事の礎となり
本当に役に立っており感謝しています。
その後に引き継ぐべき人も組織も無かったことは残念ですね。
そんな全くの自由にしてくださった事を手放しで喜んでいてはいけない。
自分なりに業務の見える化をすべきでは?と感じ、
4月にスタートする自分の週報的なことを、日々の活動を発信する、
損保会社、大手企業にありがちな、近視眼的な考え、
視野の狭さを少しでも広げられたら、
違った角度から一言伝えることでなにか気付きになればと
大変おせっかいなことでリポートがスタートしました。
 
当初は30人程度への毎週発信、A4、1枚でスタートしました。
社内営業的なことは一切なく、口コミで最終的には
4桁オーバーの皆さんに配信するくらいになりました。
また私は認めてませんでしたが、その発信内容を
社外に持ち出す人も現れました。ページ数が多い日には
8ページ程度になり、土日もなく書いておりました。
大変役に立ったと退職後4年になろうとする今でも声を頂いたりしますし、
現職中は他部署からお叱りを受けることもありました。
時代を先取りしていたと思います。
 
岡目八目とは、囲碁(将棋)を戦っている当人同士は
自身の目の前に没頭し、客観性を見失うこともしばしばであり、
その横で戦況を見ている(斜めから見ている)他人ほど、
当人たちより「八目(8手先)」まで見通せるということを表しています。
営業の最前線を離れた私が実は、先々を見通したり世の中の動きに
対応が早かったりという自画自賛、自惚れ心をもって書いていました。
退職後どこかで復活できれば有り難いと思っていた次第です。
 
★リポート復活のご縁について
元々、mannakaのしばたさんと幾度となく開催を継続している「しばた会」。
毎度相当にオモシロイ方々との出会いが楽しみですが、
そこにお越しになっていたのが、リポート復活の立役者、
日本情報マートの松田さん、梅津さんでした。
 
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同社は、HPを見てもピンと来ないと思いますが、
まさに金融機関にとって無くてはならない存在。
都銀、地銀、信金、生保、損保とお付き合いの幅は相当で、
金融機関の社内向け、お客さん向けの、情報冊子、
企業経営者向け専用サイト構築等々を行っていらっしゃいます。
私が、会社員時代に金融機関への企画・推進活動を担っていたこともあり、
意気投合。懇意の企業家さんをご紹介させて頂き、実際に金融機関さんに
お引き合わせもしてくださっています。
ある時に、サラリーマン時代の昔話や岡目八目談義をしていた際に、
お二人から、是非復活されませんか?とお声を戴きました。
しかも金融機関の情報サイト上で。本当に嬉しかったですね。
企業経営者にヒントになる、会社の価値を高める内容。
世の中には面白い人、面白い情報がある。心に響く良い話もある。
そんな発信ができたらと思っています。
 
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いろいろあった候補先の中から手が挙がった「りそな銀行」さん。
その中でも「企業の成長を応援する情報メディア」として、
中々オシャレでコンセプトにもマッチするということで、
「りそなCollaborare(コラボラーレ)」にて発信が決まりました。
この様なご縁、しかも金融機関のサイトから発信できる幸せ。
日本情報マートさんには感謝しています。
 
★第一号になぜヤンキーインターンを選んだか?
一言で申し上げると、インパクト。
第一号だけに次に繋がる発信をしないといけない。
しかもこれからの時代で解決すべき採用・育成の分野で
新しい空気感を漂うようなお話が良いと思いました。
非大卒の皆さんの頑張り、社会への関わり、
これから大きなインパクトを社会に与えるであろう
ハッシャダイという会社の存在を発信できたら、
そんなテーマでヤンキーインターンについて書きたいと思いました。
丁度、私自身も同社で講演をさせていただいたこともあり、現場感覚あり、
ヤンキーインターンの皆さんからのアツいコメントも掲載することで
臨場感も醸し出せるように思いました。
また銀行という情報サイトからヤンキーというミスマッチ感も
レアケースでオモシロイと思った次第です。
※実際の記事はこちら
 
★第二号は創業122年龍崎齋藤社長を選んだ訳
企業が永続することは至難の業。
でもどれだけ希少性があるかも伝えることができればと思いました。
記事には書いておりませんが、同社は顧客への接待、
ゴルフ等々は一切しない。しかし本業でトコトン喜んでもらえるように
丁寧な仕事をする。先代から言われた、
「自分の置かれた立場で楽しみながら仕事をしなさい」を愚直に守り、
体現していかれる「姿勢」。言うは易しですが、それを継続し続けている。
毎週月曜日は社長が会社の掃除をする。決めたらそれをやり続ける。
三日坊主の経営者も多いと思いますが、その姿勢があればこそ
お客さんから支持される。また、会社員時代の岡目八目リポートに
龍崎さんのことは書けませんでした。
規模拡大、生産性を声高に言う企業体質の中で、
龍崎、齋藤社長のされていることは真逆。
ここは流石に文字化できませんでしたね。
この時代だからこそ、齋藤社長の生き様は大事だと感じます。
RPA、ロボット化の時代が到来すれば人間は益々人間らしく。
そういう意味で取り上げさせて頂きました。
※実際の記事はこちら
 
★今後リポートへの夢
新幹線のアナウンスで有名な雑誌「Wedge」のWeb版で
記事を不定期で発信させていただいていますが、
このリポートについては、どちらかというともう少し親近感があり、
ウェットな状態、ヒューマンタッチな発信ができればと思っています。
名前の通り、八目先まで見通せる、経営者の皆さんに
お役に立てる記事を書いていけたらと思う次第です。
龍崎さんほど継続できるか判りませんが、このリポートのタイトルが
永きに亘り繋がる様なことになれば幸いです。
 
★「岡目八目リポート復活!」に寄せて(日本情報マートさんより)
この度、素晴らしいご縁をいただき、杉浦さんに、
りそな銀行様の情報サイト「りそなCollaborare(愛称:りそコラ)」で
岡目八目リポートを復活連載していただいております。
 
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杉浦さんと初めてお会いしたのは今年に入ってからのことですが、
その生き方に大いに刺激を受けております。
また、いつもさまざまな人とご縁をつないでいただき、
本当に感謝しております。復活した岡目八目リポートが、
りそコラなどを通じてたくさんの経営者に読まれ、
その活動に役立ていただけたら、とてもうれしいです。
杉浦さん、これからも宜しくお願いいたいます!
 
 
※このコーナーは、お世話になっている、
ブレイン・サプライ社が毎月発行している【ブレイン・サプライ通信】に、
私が日々の出会いの中で、仲良くして頂いております、
企業様、経営者様について話題をお伝えするコーナーである
【今月の縁結び】と連動している企画です。
内容に若干不明な場面もあるかもしれませんが、ご容赦下さい。

ご縁結びのコーナー第45回 OLTA株式会社代表 澤岻優紀様

2018年10月16日

いろんな出会いを日々いただいていることに感謝しています。その出会いにも
いろんな感慨がありますが、これほどのビックリが連続したのはここ最近
無かったと思います。そのビックリのお相手が、澤岻(たくし)さんでした。
そのビックリを最初にいくつかお伝えしました後に、澤岻さんへのインタビュー
を掲載したいと思います。
 
★出会いにビックリ
まず、澤岻さんとOLTA社の最初の出会いがビックリでした。
それは、澤岻さんがテクノロジーで女性の直面する課題を解決するプロジェクト
「Womenwill」に、Google社で取り組まれている時にご縁があった岸田さんを
通じたものでした。なぜか?
その岸田さんが兼業宣言をしたその兼業先がOLTAという会社だったのです。
それから同社の事業概要をお聞かせいただくことになりました。
ご縁の不思議ですね。
 
★メンバーにビックリ
岸田さんから一度会社へということでお誘い頂き、OLTA社を訪問。
そこで事業概要についてお話を伺ったのですが、素晴らしいと思ったのが
この会社への参画者。
 
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CEOの澤岻さんは、野村證券株式会社で上場事業会社の資金調達業務に従事。
CSOの武田さんはソニー株式会社にてPlayStation等の経営戦略策定を担当。
CMOの岸田さんは大手外資IT企業にてブランドマーケティングにベンダー
として所属。CFOの浅野さんは三菱商事、楽天にて財務部所属。
COO兼CTOの高家さんは野村総合研究所でSlerとして大手銀行Webシステム
開発のマネジメント・ディレクションを担当。
 
ほとんどの皆さんが、大手企業での成果・実績をひっさげて20代ではなく
30代中心に集まられており、なかなかこのメンツでの起業にビックリした
次第です。「大手企業から起業→活躍」のよいモデルケースになられる予感を
当初から感じた次第です。
 
★圧倒的なビジネスモデルにビックリ
一番大事なビジネスモデル、スキームのスタートからの構築。
どれをとってもビックリの連続でした。2017年4月に起業し、まだ2期目で
ありながら、スキームの根幹はすでに固まっている感じです。
起業同時にMUFGデジタルアクセラレータに選出されている。
シード期に5億円を調達している。そして、起業から8ヶ月ほどで
オンライン完結型ファクタリングを提供している。
このスピード感、本当にビックリです。
 
この手のビジネススキームで利用者側が心配するサービス提供側の
実績についても、MUFGのアクセラレータ時に相当のデータ提供を受けて
それらをAIで解析するなど、圧倒的なデータを保有しての与信管理、結果、
サービス提供から半年ほどで申込社数が殺到している状況です。
 
中小企業にとって大事な運転資金、しかも数日間の数十万~数百万の
資金ニーズに対し、金融機関はスピーディに対応できていない状況。
その状況において同社は24時間以内の売掛金の現金化に対応しています。
今までの常識である3社間ファクタリングですが、
同社は2社間で行うところもまたビックリ。
売掛先への通知も不要で、サイレントに現金化できるところもビックリです。
先にも書きました「売掛金を24時間で現金化」、これも凄いのですが、
非対面、オンライン完結、そして手数料も相当安い2%~9%だそうです。
中小企業の心強い味方ですね。
 
このようなビックリの連続の同社、銀行の既存マーケットを荒らす
というよりは、銀行が過去から対応できていなかった少額、
スピーディな資金ニーズにアプローチしているところ、マーケットニーズを
キチンと把握しているところが本当に将来を感じる素晴らしさだと思います。
このOLTA社を引っ張る澤岻さんに興味が湧いてきたところで
以下にてインタビューを試みました。
 
★少年時代はどんな少年でしたか?どんな夢?
理屈っぽいというか頑固というか、「みんなが当たり前」と思っていることを
そのまますんなりと受け入れられない、一言で言うとめんどくさい少年だったと
思います(笑)
例えば、高校や大学への進学などといった人生のターニングポイントに際して、
まわりのみんなが「どこの学校を受験するのか」と考えている中、
「そもそもなぜ進学するのか、それが何のためになるのか」といったことを
自分が納得するまで日々考え続けていましたね。
 
会社経営については、高校生の頃にちょうどライブドアのように若い経営者が
世間を賑わせていたこともあって、「会社を経営するということは
どういうことなのか」とぼんやりと興味を持ち始めました。そういった
きっかけもあり、大学は関西にある神戸大学の経営学部に進学しました。
ただ、経営「学」だけあって、理論や事例はたくさん学ぶ機会はありましたが、
「実際の経営がどういったものかは結局やってみないとわからないな、
まずは就活して大企業に入ろう。」と当時はそう思い、普通に就職活動をし、
新卒で大企業へ入社することになります。
 
★起業家を目指すキッカケ、それはいつ頃?
新卒で野村證券の投資銀行部門に入り、上場企業の資金調達アドバイザリー
業務に携わっていました。大学でコーポレート・ファイナンスを専攻して
いたこともあり、学んだことを実践で活かせる投資銀行での仕事はとても
エキサイティングで、かつ一般水準よりも高い額の給料をもらっていました。
在籍年数が増えていくにつれ、任せてもらえる仕事や責任範囲も広がり、
給料もさらに上がっていきました。しかし同時に、「このまま投資銀行での
キャリアを積み重ねていくことは自分の人生にとって幸せなことなのか」と
ふと立ち止まって考えたときに自信を持ってイエスと言えない自分がいて、
そうしたもやもやを抱えながら仕事に向き合うようになりました。
会社を辞める1年くらい前です。
 
