ご縁結びのコーナー 第17回 加藤 崇 様

ー杉浦佳浩

ご縁結びのコーナー 第17回 加藤 崇 様


2016年 05月 20日

今年の3月に、

著書【無敵の仕事術 君の人生をドラマチックに変える! (文春新書) 】

を上梓された、加藤崇さんついて今月はお伝えしたいと思います。
同書はこちらから
(4/17時点で「MBA(経営学修士)」カテゴリで1位、

また「仕事術・整理法」カテゴリで1位)

 

今回の加藤さんについては、

現在経営をされているハイボット社について記載するのでなく、

あくまで、加藤さん個人にフォーカスさせて頂き記述したいと思います。

 

加藤崇

 

◆最初に加藤さんのご経歴から
1978年生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、

東京三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行。

法人融資業務などに従事したのち、退職。

KPMG日本法人を経てオーストラリア国立大学で経営学修士号(MBA)を取得。

技術系ベンチャー企業社長などを歴任し、2011年加藤崇事務所を設立。

ヒト型ロボットベンチャーSCHAFT共同創業者兼取締役CFO就任。

13年にはSCHAFTをグーグルに売却し、世界から注目を集めた。

著書に『未来を切り拓くための5ステップ』(新潮社)。

現在、米国カリフォルニア州メンローパーク在住。

現在は、株式会社ハイボット、HiBot USA,Incにおける両代表者を勤められ、

米国、日本でご活躍です。以下ハイボット社のHPです。

 

 

◆3月に上梓された著書について
シリコンバレーにいらっしゃる加藤さんから、

『杉浦さんには献本したいところですが、生憎、シリコンバレーにいるので、

もし書店などを通りかかることがありましたら、

来週頭には平積みになっているかと思いますので、

ごひいきに、よろしくお願いいたします。』

と発売前に嬉しいご連絡を頂きました。

早速にAmazonで予約をし、到着を心待ちに致しました。

到着後真っ先に拝読し、すぐに加藤さんに、私の感想をお伝えしましたところ、

『完璧です!!!』との評価を頂きましたので、

私の方から、Amazonのカスタマーレビューに投稿させて下さいとお伝えし、

快諾を得ました。結果、この大ヒットの著書の

最初のレビューを投稿させていただくという

有難い巡り合わせとなった次第です。

 

 

◆Amazonのカスタマーレビューについて

 

4月中旬時点で、この著書のレビューは15件となりその中で、

私の投稿について、34人方が役に立ったとして頂き、

何か幸せのお裾分けを加藤さんに頂いた気持ちです。

下記に私が投稿しました、レビューを御覧ください。
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【無敵の仕事術】を拝読して3点ほど
投稿者 杉浦 佳浩 投稿日 2016/3/20
形式: 単行本 Amazonで購入

 

加藤崇

 

◆バブル世代も必読と思いました
私自身もバブル世代、自戒と自省を持つためにも
良い書と思いました。
自分自身がやりきった感のあるバブル世代、
しかし、
実際は時代の巡り合わせと前の世代の諸先輩が
引っ張ってくださったにも関わらず
自分達の実力の無さから創ってしまった
失われた20年や、次の世代へのバトンタッチが
できていなった事を、そろそろ自覚して
残された人生、この国への貢献を意識し、
ホワイトカラーの生産性の低さを改善するためにも
【組織人】ではなく【個の力】にまさに
フォーカスする、できる書と思いました。

 

◆日本を闊歩するエセエリートの皆さんに
リスクを取れない
壁を壊せない
失敗できない
自分の意志・意見をもてない
ということで、エリート感ある方々が
出世する今の日本企業。
それもそろそろ終焉に。
共感性を打ち出せる、人間味・人間力が
人工知能が引っ張る新しい時代にまさに
生き残る真のエリート。
当事者意識を持ち、
現場にいること、
覚悟ができる、
諦めない気持ち、
質問をし、聴く力、
可能性に掛ける行動、
これらを持ち合わせることが如何に重要かが
著者、加藤さんの実践から読み取れました

 

◆困難に飛び込むコトに躊躇している皆さんに

経歴だけ拝見していると

サラブレッドのようなご経歴かと

思いましたが、

武骨感あり

サラリーマン時代業務外の【地下活動】

実際のビジネス上での失敗のお話

数字はV字回復、人間関係はボロボロのお話

けっしてスマートではないお話の連続

加藤さんのビジネスマンとしての生き方が

困難を困難としない勇気と希望を与えるものと

思いました。

GoogleとのM&A、アンディールービン氏との下りには

正直痺れました。

ありがとうございます!

