無心になっているか? 無心に打ち込み笑顔を忘れずに。

ー杉浦佳浩

無心になっているか? 無心に打ち込み笑顔を忘れずに。


2019年 05月 20日

有名な広告業界の御大
その方の20代前半でのお話。
今から50年ほど前。
安アパートに住み
毎晩遅くに帰宅。
そこからその日の新聞を広げ
掲載されている広告全てに
赤ペンをいれていたそうです。
『俺ならこういう表現をする』
誰にも見せることのないその新聞
それを毎日毎日継続していたそうです。
そこから50年、その人のことを
知らない人はいなくなりました。
この方の全盛期のお話だそうですが
電気製品の広告を引き受けた時
製品を全て分解してしまうほど
のめり込んでいたそうです。。。。。
また
先週、
元お笑い芸人の方にインタビュー
4年間の芸人生活について
詳細に伺ったのは初めて。
理不尽が良いとは言えませんが
それ相応の仕打ちに近い
芸人道特有の厳しい【教育】、
環境下で頑張ったお話に響きました。
そして今は別の道で、笑顔の花を
咲かせていらっしゃいます。
修羅場
土壇場
正念場
この3つを体験した方は本当に強い
このお二人ともに無心の時間が在った。
そう感じます。
無心に打ち込める何かを大切に!
今週もよろしくお願い申し上げます!
無心後に、気づけば花が咲く。
良いですね。

【一輪花を咲かせる】

渡辺和子氏響く言葉より…

あるが送ってくれたそ詩は、英語で「Where  God  has  planted  you,  you  must  bloom.」という言葉で始まっていました。
自作なかどうか、いまだわかりません。

神が置いてくださったところで
咲きなさい
仕方がないと諦めてでなく
「咲く」です。

「咲く」ということは
自分が笑顔で幸せ生き
周囲々を幸せするということです。

「咲く」ということは
周囲、あなた笑顔が
私は幸せなだということを
示して生きるということなです。
“神が私をここ置いてくださった
それは すばらしいことであり
ありがたいことだ”と
あなたすべてが
証明することなです

「咲く」ということは
求め喜んで応じ
自分とって ありがたくない
決して嫌な顔 退屈げな態度を
見せないで生きることなです。

私は、若くして思いがけず与えられた管理職重み耐えかねて、口は出さずとも「今仕事さえしなかったら、今立場さえ置かれていなかったら」と、呟(つぶや)くこと多い日々でした。
間は一ひとり花です。
小さい花もあれば大きい花もあり、早咲き、遅咲き、色とりどり店頭飾られ、買われてゆくもあれば、ひっそり路傍で「花一生」を終えるも多いでしょう。

使命は咲くことあります。
花と比べて優劣を競うこともなければ、どこ置かれるかなく、自分しか咲かせられない花を一番美しく咲かせることあります。
それは決して「迷い」ないことを言っているではありません。
もっと日当たり良いところだったら、もっと風当たり少ないところだったら、もっと広々としたところだったらと、嘆くことがあってもよい。
そんな思いを抱いてもいいだけれども、それを奪われて、みじめな思いで一生を過ごすではなく、置かれたところで精いっぱい、それも詩うたわれているよう「咲く」こと、それがいつしか花を美しくするです。

使命とは 自らが笑顔で生き、周囲々も 幸せすること。》…自分しか咲かせられない花を、どこ置かれても、精いっぱい咲かせよう。

『どんな時でもは笑顔なれる』PHP研究所

中国明末書 「酔古堂剣掃(すいこどうけんそう)」一節こんな言葉がある。
《野花艶目 不必牡丹 村酒酔 何須緑蟻》

『野花も目艶(あで)やかなり。
必ずしも牡丹(ぼたん)ならず。
村酒もを酔わす。
何ぞ縁蟻(えんぎ・美酒異称)を用いん』

“野咲く花も目あでやかである。
必ずしも牡丹(中国代表的な花)でなければならないことはない。
地酒もを酔わせる。
何も銘酒でなければならないことはない”

ひっそりと咲く花も、また美しい。
も同じで、無名であっても有力なもいる。
、有名であっても無力もいる。

花は花として、自分花を精いっぱい咲かせる。
置かれたところで…
自分独自花を咲かせたい。

※上記の【一輪の花を咲かせる】については人の心に灯をともすより引用しています。