そんなもやもやを上手く飼い慣らせるわけもなく、「ファイナンスだけでは
なく、事業もできる人になりたい、会社経営に携わりたい」といった想いが
いよいよ強くなっていき、転職エージェントに相談してみたり、
ご縁あって何社か面接を受けたり、「本当に自分がやりたいことは何か、
それができる場所はどこか」という問いに向き合っていました。
ただ、よくよく考えると、そういった自分の「やりたいことを最大化」
するためには「起業」が最適な手段なのではないかと思うに至りました。
 
しかしまだこの段階ではどういう領域で起業するのかは、
決めていませんでしたが、2016年に29歳の誕生日を迎えたときに、
「納得のいく形で節目ある30歳を迎えたい」という思いもあいまって、
翌日に上司に「辞めます」と伝えました。完全に見切り発車ですね。笑
具体的な起業プランがないまま会社を辞めてしまったので、
「とりあえず1年くらいはベンチャーでアルバイトでもしながら起業準備して
アイデアを練ろう」という感じで、退職後は起業アイデアとリサーチをしながら
死なない程度の生活水準で過ごしていました。笑
 
ファクタリングに注目したのは、日本のファクタリング市場がレガシーで
改善できる余地が非常に大きいと思ったからです。ファクタリングは、
実は海外ではメジャーな資金調達手段なのですが、日本では手形取引などの
独特な商習慣もあり、あまり利用されてこなかったんですね。
でも最近は大企業を中心としたペーパーレスの動きに連動して手形取引が
どんどん減ってきていまして、逆に企業間の信用取引が増えていっている。
中小企業にとってはこの手形の代替的な資金調達としてファクタリングが
じわじわと広がってきている。そんな背景もあります。
加えて、野村證券での経験も少なからず影響していると思います。
 
大企業だと、直接金融や間接金融、さらには流動化などといった様々な
資金調達手段がある中で、適切なタイミングで適切な資金調達手法を
「選ぶ」ことができるのですが、中小企業は、全体的に銀行借入への依存度が
非常に高く、資金調達手段を選ぶことはおろか、最悪の場合、唯一の選択肢
である銀行借入ですら困難な企業が日本全国に多数あることを知り、
中小企業が銀行借入だけに頼らない選択肢をつくることそれ自体に大きな
社会的インパクトがあるのではないかと考えました。
 
★メンバーとの出会いはどんな感じで?
僕らが挑戦するこのファクタリングの領域は、
「金融のレガシーマーケット」、「AI」、「地方創生」、「中小企業」など
といったテーマが絡んでいて、それぞれ呼応するテーマは違えど、
クラウドファクタリングが与える社会的インパクトの大きさに惹かれて
集まった人がほとんどですね。
 
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僕も含め野村證券や三菱UFJ銀行などといった金融系出身のメンバーもいれば、
ソニーや三菱商事、楽天など異業種の会社出身のメンバーもいるなど、
多様なバックグラウンドを持った人が集まったチームであることは
大きな特長です。一つ言えるのが、
「強みを持った個人が、その強みを最大化できるポジションで活躍すれば、
必ず会社は成長する」と僕は考えていまして、会社のフェーズに合わせて
強みを持った人を積極的に迎え入れる採用活動は継続的に行っています。
 
★起業して苦労したこと、また逆に良かったこと
起業して苦労したことは、、、
うーん、、、すみません、あんまりないですね(笑)
というより、苦労と認識しないようにしている、という言い方が正しい
かもしれません。細かいレベルでいうと、ファクタリングに対する偏見や
知名度の低さから、取引を見送られそうになったり厳しいことを言われることが
よくありますが、そのたびに、「こういった困難があるからこそ、新しい
ファクタリングを世の中に提示し変化したときのインパクトは大きい。
チャンスだ!」と心の中でつぶやきながら粛々と問題に取り組んでいます。
 
僕は「社会に新しい価値を提示するためのすべての活動」を行う組織が
スタートアップだと考えていまして、そうした活動に課題や困難があることは
もはや付き物だと考えています。ただ、これも周りの優秀なメンバーと一緒に
取り組んでいるからこそであるので、チャレンジングな課題や困難に立ち向かう
たびに、チームメンバーに支えられていることの有り難みを感じています。
 
★今後の夢、社会へのインパクト
クラウドファクタリングは、そもそもまだあまり正しく認知されていない
資金調達なので、まずはなにより、一社でも多くクラウドファクタリングの
認知度を上げていきたいです。資金調達と聞くと、「時間がかかる」、
「めんどくさい」といった印象を持つ中小企業経営者の方は多いと思います。
OLTAのクラウドファクタリングは、そうしたストレスを感じさせない、
「はやい・かんたん・リーズナブル」な新しい資金調達です。
カスタマーサポートにかなり力を入れていますので、
はじめての方も安心してお使い頂けるサービスです。ぜひ一度ご利用ください。
 
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この世界で既に巨大なマーケットになっている米国には、2012年に創業した
同業者が3年で取引社数2万社、累計取引件数1500万件、累計取扱高3兆円を
突破と、たった1社でこの規模、成長性となっています。
これから日本にこの新しい仕組みが広がり、元気な中小企業が増えていくことに
大きな意義を感じます。いつの日か、この出会いのビックリが懐かしいと
思う時が早晩来るように思います。同社と共に汗をかきたいと思っています。
 
OLTA株式会社のリンクはこちら
 
※このコーナーは、お世話になっている、
ブレイン・サプライ社が毎月発行している【ブレイン・サプライ通信】に、
私が日々の出会いの中で、仲良くして頂いております、
企業様、経営者様について話題をお伝えするコーナーである
【今月の縁結び】と連動している企画です。
内容に若干不明な場面もあるかもしれませんが、ご容赦下さい。

ご縁結びのコーナー第44回 株式会社ネットオン 代表取締役 木嶋 諭 様

2018年09月19日

人財採用環境は益々悪化するばかり。そんな中で、無料で人財採用の
ホームページ、採用マーケティングツールの作成、応募者集客ツールを
提供している会社が本日の木嶋さんです。サービス提供から約1年で
導入社数が8,000社を超える圧倒的な支持を得ている【採用係長】
運営をされています。先日は資金調達も得て益々事業にドライブがかかる
木嶋さんに話を伺いました。
 
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★早い段階からの起業
『まわりの起業家のように華々しい経歴は私にはないので。』と控えめな
感じで木嶋さんのインタビューは始まりました。そう言えばあまり木嶋さんの
過去についての情報を私が知らなかったため、『え?エンジニア出身?ですか?』
とちょっとびっくりしたのが、木嶋さんの経歴でした(大学では理系出身)。
 
しかし、お聞きしていくと起業家、経営者家系でいらっしゃることが見えて
きました。お祖父様、お父様共に経営者で、お祖父様は戦争から帰国後に
神戸でドイツ人、ワインバーガーさんという方と共同で輸入商社を設立、
化学系の商材を取り扱ったり台所商材でヘンケルのハサミや包丁を輸入して
国内に卸していたそうです。私の小さな頃の思い出にも確実に残っている
ヘンケルの調理用ハサミ、母親が大事に使っていたことを思い出します。
 
その輸入元が木嶋さんのお祖父様であったんですね。不思議なご縁を感じます。
またこういった海外からの輸入商社さんも港町神戸ならではというように
思います。また、お父様も輸入関係のお仕事を継続しながらも高級輸入家具を
取り扱っていらっしゃいましたが、バブル崩壊の影響を受けて厳しい経営環境
の中で奮闘されていたそうです。
 
木嶋さんの学生時代は、あまり打ち込んだものは無かったそうです。
また、自分と向き合うこと、自己分析もすることは無いままの、ごく普通の
高校生活、大学生活もテニスサークルに属した普通の学生でしたと木嶋さん
ご自身はおっしゃいますが、普通ではないと思ったのが社会人への入り口の
部分。大学のゼミ教授から推薦された某大手企業には入社しないと決意し、
特段の就職活動はしないで、当時、時代の潮流として話題性があった
【ビジネスモデル特許】。その中身を見て、特許事務所がオモシロイとの
思いを抱き社会人のスタートをきりました。ほとんどの学生が流されている
【就社】でなく【就職】の選択をされています。
 
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ただ、入所後、単調な書類作成に辟易し、ここではないと思って8ヶ月ほどで
退職、IT企業へと方向転換し、4社に応募して、3社からオファーがあったそう
です。そのうち1社のSAPを取り扱う大手企業系列のコンサル会社に入社し、
大企業相手に仕事をしていたそうですが、大企業とだけ仕事をしていてはダメ
と判断しここも8ヶ月で退職されています。
サラリーマン時代に、ホームページ数の爆発的な伸びに即応したサービスが
これから必要と思い起業を決意。中小企業向けサービスを創って行くことを
決断したそうです。社会人経験1年半での起業の決断はなかなか出来ること
ではないと感じます。
 
 
★起業後の紆余曲折
起業前から、ITの可能性を感じていたこと、ECに未来を感じ、
ショッピングサイトには簡単にWEBデザインが出来ていないことから、
いろいろ海外サイトを調べていると、ウクライナが本拠地の
「TemplateMonster.com」に出会い、これだ!ということで、交渉し、
当初【サイト屋ドットコム】と名乗りつつ、この日本側の窓口として
販売をスタートしました。ITの商材といっても、まさに海外の商材を
日本国内に販売する、親子3代続くある意味【貿易商社】の血が
ここに受け継がれていると思いました。
 
世界を意識しているところから、24歳の2004年10月に、
(株)グロービズ(グローバル・ビジネスの略)と法人登記したそうです。
後に会社名が酷似しているところから某社から内容証明が届き、
あわてて現在の(株)ネットオンに変更したそうです。
 
翌年には【インターネット看板の開発、販売及び当該看板と連動した
ユビキタスシステムの開発、販売】のビジネスプランを発表し、
「incueitステップアップ助成金」最優秀賞を受賞。2007年には台湾、
2008年には中国へと子会社を設立し、20代で華々しい起業家となって
行かれました。様々なサービス、アイデアを実行、具現化するもの、
一発屋的な動きが重なり、継続的成長やご自身が思い描く実績を伴った
企業成長には程遠い状況がその後続き、「このままではダメ」と
2010年頃から本気の経営、勉強不足を反省し、いろんな勉強会に
顔をだす様になったお蔭で、まわりの経営者の動きが見えるように
なったそうです。
 
 
★本気の起業家へ。秀吉会へ入会
勉強会に顔を出しながらもなかなか実績が伴わない中、2014年に
秀吉会に初参加。ビックリ。正直ビビったそうです。
(HPも告知活動も一切ない秀吉会ですが、先日、NewsPicks
取り上げられました。)この会に入会し鍛えてもらったことが本当に
大きかったと木嶋さんは話します。ここで秀吉会会員の経営者から
的確なアドバイスを貰うことで、稼ぐこと(インターネット広告ほか)
とやりたいこと(新規事業/人材関連事業)を切り分け、集中することで
売上も着実に伸びていったそうです。
 
2016年11月に、同年2月からスタートしていた【採用係長】のクラウド型
サースモデルとして、本格的に展開を開始し、冒頭のとおり短期間で
圧倒的な伸びとなっています。まさに世の中の流れを掴んだ実績、
証拠だと思います。
(クラウドバージョンの【採用係長】をリリースしたのは、2017年6月。)
 
 
★資金調達から今後に向けて
どんどん導入社数が伸びるサービスも、当初は無料版からの導入である
ことから、資金調達の必要もあり、私の方で同様のクラウド系サービスを
提供する他社の起業家や、親身に相談に乗ってくれるベンチャーキャピタル、
その他プロの投資家さんをご紹介させて頂きました。その後、それぞれの
意見を上手に吸収し、今年6月に1億円の資金調達を実施されました。
 
