自然な成り行きに逆らわず、正直をなりわいに。

ー杉浦佳浩

自然な成り行きに逆らわず、正直をなりわいに。


2019年 07月 01日

欠けてゆく月も
やがて満ちて来る
なりわいの中で。
欠けようとしている月が
いきなり満ちてきたら。。。
おかしい。
自然な流れが大切。
ある意味【嘘】がないということにも。
昔、田中角栄さんが現役バリバリの頃
常々口にしていたのが
『水は高きから低きにしか流れない』
と10年ほど前に教えてもらったことがあります。
自然の摂理に背いては全て長続きしない。
ある経営者とブランディングについて
対話する機会がありました。
特に、
企業ブランディング
採用ブランディング
あるべき姿を一所懸命目指し
埋めるべきギャップにチャレンジしている
その先にある居場所を発信する。
それはOK。
しかし、
目指しもしない、チャレンジもしない
そんな経営者が嘘や嘘に近いことを
ブランディングと称してHPに
綺麗ごとを散りばめている。
またそこを収益化目的で支援する
業者の数々、あかんです。
広告媒体やHPを見て
そこを信じて入社してくる人
不幸の始まり、、、、
そろそろ誇張に満ちた
ニセブランディングが
無くなりますように。
世の中が、正直、誠実、
自然であることに
向かっているのも事実。
そこには無理がない。
自然であるべきことを
意識する1週間に!
今週も
よろしくお願い申し上げます!
去る人を追いかけず
来る人に笑顔で。
しかも双方に感謝を。
35年前自分がバックパーカーとして
世界の見知らぬ人達に一人で
出かけられていたことに感謝。
【自分は何者でもない】に
共感します。
毎日が再出発ですね。

 

【自分は何者でもない】

伊集院静氏響く言葉より…

若い頃旅と、或る程度、歳をとって旅とは、勿論、違いがある、いずれしても、旅が与えるもは限りがないほどさまざまなもがある。
私が若い、安いチケットを買って、まずは日本から出てみることだ、とすすめるは、言葉も話せない、生活習慣、イデオロギーも違う異国で、一番収穫は、
…自分が何者か?
を知ることができるからだ。

ではどういうことを知るかと言うと、
…自分はまだ何者でもない。
ということを知ることつきる。

日本住んでいる時は、親が守ってくれたり、家柄があったり、学校で成績が良かったり、とか当は或る程度、何者である確信ようなもがあっても、それがまったく無意味であることがわかるが、異国へひとつ獲得できるもである。
では若い時だけ
…自分は何者でもない。
という考えが必要なか、と考えると、そうではない。

たとえば、六十歳を越えて、定年を迎えているがいるとすれば、たちも必要な考えなである。
ここまで寿命が延び、日本六十歳から七十歳たちが、どくらい元気で、バリバリ仕事も、遊びもできるは、今や常識である。
ところが、現役時代一倍働き、仕事で成果を上げ、会社からも評価され、部下も育てたというが、実は、潔く退職してから上手くいかなくなるケースが多い。

…えっ、あ部長が、今そんななんですか?
という例が多い。
が仕事を十分やって来て、望もあり、あとは退職金で悠々と暮らしているかと思うと、これが逆ケースが多い。
…なぜか?
再出発ができないである。
、再出発でなくても、残る余生をうまく過ごせない。
再出発ケースなら、自分は半生でこれほどことをやって来たという自覚が邪魔をするである。
自分ふさわしい新しい仕事なり、時間過ごし方対して、対応ができないである。

原因最大要素は、
…自分はカクカクシカジカ者である。
と当が考えているからである。
…自分は何者でもない。
という考えを持てないだ。

しかしよくよく考えれば、それだけ素晴らしい仕事をした、そ仕事内容も、実は過去であり、メモリーはあっても、実感をともなうもではないだ。
実は、こ実感をともなうもこそが、生きている仕事、時間なである。
…自分は何者でもない。
考えがすんなり自分入るようなることが大切なである。
話から、妙なことを書いたが、生は晩年をどう過ごせるかで、当生きざま、死ざまが決まるケースが大半なである。

『一度きり生だから 大遊び方』双葉社

「我々は遠くから来た。そして遠くまで行くだ…」 という、イタリアパルミーロ・トリアッティ言葉がある。
また、「我々はどこからきたか 我々は何者か 我々はどこへ行くか」と題された、フランス画家、ポール・ゴーギャンがタヒチで描いた大作もある。

どんな財産があろうと、肩書や名声があろうと、死んでしまえば、それをあ持っていくことはできない。
ことを、重要な節目節目思い出せるかどうかで、生は決まると言ってもいい。
「裸て生まれて来た何不足」
我々はもともと裸で生まれてきただ、と覚悟を決めれば何でもできる。

定年退職限らず、生を再出発させなければいけない時は、旅と同じだ。
見知らぬ土地、見知らぬ、見知らぬ宿と出会い、「自分は何者でもない」と気づく。

一度きり生、覚悟を決めて生きてゆきたい。

上記の【自分は何者でもない】については

人の心に灯をともすより引用しています。