 

 

◆加藤さんとのご縁のはじまり
『先輩!なんで僕が【保険屋】に会わないといけないのですか!?』と

携帯電話から漏れてくる大きな声を聞いたのが

加藤さんとの最初のはじまりでした。

加藤さんのご紹介者は、加藤さんが尊敬する

銀行員時代の先輩である中井さんでした。

中井さんから『後輩の加藤を紹介したいです』と仰っていただいたのが、

今から2年と少し前。

その時加藤さんは、東大発ロボットベンチャーをGoogle社に売却した直後、

世界中のメディアから注目され、

いろんな方々がとにかく加藤さんに会いたいと

人が有象無象押し寄せている最中でした。

当時、損害保険会社に所属していた私に会う意味は、

ほぼ意味不明に近かったと思いますので、

いくら尊敬する先輩の中井さんからの紹介とはいえ、

冒頭の大声となったと思います。

それでも、忙しい中、加藤さんは私に時間を創ってくださいました。

中井さんに心より感謝しています。

 

 

◆加藤さんとお会いして
日本のスタートアップ支援の現状、金融システム、大企業の問題等々、

私も感じていた部分を苦渋に苛まれながら、閉塞感、本当に崖っぷちの中で、

辿り着いたGoogle社までのお話を熱い言葉で私に語って頂きました。

このあたりから、私の中でも、大企業に定年まで在籍する意味はもうないな、

とスイッチが入っていったように思います。

そういう意味では加藤さんにも感謝あるのみです。

(前述のカスタマーレビューの2番目の下りが的確であると思います)

加藤さんの想いをまとめたニュースをご紹介します。

 

 

◆ドライではない加藤さんの人を慮る姿勢

 

加藤

 

華々しく映る、加藤さんの経歴から、

ドライな感じの方と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、

それは全く逆です。

著書の中にも出てくる、会社に黙って業務外に行っていた【地下活動】

そんなお客さん思いの部分、それは私にも同様にありました。

私が、損害保険会社を退職の告知をフェイスブックで行ったところ、

いち早く連絡を頂き、東京でお会い頂くことに(2014年11月後半)。

写真にもありますようにご自分の著書を贈呈いただき、

『起業する際に役に立つので是非読んで下さい!』というものでした。

仕事上の関係もなにも無い中で、

この加藤さんの姿勢に有難いと言葉がでませんでした。

また『起業後すぐ、売上が立ち辛いと思うので、こういうことだったら

成果報酬体型で対価を支払えると思います、なにかあれば仰って下さい』と

私の起業後の収入の心配までしてくださることも。

今思っても、ここまで他人を慮る、気遣いある姿勢は、中々出来ないし、

いないと思います。思い返す度に頭が下がります。

 

 

◆日本の技術で世界に貢献する
少しだけ、お仕事について。

最近は米国に家族で移住され、中々お会いできる状況にありませんが、

これも日本のハイテクロボットベンチャーで

世界に戦いを挑もうとされている証。

元々は日本の大学発のテクノロジーを世界に売り込もうとされています。

モノづくりの衰退にかなりの危機感があればこその米国移住、

この加藤さんの動きに今後も注目し、

私自身も近い将来必ずシリコンバレーに加藤さんを訪ね

再会したいと思っています。

 

 

◆最後に
下記は、以前加藤さんがご自身のHP上に掲載されていた文章です。

あまりにも素敵であり、心に残る、響く言葉が散りばめられています。

最後までお読み下さった皆さんに贈ります。
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最初に言っておきますが、私はサラブレッドではありません。

これまで色々なところで講演をしてきましたが、パッと私の経歴だけを見ると、

どうせ加藤さんはサラブレッドなんだろうと思う人が大半のようです。

だからこの人の話は自分には関係がないと思ってしまう。

でもそうではないのだと、最初に言っておきたいのです。

昔の話をしながら、少し経歴の行間にある出来事を補足させてください。

まず、私の人生の出発地点として、幼少期に父親が事業に失敗し、

両親が離婚しました。

私は母方についたので、バブルの恩恵など一つも受けることなく、

貧しい少年時代を過ごしました。ずっと、母と姉と私の3人暮らし。

お金は無かったけれど、そこには家族の絆があり、

物は買えなかったけれど、そこにはいつも笑いがありました。

だから、姉も私も不思議とグレずにまっすぐ育ったのです。

とはいえ家計は苦しかったので、姉は進学をあきらめ、

看護師学校に行きながら准看護師として働いて、

私の学費を工面してくれました。

高校、大学と奨学金をもらいながら通いました。

ところが大学に入学し、

もうすぐ働いて母親を楽にしてあげられると思っていた矢先、

大学3年の終わりに、最愛の母を悪性の皮膚ガンで亡くしました。

半年以上の長きにわたり、姉と必死で介護にあたっていたので、

私は満足に就職活動をすることもできませんでした。

いつか母親を楽にしようと思い願っていた人生でしたから、

母を失ったことで、私の人生はここで一度終わったようなもの。

しかしある時、目が覚めたように、

それでは第二の人生を始めればいいと思うようになりました。

母への想いを、誰か他の、

力無き人たちのために向ければいいのだと思ったのです。

 