サービス名の【採用係長】。木嶋さんらしい控えめなネーミングですが、
人事部の存在が無かったり、採用系を専門とする人材がいなかったりする
100名以下の中小企業が多いなかで、まさしく時代にマッチした、カユイ
ところに手が届くサービス名だと思います。30万社への導入を目指します。
今まで主流であった、折込広告、タウンページ等々の紙媒体採用の時代から、
スマホで応募、採用できる採用インフラの時代への変化がこれから
予想されます。
 
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上場も視野に入れ奮闘される木嶋さんに、これから大いに期待したいと
思います。
 
 
※このコーナーは、お世話になっている、
ブレイン・サプライ社が毎月発行している【ブレイン・サプライ通信】に、
私が日々の出会いの中で、仲良くして頂いております、
企業様、経営者様について話題をお伝えするコーナーである
【今月の縁結び】と連動している企画です。
内容に若干不明な場面もあるかもしれませんが、ご容赦下さい。

ご縁結びのコーナー第43回 グリーンコンチネンタル株式会社 代表取締役 中村壮博様

2018年08月15日

◆ビジネス発想の展開力にビックリ
私のサラリーマン時代、あらゆるコスト削減提案をしてきた経験があります。
それはあくまで、今あるコストを数%~数10%削減するお話。
それはそれでお客さんに喜んで頂きました。そんな私も、
本日のグリーンコンチネンタル社の中村さんに最初にお話をお聞きした時には
ビックリ仰天し、そんなビジネスアイデアですか!
と思わず大きな声を上げてしまいました。
それは、コストだった植栽を売り物に変えることで利益を生む
というものでした。
 
小売店舗(当時から家具、インテリア販売でオシャレ度の高いあのアクタス)
に対し、植物の醸し出す柔らかさにより店舗のイメージアップを実現しつつ、
単なるコストであった植物を商品へ変化させるという提案です。
しかも販売者を教育し、植物への関心も向上させていく徹底ぶり。
 
このアイデア溢れる中村さん、目指すマーケットは2,200億円規模の
ガーデニング市場だけではなく、住宅マンション市場 22兆円、
商業施設・オフィス市場 14.8兆円、ギフト市場 17.4兆円、
アパレル市場 9.2兆円、リノベーション市場 6.5兆円等々、
他にも、ウェディング、美容、インテリア、イベント、雑貨、飲食と
あらゆる市場に展開していこうとされています。
今回は、この中村さん(36歳)についてお伝えしたいと思います。
 
 
◆明るい苦学生から社会人へ
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学生時代の中村さんのお話を聞いてこれまたビックリ!
一言で表現すると明るい苦学生って感じです。高校まで私学に通い
そのままエスカレーター式に大学へと進学する普通の高校生
という感じでした。
進学間際にご家庭の事情で自活する必要性が出てきたそうで、
親御さんに負担を掛けたくないということで迷わず、大学は夜学に行き
昼間は仕事をする選択をされたそうです。
学生時代のお話をお聞きすると、とにかくキラキラ感がある大学生活
だったようです。以前お聞きした際、昼間はデル・コンピュータで働いていた
とお聞きしていたので、てっきりSE等システム関係の仕事をしていたと
思っていたのですが、これは私の完全な思い込みで、
絵に描いたような典型的な苦学生でした。
 
中村さんが昼間に働いていたデル社ですが、過去のテクノロジーの色が強く、
コンピュータオタクのような人が店頭で販売していました。
しかし中村さんが2回生の時に販売戦略が刷新され、
オシャレな販売員を店頭に配置する、所謂【顔採用】で働く
というものになりました。男前の中村さんはこれに応募し、
店頭でカッコイイ店員さんとして大活躍、月給30~50万程度を
稼いでいたそうです。
ということで、今回のインタビューで明るい苦学生と感じた次第です。
 
そのデル社での仕事は、日本初の有給インターンだったそうで、
貴重な経験とともに、社会経験豊かなお客さんと出会うキッカケ
にもなったそうです。20社の名だたる企業から内定はもらえていたものの、
就職について悩んでいる時に、当時の店頭に来ていたお客さんに
商社マンが多かったそうで、その方から、
『中村さんは肩書に左右される縦軸のメーカーでの仕事ではなく
世界中で横断的に活躍できる商社マンが良いのでは?』
という助言を受け、TOEICの点数は低かったものの商社を受けてみると
豊田通商に合格し、入社することになったそうです。
 
 
◆大活躍の商社マン時代
NakamuraSan2
豊田通商でも大活躍だったそうで、
サラリーマン時代のお話についてお聞きすると、とにかく上司やお客様
に恵まれたと中村さんは話します。
 
1年目に配属されたのがシニアビジネスグループで、老人向け紙オムツが
売れる仕組みをつくる事業でした。ここで中村さんは、マネーゲーム的な
川上、川下での販売売上の成績に拘るのではなく、
どこで原材料を調達するか?
どこから商品を仕入れるか?どこで販売するか?
使用済みの商品をどこで回収、処分するか?
というモノゴトの流れと、どこにプロフィットの機会があるか?
どこにプロフィットプールを設けられるか?
にフォーカスして仕事をしていたそうです。
 
1年目から実践力を身につけながら商社マンとしての勉強を積み、
2年目には福祉用具、介護用品のレンタル事業を担当するようになったそうです。
この頃まだ「紙オムツ」という言葉がなく、【IoT】を組み合わせ、
尿もれ検知の新商品も開発していたそうです。
あまりにも検知しすぎて大失敗となったそうですが。
この頃の経験が現在の植物IoT開発へ繋がっていて、
IoT✕リアルがオモシロイとまさに思ったそうです。
 
3年目で経験したのがM&A。
福祉用具のカタログ通販を主事業とする企業を買収する仕事でした。
買収後にはその事業を成長軌道に乗せるため、商品調達、流通~物流の見直し、
選定を一気に着手実行しました。
この経験でビジネスの全般が見えてきて、
「商社を起点にすれば、360度全てがお客様である、
こんなオモシロイビジネスはない」と思ったそうです。素敵ですね。
 
4年目には中国を目指すことになる中村さん、ここでもチャレンジが続きます。
中国に駐在することもなく、「中国に行きたい!」と上司に進言したところ、
会社のミッションとして90日間のテストマーケティングを許されたそうです。
なかなかあり得ないですよね。
これで、日本の総人口よりも多い高齢者がいる中国へ(当時1.6億人が高齢者)
新規事業開発のため渡りました。この期間で、北京、上海、成都のスーパーで
展示会を開催しし、これが後々メチャメチャ売れていったそうです。
 
ここから日本での仕事も並行しながら 90日ペースで出張し、
中国に通う商社マンとして益々活躍されることとなります。
4年目の若さで、成果結果そして行動(中国等々への)に対して
社内からヤッカミが出るくらい活躍されています。
それでも、当時の役員(常務→現在副社長)が直接面談をするほど
目を掛けて貰っていたそうです。スーパーな待遇ですね。
 
 
◆尖閣問題から草炭への出会い、そこから起業への道へ。
大活躍の商社マンだった中村さんに転機が訪れるのが5年目。
それはあの尖閣諸島問題でした(2012年9月)。
テレビニュースでも連日流れた暴動、略奪、破壊行為が日常化している最中に
中村さんは被害が甚大だった成都にいたそうで、現地のローカルスタッフに
助けられ、変装までして移動、身動き取れない中で、現地の中国人から
耳にしたのが、【草炭】のお話でした。草炭は中国の寒冷地に存在する腐葉土、
栄養度が高いそうで、これを使って植物を育てると(肥料も不要)、
圧倒的なスピードで成長し、栄養価が高い農作物が収穫できるそうです。
この土の面白さに惹かれ、個人的に(ボランティアで)日本の
ホームセンターを紹介しビジネスのお手伝いをされていたそうです。
この草炭との出会いから、自分で起業することを考え始め、
29歳で決断、30歳で起業を選択することになりました。
 
 
◆大手企業との大プロジェクト進行中
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起業当初はこの草炭を日本に輸入、販売しながら、生計を立てていたそうです。
そこから植物を育成する施設を大阪市から安価で提供してもらうことになり、
拠点を大阪に移動(当初は愛知県で創業)。
冒頭のアクタスでの植物販売に繋がっていきます。
 
現在では、空間演出、植物の委託販売~卸売、新規就農者支援にまで
広がっています。生き生きとした植物を維持する役割の【ボタニスト】も
現在では50名を抱えて、植物と人間の関わりをより良いものにする活動も
広げていらっしゃいます。
 
また、大手電機メーカー、空調メーカーとの大プロジェクトも進行中で、
現在では9社、12個のプロジェクト、国内外問わずに、植物IoT、
室内でありながら外との変わらない空間を再現する壮大な取り組みに
チャレンジされています。まさにお名前の【壮】の字のとおりですね。
 
私も観葉植物を枯らせてしまった苦い経験があります。
私のようなトラウマとなっている人たちの問題を解決して、住空間~商業、
オフィスに緑が溢れる社会を創出しようとされています。
今後益々のご活躍が楽しみです。
 
下記記事もご参考に。
新進起業家列伝 商社マン→グルーンコンチネンタル社長 中村壮博さん
先端グリーンビジネス「植物IoT」とは何か

 
 
※このコーナーは、お世話になっている、
ブレイン・サプライ社が毎月発行している【ブレイン・サプライ通信】に、
私が日々の出会いの中で、仲良くして頂いております、
企業様、経営者様について話題をお伝えするコーナーである
【今月の縁結び】と連動している企画です。
内容に若干不明な場面もあるかもしれませんが、ご容赦下さい。

ご縁結びのコーナー第42回 株式会社グッドニュース創業者/株式会社ユニバーサル・サポート・システムズ代表取締役 杉岡 充敏様

2018年07月19日

★大クレームの際に、声を掛けたのが杉岡さんでした。
今回ご登場の杉岡さんとは、関西若手の会(現在は活動停止中)という、
当時は20代半ば~30代半ばの経営者、独立志向のビジネスマンが
総勢60名以上集ってワイワイガヤガヤしている場面で、何度かお見かけ
しながらだんだん仲良くなっていきました。
お付き合いはかれこれ10年近いのではないかと思います。
 
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杉岡さんとの一番の想い出。それは私がまだ会社勤めの際、私が引き取った
大クレーム先への同行という場面です。実はその訪問先の会社が、
現在杉岡さんが代表取締役としてご活躍されているユニバーサル・サポート・
システムズ社であり、中々ビックリのご縁です(もう年数も経ちましたので
ご披露いたします)。
 
当時の鮮明な記憶は、そのクレーム云々よりも当日同行時に、杉岡さんは
かなり体調が悪いにも関わらず『折角の機会、杉浦さんと是非一緒に!』と、
顔色が悪い中杉岡さんの会社を一緒に出ましたが、途中の地下鉄の中で
2度も気を失って倒れるという事態で、私もオロオロするばかり。2度目には
中々正気に戻るのにも時間が掛かる状況でした。たまたま到着の駅が訪問先の
最寄り駅、地下鉄から車椅子で、駅長室へ、そこでソファーで横たわり
少し休みながらも『私行きます!』とか細いながらも力の籠った言葉を
返してくださいました。
 
幸い余裕を持って移動していたので、近所の喫茶店でお茶と甘いものを食べて
同行し、初回にも関わらず当時の社長とは意気投合しました。もしあの時、
体調不良でドタキャンすることとなればどうなっていたことでしょう。
ご縁とは不思議なものです。
 
★サラリーマン時代には相談役に
上記の出来事が6年ほど前でしょうか。その頃から杉岡さんからは、決算報告、
社内イベントにお声掛けいただき【仲間】として迎え入れていただいて
いました。いつしかサラリーマンの身でありながら、元々創業されたグッド
ニュース社のHPには早い段階から【社外相談役】という肩書で掲載頂いていた
次第です。有り難いですね。家族主義で会社経営をされてきた杉岡さん。
 
4年前には私のご紹介で新聞記事にも掲載され、現在は東京、大阪を
行ったり来たりで中々開催は出来ておりませんが、家族感謝祭という
イベントを催していらっしゃいます。家族の皆さんとも仲良くしていく
姿勢は立派だと思いますね。その後には、社員さんの結婚式にもお招き頂き、
乾杯の挨拶までさせて頂く関係性となっています。
 
★キャリアマップスタートへ
先日、1ページ全面記事(記事写真添付しています)となった大阪日日新聞。
前述の杉岡さんが倒れてでも訪問して下さったこと、そこから事業を企画、
開発し着実に結果を出し、お客様に喜んでいただいている結果が記事と
なったものであり、感慨無量であります。記事を拝見していると、『人工知能
(AI)の発達に伴い、今後10年間で消滅する職業は少なくない。
 
これまで以上に機械やロボットでは代替できない専門職・技術職のスペシャ
リストが社会から求められることになる』とか、『大学生・短大生の就職活動は
よくニュースなどでも話題になるが、専門学校生の就職活動はどのような状況
なのだろうか?全国で専門学校を卒業する人数は毎年約23万人。大学生の
58万人と比べると40%程度』等とあります。
この専門学校の進路指導~就職と企業を結ぶ最新のクラウドシステムであり
プラットホームであるサービス、事業が【キャリアマップ】でした。
サイトはこちらです。
 
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このシステムを運営しているのがユニバーサル・サポート・システムズ社
(専門学校に寄り添う形で多種多様なサービスを展開されています)であり、
同社さんへ私がサラリーマン時代に訪問した際の課題の幾つかに、専門学校の
就職支援の課題がありました。それを杉岡さんが汲み取り、補助金を活用
しながら相当の投資でこのプラットホームを構築。求人掲載社数で25,955社、
専門学校生の登録者数で34,198名と大きく成長しています(2018年5月現在)。
 
なぜ、杉岡さんへ私が同行を打診したか?そのあたりもお話しておきたいと
思います。事業報告・決算報告をお聞きしている中で、創業しておられた
グッドニュース社が人材広告マーケットでの採用媒体代理業が売上の殆どを
締めているという懸念点(代理業だけでなく自社が直接人材マーケットへ
何かしらの直接アプローチが出来ないか?)を何処かで払拭したいという思いを
お持ちでした。その杉岡さんを、専門学校へのお役立ちをお考えだった先様へ
お連れしたかったというのが理由でした。
 
グッドニュース社の事業を展開しながら新しい事業構築、特に特殊マーケット
である専門学校に理解を得るのに相当の苦労もあったかと思いますが、
このプロジェクトをやりきる想いと業界へのお役立ちを確信して必死で
ここ数年取り組んでいらっしゃいました。頭が下がります。
 
★ミスター秀吉会と大峰山修行
日々自社事業に取り組む杉岡さんですが、周囲の事業家との関わりにも熱心で
いらっしゃいます。2つお伝えしたいのが、【秀吉会】と【大峰山修行】です。
 
・【秀吉会】について、これは先日ニュース・サイトのニューズピックスで
大きな話題となった【秘密の経営者団体】です。この団体で、杉岡さんは
【ミスター秀吉会】と呼ばれ会員増強と会員への叱咤激励を率先垂範されて
います(自身の経営環境が厳しくとも)。この秀吉会、ホームページもなく、
加入手段は紹介のみです。20年以上続く組織で、全員で守秘義務契約を巻き
ながら、会社の成長を会員全員で真剣に考え、秀吉会の名前のとおり
【天下一】を取るために全員が切磋琢磨する真剣な会組織です。
 
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営利な事務組織もなく、会員全員経営者で自主的に運営している素晴らしい
組織です。杉岡さんの御声掛けで私も今では特別顧問として不定期ながら
参加させていただいており、刺激を受けています。
 
・【大峰山修行】について、毎年海の日の祝日を利用して、女人禁制の
大峰山に修行として登っています。60名から70名が参加し、殆ど経営者および
そのお子さんが元気に修行に向かいます。水行や護摩焚きも経験しながら
霊験あらたかな大峰山へと参りますが、ここでも若手のリーダーの一人として
役回りに頑張っていらっしゃいます。自社のため、周りの経営者の為に頑張る
杉岡さんに今後もご一緒できればと思っています。
 
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最後に私との思い出と今後の抱負を杉岡さんに語って頂きました。
『私が31、32歳の時、関西若手の会の中心メンバーと一緒にお好み焼きを
食べに連れていっていただいたのが杉浦さんとの最初の出会いだったと
思います。本物の経営者と数多く接してこられた杉浦さんからいただいた助言の
一つひとつがあったからこそ、これまで経営を続けてこられたのだと思います。
 
求人広告代理店の仕事が、景気に左右されやすく、知識集約ではなく
労働集約であることに悩んでいた時に、プラットフォームビジネスを作る
きっかけになればと専門学校との繋がりを作ってくださいました。
簡単ではありませんでしたが、何とか5年をかけて土台をつくることが
できました。これからは、杉浦さんから頂いたご縁で繋がった仲間とともに
売上100億を目指します。秀吉会有志と、「御堂筋に杉浦さんの銅像を」
という約束もしていますので楽しみにしていてください。
引き続き、よろしくお願いします。』
 
 
※このコーナーは、お世話になっている、
ブレイン・サプライ社が毎月発行している【ブレイン・サプライ通信】に、
私が日々の出会いの中で、仲良くして頂いております、
企業様、経営者様について話題をお伝えするコーナーである
【今月の縁結び】と連動している企画です。
内容に若干不明な場面もあるかもしれませんが、ご容赦下さい。

ご縁結びのコーナー第41回 ナカザワ建販株式会社 代表取締役社長 中澤 秀紀様

2018年06月15日

★いつもこの溢れ出るような笑顔はどこから?と思う、
ナカザワ建販の中澤さん!
年令だけで申しますと若干36才の中澤さん。しかし実力を伴って今回、
グループ人数が500名近く、売上も200数十億円のナカザワ建販グループの
代表取締役に4月に就任されました。その素敵な笑顔を常に保っていらっしゃる
理由、経営に向かう心持ち、今後の抱負についてお話を伺いました。
 
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★中澤さんとの出会い
このコーナーで昨年の12月に掲載した株式会社Warrantytechnology社
いらっしゃる松原さんから是非ご紹介したいです!とお話を頂き、
2015年の秋頃に初めてお会いさせて頂きました。そこからあっという間に
仲良くしてくださり、現在に至る感じ。
 
当時は副社長として会社を引っ張っていらっしゃいました。
その際から、いつもニコニコされていて、私も自然にニコニコとなります。
当初は、子会社のエニワン株式会社の事業拡大に伴うお話について
お聞きしておりました、そこからグループ全体に広がる大きなお話を
いつもお聞かせ頂いています。
 
★名うての経営コンサルティング会社社長も冷や汗に
一度、中澤さんに東京の経営コンサルティング会社社長にお会い頂いた
ことがあります。この経営コンサルティング会社は、最近全国的に
鳴り物入りで売り出し中の会社さんで、たまたまのご縁で、同社社長に
中澤さんのお話をしましたら是非ご紹介頂きたいという話になり、
ちょうど東京にご出張中の中澤さんと一緒に訪問することとなりました。
 
面談の出だし、コンサルティング会社社長は、自社の強み~コンサルティングの
必要性を意気揚々と語っていらっしゃいました。そこから同社の必要性を
理解して頂き、クロージングに持っていこうということで、経営課題について
『御社はこんな事に陥っていませんか?』『こんな課題はありませんか?』という
問いを立てるのですが、ことごとく『困っていません』とか『解決済みです』
という力強いお返事。ついには相手社長さん、『弊社ではお役に立てそうに
ありません』と冷や汗びっしょりで小さな声で話すに留まりました。
 
この情景をじっくり拝見していて、中澤さんの経営への真摯な取組度合いの
真剣さ、深い考え、実践力を感じた次第です。まさに経営に年令は関係ない、
【姿勢】の大事さを感じ入りました。
なにか笑顔の裏側を拝見できた気がしております。
 
★中澤さんが常に笑顔なワケ
中澤さんの学生時代の頃やご家族のことについてお聞きしました。
中澤さんは1982年3月生まれで、2歳下に弟さんがいらっしゃいます。
ナカザワ建販さんはその1年前に創業されています。お父様は創業者であり、
現在会長である伸文さん。
 
創業、起業の理由を伺いますと、当時お勤めだった会社で売上を何倍にも
されたご実績があり、しかし、ご自分の待遇は良かったものの、周りの社員、
同僚にはあまり反映されず、希望通りに社員数も増えなかったそうです。
そこで、自分の思い描く会社にしたいということで、独立起業をされました。
しかし、以前の会社のお客様に手を付け新会社に持っていくことは一切無く、
一から事業を起こされました。
 
そこから、仕事人間を貫いて来られた伸文さん。
中澤さんの記憶にも家族旅行等一緒に行った思い出は何もないそうです。
まさに背中を見て育つということですね。お父様は、家では全く仕事のことは
語らない方だったそうです。その姿勢を見て育った中澤さんが、小学校4年生の
時の作文に将来の夢として【社長になりたい】と書いていらっしゃった
ということを最近お母様から伺ったそうで、何か、目して語らず以心伝心の
経営者家族だと感じました。
 
小さな頃からワクワク感ある子どもさんであり、片意地を張ること無く育って
今もそのままであるという印象です。スポーツのお話を伺うと、
『ソフトボールを小学校の時にやっていました。しかし当時の文章を
見ていると、かけっこは毎年のようにビリ、ソフトボールでピッチャーの際は
ボールが遅すぎて相手が打てない感じでした(笑)。』
 
命の大切さを学べたこともあったそうで、『中学では野球部に入部して
いました。そこではヤンキー率の高いクラブで、練習よりは、シゴキ、
体罰の日々。そんな時に、クラブで練習中に、メンバーの大怪我を
目の当たりにした際に、命の大切さ、今あることへの感謝の念を学びました』
と話されています。
 
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高校に入学後はクラブ活動はせず、ひたすらアルバイト活動に没頭していた
そうです。それが【スーパー内の魚屋さん】。ここで魚を二枚、三枚に
おろすことをただひたすらやっていたそうです。その後大学入学の際に、
全く違うスーパーにバイトで入り、『魚屋以外で』とお願いするも、
高校時代のバイトの話をすると、必然的にまた魚屋へスカウトされ
配属されたそうです。
 
またそちらで2年間ひたすら魚を捌き続け、この時に、如何に効率を上げるか、
限られた時間内で高い生産性を保つか、ということに集中し、早いスピードで
仕事に向き合うことが楽しいと思える自分がいたそうです。この感覚はまさに
経営者の素養がある点であり、今に通じているように思います。
そのお陰で魚屋さんから就職のラブコールが当初からあったそうです。
 
その頃に、お父様から会社を見に来たら?ということで話があり、
大学3年からはアルバイトとして、現場の仕事、特に重い木材の搬入を
していたそうで、この時会社として取り組んでいたのが【マナー配送】。
現場の職人さんとのコミュニケーション、周辺の家庭への気配り、
そういう気遣いある会社の一員として、魚屋にいた時と同様に、徹底的に
効率化、スピード化を追求しながら、仕事に惚れ込み、のめり込んで
いらっしゃいました。
 
その状況下で、お父様からの会社への入社要請についてお聞きしますと、
笑顔で『全く無かったですね!』と返事が返ってきました。ご自身で探して
入社したのが個人向けの訪問営業で、1日200件飛び込みでリフォームの勧誘を
する仕事でした。どれくらい厳しかったかと言うと、初日から退職する新卒が
続出し、7日間で半分が退職したほどでした。
 