そんな中、変わり種の私を採用してくれたのが東京三菱銀行でした。

エントリーシートの提出に間に合わなかった私を、

無理に選考プロセスに乗せてくれたリクルーターの方には

今でも感謝しています。

優秀で素晴らしい人たちが多くいる会社で、

それこそ色んなことを教わりました。

たまたま不良債権問題で銀行が苦しんでいた頃に入社したせいか、

私は業況の悪い会社を多く担当し、

目の前で倒産していく会社を何社も見ました。

私も当時はまだナイーブで、こうして潰れていく会社を見ながら、

自分のやるべきことはこうした会社を何とか助けることなんじゃないかと

思うようになりました。

自分なりに、第二の人生に意義を見つけようとしていました。

相談した人全員に反対されましたが、そこで銀行を出て、

企業再生を請け負うコンサルティング会社で腕を磨くことにしました。

迷いなど全くありませんでした。

今でもそうですが、自分の判断にある意味根拠のない自信が持てることは、

経営者の資質として重要なことだと思います。

コンサルティング会社では、色々なプロジェクトを通じて、

また多くの優秀な人たちと仕事をし、忙しくも楽しい日々を送りましたが、

最後には何だかしっくりこない。

潰れそうな会社の経営者に上から目線で偉そうなことを言っても、

自分が一度も経営者として会社を経営したことが無いことに、

リアリティの無さを感じていたのです。

納得がいかないことがあると、対等に上司に物を言おうとする当時の私は、

相当変わった部下だったと思います。人間関係にも相当悩みました。

何より、まだ若かった。

そして経営というものを、体系的に一度しっかりと理解したいと思っていました。

そこで全財産はたいて、全て投げ打って、海外の大学院に行くことにしたのです。

 

大学院を終えて社会に戻る際、

コンサルティング会社には行かない、投資銀行にも行かない、

という2つのことを決めてから帰国しました。

私は実際の会社経営をやってみたかったのです。

結局、東証マザーズに上場しているとても小さな会社で働くことにしました。

初めて会社の役員になったのもその会社です。

新規事業立上げをやってくれと言われたのですが、

どうやってサービスを作ったらいいのか、

どうやって売ればいいのか、何も分からず、

誰も助けてくれない環境の中で、七転八倒しました。

会社のお金をだいぶ使って、色々試行錯誤しましたが、

新規事業は打ち切りとなり、結局、大失敗で幕を閉じました。

20代後半での大きな挫折。

 

その会社を離れ、色々あって、ある時、

運よく別のベンチャー企業の再建を託されました。

しかも、人生初めての社長として。

従業員23人、売上が4億円を切るくらいの会社でしたが、大赤字で瀕死の状態。

赤外線によるヒトの視線解析を売りにする会社でした。

火中の栗を拾う仕事で、君は100%失敗すると、周りから言われました。

誰もやりたくない仕事かも知れないけれど、でも僕は嬉しかった。

しかし、そこはリアルな経営の修羅場でした。

赤字の会社を黒字にしようと、

泥まみれになって何でも端から体当たりでやりました。

顧客からはクレームばかりで、部下は集団退職し、預金は残りわずか。

一瞬でも気を抜けば、会社が潰れる。

そして会社を潰してしまえば、ほら言った通りだろうと、周りの笑い者になる。

自分のキャリアもこれで終わりだ。

責任の重さに足がすくみ、酒の量は増え、体重は減りました。

しかし、負けるのが嫌だったので、それでも淡々と走り続けました。

そして、身も心もボロボロになって後ろを振り返ると、

会社は黒字になっていました。

その時は、何が成功要因だったのか、はっきりとは分かりませんでした。

 

経営の修羅場の中で泥だらけになって色々なことを経験し、

何となくですが本当の経営のリアリティのようなものが、

少しだけ分かった気がしました。

大学院で学んだことは、本当はこういうことだったのかと、

卒業してしばらく経ったその頃にやっと腹落ちしたのです。

多くの人が人生で一度も経験しないようなことを若くして経験しながら、

それを本当にリアルな経営技術として頭と心に刻みました。

そんな頃、幸運なことにある大きな会社からお誘いがあり、

役員として経営改革を担当することになります。

大変でしたが、ここでも本当に多くのことを学びました。

社長を経験した後だからこそ、

社長の本当の気持ちというものが分かる気がしました。

理想と現実の間を行き来しつつ、人間の渦の中をぐるぐると歩き回り、

やがて私は自分にはもっと大きなことができるのではないかと考えるようになりました。

こうして手に入れたノウハウを再生産することができれば、

日本はもっと明るくて良い国になるのではないか。

そして、自分の会社を作ることにしたのです。

自分が個人として、社会に提供できる知性や技術、

情熱があると確信を持ってのことでした。

だから株式会社加藤崇事務所。自分の名前そのままの社名にしました。

まずは、本を出そう。そして多くの会社の助けになろう。

そして、若者を育てよう。

母子家庭に育ったのだから、女性も男性も、関係ない。

自分が若くして社長として成果を残せたのだから、年齢は、関係ない。

自分の姉を心から尊敬しているのだから、学歴も関係ない。

あらゆることに、極めてフェアでありたい。

それは私の仕事のスタイルにも、十分表れていることだと思います。

 

 

 

※このコーナーは、お世話になっている、
ブレイン・サプライ社が毎月発行している【ブレイン・サプライ通信】に、
私が日々の出会いの中で、仲良くして頂いております、
企業様、経営者様について話題をお伝えするコーナーである
【今月の縁結び】と連動している企画です。
内容に若干不明な場面もあるかもしれませんが、ご容赦下さい。