その厳しい環境で中澤さんは頑張り続けましたが、3ヶ月で流石に疲れ果て
転職の道を選び、ご実家には戻らずに、お父様の勧めで地盤調査の会社に
入社しました。ここでは法人向けの営業が主体だった為、前職の個人向けの
訪販営業とは違い、まず担当者に会うことができる。アポが簡単。
ということで、持ち前の明るさで1日30社ほどに飛び込んでいらっしゃった
そうです。
 
3ヶ月経過した後に、CADソフトの販売を手がけることになり、そこから
努力の結果短期間で50台分を販売した後、住宅事業で注文住宅の仕事に
携わることとなりました。地盤、キャドソフト、住宅事業と、短期間ながら
集中して取り組み経験を積みながら、0から1を創り出す厳しさや、上司の
会社やチームに対する影響度を学ぶことができたと話されます。
 
その後、ちょうど大学を卒業して3年で、お父様から会社に戻ってこいとの
声が掛かり、ナカザワ建販さんに25歳で入社しました。仕事への真剣さ、
熱意、仕事から楽しむこと、学ぶことを、小さな時から身につけて今に至って
いらっしゃること、これがこの笑顔を生んでいるのだと感じました。
 
★ナカザワ建販さんの強み。本業とのシナジー。
システム会社~多様なグループ会社
同社の経営理念、【未来を見つめ、新しい価値を創造し、幸せな家族、
豊かな社会の実現に貢献する】が大好きだと仰る中澤さん。
経営使命には【住生活環境の向上とお役立ち活気あふれる職場環境
づくり】とこの2軸。
 
今後を見据えた事業展開、ナカザワ建販の強みはたくさんある中で、
私は、取扱商材の多様性もさることながら、1同業他社でやりたがらない
配送事業の内製化とマナー配送。2将来自社工場にて新技術にすぐに対応
出来るように【加工力】を磨いているところ。3本業とのシナジーを生む
子会社事業。エニワン社はシステムの開発から16年間、のべ2300社の中小の
工務店経営にお役に立っています。本体のナカザワ建販は近畿地方中心、
エニワン社は全国に展開しています。その他には24時間駆けつけサービスを
運営しているクオデザイン社、新築増改築から公共建築まで手広く対応される
レビック株式会社等があります。
 
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これからも新規事業に果敢に挑戦され、グループ会社も多数設立し、
グループ売上を今の倍以上にし、多くの社長を排出される予定で、
常に笑顔とワクワク感を忘れずに、理念を大事にしながらチャレンジしていく
おつもりです。私もご一緒したいと思います。
 
 
※このコーナーは、お世話になっている、
ブレイン・サプライ社が毎月発行している【ブレイン・サプライ通信】に、
私が日々の出会いの中で、仲良くして頂いております、
企業様、経営者様について話題をお伝えするコーナーである
【今月の縁結び】と連動している企画です。
内容に若干不明な場面もあるかもしれませんが、ご容赦下さい。

ご縁結びのコーナー第40回 Animo株式会社 代表取締役 橋本典子 様

2018年05月16日

★2016年2月に設立の会社が2年で100名を超える大所帯に!
橋本さんが引っ張る同社のHPには私も掲載頂いております。
同社への想いを私も真剣に考え橋本さんにお伝えしましたら、
その文面をそのまま掲載頂いた次第です。まずは、その内容を
下記にお伝えさせてください。
 
☆Animoグループを応援して下さっているみなさまへ
代表の橋本さんと最初出会った際、『なんでこんなに笑顔が良いんだろう』
と感じたことを思い出します。Animoの語源から頑張ろう!とか頑張れ!の意味も
クローズアップされますが、【元気を出して!】とか【テンションを上げて!】
という意味もあるそうです。まさにこちらの意味のほうが、橋本さんには
しっくり来る感じの出会いでした。
 
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その元気の先には、社会課題の解決、社会的意義の追求である、
女性が「働くことへの喜び、生き生きと働ける環境づくり」があり、
そのアツい想いに激しく共感したことも常に新鮮感ある想い出として
記憶しております。母であり、妻であり、働く女性、そして会社経営へと
大きくチャレンジされる姿に感動し、母性愛に包まれた【心を尽くす
ココロを贈る】の企業理念に賛同し、微力ながら一助となれますように、
グループメンバー全員と一緒に【元気を出して!】世話人として
活動してまいります。
 
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と私自身もなにかコミットしてお役に立てたらと思い、日々お会いしている
橋本さんについて今月はお伝えしたいと思います。
冒頭の通り、まだ起業、会社設立して、2年が経過したところ、
5名でスタートした会社が2年後の今年2月には23倍の116名に、
急成長されている理由、これからの事業展開についてまでお話を伺いました。
 
 
★父を追いかけた起業家人生への道その1
1週間で10個のお稽古ごとを習わせてもらっていました!と明るく
お答え頂きました。そこにビックリ、土日も無い中での習慣化により、
現在休みなく働いても、3日徹夜しても仕事と向き合えるようにも
思いました。それにしても10の習い事は凄いですね。
そこで手を抜くのではなく、書道は師範の腕前、テニスはインターハイの
常連、県の代表という栄誉の中で頑張ったそうです。
 
ご本人も今の軸になっているのはこのお稽古ごとで鍛えられたマインド、
そして必ず達成すること、過密なスケジュール感を楽しめる、
ビジョンの持ち方に多大な影響があると仰っています。このお稽古ごとは
3歳からスタート、水泳、ピアノ、塾他に通い過密なスケジュールにも
全くしんどいなどの泣き言は言わなかったそうで、その原因はお父さんの
影響であると橋本さんは話します。
 
そのお父さんは不慮の事故で橋本さんが14歳でお亡くなりになったそうで
(お父さんは当時42才)、そのお葬式に1000名を超える方々が
弔問におこしになったこと、その原体験が今の橋本さんの生き方に
大いに影響していると感じ入りました。折角の人生、もったいない
生き方でなく、お父さんの様に周りの皆さんから忍ばれるような
生き方にしたいものです。
 
その橋本さんのお父さんですが、東大阪のネジ工場の経営者の子息として
生を受け、所謂、ボンボンとして育ったそうです。橋本さんから見ると
御祖母さん(お父さんのお母さん)の言うままの人生だったそうで、
大学までの学校も言いなりに。その大学生時代にお父さんが体験された
初めてのバイトが家庭教師。そのたまたまの生徒さんが余命半年のお子さん。
そしてその死を迎えた際に達成感の無い、やるせなさ、心にずっと
引っかかりながらも、お母さんの言われるがままに実家のネジ工場に入社。
 
しかし待ち受けたのが工場の爆発事故、この事故の影響で家業を
畳むことになったそうです。そこからお父さんは、前述の初アルバイトの
家庭教師での出来事を晴らすため、大学に再度入学、教員免許を取得し、
塾の講師となり校長として参画したのが33、4才の頃だそうです。
そこで教育の大事さ、本気でお子さん達に向き合い熱心に学問を教える
熱血漢溢れる講師として頑張った先の突然の死と繋がります。
生徒さん達から圧倒的な師事の結果が弔問1000人に繋がりますね。
 
お父さんが背中で見せた、教育の大事さ、10個のお稽古ごとの経験からも、
人生における【機会提供の大切さ】が橋本さんには知らないうちに
刷り込まれている様に感じます。橋本さんご自身の起業のタイミングの年令が
丁度お父さんと重なることもまさに運命のように感じ入ります。
ちなみに橋本さんの弟さんもお父さんに習い塾の先生から
現在会社メンバーとなり参画しています。
 
 
★父を追いかけた起業家人生への道その2
お父さんの死と向き合えない時期が思春期の最中で、テニスに没頭している
輝かしい選手人生でしたが、手首が悲鳴をあげるほど酷使し、手術をする
ほどになってしまいました。結果、テニスは引退。
そこから救急救命士を目指すことになりました。その頃付き合っていた
今のご主人と20歳で学生結婚し、21歳で長女に恵まれながら勉学は続行、
22歳で見事救急救命士の資格を取得、お子さんを育てながら仕事をするも
24歳で次女をご出産。
 
この頃、大きく降り掛かっていたのが、あることでの【借金】。
多額の借金を返済するのに、お子さんを育てながら、橋本さんは1日3つの
アルバイトを掛け持ちしていたそうです。朝8時~お昼頃まで近所のガソリン
スタンドでアルバイト、14時~16時まで、スイミングスクールでコーチとなり
(昔のお稽古ごとで培った力ですね)、夕方帰宅してご飯を作る、
そこから救急救命士の学校に夜行き(資格取得前)、学校が終わってから
夜の12時~朝方まで近所のファミレスで働いていたそうです。
 
まさに寝る間も無かったわけですが、橋本さんは、『アルバイトの合間で
寝ていました!私は目標が出来るとリミッターが外れるタイプなんです!』と
笑顔で答えて頂きました。正社員として働く環境の難しさもありながら、
悲壮感を跳ね返すのもこの笑顔があればこそですね。27歳でその借金返済と
同時にお子さんお二人のダブル受験を経験、ここでも機会提供をするために
私学へ(本当に頭が下がります)。
 
28歳で3人目のご出産、自宅を購入、30才でご主人が会社設立、ご自分は
3人のお子さんの子育てと向き合い、働きに出ていくことの出来ない環境下で
『なにか出来ないか?』、人とのご縁の中で『こんな事できない?』と模索した
結果出会ったのが竹細工。
 
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竹細工なら自宅で出来る!と思う一心で、そこから独学で、電動ドリルを
片手に、竹の性質も全く分からない中で、毎日毎日1年間竹に穴を空け加工を
し続けたそうです。その結果1年後にはその竹細工(竹を使った灯の細工)職人
として、有名な全国チェーンの花店からも受注するくらいの本格的なお仕事に
なったそうです。
 
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ご主人の起業がうまくいかなかった中、このお仕事で家族全員を養うという
状況だったそうです。この竹細工は、関西国際空港、有名ホテル、行政の
イベントでも活用されるほどになっています。働きに行けない中で
なにが自分に出来るかを探求したことがこの成功に繋がったと感じます。
 
 
★周りのお母さん世代の悩みを聞いての起業へ
運があるとか強いとか言われる橋本さんですが、ご自身ではどうですか?と
尋ねてみますと、『機会とどう向き合うか、その数が沢山あることだと
思っています。好き嫌いが多い中でこの厳しい状況に追い込まれたからこそ
うまくいったと思います、しんどい時もチャンスだと思える自分なんです』
まさに全ての経験は無駄にならない。と思う次第です。
 
このような忙しい、厳しい環境を過ごしてきた20代、周りの同世代の
お母さん友達からも慕われる橋本さん、いろんな悩み事相談も寄せられる
そうです。しかも何時でも、夜中でも対応するそうです。ほんとうに
心が広い方だと思います。相談事から見えてくるのが、現代社会の問題点、
シングルマザーの貧困問題、働き方改革とは縁遠い家庭環境、仕事に行けない、
子供さんを預けられない、教育機会の少なさ、様々な相談を聞いているうちに
次に向かったのが起業、そしてこの数多ある社会課題の一つ一つを解決する
事業を行うこと。
 
それが、冒頭のAnimo社への私のコメントに繋がるものでした。
同社の企業理念【心を尽くすココロを贈る】ことに世の中のお母さん、
お子さんたちへの教育機会提供を目標に各事業を運営されています。
 
 
★女性が輝くステージを提供し続ける事を喜び、目標として
Animo社の事業概要について触れておきます。
 
・派遣事業→お子さんを持つお母さんにある最初の壁である【社会復帰】。
そこからの【キャリアアップ】。まずは働きやすいお仕事の提供が出来る
ように、企業側には働くお母さんの多様な働き方を啓蒙していくこと、
そこにキャリアコンサルタントによるフォローをキチンと入れていく。
お母さんたちの復帰を支援することは大切ですね。
 
・ビジネスマナースクール→働くことの前に、【学ぶ】ことの方が大切な
お母さんたちも多いという気付きから【社会復帰をスムーズにするための
教育】。ビジネスに関わる講師陣を短期間で集めて来られたのも橋本さんの
想いに共感する女性が多いからこそだと思います。
 
・保育事業→働く場所が決まっても、お子さんを預けるところが無ければ
働けない。そこで自社ではじめた保育園。学びの場所にも、働く場所にも、
双方にあれば安心してお母さんたちは社会へ復帰できるはずとこの事業を
展開されています。ことしの3月で24の保育園が展開されることに。
どえらいスピードでの展開です。
 
・保育運営委託事業→内閣府の認定保育園である【企業主導型保育園】の
運営を受託していくもの、国としても急務であり、設立・運営に関しての
助成も大きく、この制度と企業を結びつけることで大きく事業を進展
されています。
 
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この様に、お母さんの【悩み】を事業にし、課題を解決されている橋本さん、
今後の夢、目標について伺いました。
『今後、未来を担う次世代の子どもたちが夢みられる社会を創っていきたいと
思います。そのために大人も夢を持ち、叶えられる社会になることが大切です。
行政では時間のかかる変革も私たち民間で創り上げることが可能です。
女性活躍を応援する企業と手を取り合い、企業が運営する保育園を日本中に
作り、自宅近くの保育園に安心して預けられる環境を構築していきます。
また、アニモは社会復帰を目指すお母さんの力強い存在であり続け、働き方
改革も、働くことの楽しさも、未来を愛することも、自社で率先して取り組み、
次世代の子どもたちに未来を創造し、ワクワクする大人の姿を見せ続けて
いきたいと思います。』
 
大きな夢、計画でありながらも、逆境をも素敵な笑顔とチャレンジ精神で
跳ね返して、【お母さんの悩み解決・お子さんへの機会提供】で明るい未来に
役立つ企業経営者になられると確信しています。
 
 
※このコーナーは、お世話になっている、
ブレイン・サプライ社が毎月発行している【ブレイン・サプライ通信】に、
私が日々の出会いの中で、仲良くして頂いております、
企業様、経営者様について話題をお伝えするコーナーである
【今月の縁結び】と連動している企画です。
内容に若干不明な場面もあるかもしれませんが、ご容赦下さい。

ご縁結びのコーナー第39回 ときまたぎホールディングス株式会社 代表者 土井新悟 様

2018年04月19日

★日本のみならず世界ともつながっていく
本日の土井さんとは、まだ5年弱のお付き合い。しかし、期間は短いものの
幅広い視野で新規事業、グループ企業を構築される中で仲良くして
くださっています。控えめであり、ご自身からリクエストの少ない中でも、
早い段階から私の支援を申し出てくださった恩人でもあります。
ここ最近は大阪近隣だけでなく、東京、海外にも事業構築の繋がりが広がり
まさに地球規模、世界と繋がって行かれるお話をお伺いして参りました。
 
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★小学生から天才的な商売の才覚
土井さんとお話していて、ご自身の経歴の説明の中で、【職人さん】と
話される場面に何度か遭遇したことがあります。この【さん】にいろんな
意味を感じる次第です。その仕事があったから今の事業家の姿があり、
現場を支える【職人さん】への敬意の気持ちが【さん】となって
現れていると感じます。
その土井さんの小学生時代、既に稼業を支える才覚があったそうです。
土井さんのご実家は【街の電気屋さん】その仕事への真剣な姿勢を見せる
お父さんに憧れ、尊敬し、いつしかお父さんの様な仕事がしたいと
思いながら育っていかれたそうです。
 
お客さん本位のお父さんの仕事ぶりをお聞きすると、冷蔵庫を設置する際、
古い冷蔵庫を撤去後、その周辺の壁・床等々を綺麗に雑巾掛け〜掃除を
徹底的にするのは当たり前、お客さんの自宅に上がれば視界の届く範囲で、
家電製品の型式〜製造年を記憶して、一歩外に出た瞬間に細かくメモをして、
次の買い替えニーズを把握するマメな仕事人間だったそうです。
そのメモを見返し、適度な時期にお客さんに声掛けすることで
買い替え需要・修理ニーズを引き出して売上を上げるという仕事ぶり。
そのお父さんの姿勢をいつしか見習おうと土井さんは思ったそうです。
 
ただ他方絶対真似してはいけないこと、それはお父さんが集金ベタだったこと。
気前が良い方で、今お金が無いというお客さんには無期限で待っていたそうで、
家計は厳しい状況。そこからの脱出だけを考えるようになっていったそうです。
小学校時代のエピソードには、9才くらいからお店の手伝いをしていたそうで、
ある年の年末、お店で年末セールを手伝っていて、通りすがりのお客さんに
土井さんは大売り出しの声掛けをしている際に、『全く振り向いてくれない、
通りすがりの人達を相手にするくらいなら訪問販売をした方が良いのでは?』と
お父さんに提案したそうです。
 
そこからトラックに蛍光灯を載せ、1軒1軒売り歩いたそうです。
その際、前述のお父さんの徹底した仕事ぶりを取り入れ、単に蛍光灯を販売
するのではなく、取り替え〜照明器具の掃除つきで対応すると、瞬く間に
近所で評判になりかなりの売上貢献になったそうです。
そんな才覚溢れた行動からか、中学2年には、自身の仕事の青写真、計画表も
策定し、その時点でお父さんの電気屋さんを引き継ぐために高校卒業後は
3年で【修行】を終え実家お店の手伝いをすると決めたそうです。
中々ここまで計画を決めての行動力には頭が下がります。
 
★徹底的に仕事で経験、実践先輩経営者からの学び
中学2年に策定した計画表に従い、高校卒業後の就職時、『3年で辞めますが
雇って貰えますか?』と一番最初に質問をして採用してくださった電気工事
会社へ就職。30名ほどの会社、東京、名古屋、大阪と手広く事業を行っている
会社だったそうです。入社後すぐに朝一番で出社、お茶出し〜掃除を行うこと、
先輩や上司から言われることなく自分は見習いだから何も出来ない
今出来ることを考え自発的にやっていたそうで、そこを見ていた社長さんから、
すぐに鍵を預けられる【信用】を得ていたそうです。
 
そこから社長に新聞、本を借りたり読み方を教えてもらったりと社会人として
必要な勉強も教わりながら、とにかく3年で一人前になることがマストであった
ことから、盆と正月以外は休まず、朝6時30分に出社〜夜1時、2時までは仕事
に没頭されていたそうです。昼間は現場仕事、会社に帰って積算、設計、
独り立ちしても大丈夫なこと全てを手間の掛かることを敢えて選んで
やっていたそうです。頭が下がります。
 
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この仕事ぶりから、3年で辞める事が許されず、3年半で退職、この就労期間でも
退職金を社長さんから頂いたそうです、これもスゴイお話ですね。
この時期、家電量販店の出店ラッシュの頃、ご実家の手伝いの計画は白紙にし、
電気工事業の道を選択、当時では珍しい業務委託を辞めた会社から受ける
カタチで独立自営の道を歩むことになったそうです。
 
★事業の拡大〜変遷
1999年に一人でスタート、半年で有限会社設立(土井電業)、当社は寝屋川にて
間借り(ジェットスキーのショプの空きスペース)、広さは3畳ほどだった
そうです。熱心な仕事ぶりで顧客から支持を受け、2年目で2名に、
4年目で4名、3年目で大東市の倉庫兼事務所に移転。2005年には8名に、手狭に
なってきたこと、人材採用強化もあり、2006年に現在の大阪市都島区へ移転。
当時【家賃の出世払い】を大家さんが良い人で対応くださり、相当の安価に
入居させてもらったそうです。現在はその家賃も当時の倍ほどになっている
そうで、まさに出世された証ですね。
 
2018年3月現在、グループをまとめる、【ときまたぎホールディングス
株式会社】その傘下に、8社。
起業した際の電気工事業を行っている【株式会社土井電業】、電気工事から
派生し、通信分野に事業を見い出し、セキュリティ、省エネ、住設機器まで
幅広く取り扱う【株式会社プロック】、工事業全体を視野に入れた際に、
隣接業種である建築、不動産、リフォームこちらを主たる事業として
【株式会社築拓(チクタク)】、土井さんが電気工事業でバリバリ働いている際に
自分が仕入れる電設資材を地方の同業者に販売すると喜ばれるようなサイトを
創るのはどうか?と思い立ち電気工事業者向け専門サイトのスタートから
事業化・法人化した【株式会社fuel】、元々グループバックヤードである
経理面、経営サポートを行うことで取引がスタート、そこからグループに
参画した【パーカーズ・ピース株式会社】、経営者仲間のご紹介で知り合った
当時18歳の起業家、岩倉さん、彼が和歌山でWebデザイン〜ブランディング
の事業で起業する際に応援するカタチでグールプにジョインへ。
 
土井さんがお会いした頃からご実家(和歌山県三尾川(ミトガワ))の農業の
再興事業にも。
2016年9月に週の5日間は和歌山に住み本気で農業・地元に向き合い
地域に根ざし、恐ろしいくらいに草木が生い茂っていた元田畑を見事に復興、
竹でハウスを建て、有機野菜の栽培、今ではオーガニックのバラを数千本まで
栽培するレベルにまで事業化されています。この主体を地域の方言から
【株式会社あがらと(自分たちとの意味→主体的に、自立へ)】を設立、
このあがらとが生産するバラをオーガニックの本場であるフランスで勝負する
ために最近フランスに会社設立するところまで展開が多岐に渡ります。
 
★200社の企業群を目指して
電気工事業からスタートしてその近隣業種に展開をしていく連続性を感じます。
また事業と直接関係の無いように見えますが、経営サポート、同業他社への
通販事業、Webデザイン、農業、海外へと非連続のようで、グループを統括する
ホールディングスの視点で俯瞰すると全てが繋がりのある事業として映ります。
それが創造的発展系として大きな絵を土井さんは描いています。
2045年には1社あたりの平均売上を10億円に想定し、
200社を設立・グループ化し2000億の企業群を創っていこうとされています。
そうすることでときまたぎグループのコミュニティが世界各地の
文化を融合していくイメージをお持ちです。楽しみですね。
 
★メンバーと未来をド真剣に考える
この短期間でのグループの拡大を土井さん自身が一人で考え引っ張るのでは
なく、2013年に会社の主要メンバーで毎晩遅くまで自分たちの在り方、
会社の在り方、視野を広げ日本、地球、人類レベルでどうあれば良いのか
という大きなテーマで延々と対話を繰り返したそうです。一企業の枠組みを
遥かに超えたところに敬服します。
そして、作り上げたプロジェクト名が【ときまたぎ】その名前を冠にホール
ディングスを設立【ときまたぎグループ】となりました。時空、時代、
エリアを超えて。
 
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その想いがHPにも掲げていらっしゃいます。
『私たちときまたぎグループは、大自然と人とのより良い調和のかたちを
第一に考え、効率的な自然エネルギー循環モデルの開発及び普及と、自然の
大切さを学び合う共育活動の実践を行なうグループ企業です。地球全体の
『いのちの循環』に寄り添う事業を展開し、未来型の自然と人との共生の
あり方、地球に生まれた企業としての役割を、みなさまとともに追求して
まいります。』
この大きな命題をクリアにしていく一歩一歩が確実に実現する領域になって
いかれているところも興味深いです。
 
具体的には、
・カンボジアや土井さんの地元和歌山での水車プロジェクト、元々昭和の
初期までは地元に根付いた電力会社が全国にあり水車で発電していたそうです。
今でも当時の疎水、水路が残っていたりするそうでその復活で、エネルギーの
地産に取り組もうとされています。
 
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・地消にも取り組むプロジェクトとしても、電気エネルギーを効率よく
(都合よく?)遠くに運ぶための仕組みが現在の交流。しかしパソコン、
スマートフォン〜多くの家電製品は直流ですね。
その結果、交流→直流に変換する熱を帯びたトランスが世界中に溢れること。
その為にも水車で発電した直流エネルギーをその場で直流として活用する。
その実験も進めて行こうとされています。もしもの話ですが、直流が世界中の
当たり前になった瞬感、大きな発電所は不要な世界観へ。壮大です。
 
・新しい発電システムの考案、土井さんがふと思いついたこと、特許出願前
ですので詳細は残念ながらお伝えできませんが、世界がアッと驚く発明品が
出来るかもしれません。これが出来ると送電の仕組みから全てが変化する
新しいことに。既に某大学での結果も出ており、数年後に発表されることが
楽しみです。
 
・ハンモックチェアの制作、今までに無かった発想でのオフィス家具を製作に
動いています。もうすぐこれもお披露目に。仕事が楽しくなる、身体にも
優しい椅子の登場です。
 
上記以外にも、今まで誰も見たことも聞いたこともない、商品、食品、製品、
サービスが生み出されようとしています。本当に楽しみですね。
これも同社の【想い】から全てが考動→実行・実践へ繋がっていると感じます。
最後にその想いをお伝えし、土井さんの活動を楽しみに応援していきたいと
思います。
 
【『持続可能な社会の実現』が至上命題となっています。近代化のなかで
物質的な豊かさを追求するあまり、人間は地球規模の深刻な問題を生み出して
きました。例えば環境破壊の問題。これまでの社会では、自然環境を軽視した
過剰な開発や消費が行われてきました。しかし、今取り組むべきことは
そういった過去への批判ではなく、よりポジティブかつ具体的な未来への
アクションなのではないでしょうか。
私たちは個人や組織としての利益を再優先するのではなく、大自然と人類の
叡智の協働によって永続的に発展する社会を、みなさまと共創するために
事業を展開します。】
 
 
※このコーナーは、お世話になっている、
ブレイン・サプライ社が毎月発行している【ブレイン・サプライ通信】に、
私が日々の出会いの中で、仲良くして頂いております、
企業様、経営者様について話題をお伝えするコーナーである
【今月の縁結び】と連動している企画です。
内容に若干不明な場面もあるかもしれませんが、ご容赦下さい。

ご縁結びのコーナー第38回 株式会社mannaka 代表取締役 柴田 雄平 様

2018年03月17日

★なんか親子みたいな感じですね〜
 
仲良し親子みたいな感じに見えますね〜ってよくお声を頂きます。
年の差22才。いつも元気なしばたさん(ひらがながしっくりくる感じ)
について今月はお伝えしたいと思います。
 
元々は同い年の起業家仲間の虎石さん(このコーナー、昨年の10月に
ご出演「ご縁結びのコーナー第33回 株式会社C-mind 代表取締役
虎石 克 様」
)から『杉浦さんに是非紹介したいアツい友人がいます!』と
ご紹介を頂きました。
 
そこからまだ2年と4ヶ月!実際4~5年じゃなかった?
と思えるくらいのお付き合い。年数じゃないですね。
楽しい時間をしばたさんからは頂いています。
 
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お会いした時の印象ですが、【元気の塊(かたまり)】って感じ、
それと【大きな夢】を語り、しかも【実行力・現実化】することに
長けている事がお話を伺いすぐに感じました。周りにも素直、
そして自分にも素直に生きている、活き活き感満載の若手起業家
という感じでした。
 
 
★知らなかった起業までの道筋
 
お会いしてからは、【今】と【未来】について話すことばかりで、
今回初めてしばたさんの【過去】についてお話を伺いました。
『俺ってサッカー1本だったんすよ〜』とまずビックリ。
 
元気が溢れ出るしばたさんですが、スポーツ系の話を今まで聞いたことが
ありませんでした。中学、高校とサッカー一筋、埼玉県の代表も常連で、
得点王の経験も。ご自身も周囲も、高校卒業後はプロサッカー選手への道を
歩むこと以外は疑う余地の無い進路。しかし卒業2ヶ月前にプロチーム
入団前のメディカルチェックでまさかのアウト。入団できない事が確定、
サッカーも続けられないことから、大学への道もなにも無いと。
 
しかし全く落胆することなく、すぐに次の世界へと料理人を目指すために
専門学校へ。ここでも手を抜かずに腕前を上げて、卒業、就職したのが、
当時、某国大統領までが食事に来るような高級フレンチのお店で働くことに。
 
ここで仕事にのめり込み毎日休みなく、朝5時~夜25時までお店に
20時間!いる状態。行き帰り自転車で1時間、睡眠時間3時間無い状況で
頑張っていたそうです。いかに一所懸命でも体力的にもキツく、
約半年でこのお店を辞めることに。ただ辞めるだけではないのが
しばたさん流、辞めた後なにをするか?なにができるか?を念頭に
またチャレンジングな行動に1歩を踏み出します。
 
海外に行って、ヨーロッパの家庭料理を学んで日本に持って帰って
仕事に活かしたい。お金がなくてもなんとかなるだろう。
と当時手元の50万円で飛行機に乗ったそうです。野宿、馬小屋、ワイナリー、
移動はヒッチハイクと場所を転々としながら、旅行を継続、訪ねた場所で
子どもたちがサッカーに興じているところに一緒になってサッカーを
やっていると、子どもたちの人気者に。
 
その気に乗じて、『俺料理上手なんだよ、美味しい料理作るよ〜』と話すと、
その子どもたちの家庭に招き入れられ料理を作って振る舞う。
そうすればその街で評判になり家々に招き入れられ料理を作ったり
サッカーを教えたりしている内に、その家庭の味にも触れることにも、
ヨーロッパの家庭料理を学ぶ良い経験にもなったそうです。
 
また旅先でさまざまな家庭に触れていく内に、【家庭(家族)を大事に
している】、【遊び(趣味・余暇)】も大事に】、【自分の仕事にプライドを
持つこと】、【個性の大事さ、価値観の違いも大事】と日本人の社会、
会社生活だと学ぶことのない大事なことを体感していったそうです。
飛行機代込で50万ながらの貧乏旅行。半年後にお金が無くなり帰国することに
なったそうですが心豊かな素晴らしい旅として経験をお土産に日本でまた
新しいチャレンジをすることに。
 
帰国後1年間は料理人としてお店に立ち、気付けば副料理長に。
飲食店の経営を学びたいと転職し、店舗の新規出店の企画、そして日々の
運営に携わるようになっていき、お店の【経営】の楽しさを学んでいった
そうです。24歳のときには個人では出店できないようなプロジェクトを
完全に会社から任せてもらい、大きく計画と上振れする実績を創って
いったそうです。素晴らしいですね。
 
その場に留まることに満足しないしばたさん、次にはマーケティングの勉強を
始めます。本人曰く朝から夕方まで飲食店の経営、夜からマーケティング、
マーケッターとしての仕事に没頭、ここでも仕事人間として、双方実績を
残しながら。マーケッターとしては、大手コンビニが出し大ヒットとなった、
ロールケーキの商品開発からマーケティングの仕事に携わり、【企画】する
ことの面白さを学んだそうです。まさにしばたプロデューサーです。
 
その店舗運営~マーケティングを実践で学び、実績を創って行きながら、
飲食店10店舗の出店から運営、27歳には念願の六本木ヒルズへも
出店を果たし、その実績を全てお世話になった会社に置いていき、
自身で独立の道を選択することに。
 
 
★美味しい食事とお酒に感謝と乾杯
 
以前は毎月のように、しばたさんと私で開催していた【夜会】、最近は
2ヶ月に一度門前仲町のしばたさんのお店で行っています。
そのお店がこちらの【おはしキッチン】です。
 
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このお店ではいつも貸切で。ここで多くの起業家、フリーランス、各企業の
プロフェッショナルな人等々の皆さんと交流をさせていただいています。
まさにここがしばたさんが独立して最初に出店した1店舗目。
起業後すぐに2店舗を出すのはかなりリスキー、チャレンジング。
しかししばたさんは勝算ありと行動を興します。
 
そちらが、茅場町にある【煮炊きやおわん】です。
今ではランチ3回転半と難度の高いオリンピックの体操ワザと同様ウルトラ級に
入店が困難なお店になっています。
 
コンセプトとしては、繁盛料理店の宿命である、土日出勤がまず無いお店。
土日は休業、素人でも店舗運営が出来る体制づくり、そして重要なキチンとした
収入がある利益体質の経営。これをこのお店は当初から達成しています。
過酷な労働時間、給与体系の低さから人気が無い飲食業界を本当の意味で
盛り上げるしばたさん、想いの深さも感じます。
この飲食業態の会社が【onakasuita株式会社】
会社のネーミングも素敵です。
 
 
★リアル~マーケティングの世界で
 
飲食でも面白い経営を目指すしばたさんですが、出社する事務所もない
会社運営、まさにクラウド上に存在する会社をもう1社立ち上げています。
飲食業態の次に興したのが、株式会社mannakaです。
こちらもユニークな名前。
インターフェースの役割を行う、みんな(クライアント)の真ん中にいる会社で
あり続ける思いを社名に込めています。
 
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飲食会社で学んだ【企画力】、そこを世の中に提案していく会社です。
デジタル社会が進むに連れ、ホンモノが見え辛くなっている現代、大事な
【モノ】や【コト】の価値を見い出し、【温かみ】【優しさ】【感情】を
大切に、これからの時代に必要な、想いある【共創】【価値】を生み出す
会社を目指しています。
 
そして同社が大事にするワークスタイルにある【顧客を尊敬】、【仲間を
尊敬】、【個人を尊敬】、【繋がりのある人や企業を尊敬し、強固な
信頼関係を気づくことで最高の成果を生み出す】に私自身も共感し、
昨年末から参画させて頂くことになりました。
 
mannaka社では、マーケティング、web開発が主たる事業となっていますが、
私が面白いと思う一つに自社メディアを持っているところだと思います。
現在は5本のオウンドメディアを運営しており、こちらとクライアントとの
メディア連携も大きな力を生み出しています。
 
ケノコトについて「日常がもっと楽しく、もっと美味しくなるように、
きっかけになるコトを発信していきます。」とあり、ここでライフスタイルの
提案、ホンモノを見出す場所の提供役となっており、センスある女性、
お子さんが小さなお母さんから支持を得ています。
あのキュレーションメディアの事件があった頃、真面目に真剣に運営している
メディアの存在として日経新聞にも良い意味で記事化されたこともあります。
 
☆PILESGARAGEについて「ライフスタイルに合わせて、どこからでも選ばれる
杭のような人材へさまざまなところから欲しがられる人材になりたい人が集まる
プラットフォームです。」とあります。
実は私はここで、整備士として登場しています。
 
また記事としてもこちらで取り上げていただいています。
・年間1,000人以上の経営者に会う世話人 杉浦佳浩氏から見た
「社会に『欲しがられる経営者』とは?」
【前編】【後編】
 
もうひとつ記事としては、【組織の頭を柔軟に―あなたの会社を
mannakaの視点で深堀する柔めディア】ということで発信しています。
juunanインタビュー Vol.5 「代表世話人 杉浦 佳浩さん」
〜たまに喫茶店で寝ています〜

 
本当にしばたさんの発想は柔軟ですね。驚くことばかりを瞬時に行って、
具現化していかれます。この企画力で、今では100社以上のクライアントと
お付き合いとなっているしばたさん、中には誰でも知っているナショナル級の
クライアントとも付き合いが始まっています。会社規模も2社併せて21名の
仲間でこの人数規模で大きな仕事に立ち向かっています。
この2社の動き、しばたさんの活動範囲、奇想天外な【企画力】の世界に、
益々楽しみに感じる次第です。
長きに亘って私もご一緒できますように、願っています。
 
 
※このコーナーは、お世話になっている、
ブレイン・サプライ社が毎月発行している【ブレイン・サプライ通信】に、
私が日々の出会いの中で、仲良くして頂いております、
企業様、経営者様について話題をお伝えするコーナーである
【今月の縁結び】と連動している企画です。
内容に若干不明な場面もあるかもしれませんが、ご容赦下さい。

ご縁結びのコーナー第37回 エッセンス株式会社 代表取締役 米田 瑛紀 様

2018年02月09日

★経済産業省「我が国産業における人材強力化に向けた研究会」
メンバーに選出
 
働き方改革元年は昨年の今頃から急に熱を帯びてきましたことを
思い出します。しかし、実際の改革実態は?と感じますね。
旧態依然とした感じで【時短】【早期退社】ってことだけが
先行することに違和感を覚えます。
 
今回は会社ミッションで【新しい仕事文化をつくる】を掲げて、
【企業と個人の新しい関係性を実現する】ことへチャレンジングに
立ち向かっていらっしゃいます、エッセンス社。
そしてその代表である、米田さんについてお伝えしたいと思います。
 
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米田さんの略歴について、
・1973年12月7日生まれ(43歳)広島県出身、射手座のO型
・1996年大学卒業後、アズグループ入社売上高5倍、
企業規模拡大に貢献取締役ゼネラルマネージャーへ着任
・2000年フィクスコミュニケーションズ株式会社創業メンバー
営業責任者として9年で20億の売上をあげる営業組織を構築
・2009年エッセンス株式会社を設立。
・2017年経済産業省「我が国産業における人材強力化に向けた研究会」
メンバーに就任
 
一貫して人材系でご実績を積んで来られ、20代から、事業の組み立て、
組織づくり、そして売上規模拡大までも若くして経験されています。
加えて、昨年発足の「我が国産業における人材強力化に向けた研究会」
にも選出。
聞くところによりますと、数十倍の候補者から選出されたとのことです。
以下がその研究会のメンバーです。
『第1回の参加者名簿』
 
以下経産省のHPより
『我が国産業における人材力強化に向けた研究会「必要な人材像と
キャリア構築支援に向けた検討ワーキング・グループ(人材像WG)」
第4回を開催します』

 
 
★米田さんとの出会いについて
 
2013年の秋、まだ私がサラリーマンの時に、(株)アマテラス藤岡さんの
御声掛けで人形町あたりの居酒屋でお会いしたのが最初と記憶しています。
東京の人材系の方と会計士系の方々との楽しい夜会でした。
そこから一度会社訪問をということで、お伺いさせていただき、
事業概要についてお教え頂きました。その中で、プロパートナーズ®への
思い入れの熱さ、今後の働き方のプロローグを当時感じました。
 
その時に、米田さんから『杉浦さんもプロ人材で登録されても
良いんじゃないですか!』と仰って頂けたのは、翌年実際に独立する際に
私の背中を押してくださった大きな一言だったと思っています。
その後いろんな場面特に人数多めの忘年会や夜会でお見かけすることは
あったのですが、事業についてのお話をさせて頂いたのはそこから
少し時間が開いて、2年前2016年の1月頃と記憶しています。
 
都会のプロ人材を地方へレンタル(シェアリング)できないか?という発想を
米田さんから頂き、まさに地方活性化のお役立ちが出来るのでは?と思って
お話を伺いました。
都会の有能な人材をUターンやIターンで地方に、と、いろんな行政や
人材会社がチャレンジして不幸な結果を招いているのを見て『違うよな』と
思っていたところに、【出張ベース】で地方に赴くことでも
相当な価値があると思いました。
 
 
★四国銀行へのご紹介、大きなリリースへ
 
私がサラリーマン時代から懇意にさせて頂いていた、地方銀行。
特に高知県に本店がある四国銀行、こちらの現在本店の部長を
務めておられる方が部長代理時代から懇意であり、まさに地域活性化、
地元優良企業における新規事業展開等々についての課題をお持ちでした。
 
翌月2月には米田さんをお引き合わせし、その2ヶ月後には実際に米田さんが
高知に出向いて具体的な打ち合わせに入ってくださり、第一号のプロ人材が
すぐに具体的に成果を挙げて頂くことになりました。
そこから本格事業提携に話が進み、2016年の10月には共同リリースに
至る所までとなりました。実際動き出してからの提携へのスピードは
金融機関としても異例と思えるくらいの速さでした。
 
『【ニュース】2016/10/25 四国銀行との業務提携のお知らせ』
 
その後も昨年の秋には広島銀行と事業提携が成立し、今後も地方銀行との
連携を加速していこうとされています。都会の優秀なプロ人材が
地方で働く、シェアリングするということも新しい働き方と思いますね。
 
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★2つの事業の柱であるビジネスモデルについて
 
□プロパートナーズ®事業(プロ紹介サービス)について
前述の四国銀行での提携はこの事業でした。人材業界で顧問事業が
ブームになって久しくなりますが、ITの壁、会社組織の高度化・複雑化により、
60代・70代で過去の大京時代の【過去の肩書】だけでは
ここ最近の【顧問業】は成り立たなくなっていると肌で感じています。
現場感覚の無い(解らない・理解できない)で上から目線だけでは、
現役世代は見向きもしないというところだと思います。
しかもITリテラシー低い事が大きな隔たりを生んでいると思います
(未だにガラケーだけの方もお見受けします)。
 
そこにいち早く気付き、【現役プロ】に拘り、そのプロが1000名以上登録する
【母数】への拘り、月2回(2時間程度)という導入しやすさ、
試しやすさへの拘りを【売り】にされています。
 
登録されている年代も若い方だと20代から、中心世代は30代後半から
50代前半とまさに現役世代という感じ。中にはベンチャー企業在籍の
取締役が、腕試し、自身の能力アップ、他社での経験を自社で活かす
といった強者まで登録しているそうです。
領域としても、【営業戦略系】、【新規事業推進系】、
【マネジメント強化系】、【社外取締役】、【人事領域】、【上場領域】、
【財務領域】、【広報・マーケティング、PR系】、【IT領域】と
多岐に渡ります。
 
評価が高い理由の一つには、誰彼無しに、プロ人材として登録しないという
確固たる指針を持っていることだと思います。エッセンス社では、
プロ人材として応募してくる候補者の審査を厳格に行っており、
審査の通過率は37%程度だそうです。私がプロ人材として認めてもらい
喜んだのもこの通過率数字からでした。
このサービスはエリアを選ばず、中堅中小企業の課題解決、事業拡大期の
助っ人等々いろんな場面で活用できると思っています。
 
本事業の専用HPはこちらです。
 
□ナナサン®事業について
『東京電力さんで活用頂きました!』と満面の笑みで米田さんが
仰ったのが昨年の春頃。『それは凄い事で!』と私も懇意の
大企業(従業員規模:2万人)にご紹介、現在2回目の試験運用を
行っていただいています(リリースを待ち望んでいます)。
 
私も現役サラリーマン時代に感じていた、【企業研修】。
多額の投資をしてくださったことには感謝していましたが、
座学→眠い→体験値が低い→研修期間を過ぎればすぐに消え行く、
そんな連続でした。このナナサン事業は大企業にとっては画期的な
【研修事業】と私には映りました。
 
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ナナサンの意味は、7割3割から由来しています。同社の専用HP冒頭には、
【「7割現職、3割他社留学」の働き方を通じ、キャリア開発を実現する
「ナナサン」。次世代リーダー候補に必要とされる、課題解決力、
変化対応力等多様な育成ニーズを満たすために、「現職につきながら
他社で活躍」する機会と場を、送り手企業と受け手企業のシナジーある
マッチングにより実現します。これまでとは違った新しい研修スタイルにより、
新しい働き方の可能性を社会に提供します。】とあります。
 
ナナサンHPはこちらです。
 
大企業人材の【他流試合】でベンチャー企業に。まさに実体験を積める
素敵な研修モデルと思います。大企業が如何に恵まれているかも認識できると
思っています。大企業ではアリエナイ、20代での役員会出席もベンチャー企業
では当たり前の世界、この経験値本当にキャリアデザインに意味ありますね。
 
他方、受け皿となるベンチャー企業は、大企業の人材を無料で活用できる
メリットがあり、しかも大企業と繋がりがもてる可能性や、社内活性化にも
つながります。
私の個人の意見ではありますが、大企業若手人材のみならず、40代後半~
50代のホワイトカラー人材(若干消耗状態の皆さん)にも社外の風にあたり、
自身のキャリア設計を見直す良い制度に活用できると思います。
人生100年時代、まだまだ先の長い方々へも良い流れが作れると思いますね。
 
 
★米田さんへの質問〜今後について
 
事業モデル、出会いについてお伝えして参りましたが、そもそもの
今までに至るキッカケについてお聞きしました。
 
・起業のキッカケ
⇒もともと、高校生の時に、35歳で起業しようと思い立ちました。
起業したいという理由は、父親が固い公務員であり、叔父がかっこいい
2代目の経営者であり、同世代の両極端な大人を見て、無意識に理屈なく
自然と、将来はかっこいい叔父のようになりたい。それが経営者という
仕事であり、立場であり、働き方であったことです。
 
・プロパートナーズ事業を始めたキッカケ
⇒セールスアライアンス事業というのが、今のプロパートナーズ事業開発に
繋がるわけですが、当時のビジネスモデルは、BtoBの販路を拡大したい
企業に対して、経営者との人脈を100人以上持っているレップという方々を
30人程度活用し、約3000社の経営者ネットワークのプラットフォームを
活用したビジネスマッチングでした。
 
このビジネスモデルは、当時名刺で有名なSansanさんや上場された
リタリコさんも活用してくださり、一部のメディアにも取り上げていただき、
勝手に結構盛り上がっていたのですが、実際には、ご相談は多くの企業から
いただくものの成果に繋がりにくく、レップの方々も思うように動いてくれず、
収益も上がらず、創業メンバーの退職などと重なり、創業初年度から
倒産の危機を迎えることとなりました。残ってくれた創業メンバー1人と
改めてガチンコで語り合い生み出されたのが、今のプロパートナーズです。
 
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当時のビジネスモデルからの変革のヒントは、クライアントからの
生の声でした。クライアントから、「Aさんというレップなら、顧問として
専属契約したい。さらには、レップの方も、Aさん専属なら本気で支援したい」
というとてもシンプルな話でした。それから、営業領域のプロから始まり、
新規事業、CFO、人事など多方面でのプロニーズが増えて、今に至ります。
 
・ナナサン事業を始めたキッカケ
⇒1.30前後の大手優秀層のキャリアカウンセリングを通じて、隣の芝生が
青く見え、辞めなくても良いであろう理由で、転職を考える方から、
他企業もみる機会でもあれば、とてもうれしいという声
2.プロパートナーズ事業を通じて、週1回でプロジェクトを支援する
取り組みを500社以上通じて、他社留学先での週1プロジェクトを
マッチングできるノウハウがあったこと
3.プロパートナーズに登録しているプロ人材1000人を見てきて、どこでも
通用するスキルを意識し、他流試合を実施している方が多かったので、
一人でもそういったプロ人材育成につながる事業をしたかったこと
 
・今後の御社の展開について
プロパートナーズ事業
⇒5年後には、企業における社外のプロ人材導入が正社員比率の5%になり、
プロ人材の導入に関わった社員の生産性が向上している。
 
ナナサン事業
⇒5年後には、大手企業の3%が他社留学経験者で、オープンイノベーションが
加速し、研修対象者の生産性が向上している。
 
と話されています。ここ最近は、働き方に関するメディアもスタート
されている米田さん。
楽しみが増幅します。
 
働き方に関するメディア「ハタラクミライ」HPはこちらです。
 
前述の【今後の展開部分】については、これからの日本には
もっと大きな数字が必要だと思います。この2つの事業が【刺激】となり、
より良い働き方改革に繋がることを願います。
米田さんと益々ご一緒したいと思っています。
 
 
※このコーナーは、お世話になっている、
ブレイン・サプライ社が毎月発行している【ブレイン・サプライ通信】に、
私が日々の出会いの中で、仲良くして頂いております、
企業様、経営者様について話題をお伝えするコーナーである
【今月の縁結び】と連動している企画です。
内容に若干不明な場面もあるかもしれませんが、ご容赦下さい。